137話 一夜を過ごしました!
「よしよし、大漁だ」
俺は桶に入った魚を見て言った。
気が付けば、もう夕方。
船はずっと川の中央に浮かべて碇を下ろしていたが、少しも水が入ってこない。
「船もこれなら心配ないだろう。しかし、面白かったな」
「ええ、昼寝しながら釣りをして……こういうふうにゆっくりするのも楽しいですね」
嬉しそうな顔のイリアに、俺はうんと頷く。
本当にのんびりした一日だった。
気ままに釣りをして、少し陽が強い時間は船尾楼の中のベッドで横になったりもした。
「ああ。次は、別の場所に行ってみたいな。やっぱり海とか」
「その時はお供いたします」
「今度は皆も連れてな……それじゃあ、ご飯にしようか」
「はい! いっぱい魚が獲れましたからね! 私が焼きます!」
「いや、俺も焼くよ。水魔法が必要になるかもしれない」
「では、二人で」
こうして俺とイリアは、船の舷側に作った焚火台の上で魚を焼き始めた。
この付近だけは火が燃え移らないよう、石のタイルを敷いてある。俺みたいに水魔法を使えなくても、すぐ水を汲める場所だし安全だ。消火用に砂の入ったバケツも置いてある。
俺は焼き加減を見ながら言う。
「そろそろいい感じに焼けそうだな。皆も呼んでくるか」
「あ、メルクさんたちは皆、今日学校でお泊り会です」
学校には宿泊できる場所もある。エルフやカッパたちが来ても、そこで泊まれるように。料理ができる設備もあるので、普通に生活できるぐらいだ。
「おお、そうなのか。じゃあ、メッテたちだけでも」
「メッテたちも学校です。子供や大人が集まって肝試しをやっているんですよ」
「肝試し? なんだ、そりゃ?」
「鬼人に伝わる、古代の度胸比べです。いかにもお化けが出そうな場所で、夜歩き回るのです」
「そ、そうなんだ……俺はちょっと怖いかな」
皆と一緒ならそれはそれで楽しいかもしれないが。
「メルクさんたちはハイドも覚えてますから、なかなか白熱しそうですね……まあ、誰も見つけられないんですけどね」
イリアはなんかぶつぶつと言っている。
「でも、イリアは行かなくてもよかったのか?」
「私はヨシュア様の隣が一番ですから」
にこっと言うイリアに、俺は胸が高鳴る。
「お、おう……おっと、もう焼けるな」
ちょうどいい焼き加減の魚が刺さった串を、俺は焚火から外す。
とりあえずは、俺とイリアで一本ずつ。そこそこ大きなマスだ。
「さあ、食べようか」
「はい! 焼いただけなのに、とてもいい香りがしますね」
「実は魚に香りづけの香辛料……香りのする葉っぱを塗ってある。エクレシアとエントに頼んで、最近こういった葉っぱの植物を持ってきてもらっているんだ」
「なるほど……本当にヨシュア様と一緒にいると、毎日新しいことばかりです」
イリアはにこっと笑ってくれた。
その笑顔がまぶしくて、俺は魚に目を逸らす。
「と、とにかく冷めないうちに食べようか」
俺とイリアはいただきますと、二人で仲良く魚にガブリついた。
「美味しい……」
ふんわりした白身魚。噛んだ際に溢れる旨味溢れる肉汁。
ちゃんと血抜きや内臓も取ったりしたから、臭みもない。
何本でも食べられる美味しさだ。
イリアももぐもぐと食べながら、頬を手で押さえている。目を細めて、本当に美味しそうだ。
「私、本当に幸せです、ヨシュア様」
「と、突然どうした、イリア?」
「いえ。また、こうして二人でどこかに行きましょうね」
そう言って、イリアは本当に自然に俺の手を握った。
「ああ……そうだな。今度は海なんかも楽しいかも」
「行きましょう! 海の魚も本当に美味しいですから!」
その後、俺たちは魚を数本食べて満腹になった。
「次は風呂にしようか」
船には陶器製の浴槽も持ち込んだので、風呂にも入れる。
俺たちは交代で風呂に入り、船の上から夜空を眺めたりした。イリアが一緒がいいと言ったが、さすがにそれは俺の理性が持たない。
「いやあ、本当にいい休日だったな……」
俺は風呂から上がると、船尾楼のベッドに座った。
服もローブに着替え、寝る準備万端だ。あとはイリアが帰ってきたらおやすみと言って寝よう。
そんなことを考えていると、船尾楼の扉が開く。
「ヨシュア様、いいお湯でした」
「お、おう。本当に後で良かったのか?」
「もちろん」
そう答えるイリアは、俺が渡したローブを着ていた。ただし、帯紐を締めず、前を開けたまま。
……俺が恥ずかしさを抑えて、作った下着が丸見えだ。
イリアが欲しいと言ってきた、洒落たレースの下着が。
まさか着ているところを見ることになろうとは。
イリアは俺の隣に腰を下ろす。
ふわりと柑橘系の香りが香る。
イリアの顔は少し赤らんでおり、濡れた髪も相まっていつもより色っぽく見える。
それからイリアは、ゆっくりと俺の肩に寄りかかってきた。ぽかぽかとした肌の温かさが伝わってくる。
「イリア……ベッドなら他にも」
「なんだか寒いので……」
川は風が強い。だから、村に居るよりもはるかに寒いのは本当だ。
「じゃ、じゃあ布団に入れば」
ちょっと素っ気なく言ってしまった。
でも、モープの布団に入れば、すぐに暖かくなるのは確かだ。
イリアは赤らんだ頬をぷくっと膨らませる。
「もう、ヨシュア様……そういうところは本当におこちゃまですね。それでは、もう寝ちゃいましょう。灯を消させていただきます」
イリアは立ち上がると船尾楼のランプの灯をふっと消した。
暗い中で、とことこと足音が響く。
その足音は……俺のベッドまで近づいてきた。
「い、イリア!?」
「しーっですよ、ヨシュア様。もう寝る時間です」
そう言ってイリアは俺と同じ布団に入ってくる。
月明かりに照らされ、イリアの綺麗な顔が近くに映った。
「暖かい……ヨシュア様と一緒だからでしょうか」
「いや、モープの布団だから、暖かいんだよ」
「もう……」
呆れるようにイリアは溜息を吐いた。
「しかし、本当に月が綺麗ですね。周囲が静かなのもあって、すごく美しく見えます」
イリアは船尾楼の窓から外を見て言った。
俺も顔を仰向けにして月を見る。
「ああ、そうだな。こんなふうに月を見ることもなかったし──っ!?」
「隙あり! ふふ」
イリアはあろうことか、俺の頬にキスしてきた。瑞々しく柔らかい唇が頬に触れる。
「な、なにするんだよ、イリア! さっき子供っていってたけど、イリアだって」
「ヨシュア様、そんな反応もできるのですね」
優しく微笑むイリア。
俺は思わず黙り込んでしまう。
五感を研ぎ澄ますと、イリアの全身から柑橘系の良い香りがする。風呂に入っただけでなく、香水でもつけたのだろうか?
……俺はこの時、初めて気が付いてしまった。
ここは川の中央。
夜になれば川で漁をしていた亜人は帰ってしまうし、エルフやカッパのところへ行く船もなくなる。
つまり、誰もやってこない。
朝まで、俺とイリアはずっとここ二人きり……
肝試しなるものがいつ決まったかは分からないが、イリアがこういう状況を作り出したとしか考えられない。
その証拠に、イリアはぐいぐいと俺にくっついてくる。脚を絡ませ、腕を組み……耳元にその絹のような頬を俺に近づけてきた。
「ふふ、ヨシュア様と二人っきり」
「い、イリア、まさかこの状況は」
「そうです。私が、皆を学校に向かわせたんです」
「やっぱり……策士だな……でも、俺とイリアだけいないとなれば、メルクたちも何か気が付くと思うが?」
「ヨシュア様がハイドしているので、それを肝試しで探すことになっています。もう時間切れになっているはずなので、皆腹を空かせて今頃ご飯を食べているかと」
「見つからなければおかしいと思うはずだけど……」
「いいえ。見つけた者がヨシュア様を独占していいことになっています!」
「つまり、イリアが独占したと皆が思っているわけだ」
うん。何も間違っていない。
ともかく、俺はもう逃げられなくなってしまった。
このままイリアのされるがままになってしまうのだろうか。
そんなことを思うと、がたんという音が外で響いた。
その方向からは複数の魔力の反応が。
「やっぱりここ!! イリアが慣れない香水付けている!!」
メルクのちょっと怒った声が響いた。
イリアは先ほどまでと違い、眉をひそめて言う。
「来ましたか……さすがにメルクさん、鼻が利く」
「イリア様! 抜け駆けしようとしているんでしょう! そうはさせませんよ!」
メッテがそう言うと、ばたんと船尾楼の扉が開いた。
そこには、メッテ、メルク、アスハ、エクレシアの姿が。
イリアは立ち上がって言う。
「あーあ。せっかくいいところだったのに……少しは空気読んでくださいよ、本当に」
珍しくイリアは不機嫌な声で言った。その顔はこちらからは窺えないが、恐らく怒った顔をしているのだろう。
だが、メルクたちは目を覆うように頭に布を巻く。
「イリア様対策はばっちしですよ! よし、かかれ!」
メッテが言うと、皆が俺めがけて走ってきた。
だが、皆、俺の前で我先にと争い出す。
俺はその場を掻い潜り、船尾楼を脱出しようとする。
だが、俺も争いに巻き込まれ、ベッドに押し倒されてしまった。
そして月夜に照らされ、一つの顔が明らかになる。
──闇に浮かぶ、鬼の顔。
俺はそのまま気持ちのいい深い眠りに就くのだった。
 




