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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第四十四話 聖域にて(3)

「てめェか……あの三流野郎を(けしか)けたクズは」


 白兎ハクトは、まだ殴り足りないと言わんばかりの表情で獣配士じゅうはいしを見下ろしていた。その顔は怒り一色に染まり、遠く離れていても殺気がまとわりつくようだった。「下僕」への仕打ちに対する憤りにしては、やや行きすぎているようにも見える。


「忘れもしねェ、このニオイ……あの時あたいらの食料を焼いてったヤツらと同じだ。てめェらがやったんだな?」


 確信を持っての詰問を耳にして、訝しんでいたラニアも得心する。いくら上空を渡っていったところで、城と目と鼻の先の兎族うぞくの里近辺まで来れば降下を始めているだろう。鼻が利く彼女らが犯人の匂いを覚えていても不思議ではない。


「なンとか言えよ、あァ!?」


 切り裂くような追及を受けながら、しかし獣配士は沈黙を守ったままだ。それが更に白兎を苛立たせ、再び一撃を加える原動力となった。


「てめェらにとっては通り道のゴミだったのかもしれねェが、あたいらにとっては必要な蓄えだったンだよ!!」


 獣配士の襟元を掴んで引き寄せ、至近距離で怒声を浴びせる。

 白兎は頭に血が上ってそれどころではないようだが、彼はなかなかに端正な顔立ちをしていた。顔が腫れ上がり鼻血が出ていても、綺麗な顔を好む女性ならば多少の怒りなどどこかへ吹っ飛びそうなくらい完璧な容姿を持っている。


 そんな獣配士の双眼は今、間違いなく白兎を映していて。

 まるで恋する少女のような眼差しに見えたのは、ラニアの気のせいではないだろう。


 牙を剥き出しにし数え切れないほど眉間に縦筋を作っている白兎の頬に、ひんやりと冷たいものが触れた。体温が無いのではないかと感じるほど冷たいそれは、手のひらだ。一瞬何が起きたか分からず思考停止した白兎だが、正気を取り戻してすぐその手を払いのける。


「気持ちわりィンだよ! 触ンな!!」

「素晴らしい……」

「――は?」


 これ以上ない拒絶を示したにも関わらず、返ってきたのは賛辞。

 思わず素っ頓狂な声を上げた白兎は、獣配士の瞳が異常に輝いていることに気付いた。

 いよいよ固まる白兎のことなどお構いなしに、今度は頬まで染め始める。


「獣人よ……お前は兎族だな? 毛並みが良く、極端に長い耳を持ち、戦闘能力が高く、果ては人語を話すという……オレはなんと運のいい男だ……これほど完璧な獣人は見たことがない」


 そのまま自分の世界に入ってしまった獣配士に、白兎は怒りも忘れてただただ呆然とするばかり。


 戸惑っているのはラニアも同様だ。合流したカイズ、ジラーと揃って三人で顔を見合わせる。


(あね)さん、あれってさ……」

「あたしに聞かないでよ、こっちだってワケ分かんないんだから」


「なんなの、アレ?」と逆にカイズらに訊ねてみるが、正解など分かるはずもなく。


「とにかく、イチカを呼んできた方が良いわね。どこにいるのか見当も付かないけど」

「それじゃあ、オレ捜してくる」

「頼んだわ。……あ、それからミリタムを安全な場所に。今はあれだけど、今度いつさっきのに戻るか分かったもんじゃないから」


 了解、と元気のいい声を出し、カイズは森の奥へ、ジラーはミリタムの元へそれぞれ駆けていった。聖域の加護もあるのだろうか、動きは軽快で瘴気しょうきによるダメージを感じさせない。


 突然展開が変わったため、随分と放置されていたミリタム。傷の深さと出血が気になるところだ。そもそも意識を保てているのかさえ不明確だったが、ジラーに声をかけられて微かにではあるが笑顔を見せている。そのまま抱えられる彼を見て、ラニアは一安心した。


 ただ、事は一刻を争う。ジラーが応急処置を施しているが、本格的な手当が必要だろう。そのためにも、この寸劇が終わるまでに頭数はできるだけ揃っていた方が良い。まずはイチカが帰ってくるかどうかだ。


 再び白兎らを注視しながら、ラニアは地面に転がっていた銃を拾う。

 今度いつ、こんな機会に恵まれるか分からない。そう思い照準を合わせてはみたが、先刻のように獣に阻まれる可能性もある。かえって危険を被るし、それならば撃つだけ無駄だ。何より一番あの魔族を張り倒したいのは、まず間違いなく白兎だろう。既に何度も顔を殴っているがそれとこれとは次元が違う。


「あれだけ隙だらけなのに、撃てないなんて酷だわ~~」


 心底残念そうな顔をして、ラニアは嘆息するのだった。





「ほーら見なさい。アタシの予感、見事に的中したわ」


 大陸最北にぽつんと佇む古城の最上階。四角く削り取られた壁の向こう、常であればただただ黒い、薄気味悪い空間が広がるばかりのそこに人影があった。

 薄黄色のやや広がり気味の髪を後頭部の高い位置で結い上げ、淡紅色のドレスを身に纏う姿は一見すれば女性そのもの。実態は女性にあらず、それどころかフリルのついた衣装の下は筋骨隆々の肉体だということを知っているのは、ごく一部の魔族だけである。


 そんな彼――クラスタシアは驚くどころか得意気だ。ただ腕組みをして景色を眺めているだけのように見えるが、そうではない。


 いくら高所とはいえ、山々や森が視界を遮るはずである。それすら取り払い、ある特定の場所、特定の状況を観察することを可能にするのが、彼の能力。人間の何百倍もの視力で遠方透視ができる技【千里眼】である。


「まさか敵サンの中に、自分のだーい好きなケモノがいるとは思いもしなかったでしょーねぇ……。最悪、かなりカッコ悪い死に方するかもね」


 あほらし、と巫女の森のある方角を一瞥し、指を馴らしながらクラスタシアは奥へと消えていった。


 見ようによっては仲間が危機だというのに、彼らには助け船を出す気はさらさら無い。時には人間のような馴れ合いの真似事もするが、ほとんどの場合互いの行動に干渉することはない。いわゆる『放任主義』なのである。





 若い木々は風の力を借りて、己の身体を揺さぶる。


 最早伝説となる程その存在を知らしめた巫女も、老木たちも、『それ』を見て見ぬふりをしている。神聖なる森が汚されているというのに、何の行動も起こそうとしない。


【このままではいかぬのだ。なんとしてもこの禍々しい邪気を消し去り、再び森に生気を呼び戻さねば……】


 若い木々は困惑していた。己にとっては先輩にあたる老木が、世界を救った巫女が、何故見過ごすのか。憧れの存在に裏切られたも等しい絶望を抱きながら、このまま穢れを放置するわけにはいかないと枝葉を鳴らし続ける。


【だからこそ、この娘……起こさねばならぬ】


 動かぬなら、動かすまでだ。


 木々がそう念じたとき、草地に寝転がる少女が僅かに身じろいだ。

 木々の声に反応したかのように、その念に応じるかのように。


「ん……」


 少女――あおいはゆっくりと眼を開けた。


 視界いっぱいに広がったのは、数時間前と何ら変わらぬ森。空気も、風景も、日だまりのような暖かさも。気味が悪いほど、全てに変化が無い。


 碧はまだ夢見心地で上体を起こす。


「えと……たしか、ヤレンに技を渡されて……」


 断片的に、ほんの数分の出来事が記憶から削り取られていた。ただし、一時的な欠損だ。通常ならば徐々に復活する。


 そんな寝起きの思考回路に、木々は無理矢理忍び込んだ。漂う神力しんりょくに乗せて、思考の一切を無視し木々の『声』だけを聞き取れるように。


 若木の神力に侵され、碧の脳内が真っ白に染まる。元々あった記憶が全て塗り替えられ、何もかもが消えてゆく。


【……く……て……】


 男なのか女なのかすら分からない声が、脳内に反響する。単語の羅列でしかなかったそれはやがて言葉となり、ひとつの文章に組み替えられてゆく。


【魔族が聖域入り口付近にて、人間と交戦している】


 木々が、碧の思考回路から離れた。

 記憶が舞い戻る。無くしたピースを順に当てはめていくように、一片ずつ、着実に。


 それと同時に、頭の中を流れていった言葉がもう一度再生される。

 それがいかに重要で深刻なことかを思い知らせるかのように。


『マゾクガセイイキイリグチフキンニテ、ニンゲントコウセンシテイル』。


(魔族……聖域……人間……)


 碧の脳裏に、次々と浮かび上がる顔。


 自分を見ては執拗に殺そうとした女。

 四百年前この森を治めていた巫女と、今この森を護っている巫女。

 そして、感情を表に出さない少年と、入り口で待っている五人の仲間。


 それらが思考を埋め尽くし、碧を走り出させる。


 少しでも早く、前へ。





 イチカは、確実にその気配を辿っていた。


 柔らかな日差しが注がれるこの聖域『巫女の森』。

 かつての戦争では、満たされた聖気に浄化され、魔族は森に入る前に消え失せてしまった――少なくとも彼の愛読していた文献には、そう記されていた。


(その聖域で、何故魔族の気配がする?)


 神経を研ぎ澄ます。

 突き刺さるような邪気が、穏やかで荘厳な空気に割り込んでいる。それも、極限まで集中を高めなければ気付かないほど微かだ。相反する気配を巧く調和させているようにさえ感じられた。まるで、気付かせないことが目的であるかのように。


 ここには二人の巫女がいるが、どちらも高位の巫女であることは確かだ。うち一人は霊体に等しいが、四百年前に魔王を討ち滅ぼしたほどの英傑。先ほどの会話の時点であの邪気に気づいていたはずなのだ。なのに何故、何の反応も示さなかったのだろうか。


 いずれにしても、イチカが取るべき行動は一つだった。


 ――魔族を、斬る。


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