一話
コンビニの安っぽい光に人が安心する様に。満月の日に狼がさざめく様に。鋭い飲食街の光が、決まりきった日常を壊してしまう様に。
私にお構い無しに、君は私の体に触れる。
当然なんだ。これは。
伸びたゴムを捨てる様に、食べきったアイスクリームを燃えるごみに出す様に。伸びすぎた爪を整える様に。
淡々と、機械のように。進んでいく私を置いていった世界。
時計の短針と長針の様に、ぐるぐるぐるぐる触れあわないままに時を刻んでいく。
今日もコンビニに投げ売られたアイスクリームと化した私を君は早急に食べ尽くす。執拗とも言える程の甘ったるい愛撫は、呆けた子供がアイスの棒を噛み続けている時の感覚に似ていると思った。誰にも渡したくない、私のお気に入りのテディベア。
背中に手を伸ばして。爪を立てる。ネイルを落とさないまま、出来るだけ俗っぽいしぐさで。
私の腰辺りをさ迷っていた君の手に切実さが滲む。気持ちいいのだろうか。小さく甘い喘ぎ声が届く。直に届く距離がただいとおしい。
壊れた長針と短針は、新しい時間を気付く事なく、闇に沈んでしまえばいい。愛しさと息苦しさが混じったその唇で、私は彼を抱き締めた。
闇を縫って、君を閉じ込めてしまえたらいいのに。
「…この前さ」
何食わぬ顔で事を済ませた彼が、まだ生乾きの肌に触れながら言う。その手付きには先の体温を感じさせない程に機械的なものだった。声は酷く落ち着いている。書き置いた台詞をそのまま口にしているようだ。
「水族館に行ったんだけどね」
水族館に、の所で私の髪の毛をくるくる弄んで、行ったんだけどねでそれをくるんと指先から離す。うん、と素っ気なく答えたけれど引っ張ったり、指に絡めたりしているのが感じられた。私はすぐ癖が着くので、面白いのかも知れない。
何を見に行ったのと。眠気の混じった声で。
「海月がね、綺麗で。家族連れとかが、きもーいとかこわーいとか言いながら通りすぎてて。でも綺麗だなって僕は思ったんだ」
ちょっと変かな?と彼は聞く。
少し迷って、そんな事ないよ言って、くるくると、すこし不器用に癖のついた髪の毛を指す。
「…そうだね」
静かに笑って、また私達は眠った。小さな部屋に暗闇が満ちる。
ただ黙って、私は目を閉じる。与えられた時間が過ぎるのを待つだけの、水族館の海月みたいに。部屋は張り詰めていて、静かに鳴る時計の音だけが聞こえた。
青く滲んだ窓の外は、雨模様だ。この人からは、何の薫りもしない。自己主張もあまりしない。会話も早々にしない。
側にいて心地よいのは、そのせいだと思った。
口実を探せばいくらでもある。けれど、探して見付かる口実に、私達は嫌汚さした。本音と建前、本気と冗談の違い。どちらも避難されれば崩れやすいと言うこと。
休みに水族館に行った。ペンギンが群れをなしてよちよち歩くのを見て、すこしだけ笑った。本気で歩いている様でちっとも前に進めてない私達みたいだ。
お昼に食べ終えた定食を、店員が引き下げた時、彼といるとお腹が空くと気付く。不思議だ。
それから暫く公園でぼーっとした。私ばかり話をした。焦ってしまって、何が言いたいのか分からなかった。何の気無い、ただの世間話。沈黙が怖かったのかも知れない。でもちゃんと笑えていた。
化粧…ルージュを丹念に落としながら、勿体無いとだけ呟いた。時間が、私には、お金が、気持ちが…その他色々。得てして女心の価値は計れないのが定石である。
滲んだマスカラをごみ箱に放る。
「それでも好き」
鏡に映った自分にそう言ってみた。不戦勝で泣き言を言う程、惨めなものはない。
私は創り笑顔が苦手なのだ。バナナジュースの次ぐらい苦手だ。
必要以上に派手に着飾った私は、酷く女らしい薫りがした事だろう。