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第六十話 逸香(1)

 静寂が辺りを包み込む。


 何十分も前から人の気配すらろくになかったが、今までで一番静かな時だったろう。

 ともすれば最初から何も起きていないような、けれども確かにその瞬間に立ち会っていたのだという矛盾した感覚が、その場にいた全員の胸中をかき回す。

 焦りでもない、苛立ちでもないその感情は、きっと憐憫(れんびん)の情だったのだろう。


 双方が目標を成し遂げ、歓喜することなくそのまま時は止まっていた。

 一つだけその影響を受けていないのは、ただ一つの赤。

 生きとし生ける者の体内に流れている、赤だった。


 その赤は、銀色の髪を持った少年の口腔から腹部から絶え間なく流れ出ていて、いつ失血してもおかしくはない状況であった。


 それでも誰も動こうとしない。誰も時に抗うことはない。

 彼らは皆、待っているのだ。少年らの悲しい戦いの結末を。





「――あ……」


 それは、例えるならば『目覚め』たような気分だった。


 長い間深い眠りについていて、何かがきっかけで突然目覚めた。そんなところだ。

 必ず目覚めなければならないと、いつまでも寝ていてはいけないと教え諭す声に、彼らは導かれたのだ。


「兄貴……?」「師匠……?」


 目覚めるきっかけをくれた少年を呼ぶ彼らの声は、震え掠れていた。声調は違うものの明らかに動揺している。


 しかし、目覚めたばかりの彼らには、何に対して心が揺らいでいるのかを即座に理解するのは困難なことだった。


 それでも、手のひらに()()()()()の違和感を覚えたのだろう。

 項垂れている少年から目を外し、右の上腕、肘、手首と辿った彼らが、揃って息を呑む。


「……!!」


 いつも行動を共にしている、自分の武器がそこにあった。


 それだけではない。武器はまっすぐ、従順すぎるほど正確に銀髪の少年に当てられている。

 否、『当てられている』方がまだましだったかもしれない。


 敵を貫くためのその細剣は少年の脇腹に。


 敵を叩き潰すためのその戦槌は少年の持ち上げられた前腕に。


 それぞれが致命傷とも言える傷を負わせていることは、たとえ二人が戦いの素人だったとしても分かっただろう。


「なっ、何やってんだよオレ……!?」

「師匠! しっかりしてくださいっ!」


 ようやくその事実に気が付いたらしい少年らは、自らの武器を銀髪の少年から離そうとする。

 しかし、細剣の方は身体を貫通しているせいか、抜こうとすればするほど傷口から止めどなく血が流れ出た。

 困惑して、迷って、一粒、また一粒と涙が落ちていく。


 見かねた少年の仲間が助けるまで、彼らは声を上げて泣いていた。





 ――どうしてこの世にいるのか、いつも疑問に思う。


 何故生まれてきたのだろう。必要としてくれていたからか。

 否、それはない。必要としていてくれたなら、この身体中にある古いアザやヤケドの痕はなんだ。

 必要ならば、かけがえのない生命ならば、こんな仕打ちはなかったはずだ。


 物心ついた頃には忌まれていた。

『親』と遊んだ記憶はない。名前を呼んでもらった憶えもない。名前とも言えない代名詞だけが、耳に残っている。


 どうして違うのだろう。他の人間と、『ハルカ』と、どこが違っているのだろう。


 考えれば考えるほど、生きる意味を見失った。

 必要とされていないなら、誰にも迷惑を掛けぬように、誰も知らないような場所で、たった一人で居なくなろう。


 選択は「死」。

 別に後悔などしていなかった。するほどの人生でもなかった。

 ただ一つ後悔していることといえば、“生まれてきたこと”だけだ。


 十三年とひと月。戦後でもない今の生活ならあと五倍は生きられただろうが、今だけは自分自身を褒めてやりたくなった。

「よく頑張ったな」とか「十年以上も生きられたのか」とか、最期くらい鏡にでも向かって微笑みたかったけれど。


 笑うことを忘れて何年経っただろう。とにかく今は、笑うなんてできない。これは悲しいことなのか、それすらも見当がつかない。

 へらへらしている姿は誰かの機嫌取りをしているようだから止めた。それだけのことだ。笑いはコミュニケーションの手段だなどと、馬鹿馬鹿しい。


 どうせもうすぐ、この世界から消えて無くなるのだから。


 ――“消えて無くなる”?


 当然のように出た結論に、驚かずにはいられない。まだその「消え方」を決めていなかったのに、どうやって消えて無くなるというのだろうか。


 答えの代わりか偶然か、視界の隅の方で狭苦しそうな路地が光を放っていた。

 しっかりとその正体を認めるよりも先に、光が手足を包み込み、路地の奥へ引きずるように強い力が(いざな)う。


 抵抗などするはずもなかった。どこでもいいから連れて行ってくれと、むしろ受け身になれた。


 そうして自らの生涯は、最終的に満足のいく形で幕を下ろしたはずだった。





 周りの騒がしい声で意識が覚醒する。

 ゆっくりと開いた双眸の先に信じられない光景が映って、思わず何度か瞬きした。


 長い金色の髪の少女と、その色を少しくすませた逆毛の少年と、紫の髪に灰色のメッシュを入れたモヒカンヘア少年が、物珍しそうにこちらを見下ろしている。


(なんだこのあり得ない役者は)


 これは現実なのだろうか。いっそのこと夢の方がいいような気もする。死後の世界というやつにしては刺激が強すぎる。

 最初の一人はともかく残りの二人は、昼夜問わず騒音を鳴らしながら町中を走る集団か、『ヤンキー』とかいう人種か、その辺りに所属していそうな髪型である。


 しかし、見たところ三人とも自分と同い年くらいかそれより下だ。

 そんな年から染めていては若年脱毛症は免れないだろうに、と妙に冷静に分析している自分が単純に嫌になった。

 

 いや、と考え直す。染めているのではなく、元々その髪色なのであれば大方納得がいく。つまるところ外国人であるなら、こちらに対する視線の意味も理解できる。

 

 ただ、このグローバル化が進んだ現代で未だにそんな反応をする外国人がいるのか疑問ではあるが。


「おお~~!! 髪も目も真っ黒だーー!!」

「あ、起きた起きたー!!」

「おいジラーっ見えねーだろっっ!」


 これは本当に夢かもしれない。そうでなければ幻聴か幻覚か。

 目の前で繰り広げられている会話に矛盾点があり過ぎるせいで、自然と頭を抱えたくなる。


 見た目は外国人。けれども言語は明らかに日本語。

 一体何がどうなっているのか。それにこの好奇心過剰な連中は一体何者で、ここはどこなのか。

 

 一瞬、「コスプレ」という単語が頭をよぎったが、漫画やアニメとは無縁の人生を歩んできたため確信が持てない。なにより、ただのコスプレイヤーなら髪や目の色に対してここまで感動しないだろう。

 

(いや、あえて演じているという可能性もあるか)


「コスプレ」をしている間はそのキャラクターになりきらなければならないという。そういう設定の漫画なりアニメなりがあって、それに付き合わされているだけかもしれない。


 ただ居るだけで嫌気が差してくる『向こう』よりは幾分かましだが、何よりも情報が欲しい。自分たちだけで会話を成立させていては、こちらは理解のしようがないではないか。


「あ、あのね。あなたは向こうの荒野で倒れてたの。それであたしたち三人で、あなたをうちまで運んできたの」


 こちらの意思を汲み取ったのか、少女が依然目を輝かせながら説明してくれた。曇りのない薄紅色の瞳で訴えかけてくる。演技派だなと思った。


「それでね、ここは『アスラント』っていう所なのよ」

「アス、ラント」


 聞いたことのない地名だが、彼らの入り込んでいる世界観であれば無理もない。

 というか、いつまでこの設定に付き合わなければならないのだろう。

 

「ひとつ、正直に答えてほしいんだが」

「? ええ」


 これまでも正直だったのに、と言わんばかりの表情と反応だ。隠し事をしているようにも見えない。

 だが、あいにくそう簡単に信用できるような人生は送ってきていない。

 

「『アスラント』という場所は実在するのか?」

「なに言って……」


 金髪の少年とモヒカンの少年が怪訝そうな顔をするが、少女がその先を制するように片手を二人の前に伸ばす。

 

「実在するわ。だって、あたしたちはその世界・・で生きてるんだもの」

「世界で?」

「そうよ。あなたは今、アスラントにいるの」


 終始まっすぐな眼差しを向けてくる少女に、さすがにそれ以上の猜疑心を抱くことはできず、視線が下向く。

 

 ということは、ここはあの世界ではないということなのか。あの忌まわしい世界とは、違う場所なのか。


 そう思うと、知らずと安堵感が込み上げてくる。

 この際どこでもいい。

『地球』でないなら、どこにいようと。

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