秘密の花園に散った淡い恋心。時が過ぎてもなお狂い咲いて 16
「というと、タクシーの運転手さんの思い違いではなく、別の場所で齊藤はその若い男と言い争いになって殺されて、その死体が別の場所まで動いたって事ですか。こわーい」
由美は猫なで声を上げて隣に居た友子の腕に縋りついた。彼女の空気を読まない女子力満載の声と行動に、ホワイトボードを険しい表情で睨んでいた他のメンバーもつい苦笑いを浮かべる。そのお陰でさっきまでの全身を包んでいた緊張感が抜けたのを幸恵は感じた。
「いや、ちょっと待って」
麻優美が何かを思い出したように声を上げた。
「遺体周辺に残された血痕やその状態から殺害された場所は遺体発見現場だって、さっき言っていたわよね。と言う事は、彼らが言い争っていた場所で殺されたわけでないかもしれないって事よね。別の可能性も出て来たわよ」
そこで言葉を切ると、麻優美は幸恵の正面に立ち言い聞かせるように告げる。
「大端さん。貴方が神木と面識がありそうだから言うけれども、殺害された場所が違うからと言って彼が齊藤を殺していないとは断言できないわ。その時間に目撃されている分、全く関係ない訳ではないでしょうからね」
真剣な眼差しに幸恵は黙ってうなずいた。
「私の方からその可能性については第一課に進言するから、引き続き齊藤と種市社長。そして齊藤と神木との関係について調べて頂戴」
麻優美の指示に4人は返事をした。
「サッチー、アタシ達は社長の方に行くよ」
正式に捜査協力が出たのもあって、鞄を持って堂々と刑事部の扉から飛び出して行く光希に一歩遅れて幸恵も部屋を出る。そしていつものように階段を降りようとした時に、少し離れたところに設置されたエレベータが到着した音がフロアに響いた。
扉が空いて狭い箱の中から数人が出て刑事部の扉の中へ入って行く。重原と萩本達に周りを囲まれ、その人物は階段下で見ている幸恵には気付く事なく、俯きがちに刑事部へと吸い込まれて行った。身長は齊藤より少し低め、痩せ形。そして薄暗い中でも見間違える事のない金髪の若い男。それは、神木辰夫だった。
タクシーの運転手の証言を聞いて呼ばれたのか、だとしたら第一課は齊藤と言い争っていた相手が神木だと特定できるにはあまりにも早過ぎるのではないだろうか。なぜなら1時間前に聞いたばかりの『The Secret Garden』にどんな従業員が居るのか知らないし、この昼間の時間帯ではその店は開店すらしていないはずだった。店ではなく神木の住んでいる場所から引っ張ってきたというのか。
幸恵はその集団の後ろを歩いていた刑事だけを声をかけて呼び止めた。その若い刑事は昨日由美に捜査情報を聞き出すのに嵌められた可哀想な男だった。
「彼はなんでここに来たの」
「「オーナーを殺した」って自供している男が来ているんだけれど回収してくれないかって、近くの交番から連絡があったので連れてきたところです。これから取調室で事情を聞き出します」
幸恵から目を逸らし、若い刑事は先輩の強面刑事に囲まれて歩く自分と同じ年くらいの金髪の青年の後姿を見ながら呟いた。
「でも、間違えないかもしれないな」
「何故そう思うの」
「あいつ、「俺がやりました」って言いながら見せて来たんです、」
言葉を切ると、彼は視線を金髪の青年から再び幸恵に戻す。その真っ直ぐな瞳は揺るがない真実を追い求めているように輝いている。
「まだ見つかっていなかった、齊藤殺しの凶器となったアイスピックです。今、鑑識に回して調べてもらっていますが、多分間違えないだろうと重原さん達は言っています」
そう言い残すと、幸恵に軽く会釈をして若い刑事は部屋の中に入って行った。
どこかで神木を信じていた。彼が殺人をするような人物ではないと、思っていたからだ。
でも彼が凶器を持っていた。罪の意識からか交番で自首もしている。彼がこの事件の犯人だと示すのにそれ以外に何が必要なのだろうか。信じていた自分の足場が壊れてグラつく。
「あららー。凶器見つかっちゃったねー。しかも神木くんが持って来ちゃった。これじゃぁ、これからが大変だね」
いつの間にか幸恵の隣に、先に降りて行ったはずの光希が立っていた。
「これからが大変って、もう犯人が出て来たのだから事件解決なのでしょう」
幸恵は光希に向かって吐き捨てていた。
その言葉を聞いた光希はいつも幸恵が自分にしてくるように幸恵の後頭部を手の平で叩く為手を振り上げた。
だが、残念な事にそこには普段でも身長の高い幸恵の居る場所よりも下の段で狙った幸恵の後頭部は、いくら手を伸ばしても触れる事ができない場所だった。さらに態勢を変えた幸恵のせいで、虚しく空振りをした反動で光希は階段を一段踏み外す。
「何遊んでいるのよ」
そんな光希に向かって幸恵は冷たく言った。光希が悔しさで震えているのを幸恵は気付く訳がない。
「鑑識が調べているその凶器から齊藤の血痕と神木の指紋がでてきたら、この事件は神木が犯人として終わりを迎えるわ」
「それじゃぁ、何も解決していないじゃないか。タクシーの運転手の証言で言い争いを見かけた場所と死体発見現場が何故違うのか。齊藤と種市社長の関係とか、何故「アイツに殺される」なんてサアヤちゃんに言い残したのかとか」
「それは次第にわかっていくる事よ」
「サッチーはそれでいいの。アタシは嫌だよ。だって謎が1つも解けていないじゃないか。この事件はそう簡単には終わらせてくれない気がするんだよね。サッチーがここで終わったとしても、アタシ1人でも捜査を続けさせてもらうからね」
光希はそう言って階段を駆け下りて行った。まるでこの口論でさえ時間の無駄だと言っているかのようだった。
幸恵もこんな結末を望んでいはない。でも、証拠と自首により望んでいなくてもこの捜査に終わりをもたらすには充分ではないのか。
不意に神木の顔が脳裏にフラッシュバックする。
刑事に囲まれて俯いている顔、泣いているサアヤを心配する顔、子供達と共に居る時の笑顔。やはり彼には人を殺すには優しすぎる。
幸恵は階段を駆け下りて署を飛び出した。
目の前のロータリーには見慣れた車が停車している。運転席の光希は相変わらず意地の悪そうな顔で幸恵の方をニヤニヤと見て笑っている。その顔に溜息をつきながらも、幸恵はそのまま車の助手席に体を滑らせた。
「あなた1人だと変な事をしでかすんじゃないかと心配だから。監視するために着いて行くんだからね」
「はいはい、分かっていますよ」
光希はそう嬉しそうに応えると車を発進させた。
本当の真実を見つける前に事件が終わりにされない様、心の底から幸恵は祈った。
2019/3月改稿




