表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第五章 彼ら、強敵につき
74/203

第六十九話 記憶(1)

 何故、我々は類無き砂ではいられないのか


 何故、我々は自由に流れゆく水であれないのか




「もうダメかもしれねぇな……」


 一筋の光も届くことはない鬱蒼とした森の中、一組の男女がいた。


 男の忌々しげな声調に、しかし女は沈黙を守ったままだ。

 何か考え事をしているのだろうか。その目は男も何も映してはいない。


(わり)ぃなヤレン。おれ様の問題に巻き込んじまった」


 男はそんな女の様子を見て、少し悔しそうに顔を歪める。女は視線を男に定めてから、小さく首を振る。


「いや、お前のせいではない。いずれこうなることは、とうの昔から分かり切っていたことだ」


 男は自嘲気味に笑う女を悔恨の表情で見つめていたが、突如として現れた影を認め、すぐさま剣を構えた。

 男の顔が、僅かに引きつる。


「へッ……よりによって、一番厄介なヤツを差し向けてくれたな」


 男の呟きを耳で捕らえた女がその側に駆け寄り、素早く両手を重ね合わせて神術(しんじゅつ)の構えを取る。


 ふたりが見据える先、少女が佇んでいた。

 年の頃は十代半ばだろうか。輪郭に沿うように緩いカーブを描く、顎下までの金糸。混じり気のない紅い瞳。


 どことなく「血」を連想させる双眸に、たじろぐ者も少なからずいるだろうが――一見すればどこにでもいそうな表情の乏しい娘だ。

 例えば雑踏ですれ違ったとしても、数分後には記憶から消えているような儚ささえある。


 しかし、そんな心許ない存在に対し、男と女は一層警戒を強めた。


 見た目がどうであろうと、足音一つ立てることなく、気配を察知させることもなく突然現れた。

 その時点で、少なくとも「普通の人間」ではない。

 

「あら、私は歓迎されていないようね」


 感情のこもらない平坦な声色がその口から発せられる。

 にもかかわらず、戯けているかのような印象を受ける。


「グレイブ殿の妹君が、おれ様に何の用だ?」

「心外ね。察しの良い貴方なら、分かっているはずだけど」


 男の刺すような眼差しを物ともせず、やはり無機質にそう答える少女。

 同時に、凍て付くような殺気が森中に充満する。


 発信元は少女だ。

 正確に言えば、冷酷な闇を宿す真紅の瞳から。


「……あぁ、分かってるさ。あんたがこっち側についてくれたら、ちっとは喜んだぜ」

「そう」


 少女は男の皮肉を軽く受け流す。


「惜しい生涯ね。あなたが『不義』を働かなければ、今頃は魔星ませい一の剣士として名声を博していたでしょうに」


 殺気を維持したまま紡がれた少女の憐れむような言葉を、男は一笑に付した。


「『不義』だぁ? 何の冗談だか知らねえが、魔星一の剣士として名を揚げることはもう終わったんだよ。おれ様の夢は二つ。一つがそれで、もう一つは『いい女を見つける事』。それが単に人間の女ってだけだ」

「セイウ……」


 女が少し頬を染めて男を(とが)める。

 聞き手の少女の表情に変化はないものの、不思議と馬鹿馬鹿しそうな視線を向けているように見える。


「何を言っても無駄なようね。出来れば同類は殺したくは無かったのだけど」


 胸の下で組んでいた両腕を解き、右手を前に突き出す。


「今の貴方は同類ですらないようだから」


 向けられた手の平に魔力が収束し、生温い黒風がその手の内から溢れてくる。


「はっ! それなら殺してくれよ。死んで、次はヤレンと同じ種族になってやる!!」


 切羽詰まった心境からか、男は半ば投げやりに吐き捨てる。

 次には女に、いっそ清々しいほどの笑顔を向けて。


「ヤレン。短い間だったけど、マジで楽しかったぜ。今度会う時は絶対に離さねえ。愛してる」


 女の身体を引き寄せ、その唇に己のそれを重ねる。

 男の突然の行動に驚き、頬を色づかせる女だったが、委ねるように瞳を閉じた。


 唇が離れてから、女も男に微笑みかける。


「私もだ、セイウ。次こそは幸せになろう。お前に会えるなら、人間でも魔族でも構わない」


 そして、互いに見つめ合う。

 暗澹あんたんとした空間の中、そのふたりの周囲だけは澄み渡り、柔らかな光に包まれていた。まるで、互いの心の内を表すように。


「お別れは済んだ?」


 冷徹な声が、ふたりを強制的に現実に引き戻す。


 顔色一つ変えず、一部始終を見聞きしていた少女。その右手には、「暗黒」と形容するに相応しいエネルギーの球体。


「ああ、いいぜ。殺せよ」

「潔いのね。一つ教えてあげましょうか。――魔星最大幹部は貴方たちの幸せなど赦しはしない」

「!?」


 男も女も目を見開き、少女を凝視する。

 彼らの反応が自分好みだったのだろう、心なしか楽しそうに少女は先を続ける。


「驚いているようね。何度巡り会ったところで無駄なこと。その魂が息吹くところ、必ず絶望を与える。たとえそれが異世界であっても、ね」


 男の頬を冷や汗が伝う。

 たった今交し合った約束を、踏みにじられた絶望故か。


「へッ……」


 男は肩を震わせた。しかし、嗚咽のそれではない。


 全てを清算するような、極めて高らかな笑い声が響き渡る。

 女はおろか、少女もこの時ばかりは目を見張った。


「それなら、むざむざ殺されるわけにはいかねえな。おれ様はてめぇを殺して、ヤレンとどっかに逃げる」


 ふてぶてしく放たれた結論に、女は状況も忘れてただただ目を丸くした。

 先ほどとは打って変わって、余裕すら見受けられる。尻すぼみだった瘴気しょうきにも勢いが戻っている。


「愚答ね、愚答だわ。確かに貴方の剣技は超一流と言っても過言ではない。けれど、浅はかで向こう見ず。私の力を知らないわけではないでしょう?」

「ああ、知ってるぜ。あんたの力も……あんたの言う“同類”に迫害されてもおかしくないあんたの境遇もな!!」


 直後、それまで瞬き一つしなかった少女の表情が僅かに揺れた。

 同時に放たれた殺気は、先ほどまでの比ではない。それに気付いた女が、焦燥に駆られた様子で男に小さく助言をする。


「セイウ、気を付けろ。奴の殺気、半端ではないぞ!」

「わあってるって。――あれがあいつの弱点なんだからな」

「何……?」


 女の問いかけに答える前に、男は一歩、また一歩と少女に近付いていく。


「人間とのハーフってのは辛いよなぁ? 王族だから良かったものの、そうじゃなかったら今頃、あんた生きてないぜ?」


 少女が身動き一つしないのを良いことに、嫌みたらしく、ねじ込んでいくように語りかける。

 女は明かされた真実に驚きを隠せないようだ。


「人間と……魔族のハーフ、だと?! そんなことが……!」

「あるんだよ。こいつの父君は戯れに人間の女を抱いた。それでこいつが生まれたんだ。おれ様とヤレンが『不義』だってんなら、あんたは『不義』から生まれた『無』だぜ!!」


 散々男が罵ったせいか、少女の殺気は見違えるほど薄れていた。もはや当初の目的を忘れるほど、男に“弱点”を突かれたのだろうか。薄暗い森の中、俯き加減な少女の表情を読み解くことは困難だ。


 一方、勝利を確信した男は口角をつり上げ、少女に突進していく。


「終わりだ!!」


 剣を振り上げ、その胴体を薙ぐ。

 少女は失意のうちに塵となった――はずであった。


「が、っ……は……!?」


 口から血を吐き、地に倒れ伏したのは男の方だった。

 腹部に空いた大穴から、口腔から血が流れ、一帯は血の海となる。


 男を見下ろす少女は、相も変わらず無表情でありながら、絶対王者のような風格を漂わせていた。


 右手から上がる黒煙と、未だ燻る瘴気。

 男の刃がその身に触れる僅差で、爆発的に発生した暗黒球によるものらしかった。


「貴方のようなヒトに、飽きるほど言った言葉なのだけど」


 みぞおちの辺りで両肘を抱えながら、少女が淡々と語り出す。

 虚ろな目でそれを聞く男。力なく崩れ落ち、青い顔でふたりを見つめる女。


「私はこの()()を嫌っているわけではない。実際、この身体のお陰で義兄(にい)様よりも強い魔力を持てた。別に義兄様に恨みがあるわけではないけれど、何かと便利なの」


 僅かながら光が灯る紅の瞳。自慢話でもしているように、饒舌な語り口。

 それはあたかも、彼女が「喜んでいる」ことを示しているかようだ。


「それともう一つ、同じ位そういう輩に言った言葉があるの。聞きたいでしょう?」


 何かを察したのか、男は必死に首を振って懇願した。開ききった銀眼は血走り、涙が滲む。

 這いつくばって額をすりつけるその姿には、もはや威勢も誇りも感じられなかった。


「【願わくば、汝の力此処に】」


 少女はそんな彼に冷たい笑みを見せてから、その言葉を紡いだ。


 瘴気が増した。

 木々の合間を縫って、得体の知れない何かが、生温い風と共に姿を現す。


 魔星の瘴風(しょうふう)を纏った灰色の龍が数匹、押し合いへし合い獲物――男目がけてその巨大な口を開け。


 急襲に為す術なく、男の身体は散り散りになった。


 そのあまりにも凄惨な光景に、女は飛び出そうなほど瞼を開き、わななく唇に手を持っていくのがやっとのようだ。


 灰龍は各々咀嚼を繰り返していたが、不意に一匹が何かを吐き出す。


 白くいびつな塊。

 男だったモノの、頭蓋骨だった。


 龍の群れは満足そうに雄叫びを上げると、目にも留まらぬ速さで森の奥へと飛んでいった。


「セ、イウ……? セイウ、セイウ!!」


 我に返った女がおぼつかない足取りで立ち上がり、何度も転びそうになりながら、辛うじて残った男の面影に走り寄る。


 震える手で抱き寄せたそれは、温もりのない、岩のような感触。それすらも、すでに粉塵へと変わり始めている。

 女は堪らず、一粒の涙を落とした。


莫迦ばかな男ね」


 女の真後ろで、少女が無感情ながらも吐き捨てるように呟く。その手には、男に致命傷を負わせたと思しき黒球を携えて。


「大人しく魔星で余生を過ごしていれば、こんな惨い死に方をせずに済んだのに」


 まるで他人事のような口振り。

 女は振り返って少女を睨みつけるが、当然のように少女の反応はなかった。


「さて、お喋りもつまらないわね。何か言いたいことでもある?」


 少女は何の感慨もなく訊ねる。


 女は優しい眼差しで頭蓋骨の「頬」を撫でていたが、やがて意を決したように少女を睨み上げる。 


「覚えておけ。私は決して、お前たちに屈しない!」


 盛大に放たれた誓いにも、少女は眉すら動かさなかった。


「辞世の句、とかいうものかしら。素敵ね。でも――さよなら」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ