10.終わり良ければなんとやら。
蛍の光がスピーカーから流れてきている。
夕日の色に染まった天井が綺麗だ。
息を吸って、吐く。大丈夫だ、痛みはない。僕は死んでない。生きている。
体をゆっくりと起こすと、少し眩暈がしたものの、なんとか起き上がることができた。
ベッドや室内の様子を見るに、どうやら、ここは医務室らしい。倒れた後運び込まれたのか。
「気が付いたようだね。大丈夫だったかい?」
すぐそばで待機していたのか、ルテアさんが、どこか申し訳なさそうに様子を見に来てくれた。
「ああ、ここはもう521年だからね。君が寝ている間に運んでおいたんだ。」
それを聞いて、僕は心底ほっとした。リノリウム張りの床が、これほど安心感を与えてくれるとは。
僕は、戻ってきたんだ、と実感した。
「そういえば、これなんだけれど」
ルテアさんは小包を差し出す。それは、あの時、とっさに机の下に隠した、イリルから預かった小包だった。
「どうやら、これの中身、強力な魔力結晶だったみたいだねぇ。悪いけど、あっちで空間干渉に影響しそうだったから、改めさせてもらったよ? 結果的には使用済みで、問題なかったんだけど。事後承諾でごめんね。」
はっとした。これが、ここにあるということは…契約条件に、失敗したということだ。
帰ったら、イリルになんて言おうか。
呆然としていると、何かを喋っていたルテアさんが、さもありなんと頷いた。
「ああ、もう聞こえてないねほとんど。…とりあえず、明日は特例で、有給でお休みをあげるから。しっかり休んで。事故に巻き込まれてしまって残念だけれど、もしまだ仕事を続けてくれるのなら、いつもの時間にまた来てね。できれば来てくれると嬉しいな。気を付けて帰るんだよ。」
医務室を出てから、見えなくなるまで、ルテアさんは心配そうに見送ってくれた。
そして、僕は部屋に帰ってきた。
扉を開けると、ふわっと漂う肉じゃがの匂い。今朝の暴発で破壊された分はすべて綺麗に回復され、丁寧に掃除されていた。
家事ができる、ちゃんとやると言っていたのは本当だったのか。正直、意外にもほどがある。
「お、アクト君おかえり。もうちょっと待ってな。今できたとこだから。」
「…ただいま…。あの、」
僕は、倒れそうになりながらも、なんとか声を絞り出した。
「契約条件の、小包なんだけど…。」
「そっか、今日は忙しくて無理だったみたいだな。まあ小包は別に急がないから、今月中には投函しておいてくれよな。」
鍋をかき混ぜながら、軽い調子で続けられた内容に、僕は今日何度目だろうか。フリーズした。
…、…え? これ、過去の間に出さなきゃいけないモノなんじゃ…?
「そういえば、それ、中身見た? 別に見られても困るものじゃないけど。」
は?
「み、見てもいいの?」
「うん。契約事項の説明の際にも、俺様は中身見るなとは指定してないぜ? そうだろ?」
といっても、そこそこのサイズの魔力結晶が1個と、短い手紙が1枚入れてあるだけだがな。そう言って、イリルは苦笑した。
「その魔力結晶が今使用済になってて、俺様がこうやっているってことは、今日だったみたいだな。アクト君の事故日。うろ覚えで準備した割にはドンピシャだ、さすが俺様。」
歴史の修正力とやらが今日に変更したのかもしれんけど、と軽く言いながら、何やら仕上げだろうか、イリルは鍋にスパイスを振り入れている。
「で、思い出してくれた?」
キラキラした目で見てくるイリル。そうは言われても、僕には何を期待してるのか分からない。
首を傾げていると、イリルはまた苦笑した。
「黒いのに襲われただろ? あれ、俺様だから。ごめんなー、あの時、アクト君の魔力があんまりにも美味しそう、しか頭になくてさあ。そもそも生まれて三日目だったかな。それぐらいで、思考能力全然作れてなくてさあ。」
そういわれて、僕は頑張って思い出した。あの黒いブヨブヨ粘液が、…この、皿並べてるイケメン悪魔とイコールだと!?
姿違う以前の問題に、種族まで違ってないか? 二百年でどういう進化を遂げたんだよ!?
「お袋もひどいよな? そんな状態なのに、容赦なく次元の間に放り捨てるんだから。後で動機を聞いてみたら、面白そうだから、だけでさぁ。しかもあの後、俺様紆余曲折はあったものの、また魔界に戻されたんだけどさ、やっぱりお前の存在目障りだから過去改竄する、とか言い出すし。ふざけんじゃねぇってのー。せめて育児放棄で留めとけってんだ。もう絶縁する! って言ってんだから、別にどうなろうが、誰の使い魔になろうが、迷惑実際にかけてるわけないってのにな。これだから血筋に拘る自称魔王様(笑)は…。」
ぶつぶつと、愚痴を零しながらも、味見を済ませ、手際よく料理を食卓に並べていくイリル。あ、今日はポテトサラダもあるのかぁ。うわぁ、美味しそう…。
「でも、やっと終わりだ、そういうのは! お袋との賭けは俺様の勝ちだったし! これからは、俺様は自由なんだ。だから、」
最後に、イリルは綺麗に盛り付けた肉じゃがを差し出して、
「俺様は最初に会ったお前を探しに来たんだ。やっと見つけた、アクト君こそが、」
満面の笑みを浮かべたまま言い切った。
「俺様の、ご主人様だ!」
――――――はぁ。
どうしてだろう。重大な真実の告白シーンのはずなのに、肉じゃがと台詞の内容で一気に残念な空気になった気がする。
僕はじとっとした目でイリルを睨みつけてやった。
なんだよ、ご主人様って。SMか。
すると、あろうことか、その視線を受けて、心底嬉しそうに身を捩らせながら、イリルは暴露した。
「それそれ! その視線もイイよな! そうなんだよ! 最初っから、体内にいきなり爆発魔法とか、刺激的すぎて忘れられなかったんだよ! 縛った後も見てるだけなんて! あれが放置プレイとか焦らしプレイってやつなんだろ、そうだろ? あとあと、震えながら魔力投げつけてくれるあの姿も、あ、やば、こう、ぐっと…クるものが…ぁぅっ」
ぷるぷる悶えながら次々と捲し立ててくるイリル。
僕は、言葉にできない脱力感と戦っていた。
あ、ああああ。ああああああ。
もしかして、それは、あれとか、あれとか、あれのことかああああ。
なんてことだ! この変態の性癖が、まさか、大体僕のせいだったなんて。
いや、きっと違う。やるのが誰でも、こいつの素質がそういうものだったんだ、きっと。
そうだよ、むしろ被害者は僕の方! 僕悪くない! これそうだろ? そうだろ!?
おい、なんだその顔は。頬染めるなハァハァするな内股になるなっ。身の危険しか感じないよ! 怖い! ほんと怖いよ!
ざあっと鳥肌が全身を覆う。僕は反射で攻撃するべく魔力を練り上げて、判断に失敗した事を悟った。
「ごめ、アクト君の魔力見てるともう、マジ無理…。我慢できない…。今週の魔力、事前徴収してもいいいよな…?」
『吹き飛べえぇぇえ!』
ごちそうさまでしたぁぁ、と叫びながら、イリルは遠くの空に吹き飛ばされていった。
本当に、心底嬉しそうに。意味がわからん。
その日、僕に使い魔ができた。
イリルという悪魔なんだが、どうしようもない変態だった。
なし崩しで逃げ道ほぼ全て塞がれてた結果とはいえ、契約を蹴るのは、…できそうにない。なにこの肉じゃが、どうやったらこんな味になるの?
どうして、こうなったんだ。




