第六十四話 芽生え(2)
(なんで受け入れられないんだろう?)
過去に受けた虐待がきっかけで、失われた表情。それらを少しずつ取り戻しつつあるのだ。喜ばしいことのはずなのに、鉛を飲み込んだようにすっきりしない。
「好き」とはまるで正反対の感情に、疑問は深まるばかり。
「ミリタム」
「……え?」
思考の迷路にはまった碧を掬い上げたのは、突如として割り込んできた名詞だった。
名詞の発信元――イチカは持ち上げていた左手を入り口の扉に向け、もう一度繰り返す。
「ミリタムがいる」
「そうなの?」
扉を見据えたまま頷く。
剣士であればこそか、あるいはイチカ特有の能力か。気配だけならいざ知らず、誰の気配かまで分かってしまうとは。
半信半疑で扉を開けると、壁に張り付くようにして立つ魔法士の少年と目が合った。
「何してるの? 入ればいいのに」
「入れるわけないでしょう。僕だって一応貴族の端くれだからね。空気ぐらいは読むよ」
声を潜めながら、心なしか胸を張って宣言するミリタム。
しばらくピンとこなかった碧だが、はたと思い当たり、体温が急上昇する。
「……ッ?! く、空気って……てかまだそんなんじゃっ、」
「“まだ”? ふーん、やっぱりそうなんだ」
実年齢にそぐわぬしたり顔に、悔しさがこみ上げる。
「違うよっ! いや、違うっていうか、違うかどうかを今確かめてるところで……!」
「僕は違わないと思うけど」
「え?」
「そういえば、ラニアが待ってたよ」
ミリタムはそれだけ告げて、半ば強引に碧を外に追いやると、部屋の扉を閉ざしてしまった。
ラニアもまた、空気を読んで「あえて」この部屋に来なかったのだろう。
それを察してしまった碧は、仲間たちに試されているような気分になる。
(ラニアもミリタムも、どうしてあたしに分からないことが分かっちゃうんだろう……)
謎の敗北感に包まれながら、碧はラニアが待っているであろう部屋へとぼとぼと歩き出した。
扉の前でミリタムは小さく息を吐く。
物心ついた頃にはやれ結婚だ、やれ後継ぎだと、まだ子供が知る必要のないことまで叩き込まれた彼にとっては、碧のような成長の仕方が羨ましく映る。
そんなことを考えていると、こちらを不思議そうに見つめる視線に気が付いた。
彼には「違う」と「違わない」の応酬ぐらいしか聞こえなかっただろうから、理解できないのも無理はない。
「なんでもないよ。それよりイチカ、調子はどう?」
「ああ、悪くはない」
決して「最高だ」とは言わないのがイチカである。
彼を治療した医師が聞けば複雑な顔をするだろうが、恐らく彼は「言わない」のではなく「言えない」のだ。そういった表現方法を知らないのだろう。行動を共にしていく中で、ミリタムが感じ取ったことだ。
「あいつらは、」
少しの沈黙のあと、そんな声が届く。
そっぽを向くように窓の外を眺めているため、どのような表情をしているかは分からない。
ただその声に、微量の悲しみが込められている気がして。
うん、と相槌を打ち、続きを待つ。
「あいつらはやっぱり、極刑なのか」
ハッとした。
そして、それに関する議論は避けられないのだと。
彼らの行為は、決して無罪には値しない。死者を出していないとはいえ、多くの人に重傷を負わせたことで有罪判決は確実であった。
そして、軽罰だけで済むという保証も、ない。死刑と言い渡されても反抗できない立場に彼らはいるのだ。
「決めるのは僕らじゃないから、何とも」
そう返すのが精一杯だった。
逃げ道がないわけではない。
不合理なことだが、ガイラオ騎士団という集団は特例として、人を殺めても罪に問われないことになっている。それは暗殺という『職業柄』認めざるを得ない、という意見のもと決定されたことだ。
当然のごとくその意見は全土に受け入れられていない。他人の勝手な理由で身内を殺され、しかもその犯人は無罪だというのだから、納得できる者を捜す方が難しいだろう。
しかし裏を返せば、『元』であってもガイラオ騎士団に所属していた過去を持つ彼らなら、ある程度の免罪はあり得るかもしれない。この世界の全住民を敵に回す覚悟で乞い願えば、命までは取られないかもしれない。
けれども、たとえその確率が百パーセントだったとしても、彼らは決して口にしないだろう。
『元』であるからこそ背負っていかなければならない数々の罪。どれだけ償ったところで、それらが帳消しになることはない。それこそ、生きている限り償い続けなければならない。
他方、何の躊躇いもなく奪ってきた命を、もしもたった二人の命をもって蘇らせることが出来るなら、彼らは迷うことなくその身を捧げるだろう。
無論、イチカらにとっては彼らの命もかけがえのないもの。刑罰の種類によっては世論が何と言おうと抗うつもりでいるだろう。
「裁判は、どこで?」
「一ヶ月後にレクターン王国で。ただし貴方は行っちゃいけないよ」
怪我も治さなきゃいけないんだし、と諭すように言うが、凝視してくる銀眼の持ち主には聞こえていないようだった。
「レクターン、王国?」
「そう。……もしかして、悪い方向だった?」
いや、とイチカはかぶりを振った。
「むしろ……良い方向だ」
【イ……アオイ……アオイ! おーい! アーオーイー!】
仲間たちが集まる部屋へ戻る途中、自らを呼ぶ声にぎょっとする碧だが、聞き馴染みのある声だと気付いて四方八方を振り返る。
「っ?! ネオン!? えっ!? どこ!?」
【そっちにはいないわよ! 頭の中! 【思考送信】!】
「なんでネオンが使えるの!?」
【アレ、言ってなかったっけ? あたしも一応巫女の修行してたことあるのよ】
「聞いてないよ!?」
さも意外そうに問い返されるが、碧にとっては寝耳に水である。
その実力はというと、一時は彼女がヤレン・ドラスト・ライハントの生まれ変わりだと国中で謳われたこともあるほどだが、もちろんそんなことには一言も触れず王女は悪気なく謝る。
【ゴメンゴメン! ていうか、そろそろ声に出すの止めないと変人だと思われるわよ?】
声に出していることまで分かるとは、と心密かに恐れおののいていたつもりだったが、思ったことを全て相手に伝える神術の前では意味を成さず。
【覚えとくといいわ。声に出してるときと頭の中で喋ってるときとじゃ、聞こえる大きさが断然違うのよ】
(勉強になります……)
そう答えてから、そそくさと宿を出て裏手に回る碧。
部屋に戻っても良かったが、仲間たちと会話しつつ脳内でも会話するのは至難の業だ。
【本題だけど。あの二人の件、こっちにも届いてるわ。悔しいけど、裁判を起こされるのは確実ね】
「裁判」という二文字が、今ほど重くのし掛かったことはない。
身体中の血の気が引くのを感じながら、碧は必死に訴える。
「そんな……カイズとジラーは操られてたんだよ?」
【分かってる。有罪の取り消しは無理でしょうけど、軽くすることはできると思うの。何か操られてた時の証拠とか、ある?】
「証拠」
記憶の糸を辿る。
決着がつきかけていたあの瞬間――イチカが命がけとも言える手段として自らを攻撃させたその時、全ての元凶であろうバッジはその手で潰されていた。
「前はあったけど、今は……」
【そう。よし決めた、あたし証言台に立つわ】
「ええーーっ?!」
思わず大声を上げてしまってから、口元を両手で塞いで周囲を見回す。
幸い誰もいないようだったが、それでも用心して損はないと、再び脳内で【思考送信】を続ける。
(そ、そんな一国の王女様がそんな所に立っていいの?)
【だーいじょーぶよ! 証言台に立つのは四民誰でもいいんだから。それにね】
(それに?)
【借りがあるのよ。小さい頃の】
(へえ~……もしかしてそれが初対面とか)
【ま、まあね】
聞いたことのない照れ臭そうな声色。
よほど恥ずかしいことなのか、それとも苦い思い出なのか。
それは碧には分からなかったが、深く訊ねるのは止めておいた。彼女が証言台に立ったときに聞けるだろうから。
(じゃ、いろいろありがとう! また今度ね)
【ええ。後日また】
思考を一旦ネオンから引き離す。これが【思考送信】の終わり方である。
同時に押し寄せる疲れと、眩暈。
【思考送信】は慣れるまでは特に疲労が溜まりやすい神術であり、伝説の巫女の生まれ変わりだろうと初心者と変わりない碧にも平等に訪れる試練だ。
まだまだ修行不足だなあと、疲れた身体を引きずるように、宿に戻るのだった。




