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第五十六話 交差する想い(1)

 紅い、紅い風景。何の色にも染まらぬ、紅。


 美しいのかもしれない。けれども今この目に映る光景を、その『美しさ』に分類してはいけないことはどこかで分かっていた。


 ――やめろ!!


 目の前で、また一人崩れ落ちた。

 目を見開き、血を流し、呻き声をあげ、恨めしそうにこちらを見ながら。

 その視線を浴びるたび、確かに感じる胸の痛み。

 次の瞬間には、勝手に動く腕が別の誰かを攻撃して、感傷に浸る暇もない。


 すぐにでも、血にまみれた凶器を下ろしたかった。

 そんな思いを嘲笑うかのように、自らが鍛えてきたあまりにも繊細な軌跡は一向に止まることはない。


 そして――唇の端が、人を斬りつける度に吊り上がる殺人狂のようなその表情さえ、自分で制御することも叶わない。


 ――やめてくれ。()()はもう、封印したんだ!

 

 ――オレたちはもう、誰も殺したくないんだ……!!





「脱走する、だって?! 何言ってるんだカイズ、無理に決まって……!!」

「しーーっ! 声がでけーぞジラー! それに、無理かどうかなんてやってみなきゃ分かんねえだろ!」

「……本気なのか? 失敗したら、最悪死ぬかもしれないんだぞ?」

「……(こえ)ぇんだ」

「え」

「怖ぇんだよ。オレな、いつも人を殺すとき笑っちゃうんだ。頭じゃおかしいと思ってるのに、気が付いたらニヤけてる。このままここにいたら、今感じてるこの感情さえ忘れてしまうんじゃないかって。それって、死ぬより怖いことなんじゃねえかな」

「やっぱり……カイズも、か」

「え? ってことは、お前もか?」

「ああ。分かってたんだけど、なかなか行動に移せなくてさ。この前の団長の話も、全然乗り気になれなかったし」

「“町に出て信頼できる仲間を作って暗殺しろ”ってヤツだろ? 意味分かんないよな。やっぱりオレと脱走しよーぜ! 二人なら全っ然怖くねえよ!」


 五年前。


 日に日に恐ろしさを感じていた。

 団長の命令を唯一の至福とし、暗殺に生き甲斐を感じ、恐れすら感じない自分が。

 目の前で命を失う人間に、なんの感慨も抱かなくなってゆく自分が。

 いつしかそんな疑念さえも消えて無くなり、人殺しにのみ快感を覚えてしまう未来が、堪らなく恐ろしかったから。

 互いに信頼し合える相棒と、脱走を図った。


 日が完全に沈みきり、全員が寝静まるのを見計らって彼らは動き出す。


 ガイラオ騎士団の本拠地には広場があり、日中は食事や訓練に使われ、夜間は睡眠のためいくつものテントが張られる。

 原則として一つのテントに二人で寝ることになっており、大抵の場合、出身地が同じか近い者同士が組まされる。

 カイズとジラーも同郷だったことから、同じテントに宛がわれたことが幸いした。


 もちろん見張りは何人かいるが、部外者対応が主目的であり、持ち回りで行っているため基本的に身内には甘い。夜中に二人揃ってテントから出ようが、「トイレ」と言えば抜け出すことは容易だった。


 気配を残さぬよう、慎重に歩を進める。


「よし、こっちだ」


 山を切り開いて作られたこの場所は、いわば森の中の要塞。麓からここまでの道筋は険しく、いかに健脚であろうと好んで登ってくる者はほとんどいない。


 ごくまれに訪れる「部外者」も、道を外れた登山者や肝試し感覚でやって来た若者ばかりで、真の脅威といえば熊などの大型動物くらいのものだ。


 敷地の外は近い。

 見張りの気配もなさそうだ。


 ――うまくいった。


「ここで何をしてる?!」


 安堵感から気を抜いてしまった二人に、突如降りかかる声。嫌と言うほど聞き覚えがあって、反射的に振り返る。

 左手には抜き身の大剣。燃え盛る炎を彷彿とさせるオレンジ色の髪。


「ウオルク、さん……」


 乾いた声を出すカイズとは対照的に、声の主――ウオルクは目を丸くしていた。弟分たちがこんなところにいるなど夢にも思わなかったのだろう。


 取り繕うように瞬時に放たれた殺気は抑え込まれ、大剣を振り上げ肩に担ぐ。その場の微妙な空気を切り裂くように。


「なんだ。カイズにジラーじゃねーか。どうした、トイレか?」


 戯けた口調で明るく問い掛けてくる彼に、しかし二人は返答できないでいた。


 今までなら、彼以外に会っていたなら、はっきりと肯定の言葉を返しただろう。今回ばかりはそれはできない。いつからか実の兄のように慕ってきたウオルクに、嘘を言うことなどできなかった。


 それに――心のどこかで「彼ならこの行動を理解してくれる」と思いこんでいたこともある。


「……何を思い詰めてる?」


 黙りこくる様を見てさすがに不審に思ったのだろう、ウオルクが核心を突いてきた。


「脱走だとか言うんじゃねーだろな?」


 普段の『依頼』ではそんなヘマはしないのに、あからさまに動揺してしまった。ウオルクが苦笑いしている。言わなきゃ良かった、とでも思っているのかもしれない。


「まぁ、否定しないってことはよっぽど意志が(かて)えってことなんだろーけどな。オレはそーだけど団長もきっと言うぜ? “もったいない”って」


 それはウオルクなりの引き留めだったのだろう。束縛はしないが突き放しもしない、こちらに選択権を与えてくれるような言い回しだ。

 

 出来ることなら、満面の笑みを浮かべて「嘘です」なんて言って、兄貴分に注意されて、テントに帰っていく――。そんないつも通りのやりとりをしたかった。


 けれども、もう決めたことだ。

 これ以上、この集団の中で暮らしていくことはできない。

 

 二人の本気を感じ取ったのか、ウオルクが大きく溜息を吐く。

 

「……分かった。オレから一つ課題を出してやる。それをクリアしたら、お前らの勝手にすりゃいい」


 理解は得られたようだが、課題の内容が分からない。まだ安心できるような状況ではない。

 

 ウオルクがやおら大剣を大振りし、横手に構えた。その意味が理解できず、ウオルクと大剣を交互に見つめる。


 否、本当は分かっていた。分かっていながら、理解を拒んだ。

 どちらからともなく一歩足を退く。


「逃げるな」


 カイズらの思考を読み取ったかのように、ウオルクの低い声がそれ以上の動作を阻止する。

 

『逃げることはすなわち、負けを認め、死を認めるも同じ』。


 この地で同じ土を踏む仲間のうちは、その教訓は有効なのだ。


 真意を感じ取った二人は微動だにしなかった。固唾をのんで、次に来るであろう指示を待つ。

 その内容次第では、ウオルクと同じように武器を持たなければならなくなる。


「課題は、『オレに一撃与える』こと。攻撃の仕方は問わねえ。ただし手加減しないし、するな。オレはお前らの攻撃を防ぐだけで、反撃はしない」


 つまり、兄貴分であり師でもあるウオルクに手傷を負わせろということだ。

 

 もちろん手合わせは数え切れないほどしてきたが、せいぜい木剣での打ち合いのみ。打撲や擦り傷以外の傷は負ったことがないし、負わせてもいない。鍛錬以外での師への攻撃は団への攻撃と同義だったから。それでなくても、兄貴分に怪我を負わせるという発想自体がなかった。


「そ、そんな……そんなこと……」

「選択の余地はねーぞ。お前らは団を抜けたくて抜けようとしてたんだろが。戦う相手がオレでもオレじゃなくても、大差はない」


 かつてないほどの隙と甘さを見せ狼狽える二人に業を煮やしたのか、無言で歩き出すウオルク。

 カイズとジラーは慌てて後をついていく。


 やがて視界が開け、断崖の先に広がるのは宵闇の景色。

 しばし天を仰いでいたウオルクが思い出したように振り返って、崖の下を顎で示してくる。


「ほれ、見てみろ。お前らの故郷だ」


 思いも寄らない言葉に思考が停止する。

 そんなもの、今の今まで意識もしていなかった。ましてやこんな近くにあるなんて。

 

 半信半疑ながらも崖に近づいていくカイズら。

 遠くに山、中頃に森、さらに手前まで視線を戻し。


 崖の真下と言っても差し支えない位置、木造の屋根がいくつも並んでいた。


「あれが……オレ、たちの……」

「『ベルレーヴ村』だそーだ。『課題』をクリアしたら、里帰りも自由ってわけだ」


 故郷を見つめ続けるカイズとジラーの背中に、ウオルクは容赦なく期限を告げる。


「タイムリミットは日の出まで。それを超えたら……二度とあれを見れねえと思いな」


 今振り向けば、間違いなく武器を持たなければならなくなる。

 しかし、ここで戦わなければ二度とあの村を見られなくなってしまう。


 正直、記憶にはない。けれどもそこが自分の故郷だという実感が、僅かにあった。

 何故だろう、一度見ただけなのに無性に懐かしさがこみ上げてくる。これが郷愁の念(ノスタルジー)、と言うモノなのだろうか。


 問い掛けるように横目で相棒を見れば、同じように見つめてくる瞳があって。


 どちらからともなく武器を閃かせたのは、次の瞬間だった。

 細く繊細な軌跡と、太く強靱な軌跡が空気を分ける。


(もう、後戻りは出来ない。したくない。……負けられない!)


「……やっぱ、あの村はツブしとくべきだったか」


 独り言のつもりで呟いたのかもしれないが、静かな夜には通用しない。いくら慕っていた兄貴分でも言っていいことと悪いことがある。


 少し早めに三つ数え、同時に地を蹴る。共に駆けた後は、それぞれが思い思いの方向に散る。


 数歩走ったあと分散、瞬く間に一人が背後を取り、もう一人が『おとり』と数秒ずらして攻撃を仕掛ける。基本形の連携だ。


 ジラーが背後を取るが、ウオルクはこれを押し出して振り抜いた。その勢いで、『時間差』で攻撃をしたカイズの突きもすくい上げるように弾かれる。

 

 それぞれの武器に加わった重圧を勢いに変換し、背後にある森に素早く身を隠す。

 手合わせの時と違って反撃はないため、彼らは休む間もなく再びウオルクに向かっていった。

 

 さすがに長年鍛錬に付き合ってもらっていただけあって、こちらの癖はほとんど全て把握しているらしい。奇襲をかけたつもりでも易々と防がれてしまう。事前に決めていた合図を出し合い幾度となく作戦変更をするが、どれも決定打にはならない。時間ばかりが過ぎていく。

  

「カイズーっ、生きてるかー?」

「なんとか……って、てめ、本当に人間か…?!」


 この団に所属しているからには体力が必要不可欠となってくるが、それにもピンからキリまである。ジラーに至っては『体力バカ』と称されることがしばしばあるほど、何をしても疲れない体質と評判だった。今回もご多分に漏れず、息遣いが荒いカイズとは対照的にけろりとした声が呼びかけてくる。

 

 そんな彼に追い打ちを掛けるように、緩い声が間に入る。


「お前らなーそろそろ時間切れだぜー」

「何ーーっ!?」


 あえて潜んでいるのも忘れて思わず大声を上げ空に目を向ければ、確かに薄明るくなっている。

 

「ちぇっ……ジラー!! あれやっぞ!! 『作戦K』!!」

「あれかー? 別にいいけど、本当に大丈夫かー?」

「こんなことで負けてられっかよ!!」


 叫ぶと同時に飛び出すと、相方も別の茂みから駆け出してきた。

 そのまま進めば前後、あるいは左右から挟み撃ちを狙えるが、フェイントを掛けるように急停止し別々の方向に跳ぶ。

『作戦K』と言いながら全て同じなのではないか、と疑いたくもなるかもしれないが――そう思ってくれれば御の字だ。


 ジラーからの打撃の防御もそこそこに、前を向くウオルク。次に来るであろうカイズの突きを警戒しているようだった。予想に反して一向に訪れる気配のない攻撃に、首を傾げるように腕組みをして顔をしかめる。

 

 ようやく気付いたらしい。 

 二の腕から肩にかけて引かれた赤い筋に。


「一撃、加えたぜ」

「……なるほどな。殺気まで同調させた、ってワケか」

 

 こちらに問いかけているのではなく、自らへの確認の意味での独白だろう。なんとなくそれを分かっていたから、カイズもジラーも何も言わなかった。


「ま、『課題』はクリアしたことだし行けよ。団長あたり、そろそろ気づいてこっちに来るかもしれねーし」


 至って気楽に構えるウオルクに、カイズもジラーも戸惑いを隠せなかった。少なくとも夕方までは、信頼し合える師弟だったというのにあっさりしすぎている。


 加えて左腕の傷は深く、そう簡単に塞がりそうにない。前腕を伝って滴り落ちる血の量も少なくはない。責任感が焼き付いて離れないのだ。


「早く行け!!」


 いつもの飄々とした態度からは想像もつかないほどの怒号が飛び、恐れおののいたカイズらは弾かれたように走ってその場をあとにした。


「そのうち連れ戻しに行くぜ……」


 だから、足音が遠のいて大分経ってから、ウオルクがそう呟いたことなど知るはずもなかった。

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