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第五十一話 襲来(1)

 たとえ消し去りたい過去があっても それは記憶の底にいつまでも残り続ける


 たとえ明日が待ち望んだ未来であっても あやまちや苦悶は決して消えることはない




 人は迷う。迷うからこそ道が開かれ、閉ざされもする。

 迷った末に人が辿るのはどの道か。

 おそらく、『実行』か『相談』という行動に出るだろう。


 しかし後者は、『相談』出来る相手がいなければ意味がない。孤独の内に身を置く者は、そういった手段を持たない。さりとてなかなか『実行』に移せない者もいる。迷いを放っておくには心は狭すぎる。


 ――重度の記憶喪失にでもならない限りは。


 だから少年らは、死ぬことを覚悟して記憶を消そうとした。常に空腹の状態で、眠りもせず歩き続けていた。


 それから先の記憶はない。

 きっと死んだのだ。そう信じていた。


 開いてしまった瞳に映ったのは見知らぬ部屋。

 傍らにあったのは、そのときの少年らには眩しすぎる少女の笑顔。

 勿論、覚えていないことなどなかった。彼らの脳は、何も忘れてはいなかった。


 何も知らない少女に話すのは、あまりに残酷だったから。心苦しくはあったが、嘘をついて、虚構の自分を演じてきた。


 作った過去も、いつかは現実になると思っていたから。





「広ーい!」


 確かに『大浴場』と表記されているそこは、しかし誰一人いない。

 まるで貸し切りだ、とあおいは思う。


 たまたま見つけた宿でもそれなりに小綺麗で、特に今碧とラニアがいる風呂場は壁や浴槽が光沢を帯びており、所々が美しく輝いている。


 隠れた名宿、とでも言うのだろうか。宿代は高すぎず安すぎず、部屋には必要なものが全て完備されている。あまり目立つ外観ではないが、宿泊客も少なからずいるようだ。


「そういえば、最近お風呂とか入ってなかったわね」


 碧が興味津々な面もちで辺りを見渡している間に、ラニアは既に黒光りする湯船に浸かっていた。アオイも入りなさいよ、と上機嫌に手招きする。余程嬉しいのだろう、次の瞬間には鼻歌を歌っている。


「……え、あ、うん。もうちょっと見てから」


 歯切れ悪く返す碧。

 彼女とて、冷えた身体を温めるために一刻も早く風呂に入りたい気持ちはあるのだが、劣等感が邪魔をする。


 劣等感――すなわち、視界の片隅に映るラニアの胸部。

 視線を下げて、微かに漏れる溜息。彼女と張り合おうなどという気は全くないのだが、ついつい比較しまうのだ。


(たしか、一つしか違わないはずなのになぁ)


 しばらく悩んだ末、椅子から重い腰を上げる。

 ラニアが待つ湯船に向かい、ゆっくりと足を入れると、心地よい温かさがこれまでの旅の疲れを癒していって。


 思い切って肩まで浸かる。


 程良い湯加減ですっかり緊張が解れ、碧はもうスタイルのことなどどうでも良くなっていた。


 しばらく温もりに身を委ねていた碧だが、不意に隣からの視線を感じて。

 心なしかうずうずしているラニアが、何かを言いたくて堪らない様子で見つめてくる。


「な、何?」

「イチカのこと、どう思う?」


 とんでもないことを直球に訊いてくれる。

 嘘がつけない――ついたとしても、すぐに見破られるほど顔に出る――碧は面食らいながらも、思ったことを正直に話す。


「どうって……最初に会ったときは、かっこいいな、とは思ったけど……」


 言ってから、羞恥で顔が熱くなる。

 そうだ、かっこいいのだ。

 碧の好きな『二次元』に出てくるキャラクターに負けず劣らずなほど。


「ふーん? 今は?」

「い、今?」


 彼女は何が知りたいのだろうと訝りながら、これまで彼に抱いた感情について整理する。


 見惚れた直後に殺されかけ、そんな気持ちは吹っ飛んだ。

 怖いと思ったが、他に頼れるものがないし、助けてくれたカイズやジラーがいたのでついていった。


 大芋虫に勝った後も、彼が自分と同じ日本人と知ったときも、辛辣な言葉をぶつけられ、苦手意識があったことは否めない。


 他方、白い少女と交わしたらしい約束を律儀に守っていて、それ以降最初ほど嫌悪感を示されたりはしていない。彼なりの正義感、あるいは責任感、もしくは両方ゆえだろう、と感じる。ラニアたちほどではないが、何度か会話もしている。


 そして、そんな彼をたまに目で追っていることに気付く。

 おそらくそれは――


「今も……かっこいい、と思う……」


 その容姿が、戦う姿が、碧にとって「かっこいい」から。


「じゃあ、好きってこと?」

「……えっ?!?!」


 湯に浸かっているのとは違う意味で顔が熱くなる。

「異性として好きなのか」と訊かれている。そのことは理解できたが、考えたことがなかった、というのが本当のところだ。そもそも現実の男性を好きになったことがないのだから。


 けれどもイチカに対する感情は、漫画やアニメに出てくる美形キャラクターに抱くそれとは違う気もしている。


 何にしても、すぐには答えが出ない。


「……分かんない……」


 眉と視線を下げて答えると、ラニアが慌ただしく弁解する。


「ごめんなさい、困らせたかったわけじゃないの。ただ、なんとなく、最近イチカのこと見てる気がするなーって思ったから、気になっちゃって」

「うう……」


 よく見ている。熱気と恥ずかしさとで逆上のぼせそうだ。

 目で追うことはその人が気になり始めた証拠、とどこかで聞いたことがあるけれど。


「……好き、なのかな」

「そうねぇ……あたしが決めていいことじゃないから、いい加減なことは言えないけど……焦らなくていいんじゃない?」

「焦らなくて、いい?」

「そう。急いで結論出しても、それが正しいとは限らないから。しばらくは一緒にいることだし、その間にもっと仲良くなっちゃいなさい。そのうち、答えが出るかもしれないわよ?」


 降って湧いた魔族との因縁。それを断ち切るまでは、ほぼ確定的に共に行動できる。

 この気持ちが恋愛感情としての「好き」なのか、単なる憧れなのか。推し測るだけの時間は十分にある。


「そう、だね。そうする!」


 迷いが晴れた碧の笑顔を見て、ラニアも安心したように微笑み、湯船の中で思い切り両腕を前に突き出す。


「あなたに「一緒に来ない?」って言ったのは、あたしがあなたと仲良くなりたかったからなんだけど。あいつの過去のことも引っ掛かってたのは確かよ。だから、ちょっと考えなしだったかなって反省してたんだけど……意外と仲良くなってくれて嬉しいの。もう三年一緒にいる、家族みたいなものだから」


 本当に嬉しそうに語るラニアを見て、碧も自然と頬が緩む。

 碧自身も、出会った当初から見れば想像もつかないほどには上手くやれている感覚はある。


「それに、あたしたちも知らない反応したりするから、こっちは結構面白いのよね~」

「そうなの?」

「ええ。なんていうのかしらね、見た目はあの通り変わらないんだけど、微妙に雰囲気が違うっていうか――」


 声は不自然に途切れた。

 同時に、派手に飛び散る水しぶき。


 ラニアが突然湯船から立ち上がり、胸元に隠しておいたらしい銃を天井に向けたのだ。


 大浴場の天井はガラス張りで、天窓を通して数本の木々と空を見ることができる。

 碧はほんの一瞬、木々を渡っていく影を見たような気がした。


 その直後、ラニアは銃を下ろす。


「逃げたわね」

「ていうかラニア、お風呂にまでそれ持ってきてるの?」


 胸元に銃を戻しながら呟くラニアに真っ先に疑問を投げかけると、握り拳を明後日の方向に突き出し力説する。


「いついかなる時も、武器は身につけておく! それが戦う者の勇姿よっ!!」

「えーっと……そう言えばさっき、なにかいたよね」


 なんだか放っておくと際限なく喋り続けそうな気がしたので、碧は別の話題を引き出した。

 ラニアは小さく頷く。


「ただの覗きならそのまま撃つつもりだったんだけど、下心丸見えな気配はしなかったの。その代わりほんの少し殺気を感じたから、様子見してたらこの有様。たぶん、かなり戦闘慣れしたヤツよ」

「それってもしかして、さっき言ってたライガオとかいう……」

「ガイラオ」


 秒速で訂正が入る。


「まぁ、可能性は高いわね。イチカの推測も全く的外れってわけでもなかったみたいだし、長湯は危険だわ。早めに出ましょ」


 うん、と相槌を打ちながら碧はふと思う。

 覗きと暗殺者。どちらも許しがたい存在であることは確かだが、覗いただけで撃ち殺される人も何か可哀想だな、と。





 同時刻。ラニアが感じたものと同様の殺気を追って、宿の屋外に出た者たちがいた。


 先ほどまで降っていた雨も今は上がり、淡く輝く黄色い天体が顔を出している。

 その光は、駆け抜ける三つの影を照らした。


 先頭の影は追っ手を撒くように、しかし(いざな)うように、奥へ奥へと駆けてゆく。

 二つの影は誘われていると知りながら、逃げる影の真の正体を突き止めるべく走る。


 この宿は広い。本館と別館を合わせれば、一般的な民家二十軒分ほどの広さがある。


 逃げる人影は宿を、壁づたいに通り過ぎた。

 何かを察知したのか、二つの影は足を止める。


 刹那。


 壁の一部分が、音を立てて崩れ落ちた。それも、几帳面に綺麗な円状をして。

 数秒遅れて、屋内からどよめきが起きた。「何が起きた」「壁が抜けている」「早く修理しろ」……


「確かにあれじゃあ、何が何だか分かんねえだろーな」


 倒れてくる壁の破片を器用に避け、再び走り出した二つの影のひとつ――カイズが呟いた。心なしか拗ねているような表情だ。


「あれはきっと、剣だよなあ」


 明日の天気を予想するような、のんびりとした口調のジラー。同じくらい穏やかでありながら何かを秘めた瞳は、ずっと前を見据えて揺らがない。


 ジラーの言葉を聞いて、カイズはけっ、と悪態をついた。


「ただの剣じゃねーよ。あれは()()()の剣だ。じゃなきゃあんな切り口できねえだろ」

「あいにくオレは打撃系専門だから」


 ああそうかい、とカイズは諦めたようになかば投げやりに相槌を打つ。


 二人同時に立ち止まり、辺りを見渡す。

 追っていた影の主の殺気が、彼らのいる空間に張り詰めていた。


 間違いなく、今ここにいる。


「! ジラーっ!!」


 カイズが叫ぶ。


 どこからか舞い降りた殺気が緩やかに、しかし俊敏な動きでジラーへと向かう。

 一方のジラーは注意を促される前に、常時背にある大型のハンマーを手にしていた。


 彼の武器は通常のものよりも柄が長いウォーハンマーだ。『至近距離でしか通用しない』という欠点を見事にはね除けた代物である。


 ただ、柄が長くなった分、全体的に重量が増えたため、使い手はかなり限定される。普段から鍛えることが趣味であるジラーのための武器と言えよう。体力に自信のある者が持てば、幾らでもその強さを発揮する。


 殺気を薙ぎ払うようにハンマーを振り回し、相手を迎え撃つ。

 互いの得物は組み合ったまま動かない。互角だった。


 否、ジラーがやや圧している。

 暗闇に隠れて全貌は未だ見えないが、相手の武器もジラーと同等の質量と考えるのが妥当だろう。となると、勝敗を分けるのは扱い者の力量と体格。相手はジラーほど筋肉質ではなさそうだ。条件次第では、ここからさらに畳みかけられるかもしれない。


「っ、だぁっ!!」


 ジラーはハンマーに力を込め相手を押し返した。相手の剣の重さに耐えかねたのか、それとも面倒になったのかは定かではない。


 反動で、殺気の主は再び空気に紛れる。


 あまりにも呆気ない光景に、カイズはただただ目を丸くするばかり。


「……って、何してんだよジラー! 追い返しちまったらアイツどこに行ったか分かんなくなるだろーが!!」

「……あー、そうか! 悪い悪い、なんかああいうの面倒でさぁ」

「“面倒でさぁ”で済むか!!」


 理由は面倒だったから、で確定のようだ。やはり緩慢な口調で弁解した相方に腹が立ったのだろう、カイズはしきりにジラーのタンクトップの紐を掴んで前後に揺さぶる。


「っと、遊んでる場合じゃねえんだったな」


 ジラーから手を離し、細剣の柄に手を掛けるカイズ。

 その視線の先には、姿は見えないものの、先ほどの殺気と同じそれをまとう人影があった。

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