八話
悪い夢を見ていた美咲。
「寝ようとしない」
と言って香が私の右手をぺちと叩いた。やや痛い。只今深夜2時を過ぎ、私と香はもれなく酩酊状態。
ご飯に行きたいと香から言われて、軽い世間話から「黄昏君(本当にxxxが好きな)」 の話をし始めた辺りから話題はヒートアップ。そんなつもりで香にメールをしたのではなく、本当に彼が勝手にやった事の様で。見せてもらったメールの内容は、私に身に覚えの無いものばかりで、彼がそんな事をした事実につい笑ってしまった。彼を知った気になっていたのは、私だけだったのかも知れない。
彼の奇行もそれはそれで許しがたいけれど、香は私が送った文章だとは思わなかったみたいで。いきなりご飯に行きたいと言われた時は昨日今日で何があったのかと狼狽したけれど、そのメールの事で直接私に話を聞きたいみたいだった。全く持つべきは友である。なんて言ってみたら、普通に平手打ちされた。香は酔うとすぐに調子に乗る。私もだけど。
「て言うかもう2時なんですけど。香に『終電気にするより泊まってけよ』とか言われても、どうとも思わないんですけど」
「美咲が話の途中で寝たからじゃん、かなり良い事言ったのにあなた寝てたからね」
「あれは寝た内に入りませんし。ノーカン」
「ほらもうまぶた落ちてるー」
寝るならベッドで寝てねー、とだけ言い、香は立ち上がって飲みきった空き缶を集める。このザル野郎め…相当飲んだ筈なのに私だけ酩酊状態じゃないか…。ちなみに私は床に突っ伏している。さほど酔ってはない。内心毒づいてはいるが、睡魔には勝てない。失礼して、脇にあるベッドに潜り込む。いい歳してピンクの毛布はどうかと思うけど、電気毛布。潜り込まざるを得ない。そして冷え性である為に、ベッドが物凄く魅力的に見える。電気毛布のスイッチを入れる。とてもぬくい。
夕方5時頃から香宅にお邪魔し、だらだらと時間を潰してお酒なんぞたしなむ。俗に言う宅呑みである。お刺身と、簡単なお汁と、コンビニで買ったチューハイだけだけど。
つけっぱなしのテレビからは昔によく見た展開のバラエティ番組が流れていて、くるまった毛布の暖かさに少し似ていると思った。香は洗面所で歯を磨いている。ねむい。
ごろんと横になると、じわじわと毛布が暖かくなっていく。電気毛布を発明した人に握手を求めたい気持ちで一杯になる。ぬくい。そしてねむい。
途切れそうな意識の中、パッと電気が落ちる。香のシルエットがぼんやり見える。歯を磨き終わって香が電気を消したんだ、と思った。
「おやすみ」
私は毛布にくるまりながら、言う。いつもの様に。当たり前の挨拶の様に。
「うん、おやすみ」香はそう言って、新しい掛け布団を私に掛けた。
それから私と香は背中を合わせて、一緒のベッドで布団を暖めながら、まとわりつく悪い夢を振り払う様に眠る。悪くない。
差し込む光は、とうに過ぎ去って今は夜の暗闇と静けさだけが室内を満たしている。
望んだ朝が来るまで、香とずっとこうしていよう。きっと香なら、そばにいてくれる。
優しい友人と、世話の焼ける私、鳴らない携帯電話。悪くない。私はそれらを言い聞かせる様にして、布団を被る。隣で寝息を立てる友人。鳴らない携帯電話と、消えない記憶。私に安心をもたらしてくれるもの。
静かな部屋には、時計の針の進む音が響いていた。