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夏の祭り

作者: 桜庭碧葉

 ぼんやりと煙草を吸っていた。祭囃子がやけにうるさいな、と感じながら。

「こんばんは、おじ様。」

 祭囃子にかき消されてもおかしくない様な、か細い声。けれど、酷く近くで、耳の奥の鼓膜をしっかり揺さぶる、凛としたそれ。

 最初は“おじ様”と言っていたので、てっきり自分以外に居るものだと勘違いした。自分のすぐ後ろだという事に気付いた瞬間、悪寒が起きる。

 くわえていた煙草を思い切り吸って、ぼんやりしていた頭を叩き起こす。そして、煙草を口から外すと、そっと後ろを振り返った。

 顔を半分、狐の面で隠し、浴衣を着ている、少女とも女性とも呼べぬ様な、女が立っていた。

「こんばんは、おじ様。」

 繰り返された、その台詞。ひとまず言いたいことがあったので、それを飲み込むためにもう一度煙草をくわえた。しかし、それだけでは収まらなかったので、ぽつりと独り言のように言ってみせる。

「おじ様って言われる程の年齢じゃあ、ないんだが。」

 俺はまだ三十路だし、おじ様っていうのはもうちょっと、俺より上の人たちの事だろうと思う。

 きょとんとした女は、しばらくその妙に色気のある阿呆面を晒す。

「ああ、ごめんなさい。お兄さんの方が合ってるみたい。」

 声を聞いたら、思ったより若々しいからびっくり。

 なんて言って笑う女に、少し苛立ったけれど、それよりも大きく膨らんでいるのは、この女は一体何者なのかという疑問だった。

 最初のおじ様発言は、どう考えても自分にもっと近づいていなければ、ああは聞こえないはずだ。俺の経験上、絶対にそう言える。それなのに、今は初対面で話すのに適切な距離が保たれている。まさか、こいつ、幽霊とかそういうのじゃないだろうな。

「ねえ、こんなところで燻っているくらいなら、わたくしと一緒にお祭りに行こう?」

 “わたくし”という丁寧な一人称をしている割には、不躾な。好んで燻っている訳じゃない。俺にも俺なりの理由があると言うのに。

 そう思っていながら、煙草の煙を、また、思い切り吸った。この女に掛けてやろうかと考えたところで、止めた。これがもしも、悪霊であったり、逆に神様の部類であったら、下手に怒らせるよりも、言う事を聞いて、さっさと帰ってもらった方が得策だと考えたのだ。

「この煙草を吸い終わったらな。」

 と言っても、先程からずっと吸っていたため、あまり時間は稼げそうにない。

 祭りは、苦手だ。――“あいつ”を思い出す。

「うん、わかった。」

 そういうと、俺の真向かいに体育座りする女。

 姿を見ているだけならば、少女と言っても過言ではないはず、だ。しかし先ほどの一人称や、ちらりと見えた色艶のある行動は、少女と呼ぶべきではない気がする。だから、女。

 冷たい、乾いた石の上とはいえ、座れば汚れる。その浴衣は汚れて大丈夫なのか、と聞きたくなって、やはり止めた。後で確認して、汚れていなかったら、この女は“そういう類”の者だろう。

「ねえ、持つところも燃え始めているけど、良いの?」

 指摘されて気付く。指先が、ちと熱い。

「ああ、吸い過ぎたな。」

 その辺の石に押し付けて火を消そう……と、したのだが。相手がもしもこの地を守る守護神だとしたら、そんなことしては祟られそうだ。仕方なく、持ち歩きはしているものの、一度も使ったことのない携帯灰皿に押し込んだ。


「さあ、お祭りの時間だよ。」


 女、が放ったはずの声。少し低くて、男の声に聞こえなくもない――いや、泣いている声に近いのか。

 歩き出す女の浴衣の尻の部分は、汚れていなかった。

「……ま、それだけでは判断しきれねえ、か。」


 祭囃子に誘われて。そんなキャッチフレーズが浮かんだ。そのくらい、女はふらふらと歩いているのだ。何の目的も無いと言わんばかりに。

「……お前、祭りの屋台にあるので、好きな物とかないのか。」

 次々に屋台の前をすり抜けていく女に、耐えかねて訊ねた。

「わたくしに、奢ってくれるの?」

 首を、傾げた、だけ、のはず。それなのに、何なのだ、この妖艶さは。

「あ、ああ。」

 それに見惚れて、短くしか答えられなかった。

「じゃあ、りんご飴が欲しい。」

 次に放たれた言葉は、先程の艶やかさに不釣り合いなほど、幼稚なものだと感じた。

 指を指しているので、そちらを見れば、りんご飴の屋台。女の動く気配は、ない。

 買ってこい、ということなのだろう。

「そこで待ってろよ。」

 くぎを刺して、りんご飴の屋台に向かう。

「へい、らっしゃい!」

 元気なオヤジの声が降りかかってきた。軽く無視して、「りんご飴ひとつ。」と言った。

「はいよー、五百円になります!」

 財布を取り出して、五百円玉を丁度出せば「毎度あり!」なんていう声が鼓膜を震わせる。不愉快だ。早くあの女の声でかき消したい、と思ったところで、ふと思い出した。

 そういえば、“あいつ”も少女なんだか女性なんだかよくわからないことばかりしていなかったか?

 途端に襲われる、無気力感に。手に持っているりんご飴が、すり抜けそうになる。それを必死に押さえて女の居るであろう場所に戻る。

 が。

「……居ない。」

 確かに、此処に居ろ、といったはずだったのだが。……だが、肯定の言葉や、頷きは見ていない。言いながら屋台の方に向かったから、まさか、かき消されてはいないだろうが、でも。

「何処に行ったんだよ……!」

 苛立ちが膨れ上がる。ああ、久々に怒りという感情を感じている。しかし、どうして、たかが女一人に此処まで感情的になるのだろうか。やはり、“あいつ”に似ているからだろうか。


 祭りも終盤、嫌な気持ちと戦いながら女を探したが、結局見つからない。最終的には、女と出会った場所で煙草を吸い始める自分が居た。

「探したよ。」

 また、真後ろから。その、声は。

「お前。」

 振り返ろうとすれば、背中に広がる冷たい感触。

「振り向かないで。」

 ああ、やはり、女は人ではないのだな。背中から伝わるのは、悪寒ばかりなのに、なぜか安心できてしまった。

「わたくし、戻ってきたの。」

「そうか。帰れ。」

 短く返した俺の言葉に、傷付いた様な。けれど女は、“あいつ”は笑って言ったのだ。

「貴方も連れていく。」

 その言葉にバッと振り返ると、その反動で女の面が外れた。

「……彰子。」

 その顔は、忘れもしない、けれどどうして、声は忘れていたのだろうか。やはり、時間というものは非道なものなのだろうか。

「一人はさびしいの、ねえ、お願い、一緒に。」

 その悲しそうな顔と、声に、自分の心が大きく揺れ動かされているのがわかる。

「ダメだ。一人でいくんだ。」

 厳しく、言えただろうか。

「そう……、ごめんね。」

 ぞっとするほど、ひんやりした冷気が、俺に纏わりつく。

「どのみち、連れていくことなんて、お前には出来ないだろ。」

 俺が生きることを誰よりも望んだのは、お前なのだから。

 冷気は、しばらく俺の周りを漂った。

「さよならだ、彰子。」

 その言葉に、ふっと冷気は消えた。

 煙草を吸うために、両手を動かす。妙に重たく感じる。冷やされたせいだろうな、と思いながら、両手が空いていたのに気付く。

 りんご飴は、何処だ。

「……お前、持っていったな。」

 はあ。大きく溜息を吐いて、煙草に火をつける。

 煙を吸い込めば、祭囃子が無くなっていたことに気付く。

 時計を見ると、丑三つ時。

「……元から祭りなんざ、なかったのかもな。」

 適当な石に煙草を押し付け、ポイと捨てる。立ち上がって、……少し考えて、投げ捨てた煙草を拾った。

 それを、携帯灰皿に入れると、ふらふらと俺は歩き出した。


ツイッターにて知り合ったオカザキさんの企画に参加させていただきました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公と女のやり取りから漂う夏の冷たさと、祭囃子の喧騒との対比が、綺麗で儚く感じられました。 [一言] 君と夏祭り企画から作品を知り拝読いたしました。
[良い点] 夏祭りのふわふわした感じは、よく伝わってきました。雰囲気は好きですね。 [気になる点] 短編だからしょうがないけど、尻切れだよね。同じ主人公のシリーズものかな? [一言] 祭りで女の子…
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