第四十九話 二人の過去(1)
「ねえねえ、カイズとジラーって幼なじみなの?」
『え?』
見事重なった二人の声。どちらも目を見開いて、問い掛けてきた碧をまじまじと見つめている。
「あ、違ってたらごめんね! なんとなく、そう感じただけだから」
「イヤ、そうなんだけどさ……」
「なんで分かるのかな、って……」
それらの視線を否定と取ったのか慌てて手を振る碧に、二人はやや拍子抜けしたような調子で返す。
「あ、やっぱり!? 良かった~~」
自らの読みが当たっていたことが嬉しいのだろう、彼らの肯定の言葉に、病的な速さで安堵の表情を浮かべる碧。
この会話が生まれたきっかけは、少し前にさかのぼる。
「世話になった。昨日は……すまなかった」
サトナに対して目を伏せ謝罪するイチカに、一行は驚愕の眼差しを向ける。
あの流血沙汰のあと。
イチカは何事もなかったかのように仲間の元へ帰ってきた。サトナもそんな彼の様子を見てか、いつもと変わらぬ素振りだった。
日が暮れていたこともあり、『巫女の森』で野宿した一行。
それが起きたのは朝食後のことだった。
一行の誰もが、唐突なイチカの言動に戸惑っていた。彼が素直に謝るとは思っていなかったのだろう。それはサトナも同様だろうが、彼女はそんな心情はおくびにも出さなかった。どこか演技派な彼女のこと、感情を隠し通すことは慣れているのかもしれない。
「いいえ。私こそ、軽はずみなことを言って申し訳ありませんでした。まだまだ、この森を護る巫女としては半人前ですね」
と、苦笑してみせた。
それから数日はミリタムの静養に充てるため、各々自由に過ごしていた。数日前に魔族が出現したとは思えないほど穏やかな時間が流れていく。
そして、出立の日。
「皆さんのご無事を、心からお祈りいたします」
胸の前で手を組み聖女然とした笑顔を浮かべ、深く辞儀をするサトナに見送られながら、一行は出発したのだった。
巫女の森を出て小一時間。
碧はラニアと、カイズはジラーと、白兎はミリタムを気遣っているのかいないのか、時折毒を吐きつつ会話を楽しんでいた。イチカはやはりというべきか、碧たちよりずっと先頭を歩いている。必然的に余ってしまったのだが、本人は気にした様子もない。一人でいる方が気楽なのかもしれないが、それだけではない。
「いーか? 負けたらオレの荷物持てよ!」
「それはこっちのセリフだ!」
なにやら賭け事をしているらしいカイズとジラー。僅かながら闘気も感じられ、どうやら真剣勝負のようだが――次の言葉を聞いた瞬間、碧は思わずつまずきそうになる。
『じゃんけんぽん!』
「あっち向いてホイっ!! おっしゃあ、オレの勝ちっ!!」
「あ~~!! くっそ~~、負けた……!」
カイズが示した指の方向に顔を向けながら、ジラーが悔しそうに唸った。
「……ねえラニア、あれって」
「あれ? 『あっち向いてホイ』よ、知らない? 日本でやってる遊び、って聞いたことあるんだけど」
(コイントスの方が似合ってるのに)
碧は改めて、日本の文化はこちらの世界にも影響を及ぼしているらしいことを痛感するが、その複雑な心境通りの乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「ズバリ、お前の弱点! 昔っから読みやすい。顔にどっちの方向向きたいか書いてある」
「変な理屈だなあ」
両手にカイズの荷物を持ちながらぼやくジラーだが「でもまあ、筋トレになるからいいか」とさっそく脳筋っぷりを発揮していた。
そして、冒頭のやりとりに至る。
「ね、二人ってウイナー出身じゃないんだよね? どの辺りに住んでたの?」
教えてもらってもあたしじゃ分かんないけど、と苦笑する碧の質問に、顔を見合わせ困ったような顔をするカイズとジラー。
それを見たラニアが、面白いものを見つけたと言わんばかりに加勢する。
「あ、そういえばあたしも聞いたことないわ。なんだかんだうまくはぐらかされてきたのよね~~。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
碧と違って、ラニアの詰め寄る表情には鬼気迫るものがある。それこそ、「言わないと撃つわよ」と目だけで脅迫している。彼女の場合、脅しでは済まないから厄介だ。そのままの意味で標的にされるのは時間の問題だろう。
「え~~っと……」
「てめェっ! 今なんつッた?!」
ようやく口を開いたカイズたちの声を遮るように響いた、威勢のいい声。案の定と言うべきか、白兎がミリタムの胸ぐらを掴んでいる。
「白兎、僕まだ本調子じゃないんだけど……」
「本調子じゃなかろうがなんだろうが容赦しねェぜ! どさくさに紛れて嘘つきやがって、人参食べるようにするッて言ったのはドコのドイツだ?!」
唾が降りかかるほどの説教でも、迷惑がるどころかにこにこと笑って聞いていたミリタムだが、不意にその表情が曇って。
「悲しいな」
「は?」
眉を下げ、視線を斜め下方に向けたままのどこか哀愁漂う呟きに、白兎の怒りも一旦霧消する。
「貴方は、僕よりも人参の方が大切なんだね」
「なに言って……」
何かに思い至ったのか、白兎の頬が見る見るうちに紅く染まる。垂れ下がった耳と焦る様子から、怒りがぶり返したわけではないのは明らかだ。対するミリタムは依然黄昏れているままで、すぐさま冷やかしの声がかかる。
「おお~? お前ら、いつからそんな親密な関係になったんだ~?」
「そういえば、よく二人っきりになってるよな~~」
カイズとジラーがはやし立てると、ますます白兎の顔が赤くなる。
「ば、バカ言ってンじゃねえ! 今のはコイツが勝手に……!!」
「白兎、照れてる~」
などと、碧らが白兎の反応を面白がっているなか、やはり何事にも興味を示さないこの男。
「くだらん」
盛り上がる仲間を後目に、すたすたと先を歩くイチカ。
喧噪が遠のけば遠のくほど、自然界の音が近くなる。この世界には『車』も『列車』も『飛行機』も存在しないから、聞こえる音は必然的に限られてくる。
鳥のさえずり。木々のざわめき。そこに少しでも不自然な音が混ざれば、誰もが違和感を抱く。しかし、違和感を覚えた頃にはすでに敵襲が成功してしまっている可能性がある。だからこそ人一倍、何者かの気配に敏感な者の存在は不可欠なのだ。イチカはある意味、その役を買って出たと言える。
イチカの手が瞬時に剣の柄に掛かる。
いつでも引き抜けるように腰を低くし、気配を探るように素早く視線を巡らせるが。
「……気のせいか?」
微風で揺れる枝の先の葉。後方で続くからかい。誰かの悲鳴が木霊するようなこともない。
「あら、何かしらこれ?」
「どーしたの?」
柄から手を離しひとまず警戒を緩めるイチカの耳に、ラニアの声が届く。ラニアが何かを地面から拾い上げ、碧に見せていた。
「ほら、これ。バッジかしらね」
ラニアの手のひらには、小さな半透明の楕円体。裏返せば、ご丁寧に安全ピンが付いている。やはりどこの世界でも、バッジはバッジらしいものなのだろう。
「ホントだ。バッジだね」
碧は同意してから、何気なく空にバッジをかざした。
異世界であるはずなのに、地球と同じように日は昇り、一行を優しく照らし続けている。朝であれば日はやや東にあったし、空が夕焼け色に染まる頃には日は西に沈もうとしていた。
アスラントにも時間の概念があり、どうやら日本と同じく二十四時制であるらしいことが分かっている。とすると、碧やイチカがこちらに迷い込んでから経った月日は、あちらと全く同じだという可能性が十分にある。
さて、先ほど彼女が空に持ち上げたバッジはゆっくりと赤みを増し、薄い桃色に変化していた。
「すっごーい! 紫外線に反応するんだー!!」
「“紫外線に反応する”!?」
目を見張る碧に、すぐさま走り寄ってきたのはミリタムだった。
「ちょっと、貸してくれる?」
「? うん」
魔法に対する好奇心とは違う、やや深刻な様子に面食らいながらも碧はミリタムにバッジを手渡す。バッジを受け取ったミリタムは、碧と同じようにそれを掲げる。
薄桃色のままだったそれに、やがて違う文様が浮かび上がり始めた。




