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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第四十八話 辿廻(3)

「……な」

「イチカ……?」


 微かな呟きを耳が拾い、反射的にそちらを向いたあおいは、彼の様子がいつもと明らかに違う事に気づいた。


 大抵彼の放つ気は、圧縮された空気のように感情をさらけ出さない。それは自分自身で、余計な感情を持たぬようコントロールしている証拠とも言える。


 今のイチカの気は棘を持っていた。

 例えるならそう、薔薇のように静かな怒り。


 不覚にも『美しい』と感じてしまうほどだった。静寂の闇の中、小さくも激しく燃える炎のように、哀しみの色を漂わせた淡い怒りが、身体中に電流のごとくひしひしと伝わってくる。


 イチカの手が柄に触れた――そう思ったときには、銀色の直線が弧を描いていて。


「!」


 首筋に(あて)がわれた剣先に気づき、いかなる時も緩く笑みを浮かべていたサトナの表情もさすがに強張る。


 あまりに一瞬の出来事で、誰も彼も理解が追いついていなかった。飛び込んできた光景を見ても、非難の声すら上がらなかった。サトナとて当初は「気が付いたら何か冷たいものが肌に当たっていた」という程度の認識しかなかっただろう。


「ふざけるな。おれは……じゃない。おれは……悪魔じゃない……!!」


 絞り出すような声、血走り吊り上がった銀色の瞳。碧は双眸を見開く。

 初めて見た。こんなにも激しく感情を表す姿は。


 否、片鱗ならば感じ取ったことはある。数週間前、わけも分からぬままこちらの世界にやって来た日のことだ。彼は一言も喋りはしなかったが、殺気による威圧感が全てを物語っていた。


 お前が憎い、と。


 碧の記憶の中にイチカはいなかった。となると、おそらく初対面なのだろう。何故見知らぬ人間に殺意を向けられているのか。何故そんな憎しみのこもった目で自分を見るのか。悲鳴を上げなかったことが不思議なくらい、そのときの碧は少なからずパニックに陥っていた。カイズやジラーがいてくれて良かったと、ただただ安堵したものだ。


 彼の過去を知った今、あの日の行動の理由も、眼前で歪む表情の意味も、少しは理解できる気がしている。

 日本、親、クラスメート。その全てが憎悪の対象だった一方で、ぶつけられる言葉に抗うこともできず、誰かを頼ることもできず、孤独に生きてきたのだろう。だから今こうして、ようやく胸の内を吐き出している。


 きっとこちらに来てからも、誰かに縋り付くようなことはしていないのだろう。

 だって彼はいつだって、一人でずっと先を歩いていたから。


「イチ、カ……」


 碧は思わず声に出していた。

 棘が刺さったような小さな痛みを胸に抱えながら。


「――それが、貴男あなたが抱えているものなのですね……」


 悲痛な表情でサトナが呟く。

 皆がその真意を測りかねていた矢先、サトナの細い指先がイチカの剣に触れる。そして、そのまま軽く力を加え切っ先を肌に食い込ませた。白い首筋から鮮血が溢れ出す。


「なっ……あ、あんた何やって――?!」

「お静かに!」


 カイズが上げた非難の声を珍しく一喝してから、落ち着いた口調で諭す。


「イチカさんの御気が済むまでの辛抱です。わたくしには神術(しんじゅつ)がありますから、このくらいの傷ならば気に留める必要もありません」


 淡々と話しているが、やはり経験のないことなのだろう。剣に添えられた手は小刻みに震え、額には脂汗が滲んでいる。傷口からは生々しい赤色が伝い、彼女の肌と衣服を侵食していく。


 それには構わず、イチカと碧たちに順番に目を向けるサトナ。


「済みません、イチカさん……皆さんも。ヤレン様は最初から全てご存じだったのです。貴男方がここへ来ることも、魔族がこの聖域を穢すことも、ミリタムさんが重傷を負い、それでも助かることも……。全てご存じの上で、貴男を挑発すれば分かることがあると、教えてくださったのです」


 ぴくっ、と柄を持つ手が微かに揺れる。


「貴男がお考えの通り、私は勿論のこと、ヤレン様にも責務があります。アオイさんをお連れしたのは、彼女に果たしていただきたい事がある為……。真に危険が迫っているなら、意識を削ってでも助けると仰っていました」


 口ぶりからしてイチカの心を読んだのだろう。見習いのうちに習得する能力であっても、熟達してから使用することもあるようだ。幾度となく心を読まれたように感じていた碧もそれならと合点がいく。ただ、やはり気分の良いものではない。むやみやたらに使わないようにしよう、と改めて自戒する。


 苦笑しながら語るサトナから、ようやく人間らしさが垣間見える。


「私たちも完全ではありませんから、瘴気(しょうき)を消して侵入してくる魔族がいるなど夢にも思いませんでした。ですが、そのような魔族は稀です。大抵は【(サイ)】の改良型である【(ルイ)】が、跡形もなく滅します」


 血は止めどなく流れ、巫女服に元々なかった紅い線が浮き立つまでになっている。ほんの少し青白い顔をしながら、それでも彼女は懸命にイチカに訴え続けた。


 サトナの懇願が届いたのか定かではないが、おもむろに銀色の剣が引かれる。


 顔を上げたイチカは一見いつもの彼だ。物憂げな瞳は緩やかにサトナから外され、そのまま剣を右手にぶら下げ踵を返して歩き出す。


 誰も、それを止めなかった。行く先も尋ねることなく、一声も掛けることなく、その後ろ姿を見送った。


 イチカが見えなくなったあとも、サトナは決して膝から崩れ落ちることはなかった。ただ何かを見極めるように、彼が消えた方向をじっと見つめていた。


「……ヤレン様が、お導きになりました」


 誰に訊ねられたわけでなく自発的に告げたサトナを、皆が一斉に注視する。

 ふらふらとおぼつかない足取りから、自分の意志で歩を進めているわけではないことは明らかだった。彼女の一言で想像は確信に変わる。


「私では手に負えぬと思われたのでしょう。自らイチカさんを御自分の元に」


 サトナはそれだけ言うと、結界を造り首元の治療を始めた。

 残された四人は顔を見合わせ、項垂れるのだった。





「おれはあんたが一番嫌いだ」


 開口一番、イチカからの直球の宣言にヤレンは言葉なく苦笑を浮かべる。嫌悪をぶつけているのに何故笑っているのかと、単なる微笑みにも見えるそれが気に食わないイチカはなお言い募る。


「姿形、何から何まで思い出したくもない事を彷彿(ほうふつ)とさせる。何なんだあんた。これ以上おれを不幸にして何が楽しい」

「ほお。それならばアオイはお前の中で、少なくとも最下位ではなくなったわけだな?」


 ヤレンの茶化すような問いかけに、イチカから容赦ない負のオーラが放出される。論点のすり替えも甚だしいと言わんばかりだ。普通の人間ならばもれなく精神的ダメージを受けそうだが、生身の身体ではないからか、ヤレンはどこ吹く風である。


 もっとも、今イチカがぶつけている苛立ちは第三者からすれば完全に被害妄想であり、言ってしまえばかんしゃくであり、ヤレンに非はないのだが――そこに思い至らない(あるいは至りたくない)辺りは年相応の子どもと言うべきか。


「悪いがおれは、あんたとあいつは同じ人間だと認識している。位もあんたと同等だ」

「私と話すときの方が口数が多いのではないか? んん?」

「黙れ」

「ふぅん……面白味のない男だな。まあ、そういう人間像だということはもう把握しているからな。お前に面白さを求めても無駄なのは重々承知だ」

「……」


 イチカの眉間に皺が寄る。何か引っ掛かる言葉でもあったのだろうが、指摘するほどのことではないのか、物申したげな表情であるのに何も言わない。それ以降は口を閉ざしてしまい、終始余裕のある笑みを浮かべているヤレンが戦わずして勝った形だ。


「……あんたがこの森に【シャ】とかいう神術しんじゅつをかけている()()()理由はなんだ」


 ヤレンにとっては思わぬ反撃だったのかもしれない。常に大人の余裕を醸し出していた微笑みは、その問いかけでいとも容易く崩れた。

 しかしそれも一瞬で、次には肩をすくめ小さな苦笑に変わる。その様は聡いイチカに感心しているようにも、ある種の諦めのようにも見えた。


「八割方、お前にしてみれば興味の欠片もない恋愛話になるが。いいか?」

「……話せ」


 ヤレンの読み通り、いかにも興味がなさそうに要求するイチカ。変に取り繕ったりしないところが彼らしい。ヤレンは手近な切り株に腰掛け足を組むと、少し間を置いて語り出した。


「……四百年前、私は一人の男と恋に落ちた。相手は軽薄で気さくな――魔族だった」


 関心がないなりに耳を傾けていたイチカは、予想もしなかった告白に驚きを隠せないようだった。遠い昔に思いを馳せていたのか、やや上空に向けていた視線を一度イチカに移してから、ヤレンは恋愛話を再開する。


「どういう結末になったか、大いに想像はつくだろう? 私とその男は引き離された。男は同士討ちに遭い、私は男の仲間に殺され、共にこの大樹に封印されたのだ」


 やおら立ち上がり、『この世の果て』に触れる。険しい顔つきが大樹に触れた途端柔らかくなったのを、イチカははっきりとその両目で捉えた。


「……意外だな。魔族を憎んでいるから結界を張ったんじゃなかったのか」

「ああ、私はセイウ以外の魔族を憎んでいるさ。あいつ以外の気配は受け付けない」


 同士討ちに遭った男の冥福を祈るように、額を樹皮に押し当てながら答えるヤレン。この世の果てを向いているので表情は窺い知れないが、哀愁を漂わせながらもどこか戯けた調子の声だ。


「たとえそれが、私一人の問題であろうとも」


 振り向いたヤレンの瞳は一転、強い意志を秘めていた。


 仲を引き裂き恋人を殺した魔族の気配を、『意識』となった身でも二度と感じられぬようにしたこと。確かにそれは彼女のエゴで、振り回される方は堪ったものではない。一歩間違えば危険に晒されるし、現に被害も受けている。


 他方、そうなることはヤレンにとっては既知の事実で、回避しようと思えばできたものを黙認していたという。手のひらの上で弄ばれている感は拭えないが、彼女の未来予知能力に関しては、これまでのこともあり単なる偶然では片付けられなくなってきている。サトナの言によれば本当の危機的状況に陥った場合の助力は期待できるはず。であれば、規模の大きなわがままとして目を瞑ってもよいだろう。


「……その件は理解したことにする。もう一つ、気に掛かることがある」

「なんだ?」

「何故、おれはこっちの世界に来た。おれは、あんたとは関わりがない」


 ヤレンは微笑んだまま無言でイチカを見つめている。

 否、微笑みに見えるだけだ。その表情には悲哀が紛れていた。他者の顔色を窺う癖があるイチカだから気付いた。動揺を隠しきれない。ヤレンの反応は、イチカの主張を否定しているも同然なのだから。


 ――まさか、関係があるというのか。


「……今は……まだ、知る必要はない」


 イチカが声に出して問う前に、か細い声がそれだけ紡ぎ出す。同時に、漆黒の瞳もついと逸らされた。


「答える気は無い、と?」

「ああ」

「……」


 それならば、幾ら訊ねても無駄なことだろう。

 

 あまりにも好都合な時期、あまりにも絶好の瞬間にこの世界に飛ばされた事。偶然にしてはイチカにとって都合が良すぎた。鍵を握っていそうな人間がいれば水を向けたくなるのも無理はない。だが、肝心のヤレンは頑として口を開きそうにない。


 これ以上建設的な会話は見込めないと判断し、イチカはふいと踵を返した。


「イチカ」


 無視して歩き去るつもりでいたが、縋り付くような声につい足を止めてしまう。振り向いた先の巫女は何故か戸惑ったような表情をしていて、訝しげに視線を眇める。


「……いや」


 呼び止めたものの、これといった話題があったわけではないらしい。「用がないなら呼び止めるな」とイチカは前を向きかけたが。


「待て、用はある。情報が必要だろう? お前たちを狙っている魔族、魔王も含めてあと三匹だ」


 ようやく捻り出したのか、会話の糸口を見つけどこか誇らしげなヤレンを睨みつける。


「……どうせなら、あと一人の仲間といつ合流するのかを教えてもらいたいものだな」

「それを見極めるのが旅の醍醐味というものだろう?」


 一瞬見せた殊勝な雰囲気は跡形もない。のらりくらりとはぐらかされ、イチカの眉間に再度縦皺が生まれる。誰のせいでその「旅」をする羽目になっていると思っているのかと言わんばかりだ。


 ――やはり、気に食わない。


 イチカは小さく短く溜息を吐くと、今度は一顧だにせず歩き出した。


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