かき氷食べて、急流下って、宝の山を登る旅。1
『はみだしてあぶない刑事』2作目
山の上流から荒々しい勢いで流されるまま長い旅をする川の水に身を削られ摘まれていった岩々は、長年その個体の数を重ねて積み上げられた石畳はその土地を代表する観光名所の一つになっていた。
そんな石畳の上を一人の女が歩く。決して「道」とは言えないその不安定な足場を、踵が尖った靴でバランスを崩しながら、デニムのミニスカートを最大限に広げて、自然によって無造作に積み上げられた岩と岩の間を歩いている。
その最近流行りの化粧で覆った顔からは、この場に訪れる何千万という観光客が抱く自然に対する感動という気持ちは一切なく、ただただ「不満」という二文字しか浮かんでいない。また、若干和らいだとはいえこの季節特有の体を刺すように照らす、じめついた太陽の日差しが更に彼女の体力と気力を奪う。
彼女は足を止めて、手に持っていた携帯を覗いた。液晶画面に映る時間表示以外、数分前から一切変わらない画面を見ては不機嫌そうに舌打ちをした。周りを見回して見ても、日のある時間帯だと言うのにこの場所には彼女以外人が居る様子はない。こんな日差しの中、足場の悪い場所にわざわざ呼びつけておいて、相手が遅れるとはどういことだ。彼女の中でたまった不満はさらに積もる。彼女は相手に何度目かの連絡を取ろうと、相手の番号を捜す為彼女は再び携帯に視線を落とした。
それは瞬間だった。全く彼女には忍び寄る気配すら感じていなかったのだろう。
今まで無意識に呼吸をしていた気管が、突然塞がれる恐怖。驚きで目を見開き、空気を求めて喘ぐも、それを得る事を許されない。苦しさと痛みから逃れる為に首元を搔くと、今までなかった物があるに気付く。自分は何かで絞められていると気付いて、その相手に反撃を試みる為に不自由な体を曲げて背後を振り返る。つい先日、高額をかけて手を入れたばかりのラメとラインストーンに飾られた付け爪で、襲撃者に掴みかかろうとした。
でも彼女の体はそれは敵わず、力尽きていた。
暑さが残るこの時期の日差しで温められた岩の上に、彼女はその動かなくなった体を横たえた。その瞳は閉じられる事はなく、自分の命を奪っていった相手を恨むように大きく見開かれていた。
「ちょっと、どうしたん。おねえちゃん、大丈夫」
そんな彼女を見つけて、近くに居た観光客であろう女が1人、大騒ぎで近づいてくる。暑かったのか、仕事で羽織っていたのでろう黒いスーツの上着を脱ぎ、それを一泊二日くらいの荷物が入っていると予想される、大きなショルダーバックの肩紐にだらしなく引っ掛けていた。そして右手には近くの露店で購入したらしい割り箸に刺さったキュウリの一本漬けが、しっかりと握られている。
「この時期でもまだ暑いから、熱中症に気をつけないとだめだよ。ほら、そこにいる人達もカメラ撮ってないで助けてあげてって」
その女はレンズの方に向かって塞がっていない方の手を振り、その場に行くよう招いている。
「鷹岡さん、ちょっと何やってんの。そこから離れて」
少し離れたところから、同じく黒いスーツをこちらはちゃんと着ている女がそこから移動するように呼びかけているが、肝心な鷹岡と呼ばれた女は状況が分からずただ首を傾げるだけ。
その空気を大きく振動させるような大きな声が響いた。
「カーット」
それは、今まで繰り広げられていた世界の絶対神である監督と呼ばれる存在が、その世界を終わらせる言葉だった。
死んだはずの彼女がその声によって再び息を吹き返し、介抱しようと彼女の傍で跪いたままの光希の肩を力強く押して立ちあがる。バランスを崩して尻もちをついた光希には目もくれず自分の足でその場から歩き去る。
見渡してみれば、そこはもう「誰も居ない石畳」ではなくなっていた。何人もの人が忙しなく動き、数人は小型のテレビで先程まで撮っていた映像のチェックをしている。先程まで死んでいた女性はスタッフに大きな日傘の下に置かれたベンチでメイク担当に化粧を直してもらいながら、足を組みリラックスした状態で冷たい飲み物を飲んでいた。
驚きのあまり思考が止まったままの光希は、縋る思いで少し離れた相棒の方へ視線を向ける。その視線に気づいているのは判り切っていることなのに、幸恵は知らない顔をして、周りに居る傍観者とともに近くを走りまわるスタッフの機敏な動きを見ていた。
「あのう、すんません」
キャップを反対に被って、首にイヤホンをいくつかぶら下げている男性がニコニコしながら光希に声をかけてきた。手には分厚い本をメガホンの様に丸めて持っている。
「撮影の邪魔になるので、早くその場所からどいてくれませんか。迷惑なんで」
男の顔は笑顔を見せているはずなのに、その目は一切笑っていなかった。
「失礼しました」
空気を読むのが大の苦手である鷹岡光希でさえ、大慌てでその場から飛び出していた。




