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第五十九話 紅の剣(2)

「あ、あなたは」

「んぁ? ああ、オレか。ウオルク・ハイバーンっての。よろしくな嬢ちゃん」


 名前を訊ねたかったわけではないのだが、人懐こい笑顔に毒気を抜かれ、あおいは思わずぎこちないながらも微笑み返してしまう。


「またお前か」


 そんな矢先に届いた、静かであるのに不機嫌そうな声。

 案の定声の主――イチカは不愉快そのものの表情でウオルクを見据えていた。


 カイズらとイチカは何度目かの対立姿勢を取っていた。

 ただ、それまでとは明らかに様子が異なる。


「こいつらがいきなり警戒も防御も解いた。お前の仕業だろう」

「人聞きがわりぃなぁ。団のしきたりだよ。今の兄貴兼師匠はオレなわけだし」


 カイズとジラーはイチカを見てはいなかった。ウオルクに向き直り、片膝と片手を付いて、まるでどこかの国の王に謁見しようとする旅人のように頭を垂れてじっとしている。


 おそらくガイラオ騎士団では『いかなる理由があろうとも、敬慕すべき者の前では戦闘は避けること』とでも教えられているのだろう。それまでは一瞬たりとも視線を外せない緊迫した状況だったはずだが、イチカが二人に注意を向けつつもウオルクへ視線を寄越す余裕があるのはそのためかもしれない。


「何の用だ。くだらんことならお前から先に片づける」

「そーケンカ腰になんなよ。とっておきのヒント教えてやろうと思ったのに」

「……ヒントだと?」

「そ、ヒント」


 切れ長の瞳が一層険しく眇められると同時に増した殺気に、ウオルクは嘆息する。


「お前のその殺気だけ団にくれりゃあ嬉しいんだけどなぁ。まずオレの何が気にくわない?」

「存在自体」

「……ガイラオ騎士団ってのはな、言っちまえばガキだけで構成されてんだ。それ故に自ら入団希望する奴はほとんどいない。だから近くの村から掻っ攫ってくる」


 イチカの悪意を聞き流し、示唆を仄めかすウオルク。再び膨張した殺気を肌で感じているだろうに、意に介した様子もなく話を進める。やはり大物というか、実力者だ。

 

(イチカの怪我は、あのウオルクって人にやられたのかも)


 床に点々と残る血だまり。イチカが平然としているため分かりづらいが、本来ならばすぐにでも治療しなければならない怪我だろう。気が気でない碧を置いてけぼりに、ウオルクのヒントは続く。


「そのときやっぱり泣き叫んだりするわけよ。大事な大事な人材を殺すわけにもいかねーから、一つ『細工』をしてやるんだ。そうすると素直に言うこと聞いてくれるようになるんだよな、これが」

「その『細工』をこいつらにも施しているわけか」

「おっ、なかなか切れるじゃねーか」


 イチカはくだらん、と小さく舌打ちするものの、今の証言は間違いなく役に立つことだった。


「そこまで分かってんならこれ以上のヒントは要らねーよなぁ? じゃーなイチカ、健闘を祈るぜ」

「だったらおれに言うよりお前がなんとかしろ! おいっ!」


 苛立ちを露わにしてウオルクの背中に怒声を浴びせるが、当の本人はどこ吹く風。

 程なくして彼は暗闇に紛れ、姿が見えなくなった。


「くそっ……!」


 紅に染まった剣を力強く握りしめ、ウオルクが去った方向を睨みつける。


 確かにそこまで分かれば大分答えが見えてきたようにも思える。しかし、その決定的な『細工』の検討はついていない。食物か、暗示か、装飾か、それとも。

 それに方法が分からない以上、彼らは戻らない。ますます苛立ちと焦りは募る。


「!」


 そんなイチカに追い討ちをかけるように。

 今現在の師を見届け戦闘を再開しようとする、弟分の殺気が彼を突き刺す。


 唯一の救いはそれだけ大きく鋭く研ぎ澄まされた殺気を放ちながら、すぐに仕掛けてこないことぐらいであろう。

 

(カイズたち、警戒してる)

 

 これほど手こずったことなどないと、プライドを傷つけられたのかもしれない。信じたくないのに、ここまでくるとあまり抵抗はない。彼らが暗殺集団の一員であったという事実。

 それはイチカも同じようで、少し長めの溜息を吐き。

 

「いつもの三倍か。いずれ今の実力で手合わせ願いたいものだな」


(なんかイチカ、楽しんでない?)

 

 呟いたその声が、普段通りのはずなのにどこか弾んでいるようにも聞こえて碧は混乱する。

 

「昼間まで……いや、ついさっきまでは普段と何ら変わりなかった。ということは、時間を掛けなければ効力を発揮しないようなものか?」


 イチカの独り言を受け、碧も過去を振り返る。

 

 カイズが「腹減った」と駄々をこねたため、この宿に着いてから全員で軽食を取っている。

 もっとも、隠れて他に何か食べていた可能性は否定できないし、厨房や従業員などを疑えばきりがない。一旦食物から思考を切り離した方が良いだろう。


 暗示か、装飾か、それ以外か。


――『五年間よく騙し続けられたな? あとは最後の締めだけ。とっとと済まして戻ってきな』


――『お前らなら出来るだろ? 自分と関わった赤の他人を消すことくらい、朝飯前だよなぁ?』


――『他人を殺すだけでいいんだぜ? それだけで家に戻れるし、位も上がる』


 暗示と言えばあの青年の言葉だろう。加えて大剣の構え方、戯けたような口調。言動のどれを取っても疑いは消せない。

 一行から見たウオルクはそれだけ怪しさに満ちていて、言うなれば存在自体が暗示だ。迷宮入りは不可避。これも思考から追いやるべきだろう。


 ならば、装飾か。


 カイズらに目立った動きがないのを確認しつつ、今までの行動を大まかに振り返ることにする。

 全てを顧みていては答えに辿り着けない。なるべく関連性のある出来事だけを挙げていくべきだろう。


(あれ? そういえば)


「ラニア!!」


 碧よりも先に、イチカが答えに辿り着いたようだ。弾かれたように振り向く。


「はっ、はい?!」

「バッジだ! ガイラオ騎士団のバッジはどうした?!」


 突然呼ばれて間の抜けた声を出すラニアを気にした様子もなく、はっきりと用件だけを告げるイチカ。

「バッジ?」と小首を傾げる彼女だったが、ややあってぽん、と手のひらを拳で打つ。


「宿に着いたあとすぐに、カイズが「バッジを見せてほしい」って。それきり……」

「そうか、分かった」 


 最後まで返事を聞くことなく、イチカは再び弟分たちを見据える。


 なにがしかの決意を真摯な瞳に宿して――イチカは自らの鎧に手を掛けた。


 碧には、彼が何をしているのか理解できなかった。到底理解しきれるものでもなかった。

 けれどもその『音』は不規則に鳴り響くし、何かが減っていくような、そんな錯覚を覚えた。


 否、錯覚などではない。誰の目で見ても明らかだ。

 彼は間違いなく、その身を覆う軽鎧を自らの腕で剥ぎ取っている。


 首の留め金から始まり、肩、胸、腰、腕、膝。

 あまりにも無防備な行動に誰もが言葉を失い、驚きを露わにした。


 最後の締め、とでも言わんばかりに投げ捨てたのは先ほどまで持っていた紅の剣。地面に叩きつけられた鋼は虚しく乾いた声を上げ、静まる。


 今のイチカを覆うのは一般人と変わらない、簡素な着衣のみだ。上衣の中央部分に真新しい赤い染みがあり、怪我を負ってからそう時間は経っていないことを物語っている。


「交換条件だ」


 手首を軽く捻りながら、カイズとジラーに向かって呼びかけるイチカ。


 彼らの表情に変化が表れていた。ただ吊り上がるばかりだった双眸に、明らかに動揺の色が見え隠れしている。


 そんな彼らに、さらなる揺さぶりを掛けるように。


「来い。いくらでも攻撃されてやる」

「イチカ?!」


 迷いのない、透き通るように響く声が悲しかった。もうそれ以外に選択肢はないのだと、彼は遠回しに言っているのだ。


 それでも、たとえそうだとしても、今から起こり得る悲劇を一から十まで見るなどどうしてできるだろう。どうしてこうも簡単に、自分を犠牲にできるだろう。


 戸惑っているのは碧らばかりでない。カイズもジラーも正気に戻ったわけではないが、これまでのようにすぐに行動に移すことはなかった。


 碧の脳裏に、【火蜥蜴(サラマンダー)】の助言が蘇る。


(心が、開きかけてるの――?)


 束の間の解放は、しかし一瞬だった。

 どちらからともなく、武器を握って走り出す。ただ、明らかに精彩に欠ける動きだ。


「どうした! 無抵抗な獲物を捕るほど楽なものはないだろう!?」


 彼らの迷いを読みとったか、イチカは更に煽る。

 吹っ切れたのかそうでないのか定かではないが、少年らの向かってくる速度は上がった。各々の武器を構え、“無抵抗な”獲物を殺すべく放つ。


 どすっ、という鈍い音と同時に碧は両目をきつく閉じた。

 何が起きたかは分かった。それが起きた瞬間なんて見たくないから、目を瞑った。


 彼女は気付いていなかった。銀髪の少年の脇腹を突き抜けた細い剣と、持ち上げた右腕に重くのし掛かる金槌の持ち主らは一筋の滴を落としていたこと。

 そして――紅の剣は、もう持ち主と同じ銀色に戻っていたこと。


 血とともに無数の欠片が、少年からこぼれ落ちた。

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