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第五十話 二人の過去(2)

「あ……!?」


 バッジを横から見ていたあおいは目を見開いた。


 中心部に浮かび上がった金色の縁をした六芳星。

 そして、その星を横から貫くように伸びる赤い槍のような文様。


 碧と同様にバッジを見つめていたラニアの表情が、興味津々なそれから一気に強ばった。


「これは……!」

「どうした」


 突然立ち止まった仲間たちのただならぬ様子を感じ取り、戻ってきたイチカが訊ねる。ラニアは答える代わりにミリタムを――否、ミリタムの持っているバッジを指さした。


「六芳星は、世界の象徴。武器を血で染めることは、この世界を血に染めることと同じ」


 何を、と言いかけたイチカにそのバッジの表面を向け、ミリタムは言葉を続ける。


「こんな悪趣味な模様のバッジを作る組織・・なんて、僕は一つしか思い当たらない。暗殺を生業(なりわい)とする、二十歳以下の青少年で構成される集団」

「『ガイラオ騎士団』ッてヤツか」


 吟味するように呟いたのは白兎ハクトだった。

 

「え、白兎知ってるの?」


 人間との接触を長くっていたというから、あらゆる物事に疎いと思っていたのだろう。思わず声を上げてしまった碧を白兎は不機嫌そうに睨めつける。

 

「あたいが知ってちゃ悪いのかよ」

「そうじゃなくて! 詳しいんだなあって」

「大した理由じゃねェよ。何十年か前、人間どもがイカれた集団を作ったらしいって噂が里に流れたから、念のため警戒してたッてだけだ」


 白兎の発言からして、彼らの興りはそれほど大昔というわけでもないようだ。

 

「その“暗殺を生業とする集団”のバッジが、ここに落ちているということは」


 イチカの言葉に、ミリタムが頷く。


「一瞬でも、ここを通りかかったってことだね」

「それじゃあ、誰かの命を狙ってるってこと?」

「可能性は高いな」


 碧の言葉に答えるイチカ。先ほど彼が感じ取ったのは殺気だったのだろう。仲間たちの誰も気付かないくらい微弱なものではあったが、裏を返せばそれだけ洗練された気配の持ち主であることをも意味する。看過できないと考えたからこそ、イチカは剣を抜こうとしたのだ。

 

「それじゃあ、このバッジはその暗殺者の持ち物ってこと?」

「わざと落としていったのかもね」


 彼ら流の宣戦布告ということだろうか。

 ラニアとミリタムの会話を聞きながら、碧はそれにしてもと疑問点を洗い出す。

 

(あたしたちの誰も気付かなかったんだから、暗殺しようと思えばできたはず。なのに、しなかった。何か理由がある? 人が多かったから?)


「先に進むぞ。このままここにいても埒が明かない。狙われているのが誰だか分からない以上、単独行動は危険だ。勝手にどこへでも行くなよ」


 メンバー全員に釘を刺し、イチカは歩き出した。前半の内容は誰しもが納得のいくことだが――

 

 イチカの背を見つめていたラニアは複雑な表情で、碧に耳打ちする。


「ねぇアオイ。それって、イチカが一番気をつけるべきだと思わない?」

「……うん」


 勝手に単独行動を取ったという点は碧も心当たりがあるので人のことは言えない。白兎もそうだろう。単純な回数だけならイチカがぶっちぎりというだけで。

 碧は困ったような表情で微笑んでから、躊躇いがちに頷いた。





 日差しはどこへやら、濃灰色の厚い雲が空を支配する。

 加えて湿気が多いのか、まとわりつくような暑さが一行の気力を削ぐ。


「兄貴ー。腹減ったー」

「我慢しろ。向こうに町が見える」


 額の汗を拭いながら、イチカが前方を指さした。彼の言うとおり、その先には小規模な建物が軒を連ねている。訴えたカイズはというと、ほんの少し目に希望を宿したものの空腹には勝てないのか足取りは重い。

 

「そんな時は軽めに運動すると空腹が紛れるぞ~~」

「うっせ脳筋」


 嬉々としながら荷物を上げ下げするジラーに一瞥をくれるカイズ。


「それにしても暑いわね~。アオイ、暑くない?」


 ラニアが手のひらで扇ぎながら訊ねる。

 碧は今、ややカジュアルではあるものの『軽鎧』を着ていることになるので、ラニアからすれば蒸れそうで見ていられないのだろう。


 アスラントの気候は奥が深い。否、人々かもしれない。同じグループの中でもミリタムのように分厚いローブを着ている者もいれば、ラニアのようにノースリーブの者もいる。脂肪や代謝の問題ではなく、本人達に言わせれば「これでちょうどいい」からなのだ。


 しかし、暑さや寒さも度を過ぎれば不調を来すのはどこの世界も変わりないようで。


「う~ん、暑いけど……もし魔族が襲ってきたら、ひとたまりもないし」

「そーだったわね……」


 碧の重装は、ラニアが古巣のウイナーを離れて旅をしている理由にも繋がる。忘れているわけではないのだろうが、暑さに囚われすぎて頭が回らないのかもしれない。

 

「ひゃっ?!」


 突然何かが当たり、碧は反射的に自分の顔に触れた。


「水?」

「雨じゃねェのか?」


 白兎が指摘してすぐに、バケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ。


「貴方って、雨女なんだね」

「やかましい!」


「走れ!」と叫ぶイチカに続いてミリタムが茶化すと、僅かに頬を染めながら白兎が反発する。

 

 それにしてもこの蒸し暑さ、急に降り出した激しい雨。何かを彷彿とさせる天気だと碧は思う。


「ねえねえ、こっちの世界に夕立ってある?」

「ユウ、ダチ?」


 碧の問いに対し、曖昧な発音をするラニア。おそらくこちらには、『夕立』という言葉自体が存在しないのだろう。イチカ以外の五人も興味深そうに碧を見ている。


「えーっとね、夕方の夕に、立つって書いて……あ、漢字じゃダメか。とにかく夏に、急に雨が降ることなんだけど……」

「ああ、日本じゃそう言うのね。こっちじゃ、特に呼び名はないのよ。そういう現象は今の時期、よくあるんだけどね」


 ラニアが苦笑しながら答える。長年名称がないままだと勝手が悪そうだが、「ああまたこの時期か」で済んでいるようだ。


「日本のことは人より知ってるつもりだったけど、初めて知ったわ。夕立。うん、響きもいいわね」

「なンだよ。つまりあたいが雨女だから雨が降ったワケじゃねェってことか」

「そういう天気のせいだと思うよ」


 そんな会話をしながら走り続けてようやく町に着いた一行だが、雨の勢いは留まるところを知らず、皆頭からつま先まで濡れ鼠になっていた。


「今日はここで泊まることにした。下手に動いても逆効果だからな。早めに風呂に入って寝ろ」

「りょーかーい」


 イチカの指示に一言付け加えるなら、「できるだけ身体を休めてあるかもしれない襲撃に備えろ」だろうか。疲れもあってか他のメンバーは皆気怠げな返事をし、その後は思い思いの場所に散っていく。


 この温泉宿も日本を意識しているらしく、日本の伝統をそのまま受け継いでいるかのような木造建築である。


 入り口と向かい合わせの位置にある階段の踊り場には、『富士山』と覚しき山の絵。従業員は和服ではなく洋服であったが、よくここまで日本にこだわれるなあと、碧は感心するのだった。


「アオイ、お風呂入ってこない?」

「そうだね」


 階段横にローマ字表記されている『温泉はこちら』の文字を指さしながら、ラニアが声を掛けてくる。ずぶ濡れの衣服がまとわりつく気持ち悪さは筆舌に尽くしがたい。碧は二つ返事で了承した。


 一方、宿の中庭。


 水気を含んでいつも以上に重くなった鎧を着たまま、カイズとジラーは東屋から空を眺めていた。降雨によって気温が下がり、濡れた衣服もあいまって寒いだろうに、彼らは微動だにせずそこにいた。


 大粒の雨が屋根を激しく叩き、滝のように流れ落ちていく。それを見つめる彼らの表情はいつになく険しく、どこか儚げであった。


「なあ、カイズ」

「ん?」

「雨、すごいな」

「……ああ」


 何気ない会話のように聞こえるが、止むことのない雨を見つめる彼らの手は、いつしか強く握りしめられていた。


 雨――彼らが力尽きて倒れ、偶然通りかかった少女に救われたときも、忌々しい過去を消し去るために走り続けたあのときも、それは彼らの身体に打ち付けた。


 彼らは苦渋に満ちた表情で、降り続ける雨を睨みつけていた。

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