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第五十二話 襲来(2)

 今ここで決断を迫られたら、なんと答えればいいのか。


 そんなこと聞かれるまでもない。だが、どこかで異を唱える自分がいる。

 本当にそれでいいのか、と。





 イチカは迷っていた。困惑していた。


 円状に切り取られた壁。穴の向こうに一瞬見えたのは、一瞬ではあったが自分の弟分だった。見間違えるはずがない。


 そうした是非を脳内で決定する前に、身体が動いていた。

 気配をできる限り消し、彼らを追う。


 結果としてはカイズとジラーを尾行していることになろうが、決して悪気はない。

 それに――


(それにこの気配は、昼間の……)


 確信を胸に抱いたまま、どれほど追い続けただろうか。


 二人が立ち止まった。彼らの後ろを走っていたイチカも足を止め、物陰に潜む。

 ここまでしてしまっては完全に怪しい人物だが、本人は自分の行動のことなど頭にないのだから仕方がない。


 カイズが叫んだと同時に、ジラーが背中のハンマーを抜く。どこからか現れた人影に怯んだ様子もなく、相手の見るからに重々しい武器を戦鎚で受け止める。


 妙だ、と感じた。

 師弟の間柄から、彼らと手合わせをしたことは何度もある。

 大抵はすぐに、イチカの勝利で決着がついた。二人まとめて相手をしても、結果は変わらなかった。


 今まで「経験不足なのだろう」と勝手に解釈していたが、今の様子を見るとそうでもないらしい。

 ジラーに至ってはイチカの剣をまともに受けたが最後、尻餅をついて早降参状態だったというのに、一回りも二回りも大きな得物の一撃を受けて平然としている。噛み合ったまま動かない武器を見る限り、互角なのだろう。


 短期間でこれほど上達するとは考えにくい。

 一瞬「相手が手を抜いているのかもしれない」などという考えが過ぎったが、すぐにかき消えた。魔族に匹敵するほどの殺気が、実力を物語っている。


(手を抜かれていたのは、おれの方なのか……)


 なんとも言えぬ脱力感と、例えようのない悲しみが覆い被さる。

 長年「兄貴」だの「師匠」だのと慕われてきたが、違うのではないか。本当は自分が、そのように敬うべきではなかったのか――。


 考え事に(ふけ)っていたせいか、イチカは自分に近づく凶気に気づかなかった。

 抜き身の剣が、夜の光を受け、青白く輝いていて――


 断首のごとく振り下ろされた大刀は、しかし空を切った。

 間一髪の所で、殺気に気付いたイチカが横に飛んだのだ。


 それがいけなかった。


「あ、兄貴……?」


 ハッとして、声のした方を向く。

 ひどく驚いたような、戸惑ったような、そんな表情。

 つられて振り返ったジラーもまるで、見られてしまったとでも言いたそうな顔をしていた。


 仮面が剥がれ落ちてゆく。

『弟分』という名の、偽りの仮面が。


 間近にあった殺気が消えた。

 白い光の行方を知ったときには、もう遅かった。


「カイズ! ジラーっ!」


 眩しすぎるほど鮮やかな軌跡が、呆然と立ち尽くしていた二人を襲う。

 噴き出した血は、暗闇だというのに残酷なほど鮮明にイチカの目に映った。


 既に習慣となった、柄を握る仕草。

 それなのに、抜けない。気圧されていた。


 例え相打ちでも構わない。今すぐ駆けつけたいのに、思いとは裏腹に腕も足も動かない。

 密かに舌打ちを零した、そのとき。


「何? どーなってるのこの壁?」

「イチカじゃない! 何してるのこんなトコで」


 後方から聞き慣れた声が響く。それが呪縛を解く合図だったかのように、イチカは駆け出す。状況を把握できていない声の主ら、すなわちあおいとラニアを置き去りにして。


「来るな兄貴ッ!」


 カイズの拒絶的な声が僅かにイチカの足を遅らせるが、負けじと叫び返す。


「何を言っている! その怪我で、」

「これは、オレたちの問題なんです!!」


 懇願するようなジラーの言葉で、イチカは思わず足を止めた。


「そうそう。オレらの問題に口出しすんなよ」


 聞き馴染みのない、陽気だが同時に陰のある声。反射的にそちらを見る。


 夜光の下、一人の青年が立っていた。


 夜を照らすような明るい橙の髪と瞳。にぃ、と形容できそうなほど片側がつり上がった唇。肩当てのない左肩に置かれた、身長に匹敵するほどの刀身と、顔幅ほどはあろうかという刃をもった大剣。

 

 そして極めつけは、首元の金具に描かれた紋章。

 金縁の六芒星を貫く、血濡れた槍。


 イチカよりも二、三歳は年上であろうが、その人懐こい笑みのせいか妙に幼く見える。

 一方で、肩に担いだ大剣の切っ先から滴り落ちた赤液が、カイズとジラーを斬りつけた張本人であることを物語っている。


「お前らさぁ、もういいんだぜ?」


 微笑の奥に秘められた意味深な響きが、二人の肩を震わせる。


「五年間よく騙し続けられたな? あとは最後の締めだけ。とっとと済まして戻ってきな」


 囁くような青年の声に、またしても戦慄く肩。

 第三者の目から見れば、今の彼らの姿はさながら猟師を恐れる小動物そのものだ。


「お前らなら出来るだろ? 自分と関わった赤の他人を消すことくらい、朝飯前だよなぁ?」

「なっ?!」


 イチカたちの驚きをよそに、なおも人懐こい笑みを浮かべ柔らかく、内容とは真逆の明るい口調で青年は二人に語りかける。


「他人を殺すだけでいいんだぜ? それだけで家に戻れるし、位も上がる」


 最後の一押しと言わんばかりに紡がれた言葉は、明らかに狂気を含んでいた。


 抗うように目を見開いて、浅い呼吸を繰り返し、止めどない汗を滴らせて。

 それでも――カイズの震える手は少しずつ、確実に愛用の武器へと伸びていく。イチカらには分からない「甘い言葉」に従うかのように。


 そんな彼を無言で制したのはジラーだった。カイズの手の甲を拳で軽く叩いただけだが、カイズは汗だくのままはっとしたような表情を浮かべ、叩かれた手を地面に打ち付ける。

 

 ジラーの顔面も大量の汗で濡れ、怯えたように強ばっていたが――次には全ての畏怖を押さえ込んで、青年に向かってきっぱりと告げた。


「オレたちは、あんたとはもう無関係だ」


 青年の眉がぴくりと動いた。

 それまで浮かべていた微笑みを消し、蔑むような眼差しでジラーを見ている。


「根拠は? お前らが団から抜けたっていう証明書でもあんのか?」

「……その腕、五年前のだろ」


 ジラーが「証拠」とばかりに目で示した先。青年のさらけ出された左上腕外側に、大きな裂傷の痕があった。

 ちらりとそれを見遣ってから、青年は鼻で笑う。


「団長がいたく傷心してたぜ? お前らが「家出」したってな。捜してこいって言うから、オレが連れ戻しに来た。忘れてるみたいだから思い出させてやるよ。『依頼主及び団長の命令は絶対』だ。お前らの意思は関係ねえ」


 一瞬悔しげに口を噤むも、ジラーはやはり迷いのない瞳で躊躇いなく否定する。


「あんたたちの考えなんて知らない。オレたちは二度と戻る気はない」


 青年は目を据わらせたまま、カイズに視線を投げる。

 汗まみれで血の気の引いた顔に不釣り合いな抵抗の意思を認めてか、わざとらしく溜息を吐く。


「どーやらまだまだ反抗期まっただ中らしいなぁ? 大人しく戻るって言ってくれりゃあなぁ。オレも心が痛いんだぜ? “弟分”を斬るっていうのは。でもま、仕方ねぇよな」


 肩に置いていた大剣を持ち直し、まっすぐに二人に突き付け。

 駄々をこねる子供のような呟きから一転、橙色の瞳に鋭く影が差す。


「半殺しにして連れ帰る」

 

 低く宣言したと同時に、辺りに満ち溢れる殺気。


 とてつもない気だ。魔族のそれほど禍々しくはないものの、喉元に刃物を突き付けられているような息苦しさと緊張感。

 

 だが、イチカには関係ない。カイズとジラーの前に立ち、大剣を手で押し退け青年をまっすぐ見据える。青年は鬱陶しげにイチカを睨む。


「なんだ、お前?」

「あんたとこいつらがどんな関係かは知らない。知ろうとも思わない。だが」


 目を見張る青年。イチカから放たれた(したた)かな闘気は、牽制として十分だったようだ。


「こいつらはおれの弟分で、仲間だ。帰る場所はこっちしかない」


 静かな怒りを滾らせたまま、鞘から剣を抜き構える。

 そこまで見てようやく事を察したらしい。青年は再び唇を吊り上げ、大剣を振るった。


「おもしれぇ。オレと()ろうってのか。いいぜ、『死闘』といこうか!」


 高らかに響き渡る声が、『死闘』の幕開けを知らせた。

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