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はみだしてあぶない刑事  作者: 助三郎
はみだしてあぶない刑事
32/130

秘密の花園に散った淡い恋心。時が過ぎてもなお狂い咲いて 32

「齊藤が殺害された日は、かおりさんの前の旦那の命日だった。どんなに月日がたってもその日になれば必ず故人の顔を思い出してしまう。今まで何回もこの手で殺したいと思っていながらも衝動を抑え、理性を保って「なにも知らない夫人」という役割を演じてきた彼女のですが、その日はついに衝動を止められなかった、」


 殺したいくらい憎い相手のとの仮面夫婦生活。支えになっていた娘までも失くしてからも、その殺人願望を押さえていたのは、簡潔な死からの解放ではなく、残された半生で己の犯した罪を悔やみその悲しみを背負わせるという目標だった。今まで他人を陥れる事にこだわっていた地位から引きずりおろす。それが最愛の者を2人も奪われた、かおりの求めていた種市治郎への罰だった。


 手の平に包まれる、どこの飲食店でも使っていそうな白い陶器のティーカップ。その中の透き通った琥珀色の温もりと優しい香りは、残された女性の語った悲しい真相に冷えてしまった幸恵の心をほんのりと癒してくれる。


「でもその日、狙うべき相手はいつまで経っても他の女のところに行ったまま帰って来なかった。そこで家に残っていた使用人である貴方に種市社長を連れて帰る様に指示した。貴方達を待っている間に己がやろうとしている事を改めて1人になって冷静に考えた。秘書や川島くんに支えられないと立てないくらいに泥酔していた社長を見たら、今日にこだわるのは馬鹿らしくなっていたって言っていたわ」


「だから奥様はいつもは気になさらないのに、あの日あの店に旦那様を迎えに行くように言われたのですね、」

 最近なじみの店になってきた喫茶店『コタカ』のカウンター席に座る幸恵の隣で、黒い縁の眼鏡をかけた黒髪の青年が納得したように呟いた。


「でも、そんな奥様のお陰で私は今まで会う事が出来なかった親友と再会できて、また13年前に何も出来なかった事を正面切って謝る事が出来ました」

「そう、あの後ちゃんと2人で話せたのね。良かったわ」

まるで自分の事の様にほっとした表情を浮かべた幸恵に、川島も優しく微笑んだ。


 脅迫によって自分が齊藤を殺害した犯人だと名乗り警察に拘留されていた神木が、本当の実行犯である吉谷が逮捕された事で隠していた全てを証言した。拘束を解かれ警察署から出てくる神木を出迎えたのが、彼が無実だと証言した川島だった。


「これから奥様は今まで集めた証拠や証言を基に種市社長を訴えて、裁判にかけると意気込んでおられました」

「その時は川島くんも証言するの」

「僭越ながら。種市家の使用人としての義務もありますが、亡くなったさとみちゃんの「秘密の友人」の1人として。私がその時見聞きした事を、ちゃんとこの口で伝えなくてはいけません。泣いているだけでは昔の様に真実を隠されてしまいますからね」

川島の言葉に2人で顔を見合わせて笑った。


そんな川島の目の前に、マグカップが不機嫌そうに大きな音を立ててカウンターの内側から置かれた。


「何お前、大端さんと楽しそうに話しちゃってさ。俺がどんなに大変だったか知らないくせに」

眼つきも悪く、相変わらず鮮やかな金髪の青年がカウンター越しに腕を組んで口を尖がらせていた。


 殺害された齊藤が経営していた『The Secret Garden』のバーテンダーであり、齊藤がさとみちゃん誘拐の犯人だと最初に見抜いた人物。そして、脅され凶器になったアイスピックを持って警察に嘘の自首をしていた神木だった。今は彼の横で相変わらず黙々とグラスワインを磨いているマスターと同じ青いジーンズ生地のエプロンを着用している。


「再就職おめでとう、神木くん」

「ありがとうございます。本当の犯人である吉谷を捕まえてくれたのも、またこうやってコイツと話す事が出来たのも、全部大端さんのお陰です。貴方が俺達に真っ直ぐに向き合ってくれたから、またこうして再出発する事ができたんですから」


「私は人として当たり前の事をしたまでよ。でも良くこのお店で働く事になったのね。マスターには悪いけれども、」

幸恵はその先がつい小声になった。

「お客さんはいつもいないし、マスターは一言もしゃべらないし。お給料だって前と比べたら天地の差でしょう。神木くんはもっと別のお仕事を探すのだとばかり思っていたわ」


 幸恵の隠し所のない正直な感想に耳を傾けていた彼らは笑った。年下に囲まれて調子に乗って年甲斐もなくつい口から出てしまった本音に気付いて幸恵は少し恥ずかしくなる。


「大端さんがそんなことを言うなんて思ってもいませんでした。そうですよね、私も普通にそう思います」

「ここのマスターは寡黙ですが、ちゃんと丁寧に色々と教えてくれますよ。それに、俺の家の事情を知った上で雇ってくれているので、帰りに余り物を持たせてくれたり、俺が仕事終わるまで子供達もここに居て良いって言ってくれます。なんだかんだで優しい人ですよ。マスターも、ミッキーも」


聞き慣れない名前が出て来たので幸恵はその名を復唱する。


「お前、それは内緒にしておけって言われてたやつ」

首を傾げる幸恵を挟んで、神木はつい滑らせてしまった口元を慌てて手で塞ぐ。あまりにも突然でつい口調を崩した川島がそれを諌める。


 直後、来客を知らせる扉の鐘が鳴った。

「あー、ただいまー。また強面のオッサンにこってりと絞られた。いじめだ。今話題のセクハラでパワハラだー。いつか訴えてやる」

職場と同じ様に気だるく文句を垂れ流しながら、その人物はまるで我が家に帰ってきたように喫茶店に来店してきた。


 幸恵はその声の主を知っている。というか、つい数時間前まで同じ職場の隣の席で、何故か一向に減ることのない書類が積み重なった机の持ち主であり、幸恵が定時で帰宅する時に、捜査第一課の面々に呼び出され重原に拳銃を使わせた件でたっぷりと叱られていた人物だ。因みにそれは空砲で威嚇射撃だったのだが、それではなく光希があの場で指揮を取ったのが彼らには気に食わなかったらしい。まさにイチャモン。


「げ、サッチー」

数日前の幸恵が特別捜査室に配属され、その日も同じ言葉を投げかけられた。2回目にして今度は無意識に彼女の言葉をそのままオウム返ししていた。

「げ、ミッキー」


何故か神木と川島はお互いに頭を抱えた。2人とも知っていて幸恵に黙っていたと言う事なのか。


「え、ちょっと待って。つまりミッキーって、鷹岡さんのことなの。「ただいま」って、どういう事。え、えぇっ」

1つの引っ掛かりに気付いてから、段々と時間差でいろんな謎が頭を襲い始めた。幸恵の思考は今は大パニック状態だ。


「ほら、可哀想に。お前のせいで混乱してしまったじゃねえか。ちゃんと面と向かって、しっかりと言葉で説明しろ」

突然この場で初めて聞く、5人目のバリトンの効いた大人の渋い声が幸恵の後ろから光希を叱りつけた。


 するとまるで飼い主から叱られた犬の様にしょんぼりと項垂れた光希が、幸恵の1つ空けた隣のカウンター席に静かに座った。

「ここんちの娘です。黙っていてごめんなさい」


 いつも自由に人を振りまわしては、何でも知っているかのような堂々とした彼女のその姿はそこにはなかった。正反対のおどおどとしながら素直な子供の様に彼女は幸恵に向かってぺこりと頭を下げている。


 配属された日の夜、光希もこの店に入ろうとしていた。てっきり幸恵と同じ様に夕飯をここで済ませるだけだと思ったから、そこまでも一緒に彼女と居たくないと思ってこの店に入る事を辞めた。確かに思い返せば、何度か捜査の合間にこの店に立ち寄っていた。ここで光希は携帯を充電していた事もあった。


「なるほどね」

全てを理解し納得した幸恵の前に、美味しそうなオムライスが置かれる。


「マスター、私今日はまだ紅茶しか頼んでいないですよ」

 そう言ってカウンターの向かい側に居るマスターの顔を慌てて見上げた。年齢は重原より上で50歳は越えているだろう。身長は高く、少し白髪の交じった髪を後ろに流していた。確かに親子と言われてから注意深くその顔を見れば、眼つきや輪郭が光希と似ているような気がする。


「まだ夕飯を食べていないんだろう。これは俺からの奢りだよ。男で一つで育っちまったもんで、自分勝手で可愛げのない娘になっちまったが、こんな娘だけれどこれからも宜しくな」


 マスターは目尻に優しい皺を残しながら幸恵にそう言った。隣に座る川島も、カウンター越しに居る神木も、幸恵と目が会うと微笑んでくれる。隣に座る光希は頬杖をついてそっぽを向いたままだが、そのショートボブから見える耳元は赤く染まっていた。


幸恵は思わず噴き出して、思いっきり笑った。

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 お客も少ない喫茶店だが、卵はフワフワのトロトロで中のケチャップご飯もベチャッとならずちゃんとご飯が立っている。炒めたソーセージや野菜も入っているので、きっと健康に良い気がする。なにより出された紅茶が美味しかった。


 些細な事でイラっとさせる光希の事などどうでも良くなるくらい、幸恵はお店に胃袋をがっちりと掴まれてしまった。これからもこの店に当分通い詰めてしまいそうで、幸恵が1人暮らしをしている部屋のキッチンは相変わらずキレイな状態を保てそうだな。そう思ったのだった。

2019/3月改稿

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