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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
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第七十八話 オカマと美少年(1)

 時は残酷なほど緩やかに流れていく。


 雨は容赦なく、人と人ならざる者を鞭のように叩きつけた。

 けれども痛みを、冷たさを感じているのはおそらく人だけであったろう。


 悠長に自己紹介をした魔族は、まるで謁見するような姿勢で少年を見上げている。

 滑稽(こっけい)なほど、律儀な姿だ。

 互いに敵同士であるはずなのに、たった今地位が生まれたような配置。


 少年を静かに捉える艶やかな眼差しには、何かしらの意思が感じられた。


 王と対面する時のような、畏敬のそれではない。

 下位の者を見下すような、侮蔑のそれでもない。


(闘いに誘っている)


 イチカは迷うことなく、その答えに行き着く。

『誘い』を断ろうという考えは浮かばなかった。というより、誘いに乗る以外の選択肢がない。


 なんらかの事情で少女の魔族を止めに来たらしいことを差し引いても、これまでの魔族とはどこか毛色が違うようだ。しかし、その割にはこうしてこの場に留まり、好戦的な一面を覗かせる。


 敵前逃亡を許す相手かどうかまでは読めない。かといって、勝算があるわけでもない。


 ただ、「今殺してもらっては困る」という言葉を信じるなら、魔族側は小競り合いぐらいの心持ちでいるのかもしれない。それさえも、その力を目の当たりにした人間側にしてみれば命取りになり得るが。


 視線は外さぬまま、銀色の柄に手を掛ける。


 額から滑り落ちた雫が目に入るが、瞬きなどできようはずもなかった。

 一瞬の隙が生死を分けると言っても過言ではないほど、張り詰める緊張感。


 いつもより重たく感じて、抜き放つタイミングが少し遅れた。

 柄を握る手が小刻みに震えだす。隠そうとしても、汗ばんだ手は今すぐにでも剣を取り落としそうだった。


 募った焦りが、反対の手を動かす。震えを抑えるように手を重ねる。


(おそ)れるな)


 イチカは自身に言い聞かせる。

 今までも闘ってきたではないか。魔族や、暗殺騎士。

 そう、時代を超えて人間たちを脅かし続けた存在にさえ勝ち抜いてきた。

 たとえ直接的には闘っていなくても、もしあの時自分が闘っていたなら勝てていたのだ。


 ――『今までの魔族とはレベルが違いすぎる』。


 また別の自分が、相反する叫びを上げる。


 確かにそれは彼自身、意識はしていないが心のどこかで考えていたことだ。

 今までの相手とは決定的な何かが違っていた。


 脳裏を()ぎったのは、ほんの少し前の光景。

 人工的に魔族が作って見せた、あの地割れだった。


 違うのは、力。半端ではない圧倒的な力が、それを誇示していた。

 そんな強大とも言える差を前にして、打ち勝つことなどできるのか――。


「イチカ……」


 背後から躊躇(ためら)いがちに声が掛かる。

 そこには彼の予想通り、懸念を抱いた(あおい)がいた。


「下がっていろ。あいつと闘いながらお前を守り抜ける自信はない」


 言葉も少なく、視線を魔族に戻す。


 碧の顔は驚きを表していた。ただし、それは「下がっていろ」などと言われたことに関してではなく、イチカの顔が冷や汗で濡れていたこと。そして第二に、「守り抜く」という言葉。


 初めて「仕方なく」ではなく「義務」としてその言葉を聞いたような気がしたのだろう。嬉しさで思わず緩む頬を軽く叩き、緊迫した現状へと無理矢理意識を引き戻す。


 イチカと、対峙する魔族。どちらも目立った動きを取らず、睨み合いが続いているのみだったが。


「ンフフ。腕が鳴るわぁ」


 妖しく微笑み、地面と接していた手のひらを僅かに離す魔族。

 ゆらりと、しかし不気味さを感じさせない足取りで立ち上がる。


 いつしか雨は止んでいた。

 一時前の降雨の激しさが嘘だったかのように、彼の身体に濡れた形跡はない。

 人ならざる者だからこそか、彼の特殊な力によるものなのか、人間たちには推し測ることも困難だった。


 ただ一つ、邪気とも鬼気とも言い難い、異質な空気だけが、徐々に周囲を塗りつぶしていく。 

 このままでは、いずれ空間ごと呑み込まれてしまう。

 そうなれば、人間に害を及ぼす瘴気しょうきから逃れる術はない。


 ここで自分が立ち向かわなければ誰が立ち向かうというのかと、イチカは自らを奮い立たせた。

 襲いかかる恐怖を紛らわす方法など、それくらいだったからだ。


 (はし)り出す魔族。

 迎え撃つように剣を振りかざすイチカ。

 距離が、詰まっていく。


 ごっ、と何かの当たる音がした。


 今の状況にはあまりにも不釣り合いな、あまりにも浮いたような音。


 今まさに、武力を衝突させようとした状態で止まっている両者。

 それ以外の動体はないはずだった。


 イチカや他の者は皆、ドレスの魔族の背後に目を奪われ、ドレスの魔族――クラスタシアは、まるで何かに怯えたように表情を強張らせて固まっている。

 (まが)うことなく、してはいけないことをしてしまった子供の図である。


 やや躊躇いがちに、ぎこちなく首を背後に回す『子供』。

 そこには怒りが頂点に達した『母』――ではなく、無表情の少女が右手を握り締めて佇んでいた。

 据わった眼差しは、容赦なくドレスの魔族に注がれている。


 何か言いたそうな表情にも見えるのは気のせいか。

 その答えはクラスタシアが持っているのだろう。


「……ノ、ノアちゃ」


「ぎゃふっ!」とクラスタシアが奇声を上げたのはその直後。少女が()()『お仕置き』を始めたのだ。


「ちょっ、落ち着いて話しあ、ぐぇっ! だからあの、これには事情、がへっ! そうよ、話せば分か……あギャーー!!」


 いつしか言い訳は掻き消え、一行の耳にはほとんど悲鳴しか聞こえてこなかった。

 少女も少女で「聞く耳持たぬ」と言わんばかりに殴り付け、あるいは蹴りつけ踏みにじる。ただし、どの動作の最中にも眉一つ動かさない。徹底して無表情であった。


 世界を一変させた、とてつもなく禍々しいクラスタシアの瘴気と妖しさは見る影もない。

 イチカたちは唖然として、ただただその光景を見守るしかなかった。


 やがて『お仕置き』の音が止み、差し障りのないよう密かに群れたのは噂好きの女性陣。


「あれだけやって、全然表情変わってないよ」

「そりゃそーよ、女の子の腹殴ったのよ? 責任は重大ね」

「さっきあのヘンな奴が非情だなんだって言ってたけど、あっちの方が非情だぜ……」

「……まだやり足りないらしいぞ」

「え゛っ?!」


 地獄耳らしいイチカの呟きに、慌てて振り向いたその先。


 まるで憎き者の姿を焼き付けておこうとせんばかりに、倒れたクラスタシアから寸分も目線を外さず、右手に魔力を収束し始める少女の姿。


 まさか殺してしまうのではないか、という一行の妙な不安も無理はない。

 そこに生まれ始めた瘴気はクラスタシアのものと同等か、あるいはそれ以上に強力だったのだ。


「【来たれ・焔王(えんおう)】」


 緋色の瞳が輝きを増す。

 ほどなくして目映い光が少女を包み込み、溢れ出るように熱気が充満する。


 拳を掲げて跳び上がる姿は、さながら『フェニックス』。

 繰り出された拳圧に炎が混じり、対象目がけて燃え広がる。


 碧はその熱波が届かぬよう、皆に瞬時に結界を張る。


 クラスタシアの姿は炎の壁に遮られ、様子を伺うことはできない。

 一行のほとんどがやられ放題の魔族に対して同情に近い感情を抱く中、イチカだけは瞬きもせず、熱と煙に包まれた中心地を見つめていた。

 その結末を探ろうとするかのように。

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