そのいち
「いらっしゃい」
「ああ」
カウンター越しの女性に、世間で勇者と呼ばれる青年は微笑んだ。
「いつ来てもここは人がいないな」
「こんな森の奥にわざわざ夜にやって来るお人は貴方くらいしかいないですからね」
「こんな森の奥でわざわざ夜に店をやる人も、貴女ぐらいしかいないだろうな」
そんな風に軽口を叩き合いながら、2人はいつものように小さく乾杯しワインに口をつけた。
「昼もこの森で暮らしているのだろう?そんな人は世界の何処を探しても貴女しか居ないだろうな」
「人の目は煩わしいのです。世界の何処かには、私のような変わった人もいるでしょう」
「変わっていることは認めるのか」
2人はまた可笑しそうに小さく笑った。
世間では魔王と呼ばれている女性は、目の前でゆったりとワインを飲む青年を見て目を細める。
「今日はどんな話をしてくれますか?」
勇者はううん、と小さく唸った後、つまらないかもしれないが、と前置いて
「俺の今までの人生について、とか」
と呟く。
「いいですね。ぜひ聞きたいです」
魔王は小さく手を叩いてどこか楽しそうに笑った。
「ええと、俺が生まれたのは西の大陸の辺境にある村でーーーー」
勇者は昔から勇者と呼ばれていた訳じゃない。
幼いの頃はただの、少し力の強い子供、だった。
…力は強すぎたから、ただの、とは言えなかったかもしれないが。
強すぎる力は、時に害悪になる。
使い方もわからない子が持っていいものでは無いはずだった。
けれど。
カミサマとやらは子に力を与え、結果として子は村人から恐れられた。
幸い両親だけは子のことを守ろうと必死になってくれたが。
子の瞳には、自分に恐怖する大人ばかり映った。
同じ年頃の子どもとは遊ばせては貰えなかったし、そもそも会わせることすら大人はしなかった。
溢れ出て来る涙で大人たちのそんな姿を流そうとするのをやめたのは、いくつの時だっただろう。
子は泣かなくなった。同時に笑わなくなった。
人はますます子に近付かなくなった。
子が10になった年に、王都から使者が来た。
「勇者様。どうか、世界を救ってください」
村人は驚いた。そして納得した。
「あの強すぎる力は、魔王を倒すためにあったんだね」
「あの子が勇者なら、世界を救えるかもしれない。なんていったってあの力の強さだ」
「勇者様……。そうかい、勇者か。勇者がこの村から出るなんて、なんと名誉なことか」
両親も喜んだ。
「勇者様になるのね。頑張ってらっしゃい」
「応援しているぞ」
父と母の優しい言葉に、けれど裏を見てしまったのは多分、仕方のないことだ。
「ああ、よかった。これであの子を手放せる」
「これでもう村の人から冷たい目で見られることもないのだ」
子を手放すことに1番喜んだのが、彼の家族であったことは、彼にとって悲しいことだった。
だから、切り捨てた。
「さようなら。今までありがとう」
もう2度と、会うことはないでしょう。
きっとそれが、彼の家族にとっても、彼にとっても幸せなことだったから。
勇者と呼ばれるようになってから、彼は魔王のいる森へ着くまで、沢山の人と出会い、沢山の魔物を倒した。
「勇者様、ありがとうございます!」
「これでこの村は安全だ!」
「この街は平和になるわ!」
「勇者様!勇者様!」
誰もが勇者を褒め称える。
……彼の心には響かないのに。
勇者は魔物を倒しては進み、倒しては進み、そうして。
小さな小屋で酒を飲む女性に会ったのだ。
「まぁ、苦労ばかりされたのですね…」
少し眉を下げ、勇者のグラスにワインを注ぐ彼女を見つめる。
勇者は分かっている。彼女が倒すべき敵であることを。
それこそ、初めて見た時には柄に手をかけたくらいだから。
それでも。
それでも、斬りつけることをしなかったのは、彼女が人の姿をしていたからではない。
『……同じ?』
『はい?』
『いや、なんでもない』
同じだと、思ったのだ。
彼女はそんなことを言ったら嫌がるかもしれないが。
多分、似ているのだ。
本来対立すべき勇者と魔王は、きっと何処かが同じように欠けていて。
だから似ていると感じてしまうのかもしれないと、勇者は胸のうちで呟く。
……もう少しだけ。
もう少しだけ、似ている彼女と酒を楽しんでいても…誰も文句は言わないはずだ。
否、言わせない。
これまで散々、世界の人形になって来たのだから、最後ぐらい、自分のすることは自分で決めてやるーー。
勇者は注がれたワインをぐい、と仰いだ。
勇者も魔王も、酒を飲んでいる場所は店だということにしています。
店の筈はないこと、2人が一番よく知っていますが。