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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第四十五話 聖域にて(4)

 白兎ハクトの眉はこれ以上ないくらい逆ハの字になっていた。更に言うなら、こめかみの辺りも随分と長いこと痙攣している。

 全ての原因は、未だ妄想を並べ立てるばかりで周囲の様子などまるで見えていない獣配士じゅうはいしにある。


 白兎の拳が、震えながら持ち上げられた。既に溢れかえるほどの闘気がその場に充満しているのに、矛先が向けられている相手は相も変わらず明後日の方向に向かって獣人の何たるかを延々と語っている。


「そろそろトドメ刺してやるぜ……!」


 腹の底から声を押し出しながら、ばきばきと指を馴らし気を高めてゆき。

 彼女はいよいよ行動に移した。これまでの比ではない殺気を上乗せし、言葉通り「トドメを刺せる」ほどの拳をお見舞いするために。


 ひゅ、と風を切る音がした。僅かに遅れて、鈍い音。


「な……!」


 渾身を込めた一撃は確実に届いて、手応えを感じたはずだった。


 違和感を覚えたのはその直後。一発浴びせた後頭部の辺りが霞んでいる。抹茶色の髪の一部分を磨りガラス越しに見ているかのような光景だ。やがてその磨りガラス部分が剥がれ落ち、地に落下する。最初こそ()()()()見えた『それ』だが、次第にその姿が明らかになった。


 この世界にいる何に例えても例え切れぬ異形の魔物。それとも、白兎の一撃で異形と化してしまったのだろうか。どちらにしても獣配士はまた、自らの従えた獣によって護られたのだった。


「そうだな……それが一番良い」


 それでも、拳圧によって風くらいは感じたのだろう。ぽつりと気が抜けたように呟いて、おもむろに振り向く獣配士。


 白兎は慌てて拳を引っ込めるが、彼はそんなことは意に介さない様子で緩やかに右手を差し出す。あからさまに困惑した表情で手のひらと獣配士の顔とを見比べる白兎に、魔族らしからぬ優しげな微笑みを向けて。


「獣人よ、我が(しもべ)になれ」


 白兎は更に戸惑った。何故この流れでそんな台詞が出てくるのか、怒りが湧く以前に意味が分からなかった。

 そんな彼女の心中などお構いなしに、ヴァーストはさらに畳みかける。


「何故人間どもについている? お前の居るべき場所はそこではないはず……オレの側に居ろ。そうすれば、邪魔な人間どもを始末することも容易いぞ」


 疑問符がごった返した脳内に、その言葉だけはすんなり浸透していって。

 唐突に腑に落ちた。


(そうだ。人間はあたいの両親と同胞を殺した、許し難い生き物だ)


 魔族には確かに食料を焼かれて迷惑していたが、里の者たちへの大きな実害はない。人間がしてきたことに比べれば可愛いものだ。


 前族長の『説得』により、相互不可侵は守られてきた。

 けれども仲間を、肉親を奪われた者たちの悲しみや怒りはずっと消化不良だった。


 ならば現族長として、自分が旗振りを務めよう。

 この手を取れば手っ取り早く、人間たちに復讐できる。

 同胞の、仇を取れる――。


 焦りも困惑も不信感もなりを潜め、催眠術にでも掛けられたように抵抗なく伸びる右手。

 それは、魔族かれらの仲間になるという意思を表していた。


「駄目、白兎!!」


 声を張り上げて叫ぶラニア。唐突に始まった勧誘に何を言い出すのかと呆れていられたのは、まさか白兎が大人しく受け入れるなど思いも寄らなかったからだ。


 事態が思わぬ方向に傾いてしまい焦燥感を滲ませるラニアたちに対し、白兎はなんの反応も示さない。いつも誇りと活力に満ち溢れていた瞳から、光が消えている。まるで何かに操られているかのように。あるいは――考えることを放棄したかのように。


 代わりに獣配士が、口元にうっすらと冷笑を浮かべてラニアに問う。


「貴様に、この娘を止める資格があるか?」


 ラニアは唇を噛みしめる。

 返す言葉が見つからなかった。


 兎族うぞくの里で聞いた、九十年前まで続いた惨劇。

 語りべの老獣人にはもうわだかまりなどないように見えた。しかし、白兎のように若い獣人の多くにとっては、きっとそうではないのだろう。憎くて憎くて仕方がないのだと、あのときの殺気は物語っていた。兎族の長である彼女にとっては、これ以上ない提案。これを機に魔族と手を組んでも何ら不思議ではない。


「無いだろう? 獣人は人間を赦しはしない。過去も、現在も、これからも。この娘もその一人。今は若いばかりに、気まぐれにお前達と行動を共にしているだけ」


 その口ぶりからして、かつて人と獣人との間に何があったかも把握しているのだろう。幼い子供のように手を差しだしている白兎の頬を撫でながら、ヴァーストは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。白兎の表情も手も、人形のように動かない。触れられただけであれほど気持ち悪がっていたのに。


(そりゃあ、仲間じゃないって言ってたわよ。同行するだけって言ってたわよ! けど……!)


 単独行動を取ったことの負い目はあっただろう。レイリーンライセルで修行に励むあおいの様子を見に来たのも、今ミリタムを助けたのも、その罪悪感から逃れるための一時しのぎに過ぎないのかもしれない。


 未だに人間への嫌悪感は拭えないだろうし、あっても仕方ない。

 それでも、少しずつではあっても、一行と打ち解けつつあった白兎を見てきたラニアには、獣配士の手を取ることが彼女の本心とはどうしても思えなくて。


「ミリタム!」


 ジラーが珍しく切羽詰まったような声を上げて、ラニアは反射的に視線を移した。樹に寄りかかっていたはずの少年が、絶対安静を振り切って突っ伏している。文字通りほうほうの体で、どこかへ向かおうとしている。


「……はく……と……!」


 上手く力が入らないだろう手で草花を掴みながら、顎を上げて白兎を見て、確かにそう呼びかけた。続けて何かを言おうとしていたが、声になる前に喉の奥で掻き消えたようだった。ただ、唇は確かに「ダメだよ」と動いていた。


 声にならぬ声が届いたのか、それとも無意識にか。

 白兎の耳が僅かに揺れた。


「ぐ……っ?!」


 突如、ヴァーストが呻き声をあげた。


 余裕の笑みはたちまち苦渋の表情へと変化し、赤黒い血を吐く。喉を押さえ荒い呼吸をし、それでも吐血は続いた。ごぼ、と泡のような血液が大量に口から流れ出る。


「師匠!」


 ジラーの歓喜の声が示すとおり、獣配士の背に剣を突き立てたまま微動だにしないイチカがそこにいた。


 姿勢を保てなくなってきたのか、ヴァーストは膝から崩れ落ちた。

 ぜえぜえと荒い息を吐きながら首だけをイチカに向け、濁った眼差しで笑う。


「……くく……やはり、お前か……イチカ」


 獣配士の体に棲んでいる魔物たちは、たとえ獣配士本人の意識がなくとも体内を自在に動き、危険が迫る箇所を護るべく集う。それが、自らを服従させた主への忠誠の証であるからだ。


 感じ取った殺気の膨大さに気づき、これまでにない数の魔物が背中に集まっていた。しかし、どれひとつとして攻撃を防ぐには至らなかった。黒龍には及ばなくとも、決して有象無象などではない上位種ばかりだったにも関わらず。


『なーんかイヤな予感がするものだから』


 同胞の“予感”が的中したことを悟り、ヴァーストは微かに口の端を吊り上げる。

 とある方法でこの聖域に入り込むことには成功したが、自らの弱点とも言える『獣人』に気を取られ、黒龍の惨敗を許した。極めつけは()()()()()


「分が悪すぎるな……だが、」


 彼ら魔族にとっては、重傷ではあるが致命傷ではない。従えていた魔物はイチカの攻撃により大分減ってしまったが、魔物がいないから戦えないということもない。強力な魔物を屈服させるために自らを磨き上げてきたからこそ『獣配士』としての今があるのだ。背中と口から血を流しながら、それでも矜持を胸に立ち上がる。


 魔族の生命力の高さに内心驚愕しつつ、イチカは剣を構え直す。先ほどは三対一でも歯が立たなかったが、今の相手は満身創痍。ラニアらもまた臨戦態勢だ。それを目にしたヴァーストが侮蔑の笑みを向ける。


「なまくら道具でまだ刃向かおうとするのが人間おまえたちらしいな」

「誰がなまくらだこの――」


 細剣レイピアをかざして斬りかかるカイズの頭上に、巨大な足が迫る。


「カイズ!!」


 カイズは咄嗟に転がるように回避したため間一髪下敷きを免れた。着地した足が引き起こした地鳴りと突風により一行は動きを封じられる。

 足の主は奇妙な出で立ちをしていた。見上げた空の半分を占めるほどの巨体は人のようでありながら、全身は葉で覆われていて、獣というよりは樹の化身のようだ。頭部と思しき部位の真ん中、巨大な一ツ目がぎょろぎょろと蠢いている。


「ソイツは普段は温厚で臆病だが忠誠心は人一倍でな。オレの怪我が重ければ重いほど怒り狂って手が付けられなくなる。いつまで避けきれるかな?」


 ヴァーストの意味深な言葉どおり、初めは緩慢だった動作が徐々に軽快になっていく。身体が大きければ動きは鈍くなるはず、というのは魔族には通用しないようで、先日の鬼といいこの葉っぱの化け物といいやたら俊敏だ。地団駄を踏むかのごとき動きを避けるたびに擦り傷を負い、着地の衝撃波でかまいたちのような切り傷を増やす一行は、次第に追い詰められていく。


「おっとイチカ。お前はこっちだ」


 声がかかるや身体に何かが巻き付き、宙に浮く感覚。一瞬のうちに樹の化身から伸びた蔓に拘束され、イチカは身動きが取れない。


「お前はそこから、仲間が潰されるのを見てるがいい」


 葉の生い茂る身体の肩あたりに固定され、必死に逃げ惑う仲間が眼下に映る。このままではいつ轢死体になってもおかしくはない。目に見えて疲弊してゆくカイズら。イチカは堪らず叫んだ。


「何故おれを攻撃しない!」

「お前に相応しい死に場所があるってことさ」

「何を……!」

「……?!」


 イチカがさらに問い詰めようとしたとき、樹の魔物の動きが急に止まった。青々としていた葉はみるみるうちに茶色く枯れ果て、慟哭のようなくぐもった『声』とともに力なくうずくまる。


 人も魔も、誰もが目を見張った。

 そして、これまでになかった光のような聖気が降り注いでいることに気付く。


「これは……『結界女けっかいじょ』か!?」


 あまりに神々しい聖気に、さすがのヴァーストも焦りを禁じ得ないようだ。周囲を忙しなく見回し、それらしき人影を捕捉する。その双眸に映ったのは、記憶にある巫女とは違う少女。ヴァーストは明らかな嘲笑を浮かべた。


「生まれ変わりに全てを託したつもりか。早まったな」


 獣配士の姿に変化が訪れる。不敵な笑みも、血まみれの淡い緑のローブも、徐々に色素を失っていく。


 イチカが初めてこの魔族と合間見えた時と同じ状況だ。姿だけならまだしも、確かにあったはずの瘴気や殺気すらも掻き消えてしまう。卑怯ではあるが、確実に殺すには非常に有効な手段だ。


 イチカは蔓から解放されてすぐ駆けるも、間に合うかどうかすら分からない。ただ、本能が警鐘を鳴らしている以上楽観視はできない。だというのに、この危機的状況のさなか、肝心の碧は双眸を閉じたままその場に佇んでいる。暢気と取られても仕方ない。


「――?!」


 碧が目を見開いたと同時、上空から滑降するヴァーストの姿が突如露わになった。今まさに鋭く尖らせた脚で串刺しにせんとする体勢のままで、ヴァースト本人も事態を把握し切れていないようだ。


「バカな! この程度の神力しんりょくで暴けるはずが……!」


 姿と気配を絶とうと試みているが、何度やってもそれは叶わなかった。その場に満ちた聖気が一瞬で禍々しい空気を浄化してしまうため、消失状態を維持出来ないのだ。

 その間にも碧は緩やかに両手を空に掲げ――


「【神の怒り(ビッグバン)】!」


 振り下ろす仕草と同時、大いなる神の怒りを体現したかのような強烈な熱線が獣配士を襲う。

 瘴気による防御も魔物たちの庇護も間に合わず、それらごと彼の身体は焼き払われた。


 最強神術(しんじゅつ)【神の怒り】を放った碧は、力が抜けたように座り込んだ。張り詰めていた糸が切れたのだろう。直前まではそんな素振りも見せなかったが、ここまで全速力で走ってきたのだ。神術を扱えたことが不思議なくらいだ、という表情をしていた。


「アオイ! その技は……!」

「うん、ヤレンに教えてもらったの」


 そんな状態でも、いち早く駆け寄ったラニアに笑顔で答える碧。ラニアは早々に諦めかけていたこともあり少しきまりが悪そうだ。


「って、みんな大丈夫?! 傷だらけだよ?! ……ミリタム!?」


 そんなことなど露知らずの碧は慌ただしく皆を見回したかと思うと、その中でも一目見ただけで重傷と分かるミリタムに気付いて血相を変える。慌てすぎたのか蹴躓(けつまず)いて転びそうになっていたが、その勢いで彼の顔をのぞき込む。


「だ、大丈夫?! 凄い血……!!」

「さっきの……魔族にやられてね……そんなに大した怪我じゃ……な……」


 碧に微笑みかけていたミリタムの声が突然途切れた。

 無理が祟ったのだろう。ほとんど息のない、窮めて危険な状態に陥っていた。顔面蒼白で、体温の降下が著しい。血を流しすぎたのだ。


「ミリタム……!!」


 碧は咄嗟に手をかざす。

 治療系の神術は教わっていない。けれど、どんどん死に近づいていく仲間を見捨てられるほど残忍な性格の持ち主ではない。


(やり方なんて知らない。だけど、黙って見過ごせないよ!)


 必死で、しかし形だけの手に、別の誰かの手のひらが触れた。


「サトナ、さん……」


 涙目で手のひらの主を見つめる碧。

 そんな彼女に慈愛の眼差しを返し、聖女は柔らかく笑いかけた。


「お気持ちは分かりますが、貴女(あなた)はまだ、治療系神術の(すべ)を知りません。(わたくし)が致しましょう」


 手のひらを二重に重ね合わせ、その中に結界を作る。

 目映い光が、森を金色に染めてゆく。


 それは刹那の出来事で、余りの眩しさに目を瞑っていた碧が再び目を開けたときには、ミリタムの傷は全て塞がっていた。消えかかっていた呼吸は安定し、体温も少しずつではあるが上昇している。


「これで大丈夫。ですが、暫くは安静にしておられた方が良いでしょう。……白兎さん」


 複雑な表情で遠巻きにミリタムを見つめていた白兎は、まさか自分に声が掛かるとは思っていなかったようで、大げさなほど肩を震わせた。今の彼女からは、獣配士の言いなりになっていた時のような危うさは微塵も感じられない。完全に正気に戻ったのだろう。


 ただ、今まで以上に一行との距離に開きがある。人間嫌いを再認識したというよりは、後ろめたさ由来のものだろう。やや垂れ下がった耳と不安げな瞳がそれを物語っていたが、サトナの変わらぬ笑みを見て多少は緊張が解れたようだ。


「貴女が、付いていてあげてください。私からのお願いです」


 白兎は一瞬ばつの悪そうな顔をしたが、次には唇を引き結んで無言で頷いた。


 瞬間とも言える速さで回復したミリタムの無事に胸を撫で下ろす仲間をよそに、イチカは悪すぎる――しかし絶妙なタイミングで姿を現したサトナに疑問を抱いていた。


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