秘密の花園に散った淡い恋心。時が過ぎてもなお狂い咲いて 9
状況をどう打破すべきか頭を抱える幸恵の耳に、今の状況に不釣り合いな愉しそうな声がどこからか響いてきた。
「ねぇねぇ、おねえちゃん。超可愛いね。肌もすべすべだし何使ったらこんなに綺麗になるの。そのリップも綺麗な色してるねー。すっごい似合う。モデルとかやっているの。えー、スタイルも良いしもったいないー。この店の『The Secret Garden』って「秘密の花園」って意味だよね。君たちみたいな綺麗な花が咲いている花園って事。やっだー、うまいこと言っちゃって。このお店って会員制で会員にならないと入れないって言うし、やっぱり来るお客さんもこっそりと来なきゃいけないような御身分の人が多くいるって事だよねー」
「ええ、そのようなお客様からもご利用いただけていますわ」
「へぇー。すごぉい。やっぱりお金持ちが通うところも違うなぁ。私、一度でいいからこういうお店で可愛い女の子に囲まれながらお酒を飲んでみたいと思っていたんだ。でも、やっぱりこういう店のお客さんって男の人じゃなきゃ駄目なんでしょう」
「いいえ、最近は女性の方々も良く通っておいでですよ。女子会で話題になったからといって初めての方を連れていらっしゃる人もいらっしゃいますし。もちろんお1人でいらっしゃる方も居ますわ」
「そーなんだ。いいねぇ、愉しそう」
「ぶっちゃけた話、私達も下心が見え見えの男性客を接客するよりも、話の合う女性と会話していた方が気が楽ですし、安心できます。お客様というよりはお友達みたいな感覚でつい話しこんでしまうんですよね」
「あーだよねー。だって話しをしていると楽しいもん。エッチィオヤジの相手なんかより断然いいよねー」
光希は赤いソファのド真ん中に座り、まるで通い慣れた太客のように両脇の女性従業員と楽しそうに笑い合っていた。それはお前が女を侍らせるエッチイオヤジじゃないかとツッコミを飲み込む。話しの内容も、齊藤に全く関係のないただの雑談のようだ。
「茶色の巻き毛のおねえちゃんも可愛いから人気なんじゃない。なんか、護ってくれそうな女性って感じでつい頼りにしちゃいそう」
「え、そうかしら」
「そうそう。なんか甘えたくなっちゃうって感じ。ゴロニャーン。最近の草食系男子に人気の「引っ張って行ってくれる女性」タイプだよね。憧れちゃうなぁ」
テーブルに頬杖ついて溜息交じりに告げた光希の純粋な言葉に、幸恵には敵視するように吠えていた巻き毛の女も先程の剣幕が嘘の様に頬を染めている。気付けば従業員のほとんどが光希の輪に引きこまれているではないか。これはもしや彼女の作戦の内なのか。ただ雑談で遊んでいるだけではないのか。
その輪に入れていないのは幸恵を含めて金髪の青年と別のソファで齊藤の死を告げられてから身を震わせて1人泣いているサアヤだけだった。
「お姉さんは警察の方だったのですね」
突然話しかけてきた金髪の青年に幸恵は頷いた。
「黙っていてごめんね。それと、この前はご馳走様でした。お料理がとてもおいしかったよ」
「いいえ、こちらこそあんなあり合わせのつまらない物で失礼しました。それに子供達がうるさくてごめんなさい」
「ううん。賑やかな食事で久し振りに愉しかった。だから気にしないで」
「そう言っていただけるとありがたいです」
少し安心したように青年は幸恵に微笑むと、会話を切り彼はサアヤの方へ向う。
手の平で顔を覆い啜り泣く彼女の目線の高さまで彼は腰を下げると、彼女の手の甲に触れるように上着のポケットからハンカチを差し出した。サアヤはそれに気付き受け取ると目元を押さえていたが、そのまま彼の胸に抱きついた。そしてまるで子供の様に嗚咽を上げて泣き出してしまう。そんな彼女を青年は優しく受け止め、背中を撫でていた。
どんな格好をして、どんな場所に居たとしても、やはり彼は誠実で真面目な子だ。このような性を売りにする華やかな場所には似合わないと思う。ここに居る理由が何かあるのであろうかと、お節介な心はもっと深く彼の事を知りたいと幸恵を誘惑してくる。
人のプライベートに首を突っ込んではいけない。お互いの事を全て知り尽くした関係なんて、実際には長続きしない。人間には他人に言えない部分が必ずあるもので、それを相手に知られまいと必死に生きているのだから。
もしかしらたこの2人は親密の関係なのかもしれない。男性に抱きついて泣くなど幸恵には考えられない行為だが、2人が恋人同士なら問題はないだろう。この店の店員になってフロアレディの彼女を見守っているのかもしれない。好意を持った相手と一時も離れたくないと言うではないか。そう思うと、幸恵は少し寂しくなった。
自分は青年の名前すら聞いていない事に気付いた。
「君、名前を教えてもらって良いかな」
もやりとした心を隠しながら、幸恵は意を決して彼に声をかける。抱きついている彼女を受け入れたままの態勢で彼は答えた。
「神木辰夫です。この店ではタツと呼ばれています」
「タツ、やっぱり私はもう駄目。今日は帰るわ」
先程までしっかりとしがみ付いていた神木の胸をそう言って突き飛ばすと、サアヤはそのまま店舗の裏へ走り去ってしまった。神木はその彼女が出て行った先を、急に正面から押されて後ろに尻もちをついた格好のまま、ただ茫然と見つめていた。
「大丈夫」と幸恵が神木に手を伸ばした。彼は礼を言うと幸恵の手に捕まって立ち上がる。
手を伸ばした事によって短く上がった袖から彼の手首が覗いた。その瞬間、幸恵の目に白い包帯が飛び込んできた。注意深く彼の顔を見れば、少し左頬が青く腫れていた。何も言わずその箇所を見つめたままの幸恵の視線に気付いたのか、神木は急いで幸恵を手を放した。
「子供達の喧嘩の仲裁に入ったら巻き揉まれちゃって」
彼は何かを取り繕うかのように言って笑った。
「オーナーがこんな事になってしまったら、これから店が落ち着くまで開店できないわね。サアヤも帰ってしまったし、これから私達はどうすればいいのかしら」
光希の隣に座っていた茶色い巻き毛の女がふいに不安を漏らした。皆も明るい顔をしていたが内心はそのことで不安があったのだろう。先程まで笑い声が響いていた騒がしさが嘘の様に消えて、全員が顔を伏せてしまった。
「それは残念だなぁ。きっとお客さんも悲しむだろうに」
そんな静かな空間で言葉を発した光希に視線が集まる。それを不思議そうにキョトンとした顔で彼女は年甲斐もなく小首を傾げた。
「だってオーナーの死が世間に広まれば喪に服して臨時休業としてお店を閉めてしまうでしょう。それならば、今日まででもいつも通り営業すればいいのに。このお店のキレイなお花のおねえちゃん達の笑顔に癒されたり、ボーイくんたちの美味しいお酒を楽しみにして来てくれるお客さんに悪いじゃん。それとも、」
そこで言葉を切ると先程とは別人の様に目を細め、彼女を見つめる従業員へ上から目線の毒を吐いた。
「人気ナンバーワンのサアヤ様がいないと、この店は成り立たない。そんなツマラなくて金を落とす価値もないお店なのかな、ここは」
光希の挑発で残りの従業員に顔に火が付いたのだろう。動き出した彼女たちの顔に不安の文字はもう見えなかった。店舗の表裏両方の出入り口に、明日からの臨時休業を説明する貼り紙を掲示するとともに、今日来客されたお客様1人づつに口頭で詫びを入れるそうだ。早速店をオープンするとの事で、まだ居座りたりないと駄々をこねる光希を幸恵は店から引っ張り出した。
左手の腕時計を見た。思ったよりもお店に長居をしていたようだ。もうすっかり夜が更けてしまった。今日はこのまま解散し、明日出勤した時に麻優美達に報告をしよう。自然と出たあくびを噛みしめて幸恵は路地へと歩き出した。
彼女の背中では、先程まで消えていた『The Secret Garden』の店頭にあるネオンライトが点灯した。
2019/3月改稿