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そのさん


もう少しだけ、もう少しだけと欲張ったのがダメだったのか。



ある夜に、2人の密会のひと時は崩れた。

もう元には戻せないほどに。







「ちょっと!アンタ毎晩毎晩どこに行くのかと思ったらこんなボロい小屋っ!?その女何よ!!」

「勇者よ、そこにいるのはもしかしなくても…」

「魔王……?」

「はあっ!?魔王ってアンタ!そうならさっさと倒しなさいよ!ソイツのせいで世界は平和にならないんでしょっ!?」

「魔王、うちの勇者に何をしてくれたんだ?」

「ねぇ、さっさと詠唱していい…?」



騒がしさに固まる。

魔王としての本能は告げた。


危険だ、逃げろ。


なのに足は動かない。

いつかこんな日が来ると、わかっていたじゃないか、理解していた筈じゃないか。


それなのに、どうして。




(かげ)った視界にはっ、と顔を上げる。


勇者が自分を庇うように立つのが見えた。

勇者の仲間なのだろう女がまた騒ぐ。

魔術師らしい小さな男は詠唱を途中でやめた。



「なんで魔王(ソレ)を庇うの…?」

「…別に俺は、倒したいと望んでいるわけではないからだ」

「勇者よ、倒すのは目的のはずだろう?」

「そうよっ!操られちゃってるわけ!?」

「操られてなどいない」

「確かに操られてはいないみたいだけど…正気…?」

「ああ」




こんな事態なのに魔王は動けない。

魔王はなるほど、と心の中で一人思う。



……見惚れているのだ。目の前のこの青年(ひと)に。



魔王は守られる存在じゃない。

だから誰かに守られるなんてことは今まで一度も経験したことがなかった。

そのせいもあるのだろうなと何処か客観的に考えつつ、思う。



…自分にもまだ、人間らしいところは残っていたのか。


相手が勇者という肩書きをもつ人間であることは魔王である自分にとって大きな障害であるけれど。




今、自分は生まれて初めて、他人を特別に思ったのだ。


この感情の名を。

この感情の名を、自分は知識としてだけなら、知っているじゃないかーーー。









勇者はちらりと背後を振り返り、呆然と自分を見上げる魔王を見た。


何故逃げない、と腹ただしく思うより先に、勇者はぽつりと生まれた心の中の言葉に少し狼狽える。

それには気付かないふりをして、仲間を見据えた。



召喚士、戦士、魔術士。


皆、人の中では強力な力を持つ、選ばれし勇者の仲間だ。

今まで幾多の困難を乗り越え、共に過ごしてきた仲間。




「な、なんなのよっ!勇者、魔王(ソイツ)を殺しなさいよっ!!」

「お前が手にかけぬというのなら、俺が()る」

「え…ボクがやりたい……」



3人は一歩足を前に踏み出す。



「待ってくれ」

「どうしてよっ!?魔王は敵!そうでしょっ!?」




ああ、殺さなくちゃいけないこと、わかっていた。理解していた筈なのだ。

なのにいざその日が来たらしいことがわかっても、剣を握れない。


彼女を傷付けたくないという思いは、きっと初めて会った時から抱いていた。


勇者である自分が、魔王である彼女に、抱いてはいけないはずの想い。



この想い()はきっと誰にも、誰にも理解されないけれど。




「ねぇ、目を覚ましなさいよ、勇者!」

「どうするのだ、勇者よ」

「…もう詠唱していい?勇者」




煩い。…煩い。



そんな肩書きで、俺を呼ばないでくれ。






本当はわかっていた。

自分が何故満たされないのか。



「勇者様っ!」

「勇者よ」

「ゆうしゃさま」



みんなが(勇者)を見て、けれど俺自身を見てはくれないのだ。認めては、くれない。

両親ですら、肩書きの名を貰ってからはその名でしか呼ばなかった。




どうか、どうか、俺を見て欲しい。

誰か、俺の名を呼んでくれないか。






「……ラピス」




はっ、と振り返る。


何故か済まなそうな顔をして見上げてくる彼女。



「ますます厄介なことになりそうです」



読んでくださりありがとうございます。

次の話で完結します。

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