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はみだしてあぶない刑事  作者: 助三郎
もっと、はみだしてあぶない刑事
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船上の哀歌~神戸湾に眠るカルテット~ 17

「はみだしてあぶない刑事」シリーズ4作目

 下船の準備が完了したアナウンスが流れると、人は流れる様にそれに吸い寄せられていった。乗り込んだ時の様に1階の広い階段の先に用意されたタラップを降り、順番にゆっくりと本来居るべき陸地へと帰える。


「素敵な方達に出会えて、久し振りにこんなに人と話して。旦那との長い2人生活の間に忘れていた大切な物を皆さんに思い出させてもらった様で、なんとも晴れやかな気分だわ。今夜はありがとう。みなさん、お元気で」

 丸顔に穏かな笑顔を浮かべてそう言った山中敏江は、降車誘導に来たスタッフと共に車椅子生活を余儀なくされる夫を押して行った。その前に進む足取りは軽く、背筋はまっすぐに伸びている。彼女の後姿はあのラウンジで見かけた、夫に威圧され表情さえも失っていた女性とは別人の様だった。


 それを見送った後、幸恵は佐々木家族と共に降車口へと向かい、数時間ぶりに慣れ親しんだ地面に足をつけた。


 隠していた不倫を明らかにされ、ラウンジで力なくその場に崩れた旦那を叱咤し、再び立ち上がらせたのは葉子だった。

 好奇の視線を向ける周囲に「ご迷惑をおかけしました」と丁寧に頭を下げた。もちろん頭を下げる旦那の後頭部に手を置いて謝罪をしていたその姿は、反抗期の息子の頭を無理矢理下げさせる昭和の強いオカンの様にも見えた。


 誰かが支えてあげないと倒れてしまいそうな困り眉の美人は、そこにはもう居なかった。「覚悟を決めた」と彼女自身の言葉にあったように、何かが吹っ切れたのだろう。正面から真っ直ぐに旦那の目を見て会話する彼女の姿は、幸恵の目には今までよりも強く、さらに美しく輝いて映った。


 幸恵は、泣いた花を助けたいばかりの一心で、彼ら佐々木夫婦の問題に口を挟み亀裂を入れてしまった事を内心ずっと悔やんでいた。夫婦が今も肩を並べて横に並び、お互いに顔を見て話をしている姿を、一歩下がって見ながらも罪悪感か今でも胸の中に居座って消える事はない。


 今までお互いに疑問を持ちながらも見て見ぬ振りをしていた、「離れていても幸せな家族」を演じていた仮面夫婦が壊れてしまった。これからが仮面の捨てた彼女達の本当の勝負になるだろう。お互いに思っている事や耐えていた事を相手にぶちまけて本音で話し合い、この先の家族としての将来を決めなければならない。一人娘である花には悪い事をしてしまった。彼女は4歳という幼さで両親の離婚という危機が訪れてしまったのだから。


胸を痛める幸恵の右手がそっと柔らかい温もりに包まれた。


「だいじょうぶだよ」

いつの間にか幸恵の右手を花がその左手で優しく握っていた。


 彼女はその頭で現状をどこまで理解しているのだろうか。自分が置かれた立場も、その原因を作ってしまった幸恵の事も、これから自身の将来について勝手に決められる事になるのも何一つ知らないまま、その愛らしい笑顔で幸恵を励まそうとしてくれる。


本当に優しい子供だ。


 幸恵は、光希はそうしていた様に、幼い少女の前にしゃがんで目線を合わせた。

「ありがとう、花ちゃん。花ちゃんに会えて良かったよ。バイバイ」

幸恵の言葉に天使の様な優しくて温かい満面の笑顔が返された。そしてそのまま握っていた幸恵の手を離し、背を向けて元気よく両親の元に駈けて行く。


 佐々木葉子が深々と幸恵に一礼をするのと同時に、花が左手で父親の手を取り、空いた右手を幸恵に向かって大きく振っていた。きっと花の言葉通り、あの家族は「大丈夫」だ。あの優しい子が居る限りは、ちょっとやそっとじゃ壊れる事はない。それが本当の家族というものだと4歳の少女が幸恵に教えてくれた気がした。


 船に乗り込む時にはまだ日が高かったので港は明るかったが、陸に降り立った今は同じ場所だと信じられないくらい幸恵を囲む景色が一変していた。


 夜の澄んだ空気の中、闇にスラリと佇む神戸ポートタワーはその姿を真っ赤に染めて聳え立ち、メリケンパークの高層ホテルや博物館が青白いライトをつけてその全身で輝いている。背中には先程まで乗っていた客船「カルテット」がその白い巨体をライトでさらに輝かせながら波に揺れる。視線を反対側に向ければ今度は、ハーバーランドのショッピング街から漏れだす賑やかなライトの光と、一段と目に入るモザイクガーデンの大観覧車はまるでレインボーカラーの太陽の様に暗い空を輝きで満たしている。1000万ドルの夜景都市と呼ばれる神戸のイルミネーションの一部が、幸恵の帰港を喜んで出迎えてくれているかの様だ。


 一期一会の旅。名前も素性も知らない人々と触れ合い、助け合い、同じ時間を過ごす。手を振り、別れてしまえば二度と会う事もないだろう。それだけの儚い関係。なのに、それのなんと素敵な事か。


 誕生日のサプライズの途中で倒れた吉田真海と、軽薄な企画ながらそれを実行した吉田良平のカップル。彼に親身になって支え、匿っていた淡いサファイアのドレスのピアニスト、セレナ。医務室に運ばれてから一度も顔を出さない彼氏の代わりに真海の傍に居る、岩田料理長。船の帰港の時間に合わせて到着していた救急車によって病院へと運ばれる真海の横には誰が付くのか、幸恵には分からない。


 単身赴任の旦那の元へ来ていた佐々木葉子と、その娘、花。テーブルを囲んで食事をしている風景はありきたりな家族の姿だったが、彼らの胸にはお互いに言いだせない事があった。消えた娘を心配するあまりに、小さな亀裂からお互いの本音がぶつかり合う事になる。夜の港のダイヤモンドの様な輝きに包まれ、子供を挟んで並んで歩いている3人の後姿は、明日も明後日も変わらずに手を繋いでいられるのか。その結末は幸恵は知り得ない。


 車椅子の旦那を介護しながら2人で隠居生活をしていた、山中敏子。船の上という珍しい場所でさえ夫婦間の会話は少なく、夫から当てつけの様に発せられる心ない言葉に項垂れていた彼女。しかし元看護士という経歴を持った彼女は、体調不良になった乗客の看護を率先とこなし、悩める女性を親身になって支えた。その顔は生き生きと輝き、その姿は年を忘れたかの様に見えた。彼女が再び輝く明日がくるのかなど幸恵には知る術もない。


 ただ、この、客船「カルテット」の2時間半というディナークルーズの中で彼女達は出会い、関わり、そして船の上で小さな変化を見つけた。今までなかった、でも誰も気付かないような小さな変化。そして波を越えた船を降り、再び地面に立ったその時に新しい自分に生まれ変わる。神戸港の輝けるイルミネーションに全身を包まれながら、次の新しい一歩を踏み出したのだ。


 幸恵は胸を張った。大きく息を吸う。秋の少し冷たくなった空気が体を通り抜けて肺が膨らむのを感じる。そしてその勢いのまま一気に吐き出した。気分一新、まるでその言葉通りに心の中で何かが変わった、そんな気がする。


 本当に来てよかった。

幸恵はキラキラと輝く宝石に包まれたような神戸の港に立ち、心からそう思った。


 だから、少しテンションの上がった幸恵は、遠出をしたこんな時くらい、珍しく同僚に声をかけても良いかなと思った。それほど「カルテット」の甲板で空に浮かぶ星を眺め、潮風に擽られながら2人で過ごしたその時間が有意義なものだったから。


「時間もまだあるし、良かったらちょっと足を伸ばして「神戸ルミナリエ」のイルミネーションにも行ってみない」


 返事がないので不思議に思い、後ろを振り返った。


 下船が完了したのか、次のナイトクルーズに乗船する客がスタッフに案内されるままタラップの前で列を作り始めた。本日最後のクルーズは夜の闇もさらに深くなり、船の上から覗く神戸港は一層光り輝き、パールブリッジもその姿は真珠の様に煌めく事だろう。

 幸恵はカップルとすれ違いざま目があった。少し肌寒くなったのかお互いに腕を絡め、身を寄せ合て歩いている。その表情は幸せそうで何よりだ。だけどそこには幸恵の探している人物の姿はなかった。


 ふとスマホを見ていなかった事を思い出して、小さなカバンから取り出した。新着のメールが届いていた。メールといっても最近のアプリを使った連絡手段が主流の中で、忘れかけていたくらいのショートメール機能。


『今日はありがとう。それでは特別捜査室でまた会おう』


 全角70文字の限られた文字数の中で、ただ淡々とその一文だけが贈られていた。登録されていないアドレスだったが、送信者の目星が付いた。タイトルには丁寧に『鷹岡』とだけ打ってあるところが、同年齢ながらショートメール慣れしている差し出し人のそんな姿に、何故か笑いがこみあげてくる。


「残念。またフラレちゃった」

スマホの液晶画面を消した。それでも心は明るい。


 船の汽笛が鳴った。暗い海に港のライトが映り込み反射して、船の周りは夜空の星に囲まれているかのように神秘的な雰囲気を出していた。その姿を目に焼きつけながら、幸恵はコートを羽織り直し、埠頭沿いを歩き、その姿はイルミネーションの輝きに包まれた。

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