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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第四十一話 油断(2)

「ヤレン、だと……?!」


 イチカは目前の人影を改めて確認する。


 鮮やかな臙脂えんじ色の着物が、まず目を引いた。丈は通常のそれとは異なり、腿の中間あたりまでの長さしかない。着物の合わせからは半衿の代わりに鎖かたびらが覗き、腰から腿にかけては和装にそぐわない鋼の腰巻きに覆われている。袖部分は切り取られ、肘から手首にかけての防護具に姿を変えている。両二の腕と腿の下半分から膝にかけては、包帯のような白布が巻き付けられている。元の衣装にかなり大胆なアレンジを加えていると推察され、外見から『巫女』と想像するのは難しい。


 そして、容姿。宝石で縁取られた金属製の装身具を頭頂に戴き、焦げ茶色の髪は腰まで到達するほど長い。そして、大人びているが幼さも垣間見えるかんばせ、その瞳は漆黒。

 年齢や身につけているもの、髪の長さこそ違えど、彼の隣にいる少女と瓜二つである。


「……なるほどな。たしかに生まれ変わりでも不思議じゃない」


 数度彼女らを見比べた後、イチカは柄から手を離した。瘴気しょうきを感じなかったこともあるが、それだけではない。辛うじて色彩は分かるものの、その姿は半透明と言っても差し支えないほど儚げだ。脆弱ささえ感じるのに、滲み出る聖気はサトナよりも強い。


 あまり表情の変わらないイチカとは対照的に、あおいは驚きを露わにしていた。細かい部分に相違はあるものの、目の前に鏡でも現れたのかと思ったほどだ。


(嘘。鏡は言い過ぎ。だってあたしより普通に美人だし)


「お前がイチカか。なるほど、よく似ている」


 どこか懐かしげに目を細めて微笑むヤレンだが、当然ながらイチカには全く心当たりがない。


「誰と勘違いしているのか知らないが、おれはあんたとは関係ないしあんたに話すこともない。向こうの話ならそいつから聞けばいい」

「勘違いではないぞ? 全く関係がないわけでもない。まぁ()()お前たちに話しても無駄だろうから言わないが」


 まるで未来、あるいは過去を知っているかのような含みのある言い方に、碧だけでなく今にも元来た道を戻っていきそうだったイチカも怪訝そうにヤレンを注視している。

 不審のこもった視線を意に介した様子もなく、暫く感慨深げに二人を眺めていたヤレンは、その視線をやおら碧一人に定めた。


「それより……お前に教えたい神術しんじゅつがあると言ったな、アオイ?」

「え? あ、はぁ」

「関係についてはまた後日話すとしよう。今はアオイの強化が最優先だ」


 ほぼ自分のような存在に名を呼ばれて反応に困る碧をよそに、ヤレンの漆黒の瞳は強い意志を宿してイチカに訴えかける。

イチカが渋々頷くのを確認してから、ヤレンは再度碧に視線を戻す。


「さてアオイ。覚悟は出来ているか?」

「そんな大袈裟な、」


 苦笑を返そうとして、息を呑む。


 先ほどまでとは別人のようにヤレンの表情は消えていた。代わりに真剣な眼差しが碧を射抜く。生半可な気持ちでここにいることは許されないと、彼女の気迫のみならず背景の森でさえもが警告してくるようだった。


(そうだ。あたしは、ただ護られるのが嫌だから。強くなりたいから、ここへ来たんだ)


 躊躇う心を奥へ押しやり、意を決したように唇を引き結び、小さく首を縦に振る。碧の変化を見つめていたヤレンは、やがて満足そうな微笑を浮かべた。


「いい表情だ、こちらへ来い。……イチカ、帰るなよ」

「……」


 今まさに彼女らに背を向けようとしていたイチカは、釘を刺され切り株に座り込む。どうやら本当に帰ろうとしていたらしい。ヤレンに会う前から戻りたがっていたから無理もないが、引き留める必要もないだろうに。気の毒に思った碧はイチカをちらりと振り返ったものの、自らに決定権はないと悟りヤレンのあとを追う。


(ヤレン、なんか楽しそう?)


 半霊体のようなその姿は振り返らずに歩き続けているが、後ろ姿がなんとなく浮ついている気がした。思い返せば、覚悟を問うた時以外は大体からかい調子だった。主にイチカに対して。


(イチカとあんな風に喋れる人、初めて見たかも)


 長く共にいるラニアたちでさえ、揶揄する様子はあまり見られない。それどころか、未だ遠慮が垣間見える。本音をぶつけ合うことはあっても、無意識下でその領域に踏み込むことを躊躇ってしまうのだろうか。

 その点ヤレンは初対面とは思えない気安さでぐいぐい来るが、不思議と嫌味も感じない。大人の女性の成せる技かもしれないし、一種の才能なのかもしれない。


(やっぱり前世って言ったって違う人間なんだよね。あたしはそこまで積極的にいけないなぁ)


 尊敬だけのはずが、ヤレンに対してもやもやした気持ちが沸き起こる。


「心配か?」

「え?」


 声を掛けられ思わず立ち止まると、ヤレンがこちらを振り返り小首を傾げていた。


「えっと……何が?」

「いいや」


 問い返してもそれだけで、あとはただ微笑みながら意味深に見つめてくる。

 訊ねておいてなんでもないとはどういうことなのか。やきもきしているうちに踵を返すヤレン。


「ついつい舞い上がってしまってな。四百年前に身体を失ってからというもの、サトナくらいしか話をする機会がなかったんだ。ただ、あの子は少し堅物過ぎていけない。お前たちのような反応が新鮮に思えるよ」


 これまでのサトナの言動を見ればヤレンの指摘も一理ある。ヤレンを心から敬愛していることは伝わるのだが、柔軟性のなさが衝突の種になっている。

 しかし今はそのことよりも、何気なく聞き流してしまった前半の内容に碧は違和感を抱いた。


「“身体を失った”? あたしはあなたが「姿を消した」って聞いたけど……」

「姿を消した、か。あながち間違いではない。おそらくその直後だろうが、私たちは魔族に殺されたよ」

「私“たち”? “殺された”……!?」


 ラニアやサトナから聞いた話と違う。サトナに至っては「不治の病にかかり云々」などとまことしやかに説明していた。とんでもない悪行である。


(サトナさんが言ってた嘘ってこのことだったの……?! あと六つはなんなの!)


「詳しいことは追々話す」


 衝撃的な結末に頭がついていかない碧にヤレンは簡潔にそれだけ告げて、大樹『この世の果て』を通り過ぎたところで歩みを止める。そこでやっと碧に振り向き、自らの両手を胸の前で重ね合わせた。


「それでは、今からお前に伝授する。俗に言う『最強』の神術【神の怒り(ビッグバン)】を」

「ビッグ、バンって」

「お前たちの住む地球では『宇宙の始めに起こった大爆発』という意味らしいが、こちらでは『神の怒り』と訳す。属性としては光魔法のようなものだが、威力はその倍だと思っても良い」


 光魔法と聞いて、碧はミリタムの魔法【光刃(シャイン・クロウ)】を思い出していた。

 反撃する隙さえ与えなかったあの魔法を上回る威力。思わず生唾を飲み込む。


「最強と言っても今のお前の神力しんりょくでは五割が精々だ。くれぐれも過信しすぎるなよ」

「あ、ハイ」


 イチカとのやりとりといい、先ほどから心を読んでいるかのような節がある。単に表情を読むのが得意なだけかもしれないが、未来を読み世界を救ったと語り継がれる希代の巫女である。補正が働いて何が起きても腑に落ちてしまう。


「サトナから教えさせても良かったが、彼女はまだ若い。意識の私から渡した方が、生身ではない分負担がかからない」


 説明の進捗に合わせるようにゆっくりと広げられた両手から、光が溢れ出る。昼間の日光よりも目映いそれに遮られ、ヤレンを直視することも叶わない。


(これがヤレンの、ううん、巫女の力……?!)


 目が眩んでいる間にも、向けられた手のひらから架け橋のように光が渡ってくる。ちょうど胸のあたりに滞留してから、あるものは足先へ、あるものは頭部へ、各々が意思を持っているかのごとく移動する光。際限なく供給される輝きは瞬く間に全身に行き渡り、碧の身体は金色に発光している。

 碧に集束した光は、その力を持て余したかのように頭頂部と足裏から体外へと飛び出す。それはやがて地中と空とを貫く巨大な柱となり、空高く伸び続けた。





 光の柱は巫女の森の入り口からほど近いラニアたちも視認できるほどだったが、肝心の彼女らにそれを気にする余裕はなかった。えも言われぬ邪気に圧倒され、地に転がされたまま身動き一つ取ることもままならない。邪気の発生源であろう男は中空を仰いでいて、もがき苦しむ人間のことなど眼中にないようだ。


「あんた……魔族?!」


 その涼しい顔が気に入らないラニア、気力を振り絞って身を起こす。カイズやジラー、ミリタムも遅速ではあるが起き上がり始めている。

 男はラニアの睥睨にも表情を崩さず、思い出したかのように一行を視界に収めたかと思うと、短く肯定の意を示す。


「その通り。我が名はヴァースト。用があるのはあの忌まわしき女の生まれ変わりだけだが、まずは貴様らから始末させてもらおうと思ってな」

「いいの、そんなに喋って?」


 馬鹿正直というのか、くそ真面目というのか。虚言の可能性も否定できないが、律儀に目的を語り始めたヴァーストに呆気に取られる一行。そんな中、ミリタムが挑発的な口調で訊ねる。


 ヴァーストがミリタムを見やる。値踏みするような、何かを確認するような視線は一瞬だった。氷のような表情から一転、口角が吊り上がり微笑を象る。

 まるで、目当てのものを見つけた子どものように。


 たとえ相手が同僚の仇であろうと、()()からすれば仇討ちなどは二の次三の次だ。下手をすれば候補にすら挙がらない。むしろ、「あいつを葬ったほどの人間」という意味で期待値が高まっている。

 いかに自分を楽しませてくれる存在か――それが魔族にとっての最重要事項なのだ。


「構わんさ。貴様らを殺した後ならば、話すも話さないも同じ事!」


 言い終わるやいなや発せられた異様な瘴気(しょうき)に反応した四人は、即座に四方に跳び魔族と距離を取る。

 間を置かず、静まりかえった森に銃声が響き渡った。


「……ほぉ」


 ヴァーストが感嘆の声を漏らす。


「魔法士以外は取るに足りん雑魚だと思っていたが……間違いだったか」


 水藻色の瞳がラニアを――正確には彼女の銃を見据える。

 ラニアは瘴気を避けると同時に、獣配士じゅうはいしのこめかみを撃ち抜いたのだ。即死、あるいは致命傷になってもおかしくはない箇所と出血だが、対するヴァーストは気に留めた素振りもない。


(あね)さんの銃弾を受けてもぴんぴんしてる……?!」

「弾を食らったのはオレじゃない。こいつだ」


 カイズの信じられない、と言いたげな眼差しを受け、ヴァーストは己の顔をその長い爪で抉り取る。否、顔に張り付いていた()()を。


「――!!」


 分離した青白いそれは即座に黒く変色した。当人の顔には頬の古傷以外に目立った外傷は見受けられない。なんらかの方法で顔と同化していたのだろう。

 無造作に地面に投げつけられ、それの姿が露わになる。顔の半分ほどの大きさの、爬虫類と昆虫を足したような生き物だった。額の辺りから大量に出血し、もはや微動だにしない。


「オレが従えた『魔星ませい』の動物は優秀でな。先回りして動いてくれるのさ。それが獣配士の所以でもある。ほんの礼だ、いいものを見せてやろう」


 声も出ない人間たちに冷笑を向け、自らが纏うローブに手を掛ける。

 分厚い布に覆い隠されていた半身が曝け出される。はだけた胸から腹にかけて、黒い龍が縦断していた。


「ダークネス、ドラグーン……」


 ミリタムの唇が躊躇いがちにその名を紡ぐ。


暗黒を招くもの(ダークネスドラグーン)』――魔王を含む最大幹部とその直属の部下を除き、魔星に住まう全ての生物の上に君臨するほどの力を持つ黒龍。


 そして『獣配士』。

 己の持てる力の全てを獣にぶつけ、勝つことができればその獣を従えることができる、ある意味では博打(ばくち)のような称号だ。

 敗者は肉食種の餌になることが多い魔星において常に命の危険は伴うが、一匹でも多く従えてしまえば圧倒的有利な位置に立てる。強力な獣ほど、その位は高くなる。


「ほお、人間でも知っていたか。その存在を」

「まぁ、ね」


 感心した様子のヴァーストに苦笑を返すも、ミリタムは内心歯噛みしていた。


 魔星について記した文献は数あれど、そこに生息する個々の種族について触れられている書物はそう多くない。比較的低位の魔族であれば図鑑に載っていることもあるが、高位ともなると出くわすこと自体が死に繋がるため記録として残らないのだ。運良く生き残った者がいれば聞き取って書き残すが、そのような記録は書き手が少なく量産が難しい。そのため図書館などの一般向けの蔵書ではなく、ごく限られた範囲――いわゆる上流階級にのみ配布されている。


 ミリタムもそういった経緯から実家の書庫で履修済みだったのだが、だからこそ圧倒的不利な現状にあると認めざるを得なかった。魔星上位の龍、そしてそれを従えたこの男。


 勝てるとすれば、【光刃】をおいて他にない。


は輝々たる刃・駆けたるせんこ――」


 両手の人差し指と親指をつけて作った三角形の先、黒い影と目が合った。


「其は強固なる石壁・我を守りし盾となれ!」


 ミリタムが咄嗟に詠唱変更し、彼に食らいつこうとしていた影はすんでのところで防御型魔法【石壁(ロックウォール)】に阻まれた。


 黒い影の正体は、入れ墨のように思われた黒龍だった。ミリタムが【光刃】の詠唱を始める直前、聖域を突き出んばかりに巨大化し、大口を開けてこちらに向かってきたのだ。


「くっ……!!」


 圧されている。


 眼前に迫る牙は今にも魔法ごとミリタムを噛み砕きそうだ。その勢いに耐えようとすればするほど、両手の震えは強くなっていく。全身から汗が噴き出す。


【石壁】は比較的高位の魔法で高い守備力を誇るが、あくまでも対人間もしくは対兵器を前提としている。そして、魔法の練度は経験値に比例する。

 ミリタムは確かに名門一族の出身で、天才肌かもしれない。しかし、どんなに技術と魔力があろうと年月を重ねなければ真価は発揮されないのだ。


 現実に直面した【石壁】――否、術者の精神力は限界に達していた。


「……っ!!」


 盾は音もなく瓦解。黒龍はこの時を待っていたと言わんばかりにミリタムを飲み込んだ。


「不便だな、人間は。詠唱が間に合っていれば多少は可能性があったものを」

「ミリタム!!」


 仲間の姿を遮られ、嘲笑を耳にして、我に返ったラニアは銃を携えてヴァーストへと向かっていく。


 とはいえ、策などないことは明白だった。捨て身で闇雲な射撃にそれが表れている。あるのはただ『魔族を止めなければミリタムが殺されてしまう』という危機感と恐怖。頭の中ではその言葉と警鐘だけが鳴り響き、効率的な攻撃を考える余裕などあるはずもなかった。


 そんな焦りが油断を生んだ。

 それまで軽く身を躱す程度だった敵の姿が消えたのだ。


 慌てて見回すも、突然目の前に現れたヴァーストに驚く暇もなくラニアは蹴り飛ばされた。


 それを見たカイズやジラーもがむしゃらに突進していくが、武器が届く前に瘴波しょうは――瘴気に攻撃力と速度を付与した衝撃波――で弾き飛ばされてしまう。


 ヴァーストは三人には目もくれず、黒龍を見つめる。


(よろこ)んでいるようだな……『闇黒を招くもの』よ」


 真に獣を従えた者にしか分からない黒龍の感情を察し、ヴァーストは冷たく微笑むのだった。


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