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第六十六話 夜明け前(2)

 いつも通りイチカを見舞っていたら、彼が不意に視線を扉の向こうに定めた。

 その眼差しが、以前ミリタムの気配を察知したときのそれより随分、否、かなり柔らかくて。

 ともすれば微笑んでいるようにも見えるその表情に、視野の外にいるにもかかわらずあおいは思わずどぎまぎしてしまう。

 

 彼がそんな表情を見せる相手など、あの二人以外に考えられない。

 そう思った瞬間に、胸の奥が重くなるような得体の知れない感情がじわりと忍び寄ってくる。

 その正体に向き合う間もなく、イチカから二人に中に入るよう伝えてくれと言われ、入れ替わりで部屋を出てきたのだった。

 

(うーん)


 仲間たちがいる部屋の前に立ち、束の間腕を組んで唸る。

 よし、とひとり頷きドアノブに手を掛けた。

 

「ただいま~」

「お帰り、アオイ。どうだった?」

「うん、ちょっとずつ良くなってきてるみたい。明日には包帯も取れるってお医者さんが言ってた」


 イチカの病状を報告すると、揃って安堵の表情を浮かべる三人。

 それからしばらくは他愛のない雑談が続いたが、伝えたかったことを思い出し、口を噤む。


「アオイ?」


 心配そうに覗き込んでくるラニアや他の二人を見ると、決心が鈍ってしまいそうで、碧は俯いたまま告げた。


「あのさ……止めない? こういうの」

「“こういうの”?」

「イチカのお見舞い、みんなで行かない? なんか、気遣ってもらうの悪いし、あたし、やっぱりよく分かんないままだし、話すこともそんなになくて居づらいし……」

 

 イチカが目を覚ました日。

 ミリタムから追い出された碧が部屋に戻り、事の顛末を伝えると、ラニアが「ちょうどいい機会だし、しばらくイチカの様子見に行ってくれない?」と唐突に提案してきたのだ。


 彼女の言う「ちょうどいい機会」が「仲良くなること」を指していると直感した碧は、多少の戸惑いを抱きつつ承諾したのだが――。


 これまであまり話せていなかったこともあり、二人だけで会話をするのは新鮮だった。

 しかし、最近は無言の時間の方が長くなり、いつも気まずさを感じている。


 碧の訴えを受け、最初に反応したのはミリタムだった。


「アオイ。沈黙も会話の一部なんだよ。言葉なんて重要じゃない。同じ空間で、同じ時間を共有することにこそ意味があるんだよ」

「そ、そうなの?」

「もちろん。だから会話が続かなくても気にすることはないよ。それよりも必要なのは場数を踏むこと。相手がどんな人かを知ることも大切だからね。それから、一方通行にならないようにすること。そのためには相手に興味を持ってもらわなきゃならない。いろんな方法があるけどたとえば――……」

「さすが、口が上手ね~~」

「貴族の会話術ッてヤツだろ」


 力説するミリタムの後ろ、遠目に成り行きを見守るラニアたち。白兎ハクトはどこか投げやりだ。

 ふと、何かに気づいたように白兎が声をかける。


「つーかよ、なンでお前らそんなに距離感があるンだ?」

「そりゃあ、会ったばかりだし」

「他の連中とは上手くやれてるだろ。なンかこう、うまく言えねェけど、お前の方がやたらと遠慮してるように見えるぜ」


 意外と人間こちらのことをよく観察していたらしい白兎の分析に碧が内心驚いていると、ラニアがあっ、と声を上げた。


「そういえば、二人には“イチカは日本から来た”って言ってなかったわね」

「はァッ?!」

「ええっ!?」


 二人揃って目と口をこれでもかと言うほど開け放つ。そのまま、苦笑するラニアと互いとを何度も見比べている様を見るに、相当に衝撃的だったようだ。


 その衝撃が落ち着いた頃、二人が呆けたように口を開く。


「道理で。髪はともかく瞳が銀色の人なんて滅多にいないから、不思議だったんだ。人工的なものだったんだね」

「たま~~にアイツから別世界のニオイがしてたのは、気のせいじゃなかったワケか……」

「もう三年経つかしらね。なんだかすごい虐待受けてたみたいで、「こっちに来て良かった」って、もう飽きるくらい聞いたわ」

「そんなことが」

「それであんな無表情ッてワケか」


 ふんふんと、たった今聞いた話を吟味するように頷くミリタムと白兎。


「だから、向こうの世界を思い出させたあたしを嫌ってるんだって。おかげで初対面なのに殺されかけちゃって。それも近寄りにくい理由かな~~」

「お前なァ、笑って言うことかよ」


 えへへ、と苦笑しながら語る碧に、白兎は心底呆れた様子だ。


 そんな和やかな雰囲気に亀裂が入り、心なしか体感温度も下がる。


 地の底から這い上がってくるマグマのような効果音と共に、ラニアが世にも恐ろしい形相で碧に近付き。

 わなわなと震える両手を遅鈍な動作で持ち上げたかと思いきや、目にも留まらぬ速さで碧の両肩に置く。

 人間離れした容貌と両肩に伝わる重みに、思わず声にならない悲鳴を上げる碧。


「ちょっと待って、アオイ。聞いてないんだけど?」

「っあ、あの、言えるような雰囲気じゃないと思ったし、ちょっと、忘れてたし……」


 初めてラニアと出会ったとき、碧は三度目の危機に瀕していた。

 理性を失ったかぎ爪男の襲来である。


 しかし、その脅威は碧らが察知する前にラニアによって取り除かれた。

 彼女の美貌と行動に二度驚き、最初の危機はそのときの碧の頭の中から消え失せていたのだ。


 そんな心情など知るはずもないラニアは、普段の調子からは想像もつかないような低い声で訊ねる。


「もう一回言ってくれる? 「誰が」「誰に」「どう」されたって?」


 風もないのに天井に向けて逆立つ髪と、吊り上がる両目。

 正直魔族よりも恐ろしい、と碧は思う。


「あ、あたしが……イチカに……殺されかけ、ました……」

「何してんのよイチカはホントに!!」


 涙声が尻すぼみになる碧から手を離し、部屋中に反響するほどの声で絶叫するラニア。ここまでくると心配を通り越して過保護である。


「カイズとジラーがいて良かったわ! あの子たちがいなかったら、どうなってたことか……」


 途端に表情を曇らせる。

 その理由を訊ねようとして、理解した皆が俯いて黙り込んでしまう。


 ベッドに座ったまま、碧は振り返って後ろの壁を見つめた。

 正確には、彼女らがいる部屋の二つ向こう。


 カイズとジラーが、イチカに重大な決意を明かしている最中であろう。

 碧は再び目を伏せる。


 どうしてこんなことになったのだろう。今ならまだ、間に合うだろうか。今すぐ駆け込んで、イチカに説得するよう頼めば、彼らは思い留まってくれるだろうか。――


 そう思いながら、心の奥底では分かっていた。一度決めたことをそう簡単に曲げるような心の持ち主たちでないことなど分かり切っていた。誰が説得したって、懇願したって、彼らは考えを改めない。


 それが例え、彼らの師として誰よりも長く時を過ごしたイチカであっても。





「そうか」


 どれくらいの間、師の胸を借りていただろうか。

 毎日の修練に費やすくらいの時間かもしれないし、ほんの数分だったかもしれない。


 どれだけの涙を流したのか。

 下瞼が引きつるような感覚を覚えるくらいだから、泣き腫らしたには違いない。

 しかし涙の量など、彼らが秘めていた確固たる決断に比べれば気に留めるまでもないことだ。


 泣いていたことを悟らせないくらい真剣な顔つきで、カイズとジラーは胸の内を伝えた。

 今ある正直な気持ち。

 イチカは口を挟むことなく、同じように真摯に耳を傾けていた。


 後で引き留められるのだろうか。それとも快く承諾してくれるだろうか。二人はそんな懸念も抱きながら告白していたことだろう。


 彼らの心配をよそに、イチカは聞き終わってからあまり間をおかず、それだけを口にした。


 意外だったのか、二人は目を丸くして互いの顔を見合わせている。


「それなら、おれは何も言わない。お前たちが決めたことに、おれが口出しする権利はない」


 よほど彼の言葉が信じられないのか、しきりに目を(しばたた)かせる二人。


 イチカはそんな彼らに目を遣った後、再び布団の中に潜り込むと、未だ困惑している二人に背を向けるように寝返りを打ち。


「いつでも戻ってこればいい。家族だからな」


 油断していたら聞き逃しそうなほど小さな、くぐもった声。

 その言葉の意味を咀嚼する間、沈黙が流れる。


 ややあって、押し殺したような笑い声が狭い室内に響く。


 原因はもちろん、布団にくるまっている彼らの兄貴分だ。

 出会ってからこの方、「家族」などという単語を口走ったことのない彼が、そんなことを言うとは夢にも思わなくて。


 手のひらで顔や口を覆って、込み上げてきた笑いをなんとか誤魔化そうとする二人だが、いわゆる「ツボ」に入ってしまったのか、止めようにも止められないらしい。


 一方のイチカは、思うところはあっただろうが、それを表に出すことなく布団の中で目を瞑っていた。「家族」が笑顔になったのだからそれで良いと自らに言い聞かせているのかもしれない。


「ありがとな、兄貴っ」

「元気出ました!」


 間もなく響く、扉の閉まる音。


 誰も「その言葉」は言わない。

 別れの言葉は要らない。

 彼らは信じているからだ。もう一度会えることを、不幸な形で会わないことを信じているからだ。


「きっとまた、三人で修行できる」。

 根拠など全くないのに、不思議と否定は浮かばなかった。


 イチカは彼らが出ていった扉を、いつまでも見つめていた。

 強く、血が滲みそうなほど強く左手を握りしめながら。

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