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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
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第八十六話 死闘の果て(2)

 先ほどよりも斬撃が重たく感じるのは、果たして錯覚なのだろうか。


 自身に問いかけてから、すぐに打ち消した。ソーディアスの動きに特段の変化はない。これまでどおり片方の剣が主で、気まぐれのようにもう片方を用いる。それほど威力を強めたわけでもなさそうだ。


 防戦の多かった先刻。それよりもさらに防戦一方の状態が続いている。何故かといえば、今この場に不要な『雑念』に囚われているからに他ならない。

 

 考え事にふける暇があるなら攻撃したいところだ。これは文字通りの死闘。余計な煩悶は自らの命を危険にさらすだけである。

 それでも戦いに集中できないのは、目の前の魔族の言葉のせいなのだろう。内心の困惑が、イチカの剣を鈍らせていた。


 どうして深慮する必要があろうか。敵の言うことなど信じなければいいではないか。


 言い聞かせても、まるで効力がない。

 心のどこかで、それを否定していない自分がいたからだ。


「どうした? 集中が途絶えているぞ」


 辛うじて、避けるのがやっとだった。イチカの体感では相手の剣速も今までと変わらないはずなのだが、動揺が大きすぎて思うように身体を動かせない。わざと避けさせているのかもしれない、と思ってしまうほどにはイチカの心は滅入っていた。


 わざと、というのはあながち間違いではないだろう。おそらくソーディアスは実力の二割も出していない。本気を出せば一瞬でイチカを殺せるだろうにそれをしないのは、ただ一つの可能性を見込んでのことか。


「それほどまでに信じられないか? 奴の生まれ変わりであることが……我らの仲間であったことが!」

「黙れ……!」

「確かにおれも俄には信じがたかった。その剣を見るまではな」


 勢いよく振り下ろされた橙の剣を、すんでの所で受け止める。


 二刀のうち一刀と、銀色の刃が交わり、双方とも完全に静止した。

 金属の磨り減る音が響く。


 ソーディアスは余裕の笑みを浮かべながら、イチカを――彼の剣を感慨深そうに眺めている。


紅水晶(べにすいしょう)か。間近で見るのは五百年ぶりだな」

「何が言いたい……!?」

「紛うかたなきセイウ・アランツの剣だ」


 息を呑むイチカ。

 ソーディアスはそんな彼と剣を交互に見遣り、淡々と語る。


「奴が死んだ後だ。サイノア嬢は灰龍の腑を調べたが、その剣だけは見つからなかったそうだ。自ら主の元へ向かったのだろう」

「ふざけたことを……!」

「……長く喋り過ぎたな」


 不意にソーディアスが剣を引いた。

 不審に思ったイチカだったが、漆黒の軌跡が目前に迫って、初めて危機に気づく。


 咄嗟に仰け反るように身を退くも、予想を超えた速度に圧が加わり、イチカの額が裂ける。

 どろりと流れ出す血に気を取られ、周囲への注意を怠る結果となった。


 一瞬にして、背後に殺気が迫った。

 気がつけば、首筋に冷たく鋭い何かが宛われていて。


「これまでか、セイウ・アランツ? 否、力を過信されるあまり、この世界へ召還された哀れな迷い人」


 絶望の淵に立たされながら、イチカは心の中で首を横に振る。


 力など、どうでも良かった。ただあの世界が、あの国が、あの人間たちが嫌いだったから、都合が良いと思っていた。


 そう思うこの心すらも、造られた感情なのか。

 こちらへ来るための台本に過ぎなかったのか。


 心に問い掛けたところで、答えが返ってくるはずもない。恐らくこの魔族に訊いても同じだろう。


 窮地に立たされたイチカを見て何を思ったか、最低限の殺気は保ちつつ、ソーディアスはおもむろに口を開いた。 


「冥土の土産に、他愛のない昔話でもしてやろう」





 ――あの頃はまだ、“憧れ”を抱いていた。


 魔星ませいに無数といる一流剣士。それに向かってひたすら剣を振るっていた。

 ただ漠然と、一つの目標に向かって努力し続ける日々。来る日も来る日も己の腕を磨き、鍛え、高めてきた。

 

 一流剣士のさらに上、『超一流』と呼ぶべき剣士に出会ったのはその頃だ。


 肩まで伸ばした銀髪に、無機質な銀色の双眸。

 人間はおろか、魔族ですら滅多に持ち合わせないような髪と瞳の色だった。


 特異な外見に釣り合うように、剣の腕も抜きん出て優れていた。

 今まで見てきたどの剣士よりも華麗で、隙のない太刀さばきであった。


 目標は自然と『超一流』の剣士へと変わっていった。

 以来、幾度となく修行を前提にした試合を申し込むが、その剣士は決して首を縦に振らなかった。


 代わりに返される答えは、いつも決まっていた。

 毎回、同じように繰り返される傲慢な口調。


「おれ様は完璧な相手じゃなきゃ戦わない」。


 ならばと、今度は完璧を目指した。

 剣士が魔王直属部隊に所属したと聞くや、次の目標は直属部隊に入ることに変わる。それが“完璧”だと信じて、幾つもの難関試験を突破した。知識や学力があれば、さらに箔がつくからだ。


 何年かかったのか分からないほど努力した。

 愚かなまでに、努力し続けた。


 自分でも気づかぬほど時間を費やし、世間の見る目が一転していたことに気づく。

 いつの間にか『一流剣士』の仲間入りを果たしていたのだ。


 だが、一流では意味がない。目指していたのは“超”一流だ。いずれか、あの剣士を超えるつもりでもいた。

 その為にはそれと対等の立場である魔王直属部隊に入隊する必要がある。剣術の修行を積み、学力を高めた。


 そうして剣士と出会った百二十年後、候補生ではあるが、ようやく直属部隊に名を連ねることができた。


 だが、その時にはもう何もかもが遅かった。


 人間界を支配するため、剣士は魔王軍としてアスラントへ降りたはずだった。

 ところが、あろうことか剣士は、魔星ませいを裏切って人間の女と駆け落ちしようとしていたというのだ。


 あまりにも理解しがたいことであった。

 何故、よりにもよって人間の女なのだ。“完璧”とは魔星に限ってのことではなかったのか。自分たちより遥かに劣る人間の、どこが“完璧”だというのか。


 今まで自分が見てきたもの、話してきたもの、信頼してきたもの、目標としてきたものは、一体何だったと言うのか!


 苦悶しながら答えに辿り着く前に、剣士は同胞の手によって殺された。

 剣士が愛した、人間の女と共に。

 

 それから間もなく「裏切り者」の烙印を押された剣士の、魔星の町中に貼られた傷だらけの顔写真を眺めながら、ふと気づく。

 

 結局自分は、何も考えていなかったのだ。剣士の言葉を鵜呑みにし、本質を見誤った努力を選択した代償がこれなのだ。剣士はそんな自分を見抜いていて、その気もないのに振り回し続けていたのだ、と。


 その答えに辿り着いたとき、酷くやるせない気分になった。

 同時に込み上げてきた感情は、剣士を知った当初のそれとは対極に位置するものであった。

 

 すなわち、憎悪、軽蔑、失望。

 

 しかし、それをぶつけられる相手はもういない。

 剣士の抜けた穴を埋めるための繰り上がり入隊だったが、そこからさらに鍛練を積んだ。実力でのし上がったのだと、あの剣士を超えた存在だと認められるために。




 

「奴の生まれ変わりが現れたと聞いたときはなんの冗談かと思ったが、お前には確かに面影がある。だがそれだけだ。『結界女けっかいじょ』が何を企んでいようが、“魂を持っている”だけで才も技術もないことは自明の理」


 イチカは黙っていた。

『昔話』を聞いている間に、持ち前の冷静さはほとんど取り戻せていた。


 早々(はやばや)と認めたわけではない。ただ、全て否定しているわけでもなかった。魔族の言う『結界女』、すなわちヤレンの口から聞くまでは、答えを急がないことに決めたのだ。

 それは同時にイチカの中で、「今死ぬわけにはいかない」という結論をも導いていた。


 静かに右腕の裾を振る。あまりにも自然で、誰の目で見ても深い意味のある動作には見えなかっただろう。それは背後の魔族も同様だ。


「それがどうした」

「何?」


 好ましくない反応だったのか、抑えられていた殺気が突如膨れ上がる。

 その間、僅かに生じた隙を狙い、イチカは肩当てに仕込んであった短剣を握り、振り向きざまに魔族の剣を弾いた。そして、勢いを殺すことなくその喉元を裂く。


 普通の人間ならば生死に関わる多量の出血と箇所だが、倒れるどころか落ち着いた動作で傷口に手を添え、じりと後退するソーディアス。


「暗剣か……ずる賢い男だ」


 首の傷を押さえながら、内心の感嘆を表すように唸る。

 

 そんなソーディアスを見据えるイチカの瞳に、絶望はもうなかった。あるのは敵に勝とうとする強い信念だけだ。


「くだらん作り話でおれを動揺させようとしたのかどうだか知らないが、無駄だ」


 “作り話”と一刀両断したイチカに対し、ソーディアスはふっと息を吐く。


信不(しんじず)か。そう思うならそれも良いだろう。いずれかその思い込みを、悔やむべき日が訪れる」

「戯れ言だな。悔やむのは貴様だ」


 迷いはない。恐れもない。

 イチカは自身の心の状態を確かめる。

 

 そうだ、最初から何も信じなければいいのだ。そうすれば、無駄に心を乱されることもない。これまでどおり、冷静に対応すれば勝てない相手ではない。暗剣が通用したのがその証拠だ。

 

 足下に落ちた剣を拾い、止めを刺せば良い。

 

 イチカはその時まで忘れていた。

 最初に現れた女の魔族も、巫女の森に現れた獣配士じゅうはいしも、人であれば間違いなく致命傷と言える傷を負ってもなお、それを感じさせない動きをしていたことを。


 だから彼は、次の瞬間起こったことを理解できなかった。


 ソーディアスの口元が歪んだと思いきや、その姿が揺らいだ。笑みの意味を測りかねたまま立ち尽くして、眼下に黒い影が現れるまでが、一瞬の出来事。


『黒い影』が高速移動したソーディアスだと気付いた頃には、軌跡が目前に迫っていた。

 

 橙か黒だったかは分からない。動きが早すぎて、目で追えなかったのだ。そんな状態で、未だ不意打ち用の短剣を持つばかりの腕が間に合うはずもない。


 ただ、「せめて防御しなければ」という危機感だけは働いて。

 咄嗟に上がったのは、左腕だった。

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