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本当に大事な人。
七回目のコール音を聞いて、私はその連絡相手との通話を諦めた。
例の「自称彼氏」の連絡先である。二人の関係は具体的にどう言ったものなのか、本人の口から聞きだそうと言う魂胆である。美咲は勝手に彼女の携帯電話を使う様な、彼女への尊重の念も感じさせない彼の事を愛していたのだろうか。それは単純な好奇心で、彼女を助けようとかそう言う使命感は持ち合わせていなかった。ただ、彼女と彼の仲で起こったいざこざに、私が関与しているのなら、話を聞く権利が私にもあり、弁解する必要もあるだろうと踏んだ訳である。
なのにだ。
「お掛けになった電話番号は、電波の届かない所にあるか、電源が入っておりません。今一度おかけ直しください」。
どの時間にかけ直しても、徹底してこのアナウンスが私を邪魔してくる。
それはまるで、美咲と自分の事に口を出すなと暗に警告している様だった。
彼女の口から直接聞けば、それはそれで彼女を混乱、動揺させる。
少なくとも彼女は、その様な裏切り行為をするはずが無いと思っていただろうから。
けれど、自分の携帯にそのメッセージは「残されていた」筈で、(それは「自分が彼女を監視、支配している」と言う主張であり、彼から彼女へ向けられた歪んだ愛情の証なのだろう)当然彼女もそれを見ただろう。
それを見て、彼女がどう思ったのかは計り知れない。
私はそれとなく関係無い話をして、彼の歪んだ愛とは全く関係の無い日常を提供して、その話題を彼女から引き離しただけだ。私にはそれ位の事しか出来ない。
彼の歪んだ愛情が「彼女の為にならこんな事も出来る」と言う理念に従っているのならば、私は全く逆の事をした事になる。それが彼女を救うのか、そんな事は私にも分からない。
私は、友人としていつもの様に彼女に接したに過ぎない。
それが、彼と彼女の隔たりになるのであれば、私は話を聞くべきだろうと言う結論に達した。
自分でも筋が通っているそれが、理解出来ない、
歪んで変質した愛情に阻まれているのは言うまでも無い。
話が通じない以上、私は美咲を彼から引き離す事のみに徹するしか無い。
それは「彼」が、こちらの正論をぶつけて折れてくれるような人物では無かったと言う事だ。そんな人物と美咲を近づけておくのは、危険すぎる。
「ただの友達」である私を、目の敵に捉える位には危険である。
「彼にはもう近付かないで欲しい」と伝えたら、彼女は泣くだろうか。
それでも彼を愛していたのと、哀しい涙を流すのだろうか。
そして、彼と言う歪んだ鉄柵に囲われて暮らす事を、再び受け入れて生きて行くのだろうか。
どちらにせよ、私には見ていられなかった。
私と美咲の間に生まれる、当たり前の時間までもが、その涙に洗い流されて、
消えて無くなっていく気がしてならなかった。
風が次第に強くなる。空を覆う曇り空が、雨を呼んでいる。
家に帰ろう。私が彼女を守らなければならない。
携帯電話の電話帳を開いて、慣れ親しんだ番号を選択する。
コール音、もしもう居なかったらどうしよう、彼の所に向かっていないだろうか、そんな事が頭をよぎった。少し間が空いて、電話を取る音がした。
「美咲、今帰るからそこにいてね」。
開口一番そう伝えると、小さく応答する声を聞いた。用件だけ伝え、電源を切る。
気持ちが落ち着かなかったので、私の家で休んでいたのだそうだ。
雨脚が強くなって、そこにあった何もかもを流して景色を変えてしまう前に、ごく当り前で恒久に続く平穏を、彼女に捧げなくてはならない。
玄く落ち窪んだ曇り空達の一群は、小さな部屋に閉じ込められて出口を失っている彼女の心境を想わせた。
理由なんて特に無いけれど、説明も出来ないけれど。
私はそうしなければならない。その時、私は直感的にそう思ったのだった。
Eat me あとがき。
登場人物が二人で、二人は友達と言う設定なのですが、どっちつかずでとっても仲良し。と言う設定もプラスしてみました。友情に恋愛が勝つというパターンはあまり見ないので、そこは敢えてやってみました。
環境の変化、そこに気持ちが付いていかない中で何を見失わずに「自分自身」がそこに立っていれるか、と言う事をテーマにしようと思ったのがきっかけです。
美咲はそれが難しく色んな人の影響を受けて、何色も塗り重ねられて何色でも無くなっている(彼女自身の意思が消滅してしまっている)状態です。
なので、自分自身を水母に置き換えて、幸せになれないであろう相手とのどっちつかずの関係を続けようとします。それが彼自身の愛着、「綺麗な水母である美咲」を一人占めしたいと言う一方的な気持ちによって、現実に引き戻される。自分の気持ちなどお構いなしに欲望のままに支配し、烙印を押した人間と彼は同じ様な人間ではないだろうかと。
文中でも美咲が「私が勝手に幸せだと思い込んでいた」と追想していますが、それは全くその通りで。彼自身は美咲に、最初からまともな愛情を向けておらず「ペット的な存在」として彼女を可愛がっていたと言う事になります。それを美咲自身が受容してしまう事で、本当に今の状況が幸せだと思いこんでしまう、と言うものでした。
そういった造られた偶像、不幸せな幸せに縋って、それが「正しくなかった」と理解した時、彼女は本当の意味で幸せになれるのだろうなぁと。
昼ドラ的な展開には抗いがたい魅力がありますが、それが実際に正しいのかは私には分かりません。本当は幸せで無い歪な形なのに、それを愛してしまっている事は不幸なのではないだろうかと個人的には思います。「私は綺麗な水母ではなくて、ただの我儘な人間なのだ」と言う台詞は、彼の支配からの卒業を意味しており、彼女自身の心の殻の脱皮、羽化を示しています。要は「愛され続けなければ生きていけない様な、水槽の中の綺麗な水母で無くても、私は私自身でいたい、私はそれを望む」事が美咲には必要でした。
これは、美咲に語らせたかった台詞の一つです。
香は「何を考えているか良く分からないけど、近くにいてくれる存在」の意味を込めて「香かおる」と名付けました。「美咲」は「必ず美しく咲く(子)」でそのままの意味ですが。美咲は主観的、香は客観的な視点を意識してみました。没頭してものを見ているか、引いて遠くから見ているかの差しか無いですけれど。その両方がいて、正しさが生まれるのだろうと。
もう少し厳密に書こうとすると中編かつBADエンディング的な要素を孕む恐れがあったので、途中で区切りました。当初考えていたその展開を、美咲が選んでしまう事がBADエンディングだろう、という事で。
目には見えない、側にいる事で分かる香(安心感)を選んで欲しい、と言う勝手な気持ちからですが。酷く避けられない、理不尽な目に遭う所から始まる美咲と、どんな展開にするのか沢山の話しながら書きました。彼女は、これからもっと沢山恋をして、美しい女性になっていくのだと思います。その手助け、イントロ、序章がこの話であればいいな、と。
私の拙い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。
少しでも気に入って下されば、幸いです。
浮世