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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第四十六話 辿廻(1)

 静かに、確実に動く。


 それは時には煌びやかに、時には残酷に刻まれる。


 人は皆、生きていれば一度や二度、否、数え切れぬほどの苦難や悲劇と遭遇する。それらは大抵、予測できない形で訪れる。成長のための試練だと捉えるか、自らは不幸だと捉えるかは、その人次第である。


 一方で、微笑ましい出来事、笑いに満ちあふれた日々は、美しく時を彩る。それを刹那の幸福と捉えるか、永遠の幸福と捉えるかもまた、その人次第であろう。


『彼』は、どちらかと言えば幸せな日々を送っていた。「どちらかと言えば」というのは、両親が不仲だったためだ。


 否、不仲というのは正しくないのかもしれない。少なくとも母は、そんな素振りを見せたことは一度もなかった。ただ、いつの頃からか、母や弟妹たちが本邸とは比較にならないほどみすぼらしい離れに移されたこと、父の姿を離れでは一度も見かけないことから、世間一般に言う夫婦という形はもはや機能していないのだと、朧気ながらに理解していた。


 とはいえ、彼にしてみればそれは大きな問題ではなかった。会うこと自体に制限がかけられているわけではなかったし、たとえ側にいなくても離れに行けば、少し年の離れた弟妹と、何より母がいる。それだけで十分だった。





 それほど長くもない廊下を一秒も惜しいとばかりに駆け抜ける。目当ての部屋の扉を開けて飛び込むと、寝台から半身を起こしていた女性が目を丸くしている。


「ははうえ!」

「あらあら……どうしたの、ミリタム?」

「あたらしいまほうをおぼえたんだ! みてて! ……そはききたるせんこう・かけたるやいば・いまこんじきなりて・やみをきりひらかん!」


 辿々しい詠唱は、小さな小さな手に乗るほど、小さな小さな光を生み出した。しかし、当人にとっては光の大きさなど無問題。こちらを見つめるその人に認められたい、褒められたい一心で努力した。その見返りを求めているだけなのだ。


 大きなみどり色の瞳を更に大きく開いて、きらきらとでも形容できる眼差しで、今か今かとその時を待つ。


「よく頑張ったわね。偉いわ」


 期待通りの言葉に加えて緩やかに撫でられ、一層の幸福感に包まれる。

 ただ、それはほんの束の間で。


「でもねミリタム、よく聞きなさいね。それは他人を傷つける魔法です。むやみやたらに、それも室内で披露するのはいただけません」


 優しい笑顔と手の感触はどこへやら、強くはないが淡々としたダメ出しを食らい唖然とする。こちらのテンションが急激に落ち込んだことなどお構いなしのようで、母はすっかり説教モードだ。


「それに、その魔法は手のひらの上で留まるようなものではありません。完全であれば、母上が防がなければならないような大変なものです。本来の形にならないのは、あなたの魔力容量が少ないから。だから、それで満足してはダメ。もっともっとお勉強をして、魔力容量を増やして、魔法とお友達になるくらいの気持ちで励まなければいけないわ」


 上向いていた顔は視線とともに項垂れる。

 褒められたかった。認められたかった。それもあるが――喜ぶ顔が見たかった。笑顔になってほしかった。

 時折寂しそうに窓の外を眺めているのを知っていたから。


 悔しさと悲しさはやがて、小さな肩を震わせた。灰色の床にぽつり、ぽつりと涙が雨のように零れる。お兄ちゃんなんだから、男の子なんだからとたしなめられるかもしれない。それでも、一度溢れ出したものはどうしようもない。


 母が、小さく息を吐く気配がした。

 呆れや失望と捉え身が強張る。より緩みそうになる涙腺を止めたのは、頬を包む温かい手のひら。


「大丈夫よ、分かっているわ。母上を気遣ってくれたのよね?」


 ありがとう、と労わりの言葉とともに柔らかく頬を撫でられ、結果的に決壊が進んでしまった。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔にそれでも注がれる、慈愛のこもった眼差し。


「ミリタムが一生懸命頑張れば、どんな魔法もいつか必ず完成するわ。あなたは成長が速いもの。きっと、将来は有名な魔法士になれるでしょうね」

「うん!」


 母の太鼓判をもらった途端、単純とも言うべき速さで泣きやみ笑顔になる点は現金と言われても仕方がない。


 それでも、ただ調子がいいわけではない。その瞬間、当面の目標は“有名な魔法士”になることに決まったのだ。ただ母を信じ、母を想い、母のために生きた。母を中心に世界は回っていると言っても過言ではなかった。


 当時は人生に限りがあることなど理解していなかった。

 この幸せが永遠に続くと、信じていたのだ。




 

 開けた視界いっぱいに広がる、丸太梁の天井。

 顔だけ動かしてぐるりと見回してみるが、見覚えのない部屋だった。壁面から屋根に至るまで木材のみで構築されているようで、室内が全体的に茶色い。やや低めの天井に肉薄するほどの背丈を持つ木製書棚には、隙間なく本が詰められていて、そこに僅かばかりの彩りがある以外は非常に殺風景である。家主が本好きか勉強家だろうことぐらいしか分からない。


 そもそも、何故こんな所にいるのだったか。


 仰向けになっているということは、今の今まで眠っていたのだろう。それもどうやら敵前ではなく、少なくとも安全に近い場所ではあるらしい。神経を研ぎ澄ましてみても、特に邪悪な気配は感じられない。


 とにかく、寝ている場合ではない。早くイチカたちと合流しなければ。

 そう思い、身を起こすために力を入れ――


「……つッ……?!」


 腕や腹ならまだ分かるのに、何故か身体の至る所から耐えがたい痛みが(ほとばし)った。堪らず再びベッドの上に逆戻りする。倒れ込んだ衝撃で背中を中心に焼けるように痛み出し、声にならない声が漏れる。


 まるで自分の身体ではないような感覚に、嫌な汗が身体中を伝う。


 この痛みの原因は一体何かと視線を下げたとき、碧眼が大きく見開かれた。

 着ていたはずのローブは無く、代わりに身を包むのは、幾重にも巻きつけられた包帯。腹部の白布にうっすらと血が滲んでいるのは、今しがた動いたためだろう。


 それを目の当たりにしても尚、彼――ミリタムの思考は停止したままだった。

 怪我をしたことがない、というわけではない。魔法士の名門、およそ街ひとつ分に相当する領地を持つステイジョニス家。古くは創世の頃より王に仕えていたという一族のひとつである以上、長男だからといって甘やかされることはない。


 一人前の魔法士として認められるためには、技術だけ持っていればいいわけではなく、その特性や効果・危険性に至るまで網羅できるほどの豊富な知識と、魔力を貯める器である『魔力容量』を増幅させるための体力が必要となる。ひとたび素質があると判断されれば、問答無用で厳しく険しい修練の道へと叩き落とされ結果を求められるのだ。


 幸いにして彼は、素質はもとより魔法に対する好奇心と探究心が強く、付随する修養の類いはそれほど苦ではなかった。おおむね二歳頃から英才教育は始まるが、異例とも言える速さで高位魔法を次々と修得し、四歳五ヶ月で【光刃シャイン・クロウ】を会得。魔法の研究にも熱心に打ち込み、弱冠六歳にして魔法による結界を創作するばかりか、敷地内を覆ってみせた。


 効能は抜群で、出現が著しかった盗賊はめっきりいなくなった。それと同時に訪問客も減ってしまうという思わぬ弊害は生まれたが――もともとあった防御魔法【石壁(ロックウォール)】に万能魔法【幻影(イリュージョン)】【探索(エクスプローラ)】を掛け合わせ、更には制限付きというかつてない魔法は、彼を史上最年少にして魔法研究の第一人者として知らしめたのである。


(その僕が、怪我?)


 最早、挫折や失敗とは無縁。そうとまで自負していた彼にとっては、絶対に信じられるはずがなかった。認められようはずもなかった。


 俄には受け入れがたい現実を前に、思考停止は続く。

 開いた傷口を見つめたまま静止しているミリタムの頬すれすれの位置を、閃光が駆け抜けていったのは次の瞬間だった。びぃいんと音を立てて壁に突き立ったのは羽根ペンである。通常直線的に飛ばすことは難しいはずだが、あらゆる法則を無視できるほどの力が加わったのだろう。


 ミリタムはやや青い顔をしながらおもむろに顔を上げる。苛立ちを露わにした兎族うぞくの少女と目が合った。


「……いたんだ」

「おォ。てめェがゴロゴロのたうち回るより前からな。自分の怪我がそンなに珍しかったか?」


 皮肉たっぷりの白兎ハクトの言葉に力無く笑ってから、ミリタムは記憶を辿る。


「ああ、そうか。魔族はアオイたちが倒したんだったね」

「あァ。あの腐れ外道な変態魔族に一瞬でも付こうと思った自分が恐ろしいぜ」

「……」


 無言でベッドに仰向けになる。今度は傷に障らぬようできる限りゆっくりと身を倒したため、多少の痛みで済んだ。


 さすがにもう、ごまかしは利かないと分かっている。

 自分の魔法に絶対的な自信を持っていた。魔族だろうが何だろうが、勝てない相手などいないとさえ思っていた。突き付けられた現実は、あまりにも無慈悲だった。


 結果的には勝利を収めた。

 しかし、プライドをへし折られ、母の期待を裏切ってしまったという罪悪感に苛まれ。

 人生初の挫折を味わい、再び沈んでいく気分と共に表情にも影が差す。


 その表情が何を意味するか、白兎は無論知らない。ただ、耳が辛うじて捉えた小さな溜息を見過ごしてはいけないと、直感が働いた。


「……てめェが何でそういうツラしてンのか、何でそんなに辛気くせェのかは訊かねェ。訊かれて嬉しいことじゃねェのは確かだからな。でもな、てめェだけで抱え込むんじゃねェ。ちょっとくらい吐き出しちまえ。じゃねえとてめェのここ、いつか破裂しちまうぞ」


 自分の胸を拳で叩きながら、その紅い瞳で真剣に訴えかける。

 見つめ返してくる碧色の瞳に何故か胸が高鳴りはしたが、白兎は意地で目を合わせ続けた。


 そっとミリタムの視線が外れた。

 それも、未だ思い詰めた様子で。


(オイオイまだ何かくどくどと言うンじゃねェだろーな冗談じゃねェぞ。こっちは無い知恵絞って出来る限り優しい言葉使ってンだ。これ以上なんか言おうモンならあたいマジでぶッ殺しそうだ)


 と、心の内ではとんでもないことを考えている白兎。はたしてミリタムの口から出る言葉は天国を見るようなことか、はたまた地獄を見るようなことか。自分の選んだ言葉一つで、運命をことごとく変えてしまうというのも皮肉な話である。


「……僕の母上はね」

 

 出だしからして思い出話だろうか。陰気な印象が少し薄れたので、白兎の殺気もひとまず収まる。


「貴方みたいに丈夫で、短気な人じゃなかった。それはもう天使みたいに優しくて、朗らかで、だけど時には厳しくて……変な言い方だけど、憧れてた」


 冒頭、何か引っ掛かる単語があった気がしたが、白兎は敢えて聞き流した。話の途中で口を挟むのも気が引けるものだ。

 なにより次の言葉で、彼女は完全にその言葉を忘れた。


「亡くなったんだ。僕が六歳の時に」


 まあ言っちゃえばほんのちょっと前なんだけどね、と明るく振る舞うミリタムに、白兎は喉が詰まったような不思議な苦しさを覚えた。


 六歳といえば、それまでに比べれば大分安定している年齢ではあるが、親に対する甘えなどは抜けきっていない頃であろう。彼女も相応の時期を通ってきたから、理解することは容易かった。そして、親を失った悲しみも。


 そこまで考えて、違和感に気付く。


「お前、この間ウェーヌで父親と母親がどうとか言ってなかったか?」


 ウェーヌでの邂逅時、彼は確かにこう言っていた。『たまに父さんにも母さんにも用のない人が来るんだ。……』と。


 ミリタムは暫しきょとんとしていたが、思い当たったのか「ああ」と口元だけで微笑む。


「本当の母上じゃないんだ。どうも妻が病気なのを良いことに浮気してたらしくてね。母上が亡くなった後すぐに再婚したよ。ほんとに大人って嫌になるね」


 嫌になるね、という言葉とは裏腹にどこか楽しげだ。「家出をしたい」と言ってミリタムはイチカら一行に加わったが、真の理由はそれだったのではないか。


 すなわち、自分の本当の母親を見捨てた父親やその再婚相手。

 彼らがどうしても許せなくて、物理的に離れたかったのかもしれない。実の母親は「母上」なのに、父親や義理の母親の呼称の違いからもその心境が読み取れる。


 彼らについてそれ以上話すこともないのか、話題は再び過去に戻る。


「それで、あんまりたくさん血を吐くから、ベッドで寝たきりになってね。さすがにおかしいと思ったら、そのときでもう余命一年だった。それでも母上は、僕たちに事実を言わなかった。きっと……心配させたくなかったんだろうね」


 淡々と話すミリタムの表情から、陰りや哀しみは窺えなかった。先ほど「ちょっと前に死んだ」と言った割には、まるで何十年も前の昔話を語っているような口調だ。


 ほとんど子どもらしさを感じられない言動から、白兎は正直なところ倦厭していた。

 けれども、もしそれが『大人にならざるを得なかった』が故のものなのだとしたら。


「……そうかよ」


 その場の沈痛な空気を振り払うように、やり切れなさを取り繕うように、白兎は短く返した。


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