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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第三十九話 痛み出す過去(2)

「っとにあの子、いちいち偉そうなんだから。『人参食べたお詫びに』とか言えないのかしら?」


 それが言えるような性格なら、これまでのように度々衝突したりはしない。分かってはいても、どうしても癪に障るのだろう。ラニアの気持ちも分かるが、あおいとしては別の側面から評価したい。

 

「でもあたし、けっこう嬉しいな。白兎ハクトが人に協力するなんて、最初は考えられなかったでしょ」

「そりゃあ、そうだけど」

「白兎も、ちょっとずつ変わろうとしてるのかもしれないよ?」

 

 もしかしたら、ほんの気まぐれなのかもしれないけれど。たとえそうだとしても、誰かの役に立ちたいとか、心動かされたとか、少しでも人間に対する意識に変化が現れてくれたら、それで御の字だと碧は思うのだった。

 

 朝食後、一旦は各自の部屋へ戻っていた一行は、碧の呼びかけで再び居間に集まっていた。昨日のヤレンとの会話、示された道筋、その全てを伝えるためだ。聞き手の五人は私語一つせず、碧の話を真剣に聞いている。


「ってことで、『巫女の森』に行きたいんだけど……」

「救いの巫女直々に教えたい神術しんじゅつ、か。もしかしたら、相当なものかもしれないね」

「でも、もし途中で魔族に出くわしたら厄介よね~~」


 ラニアのもっともな懸念に頭を抱える一行。自然と会話も途絶える中、イチカが静かに口を開く。


「だが、この間一匹倒した。さすがにそれだけで窮地に陥ることはないだろうが、奴らの戦力を削ったことは確かだ」

「師匠に賛成。それに巫女の森は魔族の力を通さない、って言われてるし、危険性は少ないと思う」

「オレも兄貴に賛成!」

「ちょっと待って。複数で襲ってくる可能性も考えた方がいいんじゃないの?」


 満場一致と相成りそうな空気に一石を投じたのはミリタムだ。彼が実際に対峙したのは先日の鬼だけだが、それまで碧たちが遭遇した魔族の情報も一通り仕入れているからこその発言だった。


「それなんだけど、アオイを狙ってる割には今までの魔族はどれも単独で来てる。もしかすると、魔族の流儀みたいなのがあるんじゃないかな? 残り何匹いるかは分からないけど、二匹以上で来る可能性は低いと思う」


 挙手と共に推測を述べるジラー。通常、確実に仕留めるならば集団で襲撃する方がより成功率も上がる。それをしないのは、「あえて」なのではないかと考えたのだ。


 現に彼の言うとおり、『フィーア・フォース』の者たちは特段の事情がない限り単独行動を取っている。しかし、そんなことなど知る由もないミリタムは眉間に皺を寄せてしかめっ面をしている。


「楽観的すぎるよ。たまたま今までのヒトたちが一匹狼だっただけかもしれないでしょう。大勢で押し寄せて来ないとは言い切れないよ」

「けど、そんなこと言ってたらいつまでたっても動けねーじゃん。アオイがその神術を覚えたら、魔族の相手するの楽になるかもしれねーだろ?」

「確かにそーねぇ」

「んじゃ、それでオッケーだな!」


 カイズの一言で賛成の流れになり、一気に不利な立場に追い込まれたミリタムは納得がいかない様子。見た目に惑わされそうになるが、彼はまだ七歳、日本で言えば小学一年生なのだ。年齢にそぐわぬ分析力は素質もあるのかもしれないが、これまで積み重ねてきた努力の賜物だろう。

 そんな彼に、碧は声を掛ける。


「あのね、ミリタム。今回も、たぶん大丈夫だと思う」

「あんまりそういうのに頼るの良くないと思うけど。まあいいよ、『救いの巫女』の生まれ変わりがそう言うなら」


 碧のどことなく自信に満ちた物言いに、難しい顔から一転、破顔――とはいかずとも、半ば諦めたようにミリタムも折れた。考えることが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。

 

 こうして一行の意見がまとまった頃、ちょうど白兎たちも戻ってきた。朝食を取り終えてからすでに三時間経過していたようだ。心なしか充足感に溢れた表情の白兎に『巫女の森』へ行くことを伝えると、栄養を失った植物のごとく急速にやつれていく。「止めとく?」と訊けば一瞬躊躇ったものの、おそらく気合いで立ち直り「行くに決まってンだろ! なめンなよ!」と啖呵を切って見せたのだった。

 

 各々荷物をまとめ、ミシェルに挨拶を済ます。最初はあれほど恐れおののいた数々の内装も、これで見納めかと思うと少しは寂しい気分に――とはならないようだ。玄関を出てすぐの場所で固まって地図を開き、道順を確認していると、後方の扉が開く音。見ればミシェルが、殺戮現場のような家から大荷物を担いで出てくる。自宅から出仕するにしては引っ越しのような重装備。それを見た誰もが目を点にし、碧が皆の心の声を代表して訊ねた。

 

「引っ越すんですか?」


 今度はミシェルが目を見開く番だった。碧の質問の意味を考えているのか視線をやや横に流し、やがて合点がいったのか視線を戻し――声をあげて笑い出す。


 一体何が彼の大爆笑を誘ったのか皆目見当が付かない一行、無数の疑問符を浮かべてミシェルを眺めるしかない。そんな碧らに、笑いすぎて息も絶え絶えになりながら訊ねるミシェル。


「一応確認だけど、君たち、この家がオレの家だと思ってる?」


 少年少女らの頷く姿を見た途端、「勘弁してくれ」と悲鳴のような笑い声を上げながらのたうち回る。


「この家は空き家だったんだ。ちょうどレクターンの領土だから、国王が引き取られた。見ての通り内観に難があって、なかなか使い道がなかったところに君たちの情報が入ってね。この町に君たちのような大人数を受け入れられるほど余裕のある人はいないから、ここを使ってもらうことにしたわけだ。第一オレはあんなに悪趣味ではないし、オレの家は城の側にある騎士寮だよ」


 その悪趣味な家を引き取る国王も国王だが、より具体的な経緯を訊きたいと思ったのは碧だけではないだろう。もしかすると一番の悪趣味は国王なのかもしれない。


「でも、それじゃあ畑はどうなるの?」

「そのことなら問題ないよ。この辺一帯は南方第三分団の管轄だからね。引き継ぎも終えてる。ちなみに分団長は演技派の彼だ」


 ミシェルが茶化した人物は、一行がこの町を訪れた初日、付け焼き刃の知識で押し問答を繰り広げた隊員のことだろう。碧が心を読んだことによりその目論見は呆気なく看破されてしまい、必死さは伝わるが空回ってばかりいるという、なんだか少し気の毒な人物であった。


「多少扱いにくいところはあるかもしれないが、仕事ぶりは堅実だからきっと大丈夫。オレも、この役目を任された以上は定期的に様子を見に来るつもりだよ」


 言ってから軽く手首を振り、彼方に向かって指笛を吹くミシェル。それに応えるように間もなく聞こえてきた規則的な音は軽やかだ。耳を澄ましてようやく分かる程度だったそれは、いつの間にか周囲の喧噪を掻き消すほど大きく重量感を伴う。やがて砂埃を引き連れ、足音高らかにそれは姿を見せる。


「馬……!!」


 碧の瞳が、星とでも形容できるほどキラキラと輝く。『ファンタジーの世界』にはつきものの馬がそこにいた。筋肉質な逞しい身体は嫌味のない光沢を放ち、流れるような曲線を描く。長くしなやかに伸びる脚は、余分な肉もなく見事な肉体美。気品すら漂う毛並みはそれが当然であるかの如く色艶が良い。絵や写真と、実物とは訳が違う。碧は感激のあまり絶句する。


 感動の只中に置いてけぼりの碧をよそに、ミシェルは手早く荷物を括り付け、慣れた手つきで軽くたてがみを撫でる。短くいななきを上げ、馬は頭を垂れた。


「君たちには悪いが、オレはこいつで国に帰る。健闘を祈るよ。では!」

 

 広い背にまたがり、掛け声をかける。それを合図にミシェルを乗せた駿馬は勢いよく駆けだし、あっという間に土煙に包まれる。視界が晴れた頃には、彼らの姿は遙か彼方。ほとんどの者が「羨ましい」と思ったのは無理らしからぬことだろう。


「おれ達も行くか。ラニア、そいつは任せた」


 未だにその場で固まってしまっている碧を見るでもなく示し、イチカはすたすたと歩き出す。

 いくら羨望したところで、一行を導くものは自らの足しかない。それに、ウイナーで賞金稼ぎをしていたイチカらであっても購入を躊躇うほどには馬は高い。馬を持てるのはほんの一握りのこの世界、移動手段の最たるものは徒歩であるため、ないならないでなんとかなってしまうのだ。他の者も彼のあとについていき、指名されたラニアと石のように硬直した碧が残った。

 

 ラニアはどんどん先へ行ってしまうイチカらの背中と、目を開けたまま気絶している碧を見比べ、どうすることが最善か考えているようだ。せっかちな面が見え隠れする彼女だが、いきなり銃に手を掛けないあたり碧相手には一応配慮しているらしい。


「アーオーイ! 戻ってらっしゃーい!」


 数度目の前で手を振るが目は虚ろ。意図的か無意識にか、白魚の手がホルスターに伸びる。本能が不穏な気配を察知したのか、その瞬間碧の目の焦点が合った。

 

「あ、ラニア。サラブレッド……?」


 他方、言っていることが支離滅裂で完全には正気に戻っていないようである。眩暈を覚えたのか額に手を当てよろめくラニア。


「なに言ってるの! 『巫女の森』へ行くんでしょ!」


 本来の目的を思い出させようと声を張り上げるも、未だ心ここにあらず。これ以上待っていられないと言わんばかりに碧の手を引き、半ば引きずるように仲間たちを小走りで追いかけるラニアであった。

 




“何気なく視界に入った日は不運なことが起こる”。

 そんな迷信が囁かれる場所――それが最北の地、ただ一つぽつんとそびえ立つ古びた城である。針のように細長い外貌、苔生こけむした岩肌を這う蔦、等間隔に切り取られた壁、その向こうに広がる終わりの見えない闇。特別怖がりでなくとも、理由もなく不安に駆られるような不気味さを醸し出すそれを見れば、何故そのような迷信が生まれたのか自ずと納得がいく。

 

 見た目は塔だが、人々からは『城』と呼称されるその最下層。重厚さと経年を感じさせる鉄扉から、一人の男が姿を現す。淡い緑色の外套に身を包んだその男は青年と呼んでも差し支えないほどの容姿だが、両耳は鋭く尖り、透けるような肌は色白を通り越して不健康的だ。だというのに、両頬に深く刻まれた二層の爪痕は、ある種の誇りのように映る。

 

 延々と続く緑の大海原を歩く姿は、抹茶色の髪も相まって同化しそうだ。そんな彼を追いかけるように走ってくる者がひとり。


「ねぇちょっと、ヴァースト。やっぱりアタシもついていきましょうか?」


 やや焦燥気味に男――獣配士(じゅうはいし)ヴァーストを引き留めるのは、同胞であるクラスタシアだ。ヴァーストの表情は一見涼しげだが、見るものが見ればうんざりしているのだと気付くだろう。クラスタシアが「やっぱり」と言うとおり、これまでも幾度となく提案されてきたことなのかもしれない。


「オレの力を低評価していないか?」

「そんなことないわよ。ただ、なーんかヤな予感がするものだから」


 唸りながら弁解する彼を見て何かを悟ったのか、ヴァーストはふと遠い目をして儚く微笑む。


「嫌な予感、か。まぁ、今回オレが奴らと戦って死ぬのなら、それは避けて通れない事なんだろうな」

「アンタにしては珍しく臆病ねー」


「ほっとけ」と言わんばかりにジト目を投げるヴァーストだったがそれも一瞬のことで、すぐさま真面目な表情に切り替わる。


「もしオレが死んだとしても、お前がソーディアスと組めばいいのさ。オレよりもお前たちの方が強いのだから」

「そりゃそうなんだけど……」

「用がないなら行くぞ」


 何事か言い淀むクラスタシアに痺れを切らしたのか、彼が返事をする前にヴァーストの姿はそこから消えていた。

 

 そもそも、瞬間移動しようと思えば『城』の中からでもできるものを、わざわざ階段を降りて門扉から出て行くなど妙なところで人間くさい。ヒトのこと言えないじゃないのよとクラスタシアは愚痴混じりの溜息を吐いて、重たい足取りで古城へと歩く。


「てゆーかアタシが言いたいのは、誰が魔王サマのご機嫌を取るか、ってことなんだけどね~~」


 勿論そんな独り言が、彼に届くはずもなく。





「気分(わり)ィ」


 レイリーンライセルを出発してから数日後、巫女の森付近。白兎ハクトが絞り出すように訴える。言葉通り、背中は曲がり顔は青白い。まだ街道を歩いているだけなのに、普段は天高く伸びている自慢の耳も大きく垂れ下がっている。不調再来である。言わんこっちゃないとラニアが軽く額を抑える。


「だから、せめてウイナーにいればって言ったのに」

「ジョーーダンじゃねェッ! またガキどもにつつき回されンのはゴメンだねッ!!」


 その時ばかりは鬼気迫る勢いで断固拒否した白兎だが、言い切ってから干からびたミミズのようにしおしおと萎んでいく。気力でどうにかなるものではないらしい。


 ラニアの店こそもう使えないが、事情を話せば(そして多少金を積めば)獣人だろうと匿ってくれる伝手はあるそうだ。当初は喧嘩っ早さと人間を蔑む言動が衝突の種になっていたが、それも少しずつ薄らいでいる。大人しくしていればつつき回されるようなこともないだろう。


(ラニアみたいに急に発砲する人もそういないだろうし)


 というか、そういても困る。

 そもそもの始まりは彼女の照れ隠し、つまるところ不用意な発砲だった。驚き動揺した白兎が無我夢中で逃げ回った終着地がたまたま悪ガキたちの行動範囲だったというだけで、普通に生活していれば我を忘れるほどの事態は起こらないはずだ。


(よっぽどトラウマなんだな)

 

 無邪気ゆえに容赦ない子どもと自らを蝕む神聖な力を秤に掛けて、聖域を選んだということはそういうことだろう。しかし、どちらも白兎にとっては不得手であることに変わりはない。自分たちと関わることで彼女の苦手なものを増やしている気がして、何か申し訳なさを感じる碧であった。

 

「見えてきたぜ! あの鳥居だ!」


 カイズが指さした先には、以前と変わらず仁王立ちで出迎える紅い鳥居。白兎の目には大きな口を開けて食らおうとする怪物に見えたかもしれない。この力を弱めるまではいかなくとも、白兎の負担を減らす方法はないだろうか。そんなことを考えながら中へ踏み込む碧。他の皆も彼女に続こうとして――


「っ!?」

「ら、ラニア? みんな?!」


 短い悲鳴が上がり、碧は後方を振り返った。目に映ったのは、その場に倒れ伏す仲間たちの姿。まるで全身を何かで縛られているように、身動き一つとれないようだ。どうしたのかと駆け寄っても苦悶に満ちた表情を浮かべるばかりで、発声さえも困難らしいことが分かる。


 碧の他に立って歩ける状態なのはイチカだけだが、その彼も切れ長の瞳を見開き、異常事態に動揺を隠せないようだった。

 

「ヤレン様のお導きです」


 慌てふためく碧を鎮めるかのように響く、凛とした声。濃灰色のおさげ、胡桃色の瞳、洋装の巫女服。白兎とミリタム以外は皆面識のある、この森を護る巫女が佇んでいた。


「サトナ……!」


 誰かが苦々しげに叫ぶ。

 巫女――サトナは非難めいた声にも黙したまま。地に這いつくばる者たちを無感情に見つめるだけで、助ける気は毛頭無いらしい。ついと外した視線は碧とイチカに向けられる。


「アオイさんとイチカさんのみ通すようにとの仰せです。他の方は一切お目通りいただくこと叶いません」


 以前の様子とは打って変わり、愛想笑いの一つも見せない。ただただ事務的で無味乾燥だ。碧は周囲に転がる仲間と彼女を忙しなく見比べ、おろおろと落ち着きがない。サトナの突き放すような言動が信じられないのだ。


「なんの真似だ」


 イチカはサトナを鋭く睨みつけ、明確に軽蔑の意思をぶつける。額面通りに受け取れば、今仲間たちを拘束しているのはサトナということになるのだから当然と言えば当然だ。敵意と殺気が伴った視線を一身に浴びながら、サトナは臆した様子もなく繰り返す。


「今申し上げたとおりです。ヤレン様は、貴男(あなた)とアオイさん三人だけでの面会を強く所望されています」


 碧は何かの間違いだと思いたかった。ヤレンはあくまでも「聖域に来い」と言っただけで、今のサトナのように排他的な言い回しではなかったはずだ。何か心変わりがあったのだろうか。もしそうだとしても、前もって【思考送信テレパシー】で教えてくれていれば、仲間たちだけウイナーで待機してもらう方法もあったのに。


(そうだ、【思考送信】!)


 サトナを疑うわけではないが、考えても分からないことは本人に直接訊ねた方が手っ取り早い。碧は教えてもらったとおり、意識を脳に集中させ、相手の名を反芻した。しかし、待てど暮らせど返事はない。実力不足だから上手くいかないのか、それとも――あえて応答しないのか。不安と焦りばかりが募っていく。


 碧が焦燥を募らせる一方で、イチカもまたやりづらさを感じていた。初めてこの森に来たときもそうだが、サトナは大抵イチカの機先を制する。冷静さにある程度の自負はあっても、それを上回る余裕で突き崩してくる。


 もちろん彼女としてはそこまでの競争意識は持ち合わせていないのだろうが、不動の眼差しがその覚悟の強さを、公明正大であることを物語る。嘘も迷いもないまっすぐな瞳は、思わずたじろいでしまうほどだ。

 

 こうなればもう、自然と「負け」を認めざるを得ない。幼少期は常に身近な人間の顔色を窺ってきたイチカ、他人の心情の変化には皮肉なほど敏感だ。今目の前で仲間の動きを封じているであろうこの少女に、感情の動きはない。殺し方が病的に上手いのかもしれないが、おそらく本当に虚偽がないのだ。


「分かった。あんたの言うことは信じる。だが仲間も中に入れてもらいたい。魔族は用のない人間から先に消そうとしている」


 白兎の衰弱ぶりからして、この一帯がすでに聖域の一部であることは疑いようがない。しかし、どれだけ神聖な空間であろうと、境内と境外では満ちる神力量も質も桁違いだ。碧からその仲間たちに狙いを切り替えている魔族のこと、皆を置き去りにすれば多少無理を押してでも好機は逃すまい。


 平常通りながら僅かに焦りが垣間見えるイチカの懇願に、サトナは意外にも小さく頷いて承諾を示す。


「いいでしょう、こちらへ。一時的にあなた方への神術と結界の力を緩めますから、置き去りにされたくなければ急いで中に入ってください」


 指示とほぼ同時、入り口のちょうど中央部が波打つように景色が揺らいだ。それが“結界の力が緩んだ”合図なのだろう。一時的とサトナは言ったが、それが数秒なのか数十秒の猶予があるのかは誰にも分からない。術の後遺症か、まだ強張りが残る身体を起こすだけでも一苦労といった様子のラニアたちだが、悠長に構えている暇はなさそうだ。もつれそうな足を少しでも早く動かす。


「メチャクチャな巫女だな、ッたく……!!」


 一行の中で今最も動きが鈍っている白兎は悪態こそ辛うじて吐けるものの、立ち上がることさえ難しいらしく這いつくばったまま鳥居をくぐろうと試みる。サトナは無言を貫いているが、入り口の揺らぎが小さくなってきている。このままでは白兎だけが護りの薄い外側に取り残されてしまう。


(どうしよう。何か、何かないの……?!)


 もはや時間がない。誰かが行って帰ってくる余裕もなさそうだ。手っ取り早く鳥居の内側に飛ばせるものがあれば。脳裏に一瞬よぎったものの、そんな都合の良いものがあるはずないと諦めかけて――


(そうだ!)


「【切風クロス・ウィン】!」

 

 レクターン王国の王女ネオンに教わった、風を味方につける技。もちろんあの時のような攻撃的な風を作るつもりはない。最低限の風力は維持しつつ、人を運べて、なおかつ傷つけないような優しい風。あれ以来一度も使っていないため、上手くいくかは分からない。けれどもやらないよりは。


 碧の両手に集った風は、彼女の意思を汲み取ったかのように動いた。瞬く間に白兎へ向かい、その身を持ち上げ、ほとんど波紋の消えかかった鳥居へ。


「お……おあああああッ?!?!」

 

 間一髪、間に合った――と、気を抜いたのがいけなかったようだ。白兎を包んだ風は鳥居を突き抜け、減速どころか勢いを増し、森の奥へ奥へと逃避行。碧は慌てて気を引き締め、風を制御しつつ白兎を追いかける。


「あたいを殺す気かッ?!」

「ご、ごめん」


 ようやく見つけた白兎は木の葉まみれ。木々に突っ込んだ際に付いたのか、細かな擦過傷も見受けられた。碧は平謝りしながら、最後の最後に油断したことを猛省する。これが岩場や崖だったら、本当に白兎を殺していたかもしれないのだ。


(上手くいったから良かったけど、初めてやることにはもっと慎重にならなきゃな)


 冷や汗をかきながら、碧は周囲を見回す。外よりも更に高濃度の聖気で覆われた森。訪れたのは二度目だが、いやに肌がぴりつく。サトナが“緩める”と言うほどには、結界が強化されているのかもしれない。人間の碧でさえ違和を感じる空気。視線を戻すと想定通り、白兎の顔は一層青ざめていた。小言は精一杯の虚勢だったのだろう。


「大丈夫?」

「外の方がまだマシだぜ……」


 やはりウイナーに留まってもらうべきだった。ぐったりした白兎に対し負い目を感じていると、後方から草地を踏みならす音。仲間たちとサトナが追いついたようだ。


「ここは間違いなく聖域ですから、魔族は入ってこられないでしょう。できればあなた方は、ここから動かないことをお奨めします」

「待ってください。白兎が辛そうなんです。どうにかなりませんか?」

わたくしが使っている井戸水を飲んでください。微量の神力しんりょくが含まれていますので、症状は多少和らぐと思います。ただ、水ですから一時しのぎにしかなりません。あちらの私の住まいにありますからご自由に」


 サトナは思案顔ののち、そのように助言した。口調こそ丁寧だが「面倒は見ない」と言っているに等しい。碧はどうしても懇切丁寧だった初回と比較してしまい、腑に落ちない。しかし、他者からの印象はどうあれ彼女の態度はある意味一貫している。全ての行動は、ただ一人の意思に基づいているのだから。


「アオイさん、イチカさん。あなた方はこちらへ――ヤレン様がお待ちです」

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