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第九十一話 戦の後(2)

「イチカっ!」


 歓喜を含んだ声が前方から響く。

 そちらを見遣ると、息を落ち着かせながら笑顔を浮かべる(あおい)がいた。

 

 イチカの脳裏を、ヤレンの言葉がよぎる。


『二人分の結界を張るのが精一杯だったんだ』


 一見無傷のように見えたが、目を凝らせば衣服の擦り切れや顔面擦過傷の痕が見受けられた。外見に変化がないと判断が難しいが、結界を張らなければならないほどには、あちらも危機的状況にあったのだろうことは分かる。迷いなく向かってくる少女を邪険にするような真似はしない。


 その碧が彼の異変に気づくのに時間は掛からなかった。

 笑顔が消え、深刻な表情に変わる。


「どうしたの、左手……?」

「魔族にやられた。かなりの強敵だったからな」

 

 呟くように告げ、その視線を碧に向けて――ギョッとする。


 彼女は不格好な左手を両手で持ったまま、大粒の涙を流していた。

 いつの間に左手を取られていたのか。否、それよりも何故泣いているのか。


「ごめん、っなさ……あたし、全然、護ってあげられなくて……なんにも、役に立てなくて……っ」


(何を言っている?)


 イチカは戸惑うほかなかった。

 役に立つか否かはともかく、本来ならばそれは自分の台詞のはずだ。いつかの白い少女は“護ってあげて”と言い、イチカはそれを承諾した。そこで発生した責任を果たせなかったのだから。


 それに、護ってもらうほど弱くはない。

 立場はまるで逆だというのに、何故“護れなかった”と悔やむのだろう。

 どうして、「ごめんなさい」などと謝るのだろう。


「謝るな。お前が悪いわけじゃない。おれが油断していただけだ。自業自得……」


 ふと、何故自分はこんなに「焦って」いるのだろうと彼は思う。


 これが最初ではない。昨日灰龍に狙われたときも、今朝苛立ちをぶつけたときも、彼女が怯えていたり泣きそうになっているのを見ると、心の内がざわついて、「必死に」なんとかしなければと思ってしまう。

 

 もちろんミリタムが熱射病で倒れたときも「必死で」やれることを探したが、それとは微妙に異なった感覚のように思える。今も、何とかしてその涙を止めなければならない気がして、思いつく限りの言葉を発していた。彼女が加わったばかりの頃ならそんなことさえ考えつかなかっただろう。面倒だとか、鬱陶しいとしか思わなかったはずだ。

 

 心が波立つような、奇妙な感覚の正体が分からず困惑するイチカをよそに、碧は懸命に首を振る。


「結界張っておけば良かった。怖いよ、こんなの……身体の一部が()くなっちゃうなんて、こんな……」

「ほんの一部分だ。おれはこれで良かったと思う」

「良くないよ!!」


 いつもはどちらかと言えば控えめな少女にやたらと反発され、イチカは内心驚きっぱなしであった。


 依然、彼女の瞳からは透明な雫がこぼれ落ちている。

 不定期に、それでも留まることを知らない涙。

 涙腺が脆いのか、それとも――優しいのか。


「……ありがとう」


 唇が自然と、その五文字を紡いでいた。

 その言葉を使ったのは二度目だが、やはり「響きがいいな」と感じた。


 沈黙が長く感じて碧を見ると、泣くのも忘れて目を丸くしている。弟分たちに告げた時も似たような顔をしていたことを思い出す。彼らにとって、自分が感謝を伝えるのは相当珍しいことらしい。本人も使った記憶がないのだから、彼らの反応は的確と言えるだろう。

 

 とりあえず泣き止んだのなら良しとしよう、と自らに言い聞かせていると、思い出したように碧が声を上げた。


「あ、そうだ、みんな大変なの! きっと大怪我してる! 早く行こう!」

「! ああ」





 白く、丸い天体が淡く顔を出し始める。


 大陸の遙か北方にぽつんと鎮座する、塔のような古びた城。その上方、正方形に切り抜かれた壁の縁に腰掛けながら、空を仰ぐ男がいた。


 容姿はどちらかといえば女の妖艶さがあるが、惜しげもなく晒された上半身は筋肉質な男らしさがある。

 長い薄黄色の髪は無造作に下ろされ、先ほどまで激戦の最中(さなか)にいたとは思えないほどのくつろぎようである。


「どうだった?」

「んーーー手応えバッチリ! ってとこね」


 突然の問いかけにも快活に答える。問いかけた方も別段驚いたような素振りは見せない。


「……だろうな。お前のその姿も久しい」


 否、男に声をかけた青年の表情には多少の戸惑いが滲んでいた。もっともそれは、常人にはそれと分からないほど小さな変化だ。彼は戦闘時以外はほとんど感情を表さない。故に、意表を突かれた時の反応はぎこちないことが多い。では何に対して意表を突かれたのかと言えば、男の見た目と口調の食い違いに対するものだろうか。


「久々にイイ気分だったわぁ~~。ソーちゃんも、でしょ?」


 男は探るような眼差しを青年に向ける。深い意味はなく単なる好奇心からのものだろう。

 青年は一瞬視線を落とす。


「まあな……だがまだまだだ。おれが求めた奴の強さ、あの程度ではないはず」

「あらあら。もう用済みなんじゃなかったのぉ? 大事な指を切り落としておいて」

「『結界女けっかいじょ』を護るという大義名分があるようだからな。あいつはまた再起してくるだろう。その時に進歩が見られなければ今度こそ殺すだけだ」

「ソーちゃんったらドSぅ」

「それに」

「“それに”?」

「……いや、大した意味はない」


 言葉を濁した青年に訝しげに眉をひそめた男だが、次には頭の後ろで手を組み背後の壁にもたれかかった。爬虫類を彷彿とさせる鋭くも蠱惑的な眼差しが、その真意を探ろうとするかのように青年を捉えている。


 おそらく、青年は彼の予想以上に良い戦いをしてきたのだろう。辛口ではあるが、その声には期待が込められていた。たとえ今は矮小な存在でも、自らの好敵手候補だという確信があるのだろう。


「あーあ、アタシもイチカと戦いたぁーい」


 男が鎌をかけるように口に出したその瞬間、室内の空気が急速に冷え込んだ。禍々しく冷徹な気は殺気にすら等しい。


「取り違うなよクラスタシア。お前の相手はあくまでも魔法士だ」

「んもう、ジョーダンよ、ジョーダン! まぁあの子もまだまだお子ちゃまな分コントロールが甘いけど、将来が楽しみではあるわね~」


 突き刺すような気を浴びて尚、男は飄々としている。その発言を受けて、青年の拍子抜けした心情を表すように収縮していく冷気。


「その将来は我々が頂くのに?」

「それはそれ、これはこれ」





 自分の聖域は、やはり安心する。

 これも巫女の(さが)だろうか、とヤレンは小さく苦笑する。


 意識と言えども彼女の仮初めの身体は『体力』を消耗する。特に意識を遠くに飛ばしたときなどは、何十時間か眠らなければろくに動けそうもない。


 溜まった疲れを癒そうと大樹に身を寄せた矢先、軽い足音が聞こえてきて『安眠』は妨げられる。


「ヤレン様! 何故あの者を王都へ向かわせたのですか!」

「なんだ藪から棒に。お前も黙認していただろう?」


 瞼を閉じていても誰だか分かる、正義に人一倍敏感な少女の声。

 珍しく張り上げた声は、しかしヤレンの指摘で急激に勢いを失う。


「それはっ……(わたくし)にとっては不測の事態で、思考がついていかなくて……! いくら身寄りがないとは言え、悪事を働かないという保証はありません!」

「いや、大丈夫さ。あれは本当に切羽詰まった眼をしていた」

「ですが――」


 なおも言い淀むサトナ。

 これはもうしばらく休めそうにないな――そう考え、ヤレンは双眸を開いた。


 サトナとて、今は最もヤレンと近しい存在だ。だからヤレンにも『疲れ』があることは承知している。普段は気を利かせるのだが、正義に反し、納得できない出来事があった場合には話は別だ。納得いくまで説明を求めるのだ。

 

 それに、意識であるその身を遠方に飛ばしたり分身させることができたのは、ひとえにサトナの協力があってこそ。今後も助力を得るために、たとえ些細な疑念であっても解消する努力を惜しむわけにはいかないのだ。


「信じられないのも無理はないか。だが、王都へ向かわせたのには合理的な理由がある」

「合理的な理由、ですか?」


 眼を(しばたた)かせるサトナ。ヤレンは小さくああ、と頷く。


「数十日ののち、王都が動乱に巻き込まれるのが視えた」

「それは……まさか魔族の……」

「そうだ。【ツイ】で分かっていただろう?」

「……はい。ですが、よりにもよって王都だなんて」


 サトナの顔色が見る見る変わってゆく。


 超高等結界【ツイ】。神力しんりょくを両手に集中させあらゆる方角に意識を向けることにより、情報収集を可能とする神術しんじゅつである。

 

 そして、レクターン王国王都セレンティア。それがヤレンの示したウオルクの目的地であり、人口はアスラント一を誇る大都市である。

 最大の人口を抱えるセレンティアを侵略すれば、なるほど魔族側には有利になるだろう。


「だからこそ、あの男に道を与えた。王国にとってもむしろ利益になる」


 実を言えば、彼女にはもう一つ未来が見えていた。

 どちらかと言えば、そちらの方が深刻だったが――乗り越えねばならない。

 まだその未来が、最悪の結果と決まったわけではないのだから。

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