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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
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第七十七話 原始への変換者

 我らはそれを弄ぶ

 力という秤の上で 苦しみもがく魚のごとく


 我らとそれは相容れない

 儚きそれを愛で 寵しようとも

 我らのに遺るのは ただ

 刻みつけた己のみ




  

 時間が止まるとは、こういうことなのだろうか。


 塵と化していく灰龍の死骸。そこから未だに発せられる悪臭が鼻を突き、居心地の悪さだけはピカイチだ。

 それが、目の前の光景を――さらに増した瘴気(しょうき)を、僅かながら紛らわしているのかもしれない。

 

 取るに足らない相手、ではない。ただそこにいるだけでひりつくような存在感を放っている。それはすなわち、強敵の来襲を意味する。

 

 確かにそこにある事態は深刻なものだというのに、皆が呆然としているのは、その闖入ちんにゅう者の見た目のせいだろう。


(あの時の気配だ)


 音もなく、風も引き連れず現れたドレス姿の魔族を見据え、イチカは確信する。


 烏翼使(うよくし)忍者が襲撃してくる少し前のこと。宿に入る直前に、彼女のものと、もう一つ異なる気を感じ取っていた。


 獣配士(じゅうはいし)のものではない。烏翼使忍者のものでもない。しかし、間違いなく瘴気。

 その気配と、今現れた気配とが、彼の中で寸分の狂いなく一致した。


「クラスタシア」


 最初に現れた少女――おそらく、そう見えるだけであろう――の魔族は振り向き、静かにその名を呼んだ。


 呆れのような、咎めのような声に聞こえたのは、人間たちの気のせいではなさそうだ。緋色の瞳が非難するように眇められている。


「お久しぶりぃ~~ノアちゃん」


 他方、非難の矛先を向けられた方は、怖じ気もなく脳天気に言い放った。

 小首を傾げ、頬に片手を当ててウインクを返す姿は、典型的な「ぶりっ子」だ。イチカたち一行の脳裏にも、揃ってその言葉が浮かぶ。


 それでも誰一人として気分を害さなかったのは、彼が男だと知らないからか。

 否、仮にもし性別を知っていたとしても、葛藤なく受け入れられたかもしれない。裏を返せばそれだけ違和感がないのだ。


「ふざけていないでこの手を離しなさい。今がどんな状況か、分からないわけではないでしょう?」

「そーは言ってもねぇ。今殺してもらっちゃあ困るのよね~~」


 誰にとっても予想外の口論が始まり、周囲は動揺の渦に呑まれる。

 ただ一人、イチカは彼らを見据えたまま「油断するな」と近くにいたあおいに告げる。


 彼女は無論、そのつもりでいた。

 慌てて止めに行ったら罠でした、殺されました、では身も蓋もない。というより、なんだか情けない話になりそうではないか。


「いいから離しなさい」

「だぁめ」


 どういう理論なのかはその場の誰にも分からなかったが、少女が放とうとしていた魔法は、ドレスの魔族によって物理的に抑え込まれているらしかった。


 力で敵わずとも魔法で跳ね飛ばすくらいの芸当はできそうなものだが、少女の瘴気は先ほどまでとは比較にならないほど微弱で、再び膨れ上がる気配もない。魔法と同時に、瘴気までも弱体化されてしまったようだ。


 不毛な応酬がどれほど続いただろうか。


 これは芝居ではなく本当の口論だ――。

 誰もがそう思い出したその時、空気が再び凍てついた。少女の瞳が暗く染まる。


「命令よ。この手を離しなさい」


 少女が発しているのは殺気だが、「最後通牒」と言っても差し支えないだろう。ここで従わなければ、遅かれ早かれ殺す。彼女から放たれる冷気が、その意志を代弁していた。


 意見が少し食い違っただけ。それだけで同士討ちの理由としては十分なのだろう。魔族だけではない。人間でも歴史を遡ればこの手の話はいくらでも出てくるだろうが――少なくとも今、この場にいる人間たちにとっては到底理解できないことだ。


 さすがにまずいと思ったか、ドレス姿の魔族は小さく「しょうがないなァ」と呟いた。主張を諦めたようだ。

 おもむろに重ねていた手を離す。


 少女は最低限の殺気を解かぬままそれを見つめ、同時にイチカは柄に手を掛けた。


 しかし、その姿勢は俄に崩れた。


 えっ、という驚きの声。なっ、という呆けた声。

 イチカも、碧も、ラニアも、白兎(ハクト)も、ミリタムも。

 ただただ双眸を見開いて、その光景を目の当たりにした。


 鈍い音がした。どすっ、と。

 他に例えようのない、鈍い音だった。


 少女の魔族の腹に、ドレス姿の魔族の左手が食い込んでいた。

 少女は(おどろ)きを表すように、血色の瞳を見開いて。


 ドレスの魔族は、離したはずの少女の腕を掴んだまま、無表情だった。

 程なくして意識を手放すであろう少女を待つかのように。


 その唇が「ごめんね」と動いたように見えたのは、人間側の思い込みであったのか。


「どういうことだ」


 どのくらい時間が過ぎただろう。

 大分経ってから、静かな、しかし非難を含んだ声調で問いかけたのはイチカだった。その相手は紛れもなく、倒れこんだ少女を両手で支えた魔族だ。


「どいつもこいつも、何故そうも簡単に仲間に危害を加えられる?」


 動悸が止まらない。

 イチカだけでなく、皆がそうだった。


 鳩尾に一撃加え、気絶させただけだ。殺したわけではない。実際、話し合いは平行線のように見えたから、強硬手段に出るしかなかったのかもしれない。

 それでも、彼らには理解できるはずもなかった。


「ふぅん。近くで見るとホントそっくりねぇ。まぁ前よりも可愛さが増えた分、人間っぽさも二割増しってトコだけど」


 流し見したかと思えば、質問したこととはかけ離れた答えが返ってくる。

 否、答えにもなっていない。イチカにとっては何やら意味の分からないことを口走っていて、混乱するほかない。


 そんな彼をよそに、ドレス姿の魔族はぽつりと、耳を澄ましてようやく聞こえるほどの声で言った。


「この()はね、可哀想な娘なのよ」


 少女の両肩を優しく掴み、見下ろす。

 気絶していて、話の内容など聞こえてはいないだろう。むしろドレスの魔族は、この状況が好都合だと言わんばかりの声色だ。

 その言葉がどういうことを意味するのか。


「――それともなぁに?」


 その深読みをさせまいとするような、おどけた口調。


「まさか人間ってゆーのは、この程度のコトを『非情』だと、そうおっしゃるのかしら?」


 艶やかな瞳が、まっすぐにイチカを射抜いた。舌なめずりをするような視線だ。

 寒気が、悪寒が彼を襲う。表情が知らずと強張った。


 イチカの反応を肯定と取ったのか、ドレス姿の魔族は麗しいほどの微笑みを浮かべて。


「残念、極まりないわ」


 それを合図とするかのように、近辺で雷鳴が轟いた。


 誰もが雪の降る時期だと思いたくなるほど、身を突き刺す冷たい風。

 光を失って間もないというのに枯れ果てる植物。

 地面には、獣が爪痕を付けたかのような亀裂が無数に走っている。

 全ての元凶は、目の前にいる魔族なのだ。


「それじゃあアタシはどうすりゃいーのかしら。ちょーっと人間界に降りて気を放っただけで自然ともオトモダチになれない、この能力(チカラ)


 地面が脈打つ。


 大規模な崖崩れか、地盤沈下か、天変地異か。この辺りが何も知らない者の意見であろうが、状況はそれらよりも悪い、とイチカは思う。見た目は専ら人間のそれだというのに、強大すぎる力が、周囲を一変させたのだから。


「……『僅かな気の放出すらも、天地を原始と化す』……」


 未だ日射病の影響で伏せっているミリタムの口から、弱々しくも意味深な一節が紡がれる。

 

「全魔族中、最少にして最強の攻撃力を持つ種族……文献でしか、読んだことなかったけど……」


 魔族の存在は全くの架空とされていたわけではない。

 現に四百年前、このアスラントに魔王軍が攻め入った。そのことは当時の人間によって書記、増刷され、王立図書館や、興味本位に購入した個人の家――ミリタムの実家であるステイジョニス家もそれに当たる――に保管されている。


――『巫女様は五匹の魔族を御眼にされた。

 一に、彼らを統べる王。

 二に、数々の魔物を自らの躰の内に飼う者。

 三に、民家を軽々と見下ろすほどの巨体を持つ鬼。

 四に、百の軍勢を刹那のうちに斬り殺す者。

 そして五に、繰り出す一打で深く大地を抉り取る者。我々にしてみればそのどれもが未知の存在であった。

 ――巫女様は五の者を、「僅かな気の放出すらも、天地を原始と化す」と表現された。

 そして、おそらくその者こそが、魔星(彼らが住まう星だという)において最強の攻撃力を持つ者だと。』


「改めて、名乗っておきましょうか」


 雷と共に耳に響く轟音。それが、目の前の麗しき者から発せられる圧力だと気付くのは果たして何人だろうか。


魔星ませい第一区治権者『グレイブ・ソーク・フルーレンス』直属部隊『フィーア・フォース』所属。並びに、魔星において高攻撃力を誇る『剛種(ごうしゅ)』の一 ――」


 地が、一層激しく震え、誰もが声を失った。ただ一点を凝視したまま、行動も起こさない。


 否、起こせなかったのだ。あまりの恐怖。あまりの戦慄。唇が、腕が、足が震えた。


 一行の視線の先には、地に手をつくドレス姿の魔族。

 そして、その手を境に底知れぬ奈落が続いていた。


 通常の地割れの比ではない。ひとたびその中へ落ちてしまえば、二度と這い上がれないであろう永遠の闇が広がっている。


 魔族はともすれば娼婦のような目つきで、銀髪の少年を見つめた。


「クラスタシア・アナザント。名前で呼んでくれると嬉しいわ、イチカ」

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