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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
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第八十三話 悪い冗談(1)

 木々が生い茂る聖域の中央部、一人の巫女の姿があった。


 鬱蒼とした森の中、申し訳程度の光が差し込む。

 それはそれで神秘的であるが、この空間は真逆だ。まるで明かりの灯った部屋にいるかのように、人が難なく日常生活を送れるだけの光量がある。


 それが聖域の力――すなわち、その聖域を治める巫女の『力』によるものだという一説もある。

 巫女が持つ『神力(しんりょく)』は、その言葉が指し示す通り神の力であり、周囲に光をもたらすのだという。


 アスラントに点在する聖域のうち、最も強い神力に覆われた『巫女の森』。

 かつて魔王軍を倒したと伝えられる、ヤレン・ドラスト・ライハントが治めた聖域である。


 その入り口には、生々しいまでの血色に染められた大鳥居がそびえ立っている。

 あまりにも鮮烈な色彩が長きにわたって維持されていることに注目が集まり、彼女が倒した魔王軍の血であるとか、ヤレンそのものの血であるなどといった憶測がまことしやかに語り継がれている。

 肝心の真相は依然として謎のままである。


 鳥居をくぐり、聖域に一歩足を踏み入れると、自然と姿勢を正したくなるような格式高い空気を感じ取ることができる。


 まさに慈愛に満ちた神の力、と言うべきか。普通の人間であれば、安らぎを覚えることも少なくはないそうだが――攻撃的であったり、やましい心を持つ者は、たちまち回れ右したくなるほどの居心地の悪さを感じるという。


 真に清い心を持った者のみが、聖域に受け入れられる。

 そのため、巫女見習いからは「巫女としての修行にふさわしい」として高く評価されている。


 そして、現在この森の守護者であるサトナは今、特殊な結界を作っていた。

 超高等結界【(ツイ)】である。


“超”と付くところから分かるように、高等結界の中でもさらに難易度の高い結界だ。

 自らの周囲に結界を張り、東西南北に手を伝って気を集中させる。これにより、現在その方角で何が起こっているか、何が原因かなどの情報を一手に集めることができるのだ。

千里眼せんりがん】のように実際の様子を見ることはできないが、木々や小動物が出す微弱な「声」が伝えてくれるという。

 なお、その「声」自体は【思考送信(テレパシー)】を使って捉えている。


 つまりサトナは、最低でも二つの『神術(しんじゅつ)』を同時に使っていることになる。

 これも膨大な神力と、修行により培った集中力及び精神力によるものだ。


 彼女は暫し両眼を閉じて情報収集に当たっていたが、不意に静かに双眸を開いた。

 胡桃(くるみ)色の瞳は、全て悟った上でいて重く受け止めるような、そんな何かを宿していた。


 サトナは再び瞳を閉じる。今度は悲しみに耐えるように。


「とうとう、来てしまったのですね……」


 穏やかな声でありながら、表情は固かった。一種の諦めにも似た表情である。


「誰がだ?」

「!」


 突如として割って入った声に一瞬身を強張らせたサトナだが、聞き覚えのある声だったためか幾分か緊張を解く。


 この緊張感のない声、この気配。

 記憶の糸を辿ったサトナの脳内で、瞬時に一人の人物が弾き出された。


 敵では、ない。

 しかし、巫女の立場として『善ある者』の立場として赦してはならない人物。


貴男(あなた)は以前の……よくもまあ、私の前に出てこられましたね?」

「なぁんだオレのコトじゃねぇのか~~。オレが来ること分かっててすげーなーサトナちゃんは、って思ったんだけど」


 サトナの非難など問題にもしていないような口調で、ウオルクは飄々と言ってのける。


 サトナからしてみれば、彼の登場はまったく予想外だった。

 ガイラオ騎士団という存在そのものを忘れていたわけではないが、近況が深刻だったこともあって、魔族以外の『悪』は見過ごしてしまっていたのだ。

 

(まだまだ未熟だわ)


 何にしても、この『悪ある者』を野放しにしてはおけない。

 サトナは密やかに溜息を吐いてから、きっと顔を上げる。


「貴男などに気を取られている余裕はありません。早々にお引き取りください。ここは貴男が来るような場所ではありません」


『悪』の前でも丁寧な口調は変わらない。注意するというよりは諭すような口調で、その代わり早口にぴしゃりと言い放つ。


「ひっでぇーなぁ……」


 効果は覿面(てきめん)のようで、ウオルクは少しショックを受けていた。


「愉快な痴話喧嘩だな」


 見計らったように響いた快活な笑い声と、からかいを含んだ言葉。


 気配なき第三者への警戒心からか。背中に携えた大剣の、柄を持つ手に力を込めるウオルク。しかし、サトナが呆けたように「あ」と発したのを聞いてその力は弱まった。それだけでなく完全に柄から手を離したのは、現れた姿を見て戦意を喪失してしまったからだろう。


「お前もそんな年頃か」


 身を包むえんじ色の着物。その肩に掛かった長い焦げ茶色の髪を手で払い、妖艶に微笑む女性。その元へ、サトナが小走りに駆け寄っていく。


「ヤレン様……!」

「“お出になって大丈夫なのですか”か? 心配ない。そろそろ本格的に動かねばならない時期だからな。それに」


 言葉を切り、意味深な視線をウオルクに送る。何かを探るような眼だ。


「見たところそこの男、イチカよりも腕の立つ『本物』だな。――名は?」

「……ウオルク・ハイバーン」

「ではウオルク。理由は訊かないが帰る場所がないのだろう? 私を手伝ってはみないか」

「ヤレン様?!」


 サトナが悲鳴のような声を上げた。考えるまでもなく非難を含んだ声だ。

 ああオレってホントに嫌われてんだなぁ、と言わんばかりにウオルクはしょんぼりとした顔になる。そんな彼を置き去りに、ヤレンは神妙な面持ちでサトナを説得にかかる。


「お前の言いたいことは分かる。だがやむを得ない。全ての魔族に対応するにはまだ人手が足りないんだ。この世界を護るためにも、どんな力であろうと使わない手はない」

「“魔族”? “世界を護る”? 何言ってんだあんたたち……?」

「魔族の存在はご存じでしょう?」


 疑問を投げかけたウオルクを、サトナがじと、と見つめる。知らないなど恥以外の何でもないと言外に込めているかのにように。


「さっぱりだ」


 しかし、暗殺以外の知識をほとんど持たないウオルクがサトナの期待に応えることは困難だった。





「魔族というのは、我々の住むこの世界の遙か上空に存在している人ならざるもののことで――」

「ぐぇっ」


 ヤレンの説明のさなか、奇声を上げて這いつくばるウオルク。サトナが結界の力を強めたのだ。据わった眼差しが反省を促していると悟るや、ウオルクは辛うじて動く右手を何度か地面に叩きつけて「降参」を示す。ヤレンが「もういい」とばかりに頷くと、サトナが渋々ながらも手のひらを組み合わせて結界を弱める。

 

 こんな流れが、この何十分の間に数え切れないほど発生している。

 それというのも、ウオルクがたびたび集中を切らしているからだ。それは一瞬と言っても差し支えないほどわずかな時間だったが、その原因は、彼らのすぐ側で動き回る白い姿にあった。


 ガイラオ騎士団はその『仕事』内容の性質上、記憶力が求められる。特に、暗殺対象の顔を覚えることは必須条件だ。暗がりでも誰かを判別できるよう、特訓を受けさせられることもある。


 つまりウオルクは、一瞬見ただけでも性別や顔、大体の年齢、服装くらいは分かってしまうのである。


 白くつばの広い帽子を目深に被っているため、最も重要な顔はうかがい知れないが――白いワンピースと靴を身につけた、四、五歳くらいの幼い少女。


 遊びたい盛りなのだろう。時折甲高い声が響く。

 

 全てが白で統一された少女。神聖な印象さえ抱かせる色なのに、この聖域にふさわしいはずの白は、何故か酷く浮いて見えた。


「分かったのか?」


 ヤレンの問いかけに、我に返るウオルク。サトナもジト目で見据えている。ここで否定しようものなら、また結界を強化されてしまうだろう。


「え~~……。要約すると、あんたは『救いの巫女』っつーとにかくすげぇ巫女で、人間っぽいけど人間じゃない魔法を使える魔族っつー連中と大昔戦った、と。

 イチカと一緒にいたアオイっつー嬢ちゃんは、あんたの生まれ変わりだから、その魔族に狙われてる。で、そいつらから逃げてる途中に、カイズとジラーを追ってるオレと会った、ってワケだな?」


 確認を求めるようにヤレンとサトナの顔を交互に見る。静かに頷く二人。

 なるほどなるほど、と再度相槌を打つウオルク。

 色々と考えてはいたが、ちゃんと人の話も聞けるのだ。


 達成感から得意気な表情を浮かべている彼とは正反対に、巫女たちは疲れ切った表情をしている。


 それもそのはず、説明を始めて通算三十回目でやっと、ウオルクの理解が行き届いたのだ。いい加減喉もカラカラだろう。ヤレンはあくまでも『意識』だが、表情だけは少しやつれていた。


「理解したな……」

「ガイラオ騎士団では暗殺やそれに関わる情報のみを教え込まれるため、世間一般の知識に乏しいと聞いてはいましたが、ここまでとは……」


 たとえその姿を見たことがなくても、巫女と魔族が戦ったという『物語』は、教書、口伝などで誰もが知っている。学校という教育機関がないアスラントでは、そういった昔話から勉強まで家庭で教えるのが一般的だ。


 それがこれだけ時間がかかった。

 ただ忘れている、というのではなく、本当に「知らない」のだろう。


 それはつまり、教書を読み聞かされることなく、口伝されることもなく育ったということ。

 自ら望んで暗殺集団に入ったのではなく、親であり教師でもある存在に『捨てられた』ということ。


(私の読みは、正しかったようだな)


 ヤレンはウオルクがこの森に来ることは予知できても、彼の生い立ちまでは分からない。そのため、どのような人物かは予知で得た情報から推測し、実際に接してみて結論づけるのだ。


 彼女自身、今でこそ『世界を救った巫女』と謳われているが、元はただの人間である。物心ついたときには、父も母もいなかった。だからこそ、親のいない子の痛みはよく分かっているつもりだった。


 しかし、ウオルクにその『痛み』を抱えている様子はない。元々の性格もあるのだろうが、今まで育った環境が良かったのかもしれない。


 そんなことを言おうものなら、間違いなくサトナの抗議の言葉が返ってくるだろうが。

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