プロローグ
人は誰しも心の中に怪物を飼っている。欲望を餌に怪物を育て、自身の存在を強固なものにしていくのだ。だが、大きくなり過ぎた怪物は時おり、人の体から、心の器から外に出ようとすることがある。よく目をこらせば見えてくるハズだ。その人を包みこむ心の怪物の姿が。
◇◇◇
「お疲れ様です。社長」
「お疲れ」
夜、居酒屋の個室でスーツの男2人が向かい合って座っていた。片方の男は七三に分けた髪とふちの大きいメガネがいかにも頭の良さそうな雰囲気を出している。向かい側に座る「社長」と呼ばれた男は少し白髪の目立つ髪を真ん中で分け、一見すると優しそうな老紳士という印象を受ける。
「人払いは出来ているかな?」
コップに酒を注ぎながら、社長はメガネの男に尋ねる。
「はい、この会話を聞いている者は誰もいません」
「そうか、お前が言うなら安心だな」
コップに入った酒を一気に飲み干すと、社長は紳士の顔を醜く歪ませて笑い出す。
「ヒッヒッヒ、あの会社の経営もかなりグラついて来ただろう。倒れるまでもう少しといったところかな?」
「ええ、ちょっとこちらから押してやればすぐにでもポッキリいっちゃいますよ。もう我々の天下は目前です」
メガネの男もニヤリと笑う。その姿はまるで時代劇でよく見る典型的な悪役だ。
「それもこれも、お前がスパイとして会社の情報をこちらへ流してくれたおかげだよ。感謝しとるよ」
「いえ、全ては会社の利益のためですよ。ところで、あのこそこそ嗅ぎまわっていた男はどうなったのでしょうか?」
「ああ、あの男か。今頃はぐっすり眠っとるよ。良い夢は……見れそうにないがなァ」
思い出し笑いをこらえるように、社長の口からププププと空気が零れる。
「なるほど、アイツも運が無い。大人しく我々に尻尾でも振っていれば良いモノを。汚らしくクンクン嗅ぎまわるからこんなことになる」
メガネの男も方も我慢できなくなったのか、クックックと笑い声が零れる。他人の不幸は蜜の味。そんな言葉が良く似合う程、2人の顔は嬉しさと邪悪に満ちていた。
「我が社が利益を独占したらまたお前には私の秘書として動いてもらうよ」
「ええ、お任せください」
「いいえ、任せられないわ」
突然、部屋の中に第三者の声が響いた。
「誰だ⁉」
メガネの男が叫んで立ち上がる。社長も周りを警戒しながら立ち上がる。
次の瞬間、視界が真っ暗になる。自分の手ですら見えないような闇の中。だが闇は一瞬で消えた。視界が元に戻る。だが、世界は変わっていた。
「な、なんだこれは……」
光が差して見えた景色に、立ちすくむ社長の口から呆然とした言葉が零れる。2人のいるそこは居酒屋の個室などではなく、ビルの屋上だった。広い広い屋上を見れば、このビルがいかに大きく、立派かが分かる。ビルの端のフェンスに手を置き下を見降ろせばビル、ビル、ビル。どこまでもビルばかりが続いていく。だが、どのビルも自分達がいるビルに比べると高くもなければ立派でもない。ボロボロで今にも倒れそうだ。それに、周りのビルはなんだか薄暗いように見える。上を見上げると、今にも雨が降りそうな黒い雲が空を覆っていた。薄暗いのは光が届かないから。2人のいるビルだけが上に雲がなく、太陽の眩しい光が降り注いでいる。
「これが貴方達の心が見ている景色」
異様な景色に圧倒されていると、またしても声がする。振り向けば、屋上の中心に誰かがいた。
それは1人の少女だった。黄色のツインテールと両手に1本ずつ握られた機械的で巨大な片刃の剣。持ち手の部分こそ片手でも握ることができるように作られているが、片手で持つようなモノでないのは明らかな見た目をしていた。そんなモノを2本、ましてや華奢な少女が握っているのだ。
そして、そんな剣と不釣り合いなのが、彼女の服装だった。黒を基調とし、白いフリルのついたドレスに、頭には小さなシルクハットのついたカチューシャ。いわゆるゴスロリというヤツだろうか。
とにかく不自然で、不可思議で、不釣り合いな少女がそこに立っていた。
「な、何者だ君は⁉」
メガネの男が震え気味な声で叫ぶが、少女はまるで気にしない。
「周りのボロッちいビルは全て他の会社、この大きなビルが貴方の会社。周りのビルを潰して自分の会社を大きくしてきたのね。アイデアを盗み、技術を盗み、命は奪う。こうしてみるとこのビルだけがとても不自然に見えてくるわ」
少女は周りをぐるりと見回すと、呆れたような顔で2人の男を見つめる。
「なんというか、テレビに出てくる典型的な悪役ね」
「さっきから何を言っているんだ!お前は誰だって聞いているんだぞ!」
少女の態度にメガネの男は苛立ったように叫ぶ。
「貴方達に名乗る必要なんてないけども、強いて言うなら……」
少女は2本の大剣を男達に向ける。
「GBGとでも呼べばいいわ」
その瞬間、少女の姿は消える。
考える暇もない。気付いた時、メガネの男はフェンスに体を叩きつけられていた。
「ぐはあ⁉」
さっきまで自分がいた所にはGBGと名乗った少女が立っている。
背中と腹が痛む。おそらくは、大剣の斬れない方を横に振るわれたのだろう。
「ひいぃい⁉」
メガネの男のやられる様を見せつけられた社長は、恐怖で尻もちをつく。GBGはそんな社長の前まで歩くと、その顔に剣の切っ先を突きつける。
「さあ、貴方の心は追い詰めた。貴方の欲望をさらけ出しなさい」
太陽を背に、影のような暗さを顔に浮かばせなが、ら見下す少女は冷酷に告げる。
「ヒ、ヒヒ、イヒッヒヒッヒ……」
嫌な汗が止まらない。だというのに、どういう訳か口から零れるのは笑い声だ。
「お、お前、さては私の会社に差し向けられたスパイか何かだな⁉ヒヒ、ヒ、こ、こっそり、忍び込むなんて卑怯にも程があるぞ!恥をしれ!ヒ、ヒヒッヒヒヒ!わ、私の会社は誰にも渡さん!お、お前みたいな乳臭そうな小娘なんかには、絶対渡さん!こ、子供が調子に乗ると、どど、どうなるか、ヒ!お、教えてやるぞオ‼ヒヒヒヒヒ‼」
次の瞬間、社長の姿が黒いドロドロとした液体に変わる。液体は1度球体となり、そこから新しい姿を形作る。
シルエットのように形を作り、黒い液体が消えると、そこには青い肌の大男が立っていた。
「うおおおおおおおッ‼力が湧いてくるぞオ!小娘ェ!今からお前を死の底に叩き落としてやる!今まで我が社を探ろうとしきた奴らのようになア‼」
元の面影を残しながらも、完全な化け物へと変貌した社長は拳を握り、巨大な腕をGBGに向かって振り下ろす。
派手な音をたて、衝撃で煙が舞い上がる。煙はすぐに晴れたが、その後に見えたのは人1人入れそうなくらいの穴が開いた屋上の地面だ。GBGの姿はない。
「ヒッヒッヒ、下まで落ちてしまったかなア?」
穴を覗けば下の部屋の床にも穴が開いている。さらにその下の部屋にも、さらに下の部屋と穴は続く。
自身の力を実感すると、同時に両手を上に上げて社長は心底嬉しそうに叫ぶ。
「素晴らしいイイイイイィィィィ!これだけの力があれば私の会社は安泰だアアアアア‼」
目を見開き、口を大きく開けて笑みを浮かべる。
「しゃ、社長……?」
社長までもが変わってしまった異様な光景に、なんとか立ち上がったメガネの男は唖然とした表情で、恐る恐る社長を呼ぶ。
「んん?ああ、お前かア、どうだ?私は力を手に入れたぞ?ヒッヒヒヒヒィ!今の私なら何だって出来る!お前はもう不要だ!ヒヒヒヒハハハハァッ‼」
「そ、そんな……」
膝から崩れ落ちるメガネの男に向かって、社長は笑う。
「お前は証人だ。会社の闇を知る男だ。今までよくやってくれたよ。だが、君は深くかかわり過ぎた。最後の仕事として、私のために死んでくれたまえ」
メガネの男の前まで歩き、拳を握る。
「い、いやだ……!」
「さようなら」
構えた拳を振りぬこうとしたその時だった。
社長の足元の地面がビキビキと音をたてて崩れ落ちた。
「な、何⁉」
後ろに跳んでなんとか下に落ちることは防いだ。そこには自分がパンチで開けた穴よりも一回り大きな穴が開いている。
穴の近くには青色の太くて大きい腕が転がっていた。見れば、自分の腕が片方ない。
「う、うおおおおおおおおおおッ⁉な、なんだ⁉どういうことだ⁉」
「もっと周りをよく見た方がいいわね」
聞こえてきた声に目を見開く。
「よっと」
穴の中から、GBGが姿を現す。少し汚れているが、その体にダメージを負った様子はない。
「お、お前、何故えええぇぇぇぇ⁉」
「そもそも貴方のパンチなんて当たってないわよ。パワーはかなりのものだけど、力押しじゃあ私は倒せないわ」
社長がパンチで穴を開けたその瞬間、衝撃で穴の周りには煙が舞っていた。GBGは煙で穴が見えなくなっている隙にその中へと入り、不意打ちを狙ったのだ。
GBGは大剣を構えると、そのまま地面を蹴って社長に突っ込んで行った。
「ガキがあああああアアアアアァァァァァッ‼」
叫び声をあげながら社長は残った腕をGBGに向かって振るう。
だが、怒りに任せた大振りな攻撃はGBGには当たらない。攻撃をかわすと同時にGBGは一瞬にしてその姿を消す。
「終わりよ」
声が聞こえたのは後ろから。社長が振り向けば、そこにはGBGの姿が。
彼女は大剣から手を離す。すると、2本の大剣は薄い緑の光の粒となって消えてしまった。
「何を言って……⁉」
社長の言葉はボトンという音によって遮られた。もう片方の腕が地面に落ちたのだ。その直後、視界がぐるりと回る。
「こ、ここ、こ……れは……‼」
パーツの欠けた自分の体が視界に映る。今度は自分の頭が体から離れて落ちたのだと理解した瞬間、社長の命は終わりを告げた。
落ちた頭はもう動かない。腕も、残った体も、もう動かない。
「さてと」
社長の死を確認して、GBGは残されたメガネの男の方を見る。
「ひっ⁉こ、殺さないで!殺さないでください!」
メガネの男は恐怖に顔を歪ませて、涙と鼻水で呂律が上手く回らない口調でひたすらに殺さないでと懇願する。
「……貴方の心はもう、折れている。私が手を下す必要はないようね」
メガネの男の様子を見て、GBGは背を向ける。
「欲望に巣食った怪物は斬った。貴方達はこれからどうなるのでしょうね?」
◇◇◇
「こ、ここは……」
気がつけば、メガネの男は居酒屋の個室にいた。向かい側には社長が座っている。不気味な大男の姿ではないし、腕や頭が体から離れているなんてこともない。
「ゆ、夢……だったのか?」
なんとも悪い夢を見たものだ。安心してふうと息を吐いたその時だった。
社長が持っていたコップがカタカタを震えだす。中に入ってる酒がびちゃびちゃとテーブルに零れる。
「しゃ、社長?」
見れば、社長の顔は真っ青だった。
「わ、私はなんてことをしてしまったんだ……な、なんて、酷いことを!」
コップを置いたかと思えば頭を抱えだす。
「しゃ、社長!落ち着いて……」
「そ、そうだ、警察!警察に行って自首しなければ!けけけけけ警察ウウウ‼」
メガネの男が止める暇もなく、社長は個室を飛び出して走り出す。
「社長!待ってください!社長ッ‼」
その後を慌ててメガネの男が追いかける。
社長とメガネの男が飛び出した後、隣の個室の扉が開く。
個室から出てきたのは黄色い髪を腰まで伸ばした少女だった。少女はバックから携帯電話を取り出すと、どこかへと電話をかける。
「……もしもし」
電話から男の声が聞こえてくる。
「もしもし、ターゲットは始末したわ。残った人は罪悪感から警察に行ったみたいよ」
「そうか、まあ、罪悪感に押し潰されて自殺しちまうよりはマシだろうよ」
「それじゃあ、もう私帰るわね?」
「今日もご苦労さん、ゆっくり休んでくれ。報酬は明日には振り込んどくよ」
「ええ、そうしてちょうだい」
「それじゃまたな、GBG……ゴスロリ・ブラック・ガール」
そう言って電話は切れた。
「……やっぱり略さないとなんだか恥ずかしいわね」
少女は居酒屋から出て行く。空には満月が浮かんでいた。
◇◇◇
人は誰しも心に怪物を飼っている。欲望を餌に育った怪物はいずれ人の心の器に収まりきらず、人を捨てて現実へと姿を現そうとするだろう。現実へと進出した怪物は、その欲望と悪意を持って世界を害するだろう。
そうならないうちに、怪物がまだ心に巣食っているうちに、殺しておかなければならない。
彼女の名前はGBG、ゴスロリ・ブラック・ガール。
心の怪物を殺す、化け物専門の殺し屋だ。
依頼を受ければ2本の大剣を持ってゴスロリ衣装で人の心の中に現れる。