霊視
また蝉のうるさい季節が近づいてきた。
もう、5月半ばだ。
三田村 裕樹は、29歳 独身♂。
九州、福岡にある、小さなIT企業で働くSEだ。
G.W.も特に何かするわけでもなく、2日ほど休日出勤や持ち帰りの仕事をこなし、
夜は毎日マンション自室でソファに座り、適当にテレビ番組をザッピングしながら、
酒を飲んで過ごした。
今日は5月16日の金曜日。
いつものように午後9時まで会社に残り、客先の担当SEとメールで仕様の
細かい確認を行いつつ、開発チームのメンバー(社員、協力会社社員含む5人)にタスクを
割り振っていた。
あまり予算をかけられないため、合間を見て自分も今携わっている業務用アプリケーションの
設計と実装を行っていた。
そのとき、裕樹の上司である課長の佐藤竜司が裕樹の開発チームメンバー全員に声をかけた。
「みんなお疲れ。協力会社のみんなも遅くまでご苦労さん。今のところみんなのおかげで
スケジュールだいぶ前倒しで進められてます。ありがとう。で、今日はちょっとねぎらいの意味も込めて飲みにいくぞ!全部俺のおごり・・といいたいとこだけど、飲み代は社長からもらってる分と俺のポケットマネーだから心配しなくていいぞ。好きなもの頼んでくれ。ほどほどにな(笑)」
「やったー!」
裕樹以外の開発チームメンバーから歓声が上がった。
裕樹はその言葉を聞いても気にせず、パソコンの前に向かっていた。
「おい、三田村!お前も嬉しそうな顔しろよ!」
「え、あ、はい。」
「もうすぐあがれそうか?」
「あ、もう少しかかりそうです。」
「じゃあ途中から参加でもいいから、飲み会に必ず顔出せよ。」
「あ、じゃあ協力会社の三人はさっき進捗聞いたし、もうあがっていいですよ。内藤君も、あがって大丈夫だよ。」
「先輩、じゃあ待ってますね。」
裕樹と同じ会社で裕樹の3年後輩の内藤は、早々とパソコンの電源を落とし始めた。
佐藤が、「じゃあ、先に始めとくし、お前が来たらまた乾杯するからな。必ず来いよ!」
佐藤はそう裕樹に声をかけて、帰り支度を始めた。
「はい、後で必ず顔出します。」
裕樹はそう言って、残りの作業を終わらせることに集中した。
午後10時20分頃、佐藤たちが飲んでいる駅前の居酒屋に裕樹が顔を出した。
佐藤が不満気な声を上げる。
「おせーよ!何やってんだ!」
「すいません。残りのタスクをお客さんと電話で確認してました。」
協力会社の三人も
「三田村さん、こっちこっち」
と手招きをした。
すぐに裕樹が内藤の隣の空いた席に腰掛ける。
内藤がメニュー表を渡しながら声をかける。
「先輩何注文します?」
「あ、じゃあ俺はビールで。」
「食い物は何にします?」
「皆が色々頼んでるし、残ったものをもらって腹に入れれたらそれでいいから。」
「了解でーす。あ、すいませーん!生中1つ!」
そして、店員が生ビールの中ジョッキを持ってきて
再度佐藤が乾杯の音頭を取った。
「それじゃあ、みんないつもお疲れ様。うちのメンバーと何より協力会社の皆さんのおかげで
ウチは成り立ってます。今度ともよろしく!内藤はもっと頑張れ!三田村はもっと愛想よくしろ!
で、長いのは嫌いだから、そんじゃ、かんぱーい!」
午後11時になり、協力会社の三人は電車で来ていたため、そこで飲み会をお開きにして、
協力会社の三人は帰った。
佐藤が声をかける。
「おし、三田村、内藤、今日は久しぶりにお姉ちゃんの店にいくぞ!」
「またラウンジすか?この時間からいけます?」
内藤は、明日の土曜日の昼から先日合コンで知り合った女の子とデートがあったため、
嫌そうな顔をした。
「おい、つきあいわりーぞ!三田村、お前は強制参加な!内藤、俺はお前が来ないとさびしーぞ!」
「えー。課長、俺明日昼からデートなんすよ~。寝させてくださいよ~」
「内藤君、いいじゃん、俺もいくし。まだ若いんだし大丈夫。」
裕樹がそう言うと、内藤はしぶしぶ承諾した。
裕樹と内藤が佐藤に連れて行かれた店は、市内でも中級といったところだった。
三人それぞれの隣に女の子が付き、酒が用意されて佐藤の一声で乾杯をした。
裕樹は隣についた女の子と少しは会話をしたが、ほとんど水割りをちびちびと飲むだけで
積極的に女の子と話そうとはしていない。
その女の子の方は、店No.2のかわいらしい女の子だったが特に話かけもしない裕樹
に関心なしといったところだ。
一時間ほどたったころ、裕樹がトイレに行った隙を見て、内藤が佐藤に話した。
「先輩、ノリ悪いっすねぇ。なんであの人がチームリーダーやってるんすかねぇ。」
「まぁ金勘定とか説得がうまいからなぁ。他にうまくできる奴いねぇし。」
「うーん・・・」
「それに、お前があいつのこと知らないだけさ。あいつも昔色々あったんだよ。」
「へぇ~」
裕樹がトイレから戻って来た。
午前2時、ラウンジが閉店となり、女の子に見送られて裕樹たちはタクシーで帰った。
内藤だけ別方向だったので違うタクシーだ。
同じタクシーに乗った佐藤が裕樹に話しかける。
「おい、三田村。まだ5年前のこと引きずってるのか?」
「すいません、課長。美樹のことまだ・・・」
「そうか、まぁあんなことがありゃあなぁ・・、5年前よりはだいぶはたから見てても、状態は良くなったし、仕事もうまくやれてるけどなぁ。お前も主任になったし。」
「課長にはお世話になりっぱなしですいません。大学卒業して、ウチに入って以来ずっと面倒見ていただきましたもんね。でも、7月のあの日が近づくたびに心が落ちるような感じがするんです。」
佐藤が切り出した。
「三田村、明日、暇か?」
「あ、はい、暇ですが・・・」
「ウチの娘がよぉ、パワースポット巡りにはまっててなぁ、連れてけってうるさいんだよ。
で、お前も一緒にどうかと思ってな。」
「はぁ・・・」
「宮崎県の有名なパワースポットの神社で、すごいご利益があるらしいぞ。まぁ息抜きにもなるし、
お前の交友関係とか全然知らないけど、全然誰かと遊んでるような話も聞かないし、まぁいいじゃねーか。」
「わかりました。」
「おし、じゃあ10時にお前のマンションとこ車で迎えにいくからよ。」
「はい。」
そして、裕樹がマンションに帰ってシャワーを浴び、そのままベッドで眠りにつき、朝が来た。
マンションのインターホンが鳴り、そのうるさい音で裕樹が目を覚ます。
インターホンを取った。
「おい、三田村。起きてっか?」
「あぁ、すいません。すぐ仕度します。課長、元気ですね。」
「おぅ、俺も娘に起こされてな。早く降りて来い。」
「はい。」
パワースポットといわれる、宮崎県のとある神社まで車で移動中、
佐藤の娘、9歳の結香ちゃんから色々質問攻めにあい、
裕樹は素っ気無く、「ああ」「うん」「そうだね」を繰り返した。
その対応が気にいらなかったのか、結香は裕樹と会話するのを諦めて
スマートフォンでチャットをし出した。
そして、程なくして神社についた。
近くに川が流れており、木々が生い茂り、自然に囲まれている。
他にも観光客が数名来ていた。
その神社の西本宮、東本宮をまわっていく。
そして、西本宮から川を遡った所に、洞窟と社と川があった。
「ここ、すごいパワースポットって有名なんだよ。願いを込めながら、こんな風に石を積み上げると願いが叶うんだって。それにぃ、この積み上げられた石は崩れないんだって。」
「へぇ・・・」
結香が、嬉しそうに話しながらスマートフォンで辺りをカメラ撮影していく。
「おい、結香、ここは神聖な場所なんだから撮影しちゃダメだって。」
「パパ!みんなやってるじゃん。いいの!」
「はぁ、全く・・・。おい、三田村、お前も何か願いをかけながら石でも積んだらどうだ?」
「はぁ・・・」
社近くの川原に無数の石が積み上げられている。
幾人もの人々がそれぞれの願いを込めながら、川原に石を積み上げたのだろう。
異様な雰囲気を感じる。
若いカップルが離れたところで石を積み上げ始めた。
裕樹は落ちていた小石を手に取った。
そして、願いを込めながら石を二段積み上げた。
(美樹と、お腹の中にいた子が成仏できますように・・・)
その直後、裕樹は不思議な声を聞いた。
「××××××××××××××、コノチカラヲ××××××××××」
何かが身体に入ったような感覚を味わったが、よくわからない。
周囲を見回すが、佐藤や結香ちゃん、周りの観光客があの声を発したとも思えない。
「おい、どうかしたか?」
「いえ、何でも・・・」
「お、石を積んだな。何の願いかけたんだ?」
「・・・・美樹とあの子のことです・・・・」
「そうか・・・」
そして、福岡に帰る車中。
結香は疲れて眠っていた。
佐藤が裕樹に話しかける。
「なぁ、もういい加減、美樹ちゃんとあの子のことは忘れて、新しい人と新しい幸せを掴んだらどうだ?」
「はい、俺もそれをいつも考えているんですが、動けないんです。美樹はお腹の子と俺のことを恨みながら死んだんだって思うと・・・」
「美樹ちゃんの親御さんにも、あれから一度も会ってないんだろ?葬式も追い返されて・・・」
「はい・・・」
裕樹が社会人生活一年目のことだった。
生涯で一度だけ、ムラムラした気分を抑えられずマンションに入っていたデリバリーヘルスのチラシを見て、風俗店に電話をかけた。
20分後、来たヘルス嬢は裕樹が今まで見て来た中で一番可愛い女の子だったが、左手首にリストカットをした痕跡がいくつかあった。
背中にはタトゥーがあり、服の上からでは分からないところに痣もいくつかあった。
シャワーを浴び、事を済ませた後サービス終了まで時間が残っていたので、その「さくら」というヘルス嬢と話をした。
「さくら」は源氏名で本名は「美樹」といった。
美樹は高校でいじめを受け、不登校となり自殺未遂を数回繰り返したが、親の説得でフリーターとなって17歳からコンビニや事務のバイトをやっていた。
だが当時通っていたホストクラブのホストと付き合い、借金を背負わされた。
ホストとはもう別れたが、その後も借金だけが残っており、
その借金返済のために風俗で働くようになった。
親には、仕事に就いたと嘘をついていた。
美樹は時折、気まぐれで客と身体をあわせることがあったが、特に深い関係になることは無かった。
裕樹は話を聞くうちに悲しくなった。
そして、裕樹は美樹と連絡先を交換し、何かと相談に乗ってやって、借金を一部肩代わりして美樹の借金を完済させ、デリバリーヘルスを辞めさせた。
その後、特に会うこともなかったが、二ヶ月後に自宅のマンション近くのコンビニでレジ係をやっていた美樹と再会し、そこから交際するようになった。
交際から三ヶ月後、美樹と裕樹はそれぞれの親には内緒で同棲を始めた。
同棲中はささいなことで良く喧嘩をした。
裕樹の嫌いなにんじんがカレーに入っていたことで口論、美樹のアイスを裕樹が買ってに食べたことで口論など、きりがない。
同じマンションの住民も
「なんでそーなるのよ!?」
「論理的に考えて、それはねーよ!何度も言わせるな!」
「超うざい!」
などの大喧嘩の声を良く耳にしており、管理人を通じて何回か注意も受けることがあった。
だが大喧嘩の翌日には裕樹から頭を下げ、仲直りしていた。
裕樹と美樹はそんな日々にも幸せを感じていた。
そして元々子供のできにくい身体だと言われていた美樹に、裕樹との子供ができた。
だが、5年前、美樹が妊娠5ヶ月の時にあの事件が起こった。
このとき、裕樹は美樹と結婚を真剣に考え、それぞれの親に二人で挨拶をして
結婚の許可をもらいにいく話を進めていた時期だった。
妊娠5ヶ月の美樹よりも「二人の将来のため」として仕事を優先する裕樹に対し
美樹が嫌味を言ったことで激しい口論となり、美樹が家を出て行った。
その後珍しく美樹から折れて、裕樹に電話をかけて謝ろうとしたが、裕樹が聞く耳を持たなかった。
「ねぇ、悪かったって。私も外で頭冷やしたから。今日裕樹の好きなカレーだよ。にんじん抜きの。」
「あぁ、わかったわかった。」
「ちょっと買い物の荷物多くてさ。駅まで迎えに来てくれない?」
「ごめん、今仕事中だし、タクシーでも使って帰ってくれよ。忙しいから、また後でな。じゃあ、切るぞ。」
「あ、ちょっと!」
その電話があった後だった。
駅にいた美樹に、美樹がデリバリーヘルス嬢をやっていたときの常連客であった、谷川という男が声をかけ、自分と一緒になるよう迫ったのだ。
そして谷川は嫌がる美樹を無理やりナイフで脅して車に押し込み、山中の自動車道へ。
車が止まった隙に美樹が車を降りて逃げようとしたが、谷川と揉みあいとなり、
谷川が持っていたナイフが美樹のわき腹を深くえぐった。
谷川は怖くなり、美樹を置いて車で逃げ出した。
美樹がうずくまっていたところを、通りかかったドライバーが発見し、美樹はすぐに救急車で病院に搬送された。
家に帰らない美樹を心配していた裕樹が美樹の携帯電話に何度目かの着信をしたところ、
市内の病院の看護婦が出た。
事情を知らされた裕樹が病院を訪れたとき、既に美樹は死亡しており、
美樹の家族が病院に来ていたが、美樹の父親からは「貴様ッ!二度と俺たちの前に顔を見せるな!」と追い返されたのだった。
弔問に並ぶことも許されなかった。
裕樹は美樹とお腹の子を失ったショックで体重が20kg落ち、仕事も手につかなかったが、
会社の上司であった佐藤や家族の支えで、美樹のことをひきずりながら
少しずつ何かに吹っ切れるように今まで以上に仕事に対して打ち込むようになったのだった。
だが未だに美樹の墓を訪れてはいない。
・・・
パワースポット帰りの車の中、佐藤が裕樹に言った。
「辛すぎると思うが、お前にしか解決できない問題だからな。俺は手助けしかできない。」
「ここまで立ち直れたことに感謝してます。もう、そろそろ美樹のことに整理をつける時期なんだと思います。」
「そうか・・・」
そして、裕樹はマンション前で降ろしてもらい、マンションの自室に戻ろうとした時のことだった。
マンションの入り口付近に何やら黒いもやのようなものが、ゆれていた。
マンションのエレベーターにもそのもやが着いてきて同乗する。
もやは、自室の中にまで着いてきた。
(疲れてるのか?)
そう思いながらカップラーメンの準備をしていたときのこと。
窓を開けていないマンション自室。
急に風邪も吹いてないのに、カップラーメンが倒れた。
その日はそれ以上何もなかった。
翌日、その黒いもやは見えなくなったが、裕樹がベランダに洗濯物を干そうとしていたときのこと。
ふと向かいのマンションのベランダが見えた。
そのとき、背筋が凍りついた。
向かいのマンションの7階のベランダあたりから、全裸の人のようなものが
落下していったのだ。
気になってすぐさまそのマンションの一階あたりを見に行ったが、特におかしな様子も無かった。
そういった痕跡が何も見当たらないのだ。
マンション管理人がちらかったごみをほうきで集めていただけだった。
それから1週間経っても、ニュースで投身自殺の件など見たこともないし、
向かいのマンションに警察が出入りしていた様子もない。
気になった裕樹は、家族から有名な霊媒師の人に会わせてもらい、話を聞いた。
パワースポットに行くことでまれにそういう怪異や死者の霊が見えるような力を
授けられる人がいるということ。
その力を受け入れ、死者たちの声を聞いて望みを叶えてあげていけば、
きっとあなたの人生が良くなっていくとのことだった。
あの神社のあの場所は強力なパワースポットとして有名だった。
数日後、裕樹が人気の無い道を歩いていたときのこと。
大荷物を背負った老婆が、前から歩いて来て声をかけた。
「あの~、すいませんが、田中家はこのへんにありませんかねぇ。今日お葬式だと聞いたんですが。」
老婆の姿を見たとき、何かしらこの世のものではない感じを受けたが、
霊媒師の言葉を思い出し、裕樹は老婆と一緒に田中家を探して歩いた。
程なくして、田中家の葬式場を発見し、老婆を導くと
老婆は礼を言って、葬式場の入り口でふっと消えた。
上司の佐藤にこのことを相談しようと思ったが、自分の頭がおかしくなったといわれてはいけないと思い、黙っておくことにした。
そして6月下旬、仕事で遅くなり裕樹が深夜にコンビニに入ろうとしたときのことだった。
コンビニ前にたむろしていた若者たちがおかしなことを口走っていた。
「この前、俺と拓也が午前2時ごろ○○山の車道を走ってたらよぅ、男の子と女の子のアレを見ちまったんだよ。」
「え、なんすか?」
「幽霊に決まってるだろ!「ママ、どこ~!」って声が聞こえてよぅ。危うく事故りかけたぜ。外にいたはずなのに、いきなり後部座席に出たからな。」
「パイセン、冗談きついっすよ。」
「マジだよ、バカ野郎」
裕樹は次の日、会社の休憩時間中にスマートフォンで○○山の幽霊のことを調べた。
○○山で交通事故が起き、母子家庭の家族を乗せた車がスピードを出して追い抜こうとした車と衝突。
そのままガードレールに衝突した。
母親は事故で生き残ったが、シートベルトをしていなかったその息子と娘が帰らぬ人となったとのことだった。
そこで先日会った霊媒師に話をきいたところ、その男の子と女の子が生前大切にしていた
母親との思い出の品を渡してやれば、成仏するだろうとの話だった。
7月に入り、第一土曜日になった。
奇しくも、美樹の命日だ。
マンション自室で手を合わせた。
その日は○○山の子供たちの件で、その子供たちの墓を調べて朝から奔走した。
子供たちの霊のことを知ってからずっとネットの情報を調べ、何とか母親の住んでいる市を特定したが
住所を見つけて会いに行き、うかつに子供たちのことを話してもストーカーと間違われかねない。
一つ一つ、墓地を探してまわり墓石の名前を確認しては、墓地の管理者に連絡を入れた。
そして、裕樹がある脇道を歩いていたときのこと。
先日出くわした老婆が、道の途中に立っていたのだ。
老婆が話しかける。
「おや、これはこれは。先日はよう助かりました。主人とも再会できましたし。生者とわたしたちは見える景色が違いますので。」
「あ、すいません。俺、急いでまして。」
「お探しものでしょう?」
「あ、はい。ある家族の墓を探してまして。」
「あのときのお礼をさせていただきます。その家族のお墓でしたら、この先の××町の二丁目の墓地ですよ。」
「何で知ってるんですか?」
「それは説明するのが難しいんですが、私も主人からお礼に探し物を手伝うよう言われた身ですから。」
「そうでしたか。とにかく、ありがとうございます。」
「いいえ~」
裕樹が脇道を進み、途中で振り返ると老婆の姿は消えていた。
裕樹が××町の二丁目の墓地でその家族の墓を見つけた。
そして墓には、母が子供たちに買い与えたであろう、傷が入りところどころ変形した車のおもちゃと、すりきれたりほころびのある熊のぬいぐるみがあった。
よほど大事にしていたのだろう。
裕樹は墓に手を合わせ、車のおもちゃと熊のぬいぐるみを拝借した。
(すいません、でも必ず子供たちに届けますから・・・)
そして、車のおもちゃと熊のぬいぐるみを愛車の軽自動車の後部座席に置いた。
その時、裕樹のスマートフォンに意外な人物から電話がかかってきた。
「三田村 裕樹さんですか?」
「はい、どなたですか?」
「美樹の母親です。あのときは娘が色々とお世話になっていたのに、失礼なことをしてすいませんでした。」
「あ、いえ・・」
「主人と私も、美樹の遺品を整理できずに5年経ってしまいましたが、今日は美樹の命日ですし、もう美樹のことを整理して前に進まなければいけないと、遺品を整理することにしました。それとお話したいこともありますので、今日私たちの家へいらっしゃることはできませんか?」
「美樹さんの件は本当に申し訳ありませんでした。僕も美樹のことに整理をつけて進まなければいけないと考えていたところです。是非お伺いいたします。」
「でしたら、住所はご存知かしら?」
「美樹から一度聞いてメモしてましたので、マンションにメモがあります。大丈夫です、一旦マンションに戻ってからすぐ伺います。」
土曜日の午後5時、裕樹は美樹の実家である「渡辺家」を訪れた。
そして渡辺家の仏壇の前で線香を上げ、手を合わせた。
入れてもらったお茶をすすり、美樹が昔使っていた部屋に通された。
美樹の中学生時代のアルバムを美樹の母親が見せる。
「あの子は、中学まで手のかからない優等生だったんですよ。でも高校に入ってから、まわりからいじめを受けて成績も落ちて、引きこもりになっちゃいましてね。自殺未遂までしだして。」
「・・・・」
「説得してあの娘がフリーターになった後、会社に就職したって聞いたんですよ。あの子が言うことですから。主人も私も嘘だって気づいてましたけど。そしてしばらく連絡が無かったんですけど、急に電話がかかってきて「すごくいい人に出会えた、今度紹介するね」って。それが裕樹さんのことだったんですね。あの子の携帯電話にはあなたとのメールが何通も残されていましたもの。ちゃんと消されないようにされて。」
「はい・・・・」
「あんなことが起きて、主人も気が動転していたんです。だからあの時も私と口論になって・・・」
中学時代の美樹は、化粧っ気のない地味な感じだったがあの時の面影があった。
生徒たちの一言が載ったページから、美樹の一言を見る。
『将来は素敵な人と出会って結婚したい。子供は娘一人がいいな。』
(美樹らしいや・・・・)
裕樹は微笑んだ。
そのとき、渡辺家のチャイムが鳴った。
そして子供の声がした。
「おばーちゃーん。まいこだよーーー。」
「あら、まいこちゃんだわ。ちょっと待っててくださいね。」
美樹の母親は玄関に駆けて行った。
玄関から声がする。
「繁と洋子さんもいらっしゃい。まいこちゃん、おばあちゃんよ。」
「あー久しぶりの我が家だよ。」
「お養母さま、お久しぶりですー」
裕樹は美樹には繁という弟がいることは聞いていた。
繁に洋子という彼女がいることも。
まいこという少女は、二人の子供のようだ。
そして美樹の母親が、まいこという少女を連れて部屋に戻ってきた。
「まいこちゃん、ちょっとこのお部屋で遊んでてね。裕樹さん、すいません。今日は遺品の整理以外にお話したいことがあって。ちょっとこの子と遊んでやっててください。主人ももうすぐ帰ってくると思いますから。そしたらお話します。」
「わかりました。」
「ねーねー、おじさん、まいこと何してあそぶー?」
「まいこちゃんは何が好きなの?」
「お絵かきーーー。まいこねぇ、幼稚園で一番お上手って先生からほめられたんだよぉ。」
「へぇー、すごいね。じゃあ、お絵かきにしよう。画用紙とくれよんをもらってくるから、ちょっとまっててね。」
「はーい。」
・・・
そして、土曜日の午前2時、裕樹は愛車で○○山の車道を走っていた。
すると、カーブのところで、男の子と女の子の姿が見え、
次の瞬間、レンタカーの後部座席に急に姿を現した。
男の子が車のおもちゃを手に取り、女の子はくまのぬいぐるみを手に取った。
「ママのにおいだ・・・」「ママ・・・・」
男の子の姿と女の子の姿が車のおもちゃとぬいぐるみを抱えたままゆっくりと透明になって消えていった。
裕樹は、そのまま○○山の車道を走り続ける。
「この近くだったな。美樹が救急車に運び込まれたのは・・」
しばらく自動車道を走っていたときのことだった。
カーラジオから女のすすり泣く声が聞こえてきた。
「裕樹・・・ 裕樹・・・ ひっく・・ぐすっ・・ ひっく・・」
「美樹!?」
その直後、後部座席に青白い顔をした美樹が現れた。
「会いたいよ、裕樹。私もお腹の子供もあなたに会いたがってるわ。」
美樹が鬼気迫る表情で裕樹をじっと見つめる。
刹那、裕樹の運転していた車が突如暴走し、高速でガードレールに激突した。
エアバッグが作動し、裕樹が顔を押し付けられた後すぐにエアバッグが収束する。
「ハァ、ハァ・・・美樹、止めろ!」
「あのとき、あなたが私を迎えにきてくれていたら、こんなことにはならなかったのに・・・。私もお腹の子供も幸せになれたのに・・・。こっちへ来て・・・三人で一緒に暮らしましょう。」
再度暴走した車はガードレールに車体左後部が激突、ガードレールをガリガリと削りながら走行する。
反動で車体が右側のガードレールへ。
「ガチャン」という大きな音がして、ガードレールに衝突し、車体が変形してフロントガラスにひびがはいり、砕け散った。
衝突で裕樹は指を骨折した。顔面をハンドルに打ちつけ、額から出血する。
サイドブレーキを力いっぱい引き上げるが、それでもゆっくりと車体が谷底へ向かい出した。
「美樹!!もうやめるんだ!!」
車のギアをバックに入れて、アクセルを力任せに踏みつけているのに、
美樹が車体前方に移動し、とてつもない力で車体を前方からひっぱり続け、ガードレールと車体をひしゃげさせていく。
数cmずつガードレールを突き抜けて、車体が谷底へ進み続ける。
裕樹がアクセルから足を離し、すぐにブレーキペダルを目一杯踏む。
(まだこんな所で死ぬわけには行かないッ!)
裕樹は、車のブレーキペダルを力いっぱい踏み続けながら、ジャケットの右ポケットから、
箱を取り出した。
車は直も谷底へ向かって進み、ガードレールを押し続けている!
「あのときお前に渡すはずだった指輪だ。受け取れ!」
そういって、箱から取り出した指輪を無くなったフロントガラスのところから車体フロント部分へ放り投げた。
美樹が指輪をキャッチする。
美樹が指輪の内側を覗き込んだ。
指輪には「I wish you both happiness forever. 」というメッセージと二人のイニシャルが刻印されていた。
美樹の脳裏に、二人の思い出が蘇る。
初めてデートしたときのこと
二人で同棲を始めた日のこと
妊娠検査薬が陽性を示し、産婦人科で子供を身ごもったことが分かったときのこと。
妊娠を知っても、三人で幸せに生きていくことを誓ってくれた愛する裕樹のこと。
美樹の目から涙がこぼれる。
その直後、車は暴走を止めて、すんでのところで谷底への落下を免れた。
エンジンが煙を吐き、焦げ臭い臭いが裕樹の鼻についた。
裕樹がシャツの下からペンダントを取り出す。
ペンダントの先には同じメッセージとイニシャルが刻印された指輪があった。
額と口元の血を拭うことなく、優しく微笑みながら裕樹が語りかける。
「ごめんな、まだそっちにはいけない。
でも、いつかそっちにいくから。
待っていてくれ。今もずっとお前のこと愛してるよ。」
「裕樹・・・・・待ってるよ・・・」
美樹が悲しそうに笑った。
そして、美樹の姿がフッと消える。
「それと、勘違いしてるよ。
多分、お前が死んだ後にあの子が奇跡的に生まれたから、知らないんだろう。
俺も今日まで知らなかった。俺とお前の子供は、今も生きているんだ。」
渡辺家に顔を出し、まいこと話しているときにすぐにまいこが自分の子供だと分かった。
「ママのお腹の中にいた時に、いつもパパが「論理的に考えて、それはねーよ」って言ってたの。
ママ、いつもそれ聞いて「超うざい」って怒ってた。」
「お腹の中にいた時のこと覚えてるの?」
「うん。」
そういって、まいこは画用紙にクレヨンで母親と父親の絵を描きながら嬉しそうに笑っていた。
それを聞いたとき、裕樹はハッとした。
(お前がいつも俺のその口癖がうざいって毎日のように喧嘩してたからな。)
変形した車をつぶれたガードレールからゆっくりバックさせて車から這い出し、美樹の姿が消えた辺りを見上げた。
車道の端に力無く腰掛ける。
雲の隙間から月が自動車道を照らし、星々も顔を覗かせた。
裕樹の周囲から虫の鳴き声が聞こえてきた。
「今度の盆休みにまいこを連れて墓参りにいくよ・・・・」
それは、裕樹がまいこと一緒に遊んでいたときのこと。
まいこが父親と母親の喧嘩のことを嬉しそうに話したとき、背筋に電流が走った。
期待で一杯になった身体がぶるぶると震え始めた。
ちょうど帰ってきた美樹の父親と母親が、美樹の部屋で5年前の真実を語り始めたのだ。
あの事件の日、偶然通りかかったドライバーが救急車を呼び、美樹はすぐに病院に搬送されたが、
母体共に危険な状態であった。
母親はもう助かる見込みがなかったが、医師たちは子供だけでも助かるよう
家族の事後承諾として緊急帝王切開が行われた。
手術中に美樹は命を落としたが、奇跡的に子供は助かった。
病院で美樹の亡骸と対面した親は、裕樹のことを娘から聞いていた。
だが、裕樹はまだ若い。
美樹の父親と母親は口論になったが、裕樹が子供と一緒に生きていくのはまだ無理だと美樹の父親が母親を諭し、裕樹を追い返した後美樹の弟夫婦と養子縁組の話をつけた。
子供の名前は「まいこ」。
それは美樹が昔見ていた人気アニメのキャラ名で、自分の子供が娘だったときに「まいこ」と名づけたいと親に話していたからだった。
完