しつこいメリー・Revolutions ~きっとメリーからは逃げられない~
メリーさん遂に悲願達成の巻
「く……ば、馬鹿な……」
どさり。
想像よりもずっと軽い音を立てて彼は倒れた。
「や、やった……の……?」
呆然とつぶやく。両手で抱えた包丁の感触もどこか幻じみていた。
いや、もしかしたらいつもの様に変わり身の術を使うのかもしれない。
一体何度そのような手段で煮え湯を飲まされたか。数えきれない。いや、本当に数えきれないのよ……。
念のため、倒れた体の端っこをツンツンしてみる。
……人間の感触だった。
包丁をさした背中の傷からは、今も赤黒い血が流れてきている。
「ほ、本当にやったの……?」
メリー・N・ファントゥニア。それが私の名前。
先祖から代々続く『メリーさんの電話』の怪異そのものの娘だ。
といっても当然、昔から『メリーさんの電話』だったわけじゃない。電話がない時代から怪異として続いている家系なんだからあたりまえだけど。
時代に合わせ時代に適合してきた私達一族。そんな私が怪異として完成するための最後の試練としてこの街にやってきてもう二年が経とうとしている。
試練っていうのはターゲット相手に怪異としての役割を完遂すること……なんだけれど。
本当にその試練は並大抵のものじゃない。というかこのターゲットの男の子、ソーイチ・サルトビがちょっと変。ちょっとっていうかかなり変。
そもそもこの国に来ることが決まったのが五年前。それからと言うもの、日本についてたくさん勉強したわ。だから、サムライやニンジャがもういないってことは知っていた。とても残念だったけれど。
そしたら、なに。ソーイチってば、目の前でいきなり消えるし、地面や水の中に当たり前に潜るし、壁を走るし天井にぶら下がるし、完全にニンジャだったのよ!
その上私の正体を知るやいなや、電話を受け取る度に私にひどい仕打ちをして!!
初めてソーイチの電話に思念を飛ばした時は本当にドキドキしたわ。初めての仕事だし、ちゃんと出来るかどうかって。そしてソーイチが電話にでて、お決まりの文句「私メリーさん」を告げて空間ジャンプをした次の瞬間!
私は、空に浮いていたわ。
なぜか電波塔の端っこに立っていたソーイチの真後ろに出現しちゃったら、そうなるわよね。ええ、わかってるの。
実に二十メートル以上の高さからの自由落下のお陰で、今でもちょっぴり高いところが苦手……。
それからというもの、私にとってソーイチはただの試練のターゲットから宿敵に変わったわ。
ほぼ二年に及ぶ試練の中で、彼の携帯に電話をかけなかった日はほとんどなかった。
毎日毎日来る日も来る日も隙を見てはソーイチに「メリーさんの電話」をかけ続ける。けれど今こうする瞬間まで手も足も出なかった。
あるときは意図せず国外に放逐され、いかついおっちゃんたちに囲まれたりもした。海の向こうの入管のおねーさんがとてもいい人で何度も顔を合わせているうちに今では立派なメル友です。おねーさんには一昨日彼氏ができたようなのでとても良いことだと思います。
そんなふうに、彼は巧みな戦術と高度なニンジャスキルを駆使して私をかわし続けたわ。
最初はむやみに電話をかけて失敗していた私も、二ヶ月立つ頃には考え方を変えた。
そう、とにかく相手の生態を知らなければならないと。
だから私はとにかく彼を調べたの。
どうやらサルトビという苗字は偶然なのか、昔の日本の有名なニンジャの一人だったみたい。本当にその血を受け継いでいるのかもしれない。
身長や体重、生年月日や家族構成なんかは基本中の基本ね。ソーイチの友人関係や学校での生活の様子なんかを、私は入学式で仲良くなった友達のみーちゃんに聞いた。みーちゃんがわからないことは、みーちゃんの友達や、その伝手を頼った。
そうしているうちに、いつの間にかソーイチの情報がいろんな人からどんどん集まってくるようになった。ふふん、あれはきっと私の人徳ね!
みんなにこやかに「がんばって」とか「応援してるから」とか言ってくれてたし! なんで試練のことをみんな知っていたのかしら?
そのおかげで、私のソーイチ・データブックは大学ノート一冊まるっと埋まってしまったわ。
さらにはソーイチを観察した結果を日々記録したソーイチ・ダイアリーは五冊目をそろそろ使い切りそうになっている。情報は何時の時代、どんな場所でも大切ってことね。
その積み重ねによって、今ではソーイチよりソーイチに詳しい自信があるわ。
さらにはこの街の地理についても万全を期した。ソーイチが逃げづらい場所がアレばもうけものだもの。
休日にはソーイチの後をつけて、その行動パターンをしっかり調べたわ。でも結局すぐに見つかってしまって、一緒にあちこち歩きまわることになっちゃうんだけど。
ともかく、そういった私の努力が、今日ついに実った! これでご先祖様、おばあちゃん、お母さんにちゃんと報告ができるわ。
私が日本で試練をすることが決まってからずっと心配をかけてしまった二人だもの、きっと喜んでくれるはず。
毎週欠かさずメールや電話で連絡をしているけれど、それでもやっぱり心配なんだと思う。半年が過ぎた頃から私だけでなくソーイチについてもいろいろ話をしたわ。
ふたりとも一緒に作戦を練ってくれて、それはなかなか実らなかったけれどモチベーションに繋がったのは確実だった。
私とソーイチがどんな話をしたりどんな場所へ言ったのかも聞いてくれて、よほど真剣に考えてくれてるのか「二人でこっちに旅行に来たら」とまで言ってくれていた。さすがにそこまでお母さんたちの手を煩わすわけにはいかないけどね!
とにかくいろんな人の協力が、今の私をここまで導いたの。
だからこの結果はいろんな人のおかげ。それをわすれちゃならないわ。
とても喜ばしいこと――そのはず、なのに。
「……う」
なんだかお腹の真ん中あたりがグルグルする。もやもやとしたうまく言い表せない感情が体の中で暴れている。
「なんか……あんまり嬉しくない……かも」
ぼそりとこぼれた言葉だったけれど、それが一番の本当な気がした。
どうしてだろう。このためにずっと頑張ってきたのに、あんまり、喜べない。
――ぴちゃり。
「え?」
水が跳ねるような音が聞こえた。あたりを見回すけれど、当然誰もいない。
……ううん。違う。そもそも。
「ここ……どこ……?」
見覚えのない場所。普通の住宅街の真ん中だからてっきり街のどこかだと思ってたけど、違う。ソーイチについていく形で街中あちこちを歩きまわったから言い切れる。
ここは、私の知っている街のどこでもない。
それなら遠い街? ううん、そんなはずは。
『それじゃあココはドコダロウ――カ?』
「え……………………え?」
濁った声に思わず振り向いて。
目が合った。
白く濁った瞳。命を失った、ぶよぶよの、何も写さない眼球が、覚束ないようすで、それでも私をまっすぐに見ていた。
立っていた。いつの間にかソーイチ……だったものが。
言葉を失う私の前で、それが、傷口からメリメリと広がっていく。開かれていく。
そのたびに細い管から赤い血が飛び跳ねる。
もうわけがわからない。頭のなかが真っ白になって呆然と非現実的な光景を見つめることしかできない私に。
『ついに……俺を、コロシタナ……?』
開いた中身がソーイチの顔になって、壊れた笑顔でそう言った。
目の前でうんうんと苦しい顔をして唸る少女。
言わずと知れたメリーさん――メリー・N・ファントゥニアだ。
「あれお兄、どうしたの……て、ソファに寝かせているのはメリーさん?」
リビングに入ってきた妹、南陽がいつもどおりの眠たそうな顔つきで疑問を浮かべた。
「ふむ。もしかしてついにお兄が手を出したとか」
「なるほど、興味深い考察だ。俺が妹にどういう人間だと思われるのか考える材料としてとても」
少し睨みつけるとしらっとした顔で顔を逸らされた。まったく……。
メリーは我が家の一番大きなソファに寝かせられ、うんうんと唸っている。俺はその横のちいさな一人がけのソファに座っている形だ。
南陽がメリーの顔を覗きこんで、こっちを見る。
「……これ、なんかヤな感じの幻術かけてない?」
「マンガを参考にしたらなんかできたぞ」
参考資料になったマンガを妹に手渡す。なんかこう、こっちの精神世界に相手を引きずり込む系のアレをやってみたら存外うまく行ってしまってびっくりだった。
「催眠術の応用かな。ねえお兄、ちょっと試させて欲しいんだけど」
「お前の精神世界か。興味がないでもないが」
「お兄がどうすれば淫乱エロ奴隷に堕ちるのか現実で試す前に幻術で試したい」
なにそれ怖い。
「う、うぅ……」
そんな話をしているとようやくメリーが目を覚ました。
「起きたかメリー」
「う……うぅ……? そ、ソーイチ……?」
ぼーっとしているメリーだったが、やがて目の焦点があってくると。
「あ、あわわわわ……」
顔を真っ青にしてカタカタと震えだした。
「おい、メリー?」
「う、うにゃあぁぁぁぁっ! ご、ごめんなさいごめんなさいいぃぃ!!」
「お兄……一体どんな幻術を……」
「いや、大したもんは見せなかったと思うんだがなぁ……」
マジ泣きするメリーの背中をなでて落ち着かせる妹の非難の視線に首を傾げる。
俺の用意した幻術は、メリーが見事俺を殺すというものでしかない。歓喜するメリーに最高の肩透かしをさせてやろうくらいの軽い考えだったのだが、何か変に作用してしまったのかもしれない。
「えぐ、えぐ……目玉が、目玉が……」
「うんうん、メリーさんはよく頑張ったよ。今度一緒にお兄にエロエロ調教をしようね」
「うん……うん……?」
なにか不穏な言葉が聞こえた気もするが、それは無視して台所へ向かう。
どうせこのまま今日もメリーはお泊りコースだろう。そのためには多少の準備が必要だ。
深々と溜息を付く。
こうやって度々我が家から通学している姿や、俺の話を無差別に周囲の人間に聞いて回ったりしているせいで、本人の意図しない噂がまことしやかに流されているのだが――果たして本人はいつ気づくのやら。
まあ学校の連中の誤解なら解くことは難しくないだろうから放ってはいるが……さすがにウチの両親に誤解されかけた時は大変だった。
その時の苦労を思い出して、なんとなく、また深い溜息をついたのだった。
メリーさんが逃げられない