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第五十五話 Pathos-パトス-(3)

「嘘、だろ……」


 白兎ハクトの、人以上の視力はもう一つの事実を映していた。

 影はただ無意味にうごめいている訳ではなかった。いくつもの軌跡が、絶えず火を吹く蜥蜴とかげに向かう。


 生きているどころの話ではない。どう見ても、攻撃している。


 裏付けるように強くなる血の臭い。 

 白兎の視線が、【火蜥蜴サラマンダー】の足下に向く。

 白い床に不釣り合いな、黒く(いびつ)な楕円。


(単なる焦げだと思ってたが……血なんじゃねェのか?)


 結論はすぐに出た。【火蜥蜴】が崩れ落ちたのだ。

 身体中の至る所から赤黒い血を流し、纏っていた炎は風前の灯火。


「きっとあれが、彼らの実力なんだよ。【火蜥蜴】は四大召喚魔法で一番威力が低いものだけど、それでも魔族すら滅ぼしかねない強力な獣」


 その先を躊躇うように、ミリタムは言葉を切る。

 ひどく苦しそうに、視線を落として。


「もうあの人たちは仲間じゃない。敵だ」


 はっきりと、そう言った。この場にいる誰よりも聴力の優れている白兎が、聞き違うはずがない。

 それでも――否定したかった。


「な……何でそんなこと分かるンだよ? たかだかトカゲ一匹やっつけただけじゃ、」

「貴方も見たでしょ!? あの二人の目を!!」


 珍しく感情的な声に圧倒され、二の句が継げない。

 確かに、駆けつけて最初に見たあの目は、恐れも悲しみもない暗殺者のそれだった。


「僕だって信じたくはないよ! だけど彼らは現に人を攻撃した! 僕の放った魔法もああなった! もう、彼らは……!!」


 取り乱した魔法士の少年。鳴りやまない鈍い音。


 何故、長年忌み嫌っていた『人間』のことでこんな感情を抱かなければならないのか。

 そんな思いとは裏腹に、目の奥から何かが込み上げ、視界は霞む。


「……いつ、僕らに向かって来てもおかしくない。手加減したら、油断したら、駄目なんだ」


 自らに言い聞かせるようなミリタムの言葉で、白兎はとうとう一筋の涙を流した。





 【火蜥蜴】の身体を覆う火は消えつつあった。

 次の『標的』を探しているのか、カイズたちは動きを止めている。

 その目を盗んで、蜥蜴の尾の辺りに近づく影がふたつ。


「やっぱり撃っちゃえばいいのよぉ……」

「うーん。それはまあ、最終手段ってことで」


 何度も鼻をすすり、だって、だってと今にも大声を上げそうなラニアを苦笑しながら宥める(あおい)。見つかってしまっては元も子もない。


 碧は表情を引き締めて、そっと蜥蜴に触れる。

 もしかしたらとんでもなく熱いのではないかという心配もあったが、意外とその身体は温かい。極端に体力が奪われているからかもしれないが。


「大丈夫、ですか?」

【大事無い……】


 意味もなく訊いてみたつもりだったが、返事があって思わず周囲を見渡す碧。

 そんな彼女に目を細め――それが彼らの「笑み」なのだろう――【火蜥蜴】は静かに語りかけた。


【私のこの声は、私の意識の内。【思考送信(テレパシー)】を有する汝以外の者には聞こえぬ】

「そ、そうですか」


 そうは言われたものの、反射的に声に出してしまう。慌ててラニアの様子を伺うが、すすり泣く彼女の耳には届いていないようだ。


 ひとまず息をつく碧の脳に、【火蜥蜴】の声が流れ込む。


【あれらは、汝の仲間か】

(はい、突然あんな風に……どうしたら?)

【気の毒だが娘よ。私は汝ら人間の心の機微に干渉する術を持たぬ。だが、あるいは】

(本当ですか!? 教えてください、お願いします!!)


「あるいは」に反応し、肩を落としていた碧の瞳が瞬時に輝きだす。

【火蜥蜴】は、自身に触れる手のひらの温もりに縋るようにゆっくりと瞼を閉じる。そのまま動きがなく、死んでしまったのではないかと碧は内心慌てる。


【汝は不可思議な能力を持っているな。傷が癒されてゆくようだ】

「えっ」

 

 再び双眸が開いて安堵する一方、「教えてください」と頼んだことは事実上無視されており、複雑な気分になる。


 他方、「傷が癒される」と言われたことは喜ばしい。

 もし【火蜥蜴】の言うことが本当なら、これまでの修行の成果が着実に表れているということになる。


【済まぬ。蔑ろにしていたわけではないのだが、心地良くてな。手はそのままに。私があれらから感じ取れたことを話そう】

(っ、はい)


 どうやら『思考送信』は、巫女特有の能力ではないらしい。少なくとも、こうして動物――彼らのような存在は「精霊」と呼ぶ方が正しいのかもしれないが――と会話できることは証明された。そして彼らもまた、相手の心が読めてしまうことも。


 碧は少しでも疑ってしまったことへの罪滅ぼしとして、【火蜥蜴】がもたらしてくれた話に真剣に聞き入った。





「イチカさんよ、なかなかやるじゃねーか! そんなにあいつらが大事か?」


 宿の外では未だに攻防戦が続いていた。

 イチカとウオルク、剣の技能はほぼ互角。


 ――否。


(ウオルク(こいつ)はまだ、実力を出し切っていない)


 言動から垣間見える余裕さが、イチカを苛立たせる。

 相手は互角に見せかけて遊んでいるのだ。手加減されていると認めざるを得ないのが、また癪に障った。


「いいこと教えてやろうか」


 焦燥感を隠しきれないイチカを、ウオルクは面白そうに眺めてくる。


 イチカの方はお前の話など聞きたくないと言わんばかりに、研ぎ澄まされた殺気を放ち続ける。

 当初からの言動を見れば嫌でも予想が付く。次に出る言葉はこちらの神経を逆なでするものだ。


「お前の仲間、もうあいつらに殺されてるかもしれねーよ?」


 揺さぶりだと分かっているのに、動揺を抑えられない。

 殺気が意図せず弱まる。


「なん、だと……?!」

「気づかねーか? さっきから血の臭いが濃くなってきてる。死人が増えたって証拠だ」


 わざとらしく鼻で息を吸うウオルクを見て、イチカの怒気は限界を振り切った。

 

 信じなければいいのに。

 信じてはいけないのに。

 この青年は惑う心の隙間に的確に入り込んでくる。

 そんなはずはないと思いたい反面、そうなのではないかと少しでも思ってしまう自身が許せない。


「ふざけるな!」


 怒り任せの刃もすんなりと受け止められ、収まりきらない憤りは行き場を失う。

 そんなイチカを滑稽そうに見つめていたウオルクが、不意に哀れむような目を向けた。


「やっぱお前、ガキだな」


 絶えず浮かべていた微笑は消えていた。

 代わりに注がれる、冷ややかな眼差し。


「マジで冷静沈着かと思ったらそうでもねぇし……感情を抑えきれてねえ」

「な……」


 長所だと思っていた。感情を表に出せない分、戦いにおいては余計な()()()()に囚われることもないから。

 現に今まで怒り狂ったことは無かったし、たとえ苦戦を強いられても自分を保っていられた。

 そんな自分が。


 他人の為に、感情を抑え切れていない。


「惜しいぜ。結構、」


 大振りされた大剣が、いとも容易くイチカの剣をはね除ける。

 斬撃の重さに耐えきれず、剣は持ち主の手から抜け落ちた。


 しかし、自分を見失ってしまった彼には理解できようはずもなかった。


「骨のある奴だと思ってたのによ」


 ウオルクの剣が、イチカの身体を鎧ごと薙いでいたことも。

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