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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
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第七十二話 追憶の彼方(2)

 それは、忘れもしないあの雪の日のこと。


 もう二百年ほど前になるだろうか。

 その日は何をするわけでもなく、魔星ませいでは見ることのできない自然の一つを――雪を見たいが為に人間界へ降り立ったのだ。


 自分たちから見れば力無き存在が住む世界。その世界で唯一、雪だけは好きだった。

 空の遙か彼方から舞い降りる結晶は、無彩色ながら美しい。


 例えるならそう、天女のような。


 その思考が浮かび上がった瞬間、もう笑うしかなかった。

 魔星の頂点に立つ魔族の王。その次期継承者ともあろう者が、全く正反対の立場にあるものを例えに使うとは。


 どうかしている。この、空からの贈り物を見ることができる季節にしかここに来ることはない。それなのに、もはや人間界の情でも移ってしまったのだろうか。


 ――だとしたら、少々厄介だな。


 くっくっと喉の奥で笑い、足早に魔星へと帰るべく、名残惜しげに向きを変えて――


 そこに、何かがいた。


 無意識に身構えたが、すぐに警戒を解いた。

『何か』は、うっすらと積もり始めた雪の上に倒れ伏していた。その小さな背中すらも、白に塗り替えられようとしている。『天女』がその存在を隠そうとしている。


 どうすべきか迷った。

『何か』はおそらく、否、間違いなく人間で、しかもまだ幼い。遠目で見ても、棒きれか何かと見間違いそうなほど痩せ細っている。幼いとはいえ、それはあまりにも小さかった。

 艶のない、短い黒髪が所々白く染まっている。


 また悩んだ。悩みながら、一歩ずつ、近付いていった。

 本来ならばそれを気に留めてはいけないのに、明らかに介抱しようとしている。


 一歩。

 何度もこの世界の土を踏んだ。何度も今のような人間を見た。

 だが興味を示したのは今回が初めてで、近付いたのも初めてだ。


 何に惹きつけられたのかは分からない。

 ただ――『何か』が持つ特異な色素の髪が、目について離れなかったからかもしれない。


 躊躇いがちに手を伸ばし、そっと壊れ物のように抱きかかえる。

 その身体は驚くほど冷たかった。一体いつから倒れていたのか。


 小さな口元に耳を寄せると、僅かではあるが息があった。

 しかしこのままでは時間の問題であろう。未だ心は迷う。


 そのとき、予想外の事が起きた。


「あたし、死ぬの……?」


 微かな呼吸が繰り返されるばかりと思われた口から声がして、咄嗟に顔を離す。

 光のない、珍しい漆黒の瞳が開いていた。ただ、焦点が合っておらず、どこか関係のない方向に向かって話している。


 予想に反してしっかりとした口調に、何故か安心感を覚え、同時に、答えを躊躇う。

 返事が返ってこないことを肯定と取ったのか、少女は小さく笑った。


「そっかぁ。ザンネン、だなぁ……」


 儚げに微笑む少女を見て、胸が痛くなった。


 なんとか救ってやりたい。何か方法はないのか。


 程なくしてある考えが脳裏をよぎったが、すぐさま頭を振る。

 駄目だ。

 それを言ってしまえば、誇りも何もかも失ってしまうのは確定的だった。


 一方で、体温がどんどん下がり、腕の中で弱り切っていく少女を見捨てるなど、できるはずがなかった。


「生きたいか?」


 少女が僅かに顔を上げ、ようやく視線が交わった。

 やつれた表情に、少しだけ光が差している。

 喜びというよりは、驚きの方が大部分を占めているようだった。双眸が見開かれている。


「生きたいのか、そのまま死ぬのか、どっちだ?」


 凝視する瞳に答えるように、同じように蒼黒の瞳で見つめ返す。


 少女は明らかに戸惑っていた。突然そんなことを聞かれて、戸惑うなという方が無理な話だろう。

 だが、決して生半可な気持ちではない。本気だった。


「生き、たい……」


 その本気を感じ取ったのか、少女は小さい声ながらはっきりと言った。


「生きる、の。死に、たくない……っ……生きられる、なら……なんでも……!」


 決して手放すまいとこちらの服を掴み、涙を流しながら訴える少女。


 どんなに過酷な人生を歩んできたのだろう。奴隷だったのか、衣服は布の真ん中に穴を開けただけの極めて簡素なもの。握っても隙間が空きそうなほどか細い手足には、数え切れないほどの古傷。


 もう少し早く見つけていたなら、こんな姿を見ることはなかったかもしれないのに。


「魔族になれば、永遠に近い時を生きることができる。人間にはもう戻れないが、それでも生きたいか?」

「なる……!!」


 少女の決意の大きさは、衣服を一層強く握ったその手が物語っていた。





 少女は魔族へと転生を遂げる。


 自身の庇護下に置いていたが、好奇の目は避けられない。早いうちから魔族として生きていくための術と魔法の習得を急がせた。転生したとはいえ、純粋な魔族とそうでない彼女とではどうしたって飲み込みの速さが違う。数年前に生まれたばかりの魔族がいくつもの高位魔法を覚えるなか、基礎的な魔法の一つも習得できない。それでも少女は音を上げることなく、ただ黙々と日々を過ごしていた。だからこそ、根気強く付き合い成長を待ち続けた。

 

 それから百数十年経ち、少女は女性になった。

 結局魔法はほとんど身につかなかったが、低位魔族の魔烏デス・クロウを味方につけることができただけでも御の字だと思う。魔烏の羽毛は翡翠色だが、見る角度によっては黒っぽく見えることがある。同じ髪色と瞳をした少女と何かしら通じるものがあったのかもしれない。

 

 そんな彼女の様子が変わったのはその頃からだった。拳一つ分の距離が近すぎると言う。何故かと問うと所在なげに視線を彷徨わせ、頬を染めて顔を背ける。命の恩人への態度や忠誠心では説明がつかない。そうこうしているうちに城を出て行くと言い出した。納得がいかず、問い詰める。やっとのことで聞き出したのは、消え入りそうな声の「お慕いしてしまったから」。

 

 なおも逃げようとするその手ごと引き寄せて、腕の中に閉じ込める。

 もはや手放せなくなっていたのは魔王も同じだった。彼もまた、彼女が少女だった頃に抱いたものよりも確かな愛情を感じていた。少女の想いがこちらを向いていたことは、想定していなかったけれど。


 しかし、互いに愛し合った二人を部下は赦さなかった。元と言えど、人間と恋仲になるなど言語道断であると。

 全ては、前王時代の戦が原因だ。


 少女――烏女(ウメ)は転生前のことなど知るはずもなかったが、ヴァーストらは厳重に警戒していた。

 

 烏女を喪ったあの日の会話が呼び起こされる。


『お前は、オレがセイウ(あいつ)と同じ轍を踏むと思っているのか?』

『滅相もありません。ただ、気がかりなのです。あの女が今後我らを裏切らないか、そのときあなた様はどうなさるおつもりなのか』

『……烏女はもう人間ではない。人間界に未練があるとは思えない』

『グレイブ殿。「裏切り」は何も離反だけに留まりません。不利益をもたらせば、それも一つの「裏切り」です。現にあの女は、『手足』としてあるまじき失態を犯している。それは同じく手足である我々の誇りをも踏みにじっている。今一度お考え直しください。代々お仕えしている我々『フィーア・フォース』の誇りと、人間上がりの小娘、どちらを優先すべきかを』


 それから彼は、他の誰にも聞こえぬように【思考送信テレパシー】でこうも語りかけてきた。


『誇りだけではありません。前王が遺されたその地位、無に帰しても良いのですか?』


 ――救いようもない!! なんて馬鹿なんだ!!


 地位など誰にでもくれてやれば良かった。誇りなど、烏女を拾ったその時にもう捨ててしまっていた。

 何を畏れていたのか。ただ一つ畏れていたのは、烏女が死ぬこと。それだけだったのではないのか。


 視界の端に作戦会議を続ける部下の姿が映る。


 もし、結界女けっかいじょと裏切り者を始末してしまったら。


 魔族全体にとっては喜ばしいことであろう。

 だがたとえそうなったとしても、この心の霧は決して晴れることはない。大団円には、ならない。


 ――どうすれば、いい?


 愛しい(ひと)の名を胸に刻み、魔王は悩み続けた。


「ねぇねぇソーちゃん。魔王サマ、すっごくオイシイんだけど」

「妙な言い方をするな。負の気を纏っておられるからだろう」

「そんなになってまで何を悩んでいらっしゃるのかしらね~~?」

「大方烏翼使(うよくし)忍者のことだろう。相当に愛されていたようだからな」

「まぁ~~たあの女ぁ? 人間の女のどこがいいワケ?」


 顔なら誰にも負ける気しないわ、と胸を張るクラスタシアに対し、ソーディアスはふ、と溜め息を吐く。


「お前と同じだ。グレイブ殿は人間を愛したが、お前は好かない。個々の好みというものだ」


 おれにも良くは分からん、と両手を広げて肩を竦めるソーディアスを見て、話を振っておきながら元々どうでもいいのかクラスタシアはあっそ、と素っ気ない。それ以上話が膨らむことはなく、ただひっそりと静まり返るのみだった。

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