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第九十二話 決意と決心(1)

(びっくりした)


 あおいは走りながら、先ほどのことを思い出す。

 

 先ほど――イチカの元へ駆け寄ったとき。その左手の指が切断されたことを知るや、涙が溢れ出た。その凄惨な光景もだが、イチカが怪我をしてしまったこと、それを防げなかった後悔に起因する涙だった。

 

 問題はその後だ。泣き崩れる碧に、イチカが「ありがとう」と言ったのだ。そこに至るまでも慰めの言葉をかけてくれていて、それはそれで新鮮だったのだが、感謝の言葉はインパクトが強すぎた。思わず涙が引っ込むほどに。

 

 これまで彼から向けられた言葉は、ほとんどが皮肉や非難だった。最近はその頻度が減ったとはいえ、良い印象の言葉をかけられたことはなかったように思う。

 

 だからこそ、嬉しかった。

 反応を返す余裕もないほど、驚いてしまったけれど。

 

 思わず緩みそうになる頬を、すんでのところで引き締める。

 

 視線の先に、見慣れた白い獣人が立っていた。

 後ろ姿でも負傷しているのが分かる。それでもふらつくことなく立っていることに安堵を覚えた。


 きっと、他の二人も無事だ。

 根拠のない安心感が、碧の心に広がっていく。

 

 絶体絶命の状況下、ヤレンの姿を見た。けれどもその身はサイノアの魔法によって瞬く間に引き裂かれ、再び危機に陥っていたはずだった。

 

 それが、どういうわけか出現していた結界によって碧の身体は護られ、立ち上がれるまでに気力も体力も回復した。とはいえとても反撃をする余力はなく、駄目元で睨み付けてみたのだが――意外にも彼らはすんなりと退いていった。

 

 魔族の攻撃を防ぎ、癒しの力をも兼ね備えた結界である。間違いなく高位の神術しんじゅつだろう。それだけが理由ではないのかもしれないが、魔族を躊躇させる一端を担っていたのは確かだ。

 

 魔族が退いてから間もなく結界を通してイチカの所在を知り、一目散にイチカの元へと向かったため、仲間たちの状況は把握していなかった。


 兎にも角にも、怪我の程度を見なければならない。

 駆ける速度をさらに増して、仲間の元へ向かう。


白兎(ハクト)っ!!」

「あたいは大丈夫だ! それよりコイツらをッ!!」


 急くような口調に、これまで感じたことのない違和感を覚えた。


 誇り高き獣人・兎族(うぞく)の長である白兎。その彼女が、今まで一度たりとも見せたことのない切羽詰まった表情をしている。人を頼らない性分であるのに、嘆願するような眼差しを向けて。

 ただ事ではないと、視線を下げる。


 瞬間、息が詰まる思いがした。

 二人は確かにそこにいる。そこにいるが――


 模作された人形のようだった。考えるまでもなく見知った顔なのに、どちらもぴくりとも動かない。重く瞼を下ろして、樹に背を預けて眠っているようにも見えた。

 その方がどれだけ救われただろう。


「息してねェんだ、どっちも……」


 白兎が遠慮がちに発した言葉に、碧は今度こそ立ちすくんだ。

 膝が、唇が震えて、暫く声が出なかった。

 

(あたしが、みんなのこと置いてイチカのところに行ったから?)


「そ、んな。どうしよう、どうすればいいの……?!」


 このまま二人の死を見届けるのか。それだけは決して赦されることではないと分かっているのに、思考がまともに働かない。焦燥と自己嫌悪だけが脳内を占め、有効な対策は打ち出せそうになかった。


「決まってンだろ」


 混乱に陥っていた碧を掬い上げたのは、白兎の力強い言葉だった。

 真紅の瞳に壮大な決意を宿して、いっそ爽快なほどきっぱりと言い放つ。


「助けるンだよ。あたいらでナンとかするしかねェ!」


 ――そうだ。


 考えてみれば至極当たり前のことなのに、自分は何を悩んでいたのか。

 仲間である自分たちが何とかしないで誰がするのか。


 碧は目尻に浮かび始めていた涙を拭い去り、改めて二人の現状をしっかと認める。


 呼吸をしていない場合の対処法は、保健の授業で習うものだ。

 すなわち『人工呼吸』と『心肺蘇生』。


 生涯自分には縁のないことだと思っていたため、授業は真面目に聞いていなかった。代表者が模型相手に実践しているのを見て、友人と笑い合っていた程度だ。


 初めて過去の自分の行動を恨めしく思う。

 機会があったのもその一度だけ。勿論未経験だった。


(でも、やらないよりマシっ!)


 押忍、と小さく気合いを入れる。


 意外にもミリタムは白兎が担いでいったので、碧は思わずほっとした。仲間とはいえ、口付けとも取れる行為はそう易々とできるものではない。

 それは異性のみならず同性にも言えることだが、碧にとっては大した問題ではないようだ。


 おそるおそるラニアに近付こうとする碧の視界を、見慣れた銀髪の背中が颯爽と遮る。


「知識のない奴がしても意味がない」


 横たわるラニアの側に片膝を付くイチカ。


「おれがやる。お前は退がっていろ」


 あまりにも重大な宣言が彼の口から飛び出したが、すぐにはその言葉の意味を理解できなかった。


(え? 今、なんて……?)


 二人の姿が、教科書の図と重なる。


 気道を確保し、鼻を親指と人差し指でつまむ。

 救助者が大きく息を吸い込む。そのまま傷病者の唇へ――


「っ……!」


 止めに入らなかったのが幸いだった。

 その瞬間ばかりは、必要な処置であることも忘れて反射的に目を瞑り顔を逸らしていた。


 胸の内がもやもやする。奇妙な焦りが生まれて、心臓が早鐘を打っていた。顔が火照ったように熱い。何だろう、この気持ちは。

 何故だか意地でも彼らを見ていたくなくて、碧は視線を彷徨わせる。


 心肺蘇生に次いで、白兎も人工呼吸の最中だった。

 但し、イチカのように基本に忠実なものではない。ミリタムの頭を鷲掴みにし、自身は眉間に皺を寄せている。


 いかにも『仕方ない』感が滲み出ている応急処置だが、それでも二人は碧から見れば絵になっていた。酷く不器用ではあるが、彼らもお互いに絶対的な何かを持っている。

 そんな確信を抱きながら、碧はどこか空虚な思いで白兎らを見つめて――


 勢い良く顔を上げ、こちらを睨めつける白兎と目が合った。

 言葉は発していないのに、彼女の背後で燃え盛る黒いオーラは殺気にも似た刺々しさを持っている。

 怯んだ碧目がけてずんずん歩いていき、その不機嫌そうな顔を極限まで近付けて。


「人・命・救・助だ」

「なっななななんのコトっ?!」


 これはもう絶対に勘づいてる、と内心諦めていたが、それでも口先ではシラを切る碧。それを聞いて、白兎がさらに眉間の皺を深くする。


 今にも何かを言いそうで言わない、しかし間違いなく何か言いたそうな顔をすること数秒。


「いいか?! これはあくまでも『人命救助』だソレ以外の何でもねェ!! 分かったか勝手にヘンな解釈すンなよコルァブッ殺すぞァア?!!」


 早口で一気にまくし立て、びっと親指を地面に向ける。締めとばかりに再び睨みつけたあと、白兎はミリタムの元へ戻っていった。


 あまりの剣幕に涙目になっていた碧だったが、何かをぶつぶつ呟きながら歩く白兎の頬が、仄かに赤く染まっていることに気づく。


「ッたくあたいの手ェ煩わせやがって……いつまで寝てやがンだ起きやがれこのクソ魔法士ッ!」

「ぐぇッ!! っな、何。僕が何かしたの? なんか死にかけてたような気はするけど……」

「うるせェ! 四の五の言わず今死ね!!」


 怒鳴り散らしながら先ほどミリタムを(無理矢理)起こしたように、踏みつけようとする白兎。ミリタムは病み上がりの身体でなんとかそれを避ける。


 一見すればいつもの風景だが、今までの流れから見ると、単なる照れ隠しのように見えなくもない。


「顔真っ赤にしちゃって。説得力ないよ、白兎ってば」


 そんな碧の冷やかしの声も、今回ばかりは届いていないようだ。


(そっか。あたしたち、『仲間』だもんね)


 仲間だからこそ、身体を張って助けようとする。それが『大切な』仲間ならば尚更のこと。掛け替えのない誰かを失いたくないのはみんな同じなのだ。


 イチカもきっと、と視線を戻して、碧の胸はまた小さく痛んだ。


 ラニアの口元に耳を当て、呼吸が戻ったことを確認した彼の、その表情。

 自分はもちろん、カイズやジラーさえ見たことがないのではないかと思うくらい穏やかな顔。


 仲間とは、何なのだろうか。

 今し方答えを見つけたと思っていた。だがイチカの様子を見ている限り、答えはかけ離れてしまったような気もする。


 ただの『仲間』に、あれほど安心しきった表情を見せるだろうか。

 それとも彼は、ラニアのことが――


 葉と葉の触れ合う音がして、皆が一斉にそちらを見据える。


 中でもイチカの視線には、明確に殺気が伴っていた。

 いくら敵の目的がイチカと碧だけだとしても、侵略しに来ないという保障もない。あれ以外の魔族がいてもおかしくはないのだ。


「……!」

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