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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
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第八十一話 遙かなる戦い(1)

 どうか、どうか、翼をください。


 もがれてもふたたび飛び立てる翼を。いのちと共に朽ち果てることのない翼を。





 どこを見渡しても光のない場所で、少年は誰かを捜していた。

 道かどうかも分からないところを、それでも怖じることなく歩いていく。


 それは随分と無謀なことだった。

 光がなければ誰かを捜すにも見つけようがないのだから。


 それでも少年は引き返そうとはしなかった。ただ曲がることなくまっすぐ歩き続けた。

 今まで辿ってきた『道』にも、もちろん光は灯っていない。それならば引き返すだけ無駄だ、と考えたのだ。


 それからしばらく歩いて、少年はとうとう走り始めた。

 先の見えない闇に恐れをなしたのではない。

 捜していた人がこの先にいる。そんな直感からだった。


 不意に立ち止まる。

 ゆっくりと視線を上げて、その瞳が大きく見開かれた。


 視線の先には、光があった。そしてその光の中央に、遮るように黒い影が立っていた。

 背丈は少年と同じか、少し高い。


 少し走れば詰まるが、手を伸ばしても届かない距離。


 影は手をぴんと伸ばし、大きく振っている。あちらも少年を捜していたらしい。

 顔は見えないが、不思議と微笑んでいるように思える。少年も微笑み返そうとして――不意に瞑目した。


 微笑んでは、手を振ってはいけない。あの影は、もういないのだ。


 影は少年の心情の変化に気づいていないのか、ずっと手を振ったままだ。

 腕を左右に大きく振るだけの操り人形のようだった。気味が悪いほどに、手の高さも往復のタイミングも先ほどからずっと変わっていない。


 今まで何を期待していたのだろう。何を捜してここに来たのだろう。あの影は確かに捜していた人のものだけど、本当にその人ではない。その人を形作っている『影』に過ぎないのだ。


 あの影は、もういない。

 再度自分に言い聞かせて、少年は影に背を向けようとした。


「   」


 自分を呼ぶ声がした。

 懐かしい、あの時のままの声で。


 少年は恐れた。喜びよりも先に、恐怖が先立った。だって、あの声さえ本物に似せた作り物に過ぎないのだ。それを何よりも誰よりも、少年自身が分かっていた。

 

 ここで振り返ったらどうなるのか。もしかすればあの影はもう真後ろに立っていて、振り返った瞬間引きずり込もうとするのではないか。

 たとえばそう、この世ではない場所へ。


 気がつけば走り出していた。無我夢中で、必死になって、ありもしない出口を探していた。

 あれとは違う光が欲しい。あの光はいわば誘蛾灯。偽りのない、真実を照らす光が欲しい。


 影は追っては来なかった。

 少年を呼ぶ声だけが、いつまでも追いかけてきた。





 嫌な汗。乱れる呼吸。込み上げる吐き気。


 何度同じ苦しみを味わえばいいのだろう。何度同じ夢を見ればいいのだろう。

 あの世界から抜け出して、忘れようとした。それなのに、意識の奥底にある記憶は、そう簡単には消去できない。させてくれない。


 周りを見渡すと、皆が眠っていた。

 静かに寝息を立てている者ばかりだ。


 ふと、少し前に別れた弟分たちを思い出す。

 いびきこそ掻かなかったが寝言は酷かった。どんな悪夢を見ても、他愛のない寝言を喚き散らす彼らを見れば、高ぶる感情も多少は落ち着いたものだった。


 だが、今はいない。勾留中だ。どんな刑が下るか、見当も付かない。

 それでも、万が一にも死罪はないと確信しているのだが。


 絶対に取り返す。もう何も失いたくない。


 ベッドの脇に立て掛けてある剣を手に取り、仲間を起こさないよう、細心の注意を払って部屋を出た。

 皮肉なことだが、悪夢のせいで早起きが日課になってしまっているのだ。仲間たちが起きるには少し早い。


 普段よりも幾分か冷静さを欠いていたからか。

 ただ一人だけ、狸寝入りをしている者がいることにイチカは気づかなかった。





 そこで見た光景は凄まじいものだった。


 人が変わったように――何かが取り憑いたように、木を斬りつけ草を刈り地面をえぐり取る。見ようによっては八つ当たりのように見えなくもない。


 否、八つ当たりの方が可愛らしいだろう。狂ったように剣を振り回すイチカから感じ取れるのは、罪悪と後悔。


 何に対する『罪悪』と『後悔』なのかは分からなかったが、同時に深い悲しみも溢れ出していた。


(イチカ、苦しそう)


 その様子を木の陰から見つめていた(あおい)は、無意識に胸の前で手を組む。

 どんなに悲しい夢を見たのだろう。苦しくても辛くても、それを表現する方法を忘れてしまっているから、ただ剣を握って耐えることしかできないのかもしれない。


(ずっと、そうやって紛らわせていたんだね……)


 開きかけた唇を閉じて、何も見なかったことにして。

 イチカの邪魔にならないよう帰る。それが最善の方法だ。


「ハルカ……っ」


 ずべっ。


 思わぬ不意打ちを食らった碧は、驚きのあまり足下への注意が散漫になり石に()()()()()派手に転んでしまった。


 雨上がりの地面は特に湿っている。

 例によって宿で借りた、柔らかいベージュ色のネグリジェは、木の葉と泥と雨水とで悲惨な状態になっていた。


 しかし、寝間着ばかりに目を向けてはいられない。

 足音が聞こえた。

 慌てて死んだふりをするが、それが通用する相手ではなく。


 おそるおそる頭を動かすと、こちらを見下ろしてくるイチカ。

 碧はこれまで共に行動した経験から、イチカの乏しい表情の裏にある感情がほんの少しは分かるようになっていた。呆れたような視線を送ってくる時は、大抵何か説明を求めているのだ。


「あっ、あの……なんか外の空気吸いたいな~~なんて思って、ついでに散歩してたらぐーぜん、ここに辿り着いちゃったんだー……みたいな……」


 苦し紛れのウソだということは誰にでも分かっただろう。自分の感情を出さない分、特にイチカは分かっているはずだ。


 倒れ伏した状態で、首だけを上に向けたまま静止する。イチカもずっと碧を見下ろしたまま、動かない。


 不意にその表情が――銀色の瞳が悲しく揺らいだ。


 しかし、碧には確信が持てなかった。何しろ彼はポーカーフェイス。その表情から全てを読み取ることはよほどの超人でなければ無理であろう。


 ただ、絶対に違うとも思えなかった。

 だとしたら、何に対しての憂いだったのだろう。


 そう言えば、と思い当たる。

 彼は、誰かの名前を呼んでいなかったか。確か、『ハルカ』と。

 名前からして女性だろう。どういう間柄だったのだろう。姉か、妹か、まさか初恋の人か。


 碧の想像、否、妄想は果てしなく広がっていく。


 生き別れ、死に別れ、あるいは無理矢理引き離されたのだろうか。

 名前を呟いたということは、よほど大事な人だったに違いない。


 そこまで考えて、碧はさらなる自己嫌悪に陥った。


(あたしってば、なんて場面に出くわしちゃったんだろう。イチカは大好きだった人との思い出に浸っていたかもしれないのに、そんな大事なところを見てしまって。はっ、まさか……)


 だんだん本題から逸れていっていることにも気づかず、憶測の勢いは止まらない。


 無論、イチカがそれを放っておくわけがない。


「……おい」


 静かに、しかし強くその二文字を呟く。

 はっ、と妄想から覚めた碧は、イチカに焦点を合わせて。


「だ、大丈夫だよ! きっとそのコもイチカのこと好きだから! いいなあ美人でキレイなんだろうなぁ! どんな人かなぁ~~! ラニアみたいな人?」

「何を言っている。まさか『ハルカ』のことか」


 少し苛立ったような声に、碧はびくりと肩を震わせた。

 そして、すぐさま後悔の念にかられる。


 なんてことを言ってしまったんだろう。声を掛けられた途端、堰を切ったように考えていた言葉が口をついて出てしまった。

 なんて汚いのだろう。なんて醜いのだろう。何かどす黒い感情が、自分の心を支配し尽くしていったのを感じた。


 しかし、それを止められなかった。むしろ、どんどん喰らい尽くしてしまえとすら思っていた。今この時ほど、自分を嫌いになったことがあっただろうか。


 そろそろとイチカを見上げる。

 無理もないことだが、出会った当初の反応と比較するのが癖になっていた。

 

 あの頃ほど殺気立っていたり威圧感はない。むしろ、想像していたほど怒っていない。視線を逸らして何か考え込んでいるようだったが、ほどなくして小さく溜息を吐く。

 

「……話が見えないんだが。唯一言えるのは、あいつは女じゃない」


 碧の顔に、動揺が走った。

 これまでは突き放す言動ばかりだった彼から、僅かながらこちらに歩み寄るような姿勢が感じ取れた。それもあるが、碧の関心事はその後の言葉だ。


「女のコじゃ、ない?」

「ああ。正確には“女じゃなかった”か。『ハルカ』は、おれが七、いや八歳のときに死んだ――おれの兄だ」


 緊張感と怯えが引いていく。その代わり、次から次へと語られる衝撃的な事実に、碧は今度は驚きを隠せないでいた。


 しかし、そんな重大なことを語っているイチカ自身が、自嘲気味な口調であることに一番驚いていた。

 もはや自嘲は彼の表現手段になっているのではないか、とさえ思いながら、碧は悲しく聞いていた。


良香(はるか)は、おれと違って甘やかされて育った。それなのに虐待されるおれを庇ってくれた。……今思えばあいつの自己満足だったんだろうけどな。

 それでも、おれはあいつに救われていた。あいつがいなかったら、おれは今生きてはいないだろう。そう思えるほど、あいつは特別だったんだ」


 そこでイチカは一旦言葉を切る。


 今まで彼の口から語られた『向こうの世界』でのことは、全てが憎悪に満ちていた。思い出話と言うよりは、皮肉めいた話ばかりだった。


 それが今はどうだろう。恐らくたった一人の――唯一の理解者だったであろう兄のことに関しては、ことのほか懐かしげに語っている。それがあちらでの、ただ一つ許せる記憶であるかのようだった。


 ――それなのに、どうしてこうも自虐的なのだろうか?


 碧のその問いに答えるように、彼は今度はいつも通りの、静かな口調で言った。


「おれのせいで、良香は死んだ」

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