第五十三話 Pathos-パトス-(1)
高く金属音が響き渡る。
大きさも形も異なるふたつの刃は、しかしほぼ互角だ。息もつかせぬ打ち合いが、一行の、特に碧の心に焦燥感を生じさせる。
今、イチカと戦っている相手は明らかにカイズらの過去を知っている。
だからだろうか。ひとつ、どうしても気にかかる言葉が碧の脳裏で反芻されていた。
『五年間、よく騙し続けられたな?』
青年が、碧らを惑わしているだけなのか。
それとも――極力考えたくはなかったが――カイズとジラーが、本当にその言葉通り「騙して」きたのか。
短い期間だが、彼らの性格は把握しているつもりだった。明るく、素直で、勇敢な少年たち。ただの一度も疑わず、信じてきた仲間。
初めて彼らと会ったとき、派手な集団かと思ったのを思い出す。
それは大きな間違いだった。初対面の人間を救ってくれた。笑いかけてくれた。そのとき碧は、改めて『人は見かけによらない』ということを思い知らされたのだ。
だからなおのこと信じられなかった。彼らに騙されているなどと。
(だけど……)
これまで見聞きした情報から、碧の心に迷いが生じていたのも事実だった。
青年の危険な提案に応じるように、剣に手を伸ばしていたカイズ。
彼、もしくはその後ろの誰か――おそらくガイラオ騎士団――との間にあったらしい、何らかの関係を全否定したジラー。
騙されている、とまではいかなくとも、彼らが隠し事をしているのは明白だ。
共に見守っているラニアが、胸の前で両手を組み合わせている。
碧も想いは同じだった。一秒でも早く真相を知りたいと願っていた。
「お前、いい腕してるぜ」
消していた笑みを浮かべながら、青年が攻撃の合間に賛辞を投げる。
「オレはウオルク・ハイバーン。もう気づいてるかもしれねーが、ガイラオ騎士団の一人さ」
イチカは何も答えない。まるで声が聞こえていないかのように、無表情を貫き通している。期待感のこもった青年の表情は徐々に、不満そうなそれに変わっていく。
「無口な野郎だなー。こっちが名乗ってんだから名前くらい言うのが筋ってモンだろ?」
互いの剣がかち合い、両者の動きが止まる。先ほどまでは片手で大剣を操っていた青年だが、この時ばかりは両手で対応した。
きりきりと、刃のすり減る音がする。金属の擦れ合う音と息づかいだけの空間は、なかなかに居づらい。
「……イチカ」
相手の言う「筋」を通したのだろう。名前だけ告げて、後ろに飛び退く。
一行は彼の行動と、その意味を知り目を見張った。
イチカの鎧に、僅かなヒビが入っていたのだ。
「僅か」と言うと容易いが、イチカやカイズが身につけている鎧は特注品で、レクターン王国の一級品を扱う防具屋からラニアがわざわざ取り寄せたもの。高価だが、金額に見合った耐久性を兼ね備えている。
それが傷つけられたということは、相手の実力が生半可なものでないことを示している。
「なんだ、名前あるんじゃねーか」
一方の青年、ウオルクはようやく口を利いてもらえたからか嬉々として返した。イチカはそんな彼を、舌打ちと共に鋭く睨み据える。
「暗殺集団というのは、卑怯な手を使うのがお得意ならしいな」
皮肉混じりにそう言い放ち、手に持っていた何かを地面に投げ捨てる。
それは手のひらの大きさほどの小型ナイフだったが、ただの短剣ではないことはその場の全員が気づいていた。碧に関しては、もちろん漫画から得た知識であるが。
「あれ、暗器?」
「そう。迂闊に触っちゃダメよ。たぶん、毒が塗ってあるから」
小声で注意を促され、小さく頷く。イチカは涼しい顔でそれを投げて返しているので、柄を持ったのだろう。そこまでは把握できても、いつ投擲されいつイチカが拾ったのか。暗闇だから見えなかったのか、目にも止まらぬほどの速さでそれらの応酬があったのか。いずれも碧が理解するのは困難なことだった。
「そりゃあ、卑怯な手を使ってでも殺さなきゃなんねーからな。依頼主及び団長の命令は絶対」
他方、悪びれた様子もないウオルクは、戯けたように肩をすくめ口癖のように繰り返す。
イチカの表情が一層険しく、敵意に満ち溢れる。
「そんな、くだらねぇ“絶対”で……」
しかし、次いで聞こえた絞り出すような声はイチカではなかった。
「カイズ……!」
よろめきながら立ち上がる姿はあまりにも頼りない。ジラーが引き止めようとするが、カイズはレイピアを握りしめたままウオルクに向かっていく。
「何人死んだと思ってるんだーー!!」
口の端から流れ出る血を拭い、一気に距離を詰めるべく突進する。
対するウオルクはそんなカイズに心底呆れたような眼差しを送り、やれやれと呟きながら大剣を片手で構える。甘く見ていることは誰の目にも明らかだ。
だが、気付く者は気付いていた。
カイズの構え方に微妙な違いがあること。
そして、風が威力を持ったこと。
「行け、切り風!!」
「んなっ!?」
空気を掬い上げるように前方に振り抜かれたレイピアから、一抱えはある風の球が発出された。ウオルクから間の抜けた声が上がるが、予想外という点ではその場の全員の心境が一致しただろう。
カイズは周囲の風を自分の闘気と融合し、自らの細剣を囲むように胴体ほどの風の球を作ったのだ。何だかんだ言って、一応は某国の王女の技を参考にしていたらしい。
ただし、偏屈な彼は積極的には披露していない。共にいることが多いジラーでさえ、この技の概要を聞いたことがあるだけだった。
ともあれ、強度も大きさも大剣に劣るレイピアでも、使い方によっては相手を凌駕する。
「ちっ……!」
向かってくる風の球を見つめ、どうにもできないと判断したのだろう。ウオルクはその場に踏みとどまった。
程なくして、大地を揺るがすような爆発音とともに砂煙が舞い上がる。
カイズは肩で荒い息をしながら、ウオルクがいた場所を瞬きもせず見据える。
煙が晴れていく。
木の根本に座り込むウオルクの姿を認めたカイズは僅かに安堵の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちた。
「カイズ!」
駆け寄ったイチカに、カイズは力ない笑みを向ける。
命に別状は無さそうだが、先ほどの技でかなりの力を消耗したらしい。暫くは立ち上がれそうになかった。
「すまねぇ兄貴……オレらの問題に巻き込んじまって……」
「構わない。だからあまり喋るな」
そう諫めるイチカの口調は、どこか余裕がない。カイズとジラーを交互に見比べ、よりその表情を歪めさせる。端整な顔立ちがこれほど悲しそうに崩れたのを見るのは、誰もが初めてだった。
暫し俯いた後、イチカは碧らを振り返る。
「カイズとジラーを宿に。傷は深くないが手当は必要だ」
真剣な、尚かつ悲しさを宿した瞳でイチカは訴えかけた。今、明らかに彼は『動揺』している。
その真摯な眼差しを受け、碧とラニアは大きく頷いた。
「カイズ、大丈夫?」
「悪ぃ……」
自嘲気味な笑み。腹部に滲む血。
「いいよ、気にしないで」
碧は朗らかな笑みを返すと、彼の左脇から手を回し、右肩に添えた。
そのままカイズの歩調に合わせながら、ラニアが支えているであろうジラーに視線を向ける。カイズほど弱り切っていないように見えるが、それはカイズのような無茶をしていないからであろう。傷は決して浅くはない。
碧の目はそこから、青年を注視しているイチカへと動く。
カイズの技を受け、身体中に細かい傷を負っているらしい青年。
しかし、重傷ではない。いつ剣を手に取り、斬り合いになってもおかしくはない。
視線に気付いたのか、イチカが振り向いた。
銀色の瞳が、まっすぐに碧を映す。
刃物のように鋭く、時に美しく光彩を放つ、深い哀愁を漂わせたイチカの瞳。
ほんの一瞬目が合って、すぐに銀髪が遮る。
「おれのことは気にしなくていい。早く行け」
「……うん」
いつも通りのぶっきらぼうな物言いに、平静を取り戻していると感じる。
その矢先、祈るような声が届いた。
嘆きにも似たそれはきっと、彼の心の声だったのだろう。
――『カイズたちを、頼む』。
願いをしっかと受け止め、碧はまた歩き出した。




