第五話 残る謎(1)
「みんなーーっ!!」
碧は叫びながら、大芋虫・セルフィトラビスの残骸へと走り寄る。
「ラニア! カイズ! ジラーッ!!」
骨をかき分けながら名を呼ぶが、返事はない。手を止め室内を見回しても、それらしき人影は見当たらない。
原形をとどめないほどに荒れ果て静まり返った室内が、心細さを加速させる。もう彼らは生きていないのかもしれない。そんな思考すら掠める。
(諦めちゃダメだ)
数度頭を振り、骨の山に向き直る。
魔物を形成していたそれらはどれも碧の胴体ほどの太さと長さを持っているが、見た目ほどの重量はない。一つ一つ端に除けていく作業を数回行って、積み重なる骨と骨の隙間に黒くいびつな何かが見えた。逸る気持ちを抑え、慎重に手を伸ばし引き寄せる。
手に取ったそれには既視感があった。一瞬だったが、間違いない。この世界に来てから一度だけ、碧はそれを目にしている。
「ラニアの銃……?」
何気なく裏返すと、持ち手の部分に何かで削られた跡がある。どうやら文字のようだ。馴染みのあるローマ字は『ラニア』と読み進めることができた。疑念は確信に変わる。
よほど手入れをされているのか、署名の部分以外は傷一つない拳銃。
だが持ち主がいないのは何故か。
その問いに対する答えに行き着いて、碧は愕然とした。全身から血の気が引く。滑り落ちた拳銃の立てた音さえ、どこか遠くに聞こえた。
「そ、んな……」
肩を落とし、項垂れる。
もっと自分に力があれば。もう少し早くあの紫色の光を確認できていたら。もう少し早く着替えていたなら。「たられば」ばかりが脳裏をよぎる。どうしようもなかった事柄さえ取り上げて、自虐してしまう。
大体この呆気ない別れ方はなんだ。あまりにも酷すぎる。知らない世界でたった一人、どうやって生きていけというのか――。碧の思考は自虐を飛び越え、絶望に支配されていた。
そんな碧の視界の隅で、黒い影が微かに揺れた。気づいてそちらを見遣ると、ラニアの銃が独りでに動き出していて、思わず面食らう。好奇心から食い入るように見つめて、トリガーガードから伸びる細い糸の存在に気づく。それを手繰り寄せている誰かがいるのだ。藁にも縋る思いで銃の行く末を目で追う。
ピンク色のハイヒールにぶつかって、それは止まった。そこから伸びる足は白く長く、ほどよく引き締まっている。デニム生地のハーフパンツから覗く平たい腹部に対し、真上の双丘は窮屈そうに衣服に収まっている。
肩に掛かる金糸、肉厚の唇、雫型のピアス、薄紅色の瞳。
その容姿は、紛れもなく探していた人のもの。
「……ラニア……?」
頭で分かっていても、口に出さずにはいられない。
問いかけに応じるように、彼女は微笑んだ。
たったそれだけなのに、何故だか急に溢れ出す感情があって。
衝動の赴くまま、碧は走り出していた。
「ラニアあ!!!」
「ア、アオイ?」
勢いのまま抱きつかれ、反動で数歩後ろに下がるラニア。碧の行動が予想外だったのだろう、戸惑いを隠せないようだ。
「良かった! 良かった……無事で……」
「アオイ……」
肩を震わせ、嗚咽を上げる。頬に涙が伝う。
出会って間もない他人の為に涙を流したことはなかった。どうしてこんなに嬉しいのだろう。未だかつて無い絶望の先に、光を見たからだろうか。宥めるように背中に回されたラニアの手は、とても温かかった。
「感謝するわ。ねえ?」
『おう!』
ラニアが振り返り呼びかけたその先、くすんだ金髪逆毛の少年と紫色の鶏冠頭をした少年がそれぞれピースサインと握りこぶしを掲げていた。
「サンキューな、アオイ!」
「みんな無事だぞー!」
「カイズ、ジラー!!」
碧の顔に、笑顔が戻った。ラニアもカイズもジラーも、彼女につられて笑みがこぼれる。
殺風景で生気のなかった空間に、笑顔が溢れた。今や陰鬱さは取り払われ、木漏れ日のような暖かさで満ちている。まるで何年来かの親友が一堂に会したように、和やかな雰囲気が続くと思われた。
フン、と誰かが鼻を鳴らす。
「ラニアが異変に気づかなかったら、全員死んでただろうがな」
さながら同窓会のような雰囲気を、一瞬でぶち壊すこの男。
静かでありながら皮肉めいた口調に攻撃され、碧の表情はみるみるうちに沈んでいく。
「そう、だよね……」
「ちょっとイチカ、」
「ま、まあまあ兄貴、姉さん! 助かったんだからいいじゃんか!」
「みんな無事なのが何よりもいいことだし!!」
聞き捨てならないとばかりに食ってかかろうとしたラニアを、イチカ共々カイズとジラーが制止する。
ラニアは不満を露わにした様子でイチカを睨み付けるが、睨まれている方はどこ吹く風。
碧は気付いていた。その目は頑なにこちらを映そうとしないことに。
鋭く尖った刃物のような銀色の瞳が、如実な嫌悪感を示していたことに。
(また、あの眼だ)
どうしてこれほどまでに嫌われているのか――碧に心当たりは全くないが、少なくとも一つだけ確かなことがある。
(あたしは、みんなと違って未熟だ)
鉤爪男たちとの戦闘といい、絶体絶命だった今といい、彼らは困難な状況下にあってもどこか余裕がある。おそらく、これくらいの困難は過去に何度も経験しているのだろう。積み上げた経験は実力に直結し、多少のことでは揺らがない自信をも生み出す。
小さく溜息を吐く。戦いとは無縁の世界にいたのだから未熟なのは当たり前とはいえ、今の碧にはあまりにも荷が重い。
――先ほどから、家鳴りのような音が頻繁に聞こえている。
突如床が崩落し始めたのはその矢先のことだった。
「崩れる?!」
「逃げるわよ!」
ラニアの一声で皆が一斉に部屋から駆け出す。
背後から間もなく轟音が響き渡った。室内には天井に届くほどの高さを誇る本棚があった。土台を失ったそれが倒れたのだろう、と碧は考える。
「あのイモムシが派手に暴れてくれたみたいね!」
「それ、あたしが逃げ回ったせいかも……」
「必要悪よ! それにさっきの戦いだけじゃない、たぶんあいつは地中を引っ掻き回して現れた……もうここは使えないわね」
『ええーーっ?!』
「狼狽えるほどのことじゃないだろう」
カイズらの立てた大音量にイチカが口を開く。
「休憩場所の代わりはいくらでもある」
「イチカの言う通りよ。これまでの報奨金で、しばらくの宿代ぐらいは賄えるはず……アオイ!」
「はっ、はい?!」
「地上へのドアの開け方、今言うわ! そこにあるヒモを引っ張って!」
「えっ、えーと……これ?!」
「それよ!」
何もこの一大事に教えてくれなくても、と多少の迷惑を感じる碧だったが、程なくして理解した。偶然にも碧は最後尾を走っていて、ラニアの言う“ヒモ”が目の前にぶら下がっていたのだ。
言われた通りに引っ張ると、重量感のある何かが軋みを上げながら、ひどくゆっくりと動く音がした。
直後、前方の階段上部から光が差し込む。
「!!??」
「急いで!」
ほっとしたのも束の間、碧を追いかけるように廊下の床までもが次々と抜け落ちていく。
階段にさえ辿り着けば――。
根拠のない安心感を抱いていた碧はすぐに絶望することとなる。
先ほどの芋虫が完膚無きまでに壊して回ったのか、はたまた手抜き工事か、今まで持ちこたえていたのが不思議なくらい、地上への階段は下方から水のように流れ落ちる。
あと一歩のところで、碧の足は宙に浮いた。
今度こそおしまいか、と本日何回目かの死を覚悟した瞬間、彷徨っていた手のひらを誰かに掴まれる。
「ありがと、アオイ。また助けられたわね」
「今はあたしが助けられてるけどね……」
力なく微笑み返す。
柔らかい笑みを向けるラニアに引き揚げられ、碧は再三にわたる危機を乗り越えた。
北の山を越えて、さらに遙か北の寂れた平野。
人はおろか、動物さえほとんど寄り付かないこの場所に、古びた城が建っていた。
石造りのそれは至る所が欠けており、元々灰色だったであろう岩肌を柔らかい苔が覆っている。さらに、壁面から地面から芽吹いた蔦が輪郭をなぞるように絡みついており、経年以上に不気味な雰囲気を漂わせる。
照明もなく暗闇に覆われた古城。
この世界の人々は「城」と呼んでいるが、外観は塔のそれであり、長身である。縦に四つ、四角く切り取られた壁が等間隔に並んでいる。ぽっかりと口を開けた黒い空間は、ただ眺めているだけでも底知れない不安感を与える。怖い物知らずの若者たちですら、暗黙の了解で肝試しの候補から真っ先に外すほどだ。
その最上階、最奥の間、玉座に腰を沈める男の姿があった。
それは、あからさまに悪趣味な格好をしていた。
正面に拳よりも二回りほど小さな髑髏をあしらった首輪と腰のベルト。ほどよく筋肉質な二の腕の半分を占める腕輪。胸当てと腰当てのみの簡易的な鎧を身に着けているが、胸当ては肌の上に直接装備しており、鍛え上げられた腹筋が露出している。
「所詮、役立たずは役立たずのままか」
手の中にある瑠璃色の石を見つめ、彼はふうと溜め息を吐いた。
眼前に垂れ下がる一房の長い金髪を振り払い、紺碧の瞳を物憂げに虚空へ向ける。
「烏女」
「なんでしょう、魔王様」
烏女と呼ばれた女は音もなく姿を現した。
扇情的な肢体が闇の中に浮かび上がる。
恵まれた身体のラインを余すことなく拾う黒のキャットスーツに、烏の羽毛で作られた肩当て。特徴らしき特徴はそれと、肩に届かないほど短い黒髪に挿した烏の羽くらいであった。
女は魔王と呼称した男に一歩近づき、恭しく一礼する。
「セルフィトラビスが人間ごときに負けた。わざわざこの石で復活させてやったというのに、ろくな働きもせず」
「存じています。太古の魔物には、不似合いだったのでしょう」
「烏女。お前が“奴”を倒した暁には……この『生命の石』、お前にくれてやろう」
女は複雑な表情をした。「困惑」が最も近いだろう。敬愛を示しながらも、形の良い眉をひそめている。
「魔王様から私などへの褒美、もったいのうございます。ところでその石、生きた者には意味がないのでは?」
彼女の言うとおり、生命の石――リバイバル・ストーンは、ありとあらゆる生き物を生き返らせる力がある。
一方で、謎が多いこの石には、一般に知られていない作用も複数存在する。
「……生者が身につければ、精神的肉体的増強効果が期待できる」
「そうなのですか」
「知らないのも無理はない。そんなことより」
男は含み笑いを浮かべ、徐に女を手招いた。
女は躊躇う素振りを見せたが、しびれを切らしたように男の方が立ち上がり、女の身体を引き寄せ半ば強引に口づけを交わす。
頬を赤らめる女に、しかし抵抗する様子は見られない。男の無骨な手が女の衣服にかかると、観念したように身を委ねる。そのまま倒れていく、二つの影――。
その様子を男の部下の一人が見ていたことに、ふたりは気づかなかった。