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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第三章 古の巫女 古の魔族
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第三十八話 痛み出す過去(1)

「ただいまーっ」


 もう間もなく夜の帳が下りる。

 玄関の扉が開くと同時、まるで自分の家のように元気よく飛び込んでくる濃茶髪の少女。仲間たちは頬を緩めて労う。


「おー、お帰り!」

「どうだった、一週間の成果は?」


 少女はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、誇らしげにVサインを作って見せた。


蓮野(はすのあおい)、修行クリア致しましたっ!!」


 まるで遊説中の政治家のような口調に、仲間の笑みが零れる。少女もそれにつられて、先ほどよりも朗らかな笑顔を見せる。そうしていつの間にか、自然と彼女の周りに集う仲間たち。輪の中心で、一番背の低い少女は髪がぐちゃぐちゃになるほど頭を撫で回されている。

 

「頑張ったな~~」

「ホントよ~~! えらいわアオイ!」

「あたしはそんなに頑張ってないよ。ラニアこそ、ずっと付き添ってくれてありがとね。大変だったでしょ」

「……ねえ、可愛すぎない? この子実は天使の生まれ変わりなんじゃない?」

「オイ急にどうした」


 暖かな会話が交わされる中、家主である青年が台所から姿を現す。少女たち以外はすでに夕食を済ませている。再び香ばしい匂いが漂ってきたということは、彼女らの食事の用意をしていたのだろう。


「ああ、帰ったようだね。夕食食べる? 出来たてだよ」

「はいっ。もうお腹空いてお腹空いて」


 まくし立てるように少女が訴えた瞬間、その腹から腹鳴が上がる。一切を遮断するほどの大音量に一瞬時が止まった。

 

 一拍置いて、仲間たちから家主から沸き起こる笑い声。少女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、なんとか紛らわそうと大声で取り繕ろう。誰しもが腹を抱えてそれどころではないが、その場の空気がこれ以上ないほどに和んでいるのは明白だ。


 少年はその様子を、ソファの上から夢うつつで見ていた。


 彼女は異世界から来た。少年と『同じ』世界から来た。全てが同じはずの世界で、全く違う扱いを受けて育った。光と影のように、少年と少女は対照的だ。できるなら『自嘲』しているところだが、あいにく今の少年には不可能な芸当だった。自分自身を嘲り『笑う』ことすら満足にできないし、泣くことなど論外なのだ。


 唯一表に出せる感情と言えば、憎悪だとか怒りだとか、どちらかと言えばマイナスのイメージが強い感情。嫉妬などは代表例だ。くるくるとよく変わる表情は、羨ましいとさえ思う。

 

 そう、妬ましくて仕方がなかった。自分にはないものを持っている少女が。


 十分に恵まれているくせに、そのことに気付かず、周囲を顧みず、なお我欲を貫き通そうとする傲慢さに腹が立った。どうしてこんな人間を護らなければならないのか、何度思ったか分からない。いっそ殺してやろうか――考えて、約束を反故にしてしまう罪悪感を秤にかけて打ち消したことも少なくない。


 少年の仄暗い葛藤とは裏腹に、仲間たちは彼女を気にかける。伝説の巫女の生まれ変わり、それだけではない。惹きつける何かがあるのだ。今の少年にはあまりに眩しすぎて、とても近づけない何かが。けれども、そんなことは無問題だ。そもそも近づこうとも思っていないのだから。


 そのはずだったのに――内で静かに燃え続ける嫉妬の炎と相反するように、身体は勝手に足を運んでいた。「一日一度は誰かが様子を見に行こう」。多数決とはいえ話し合いで決定したことを、一人守らないでいることに後ろめたさがあったからかもしれない。


 辿り着いた聖域、少女はすぐに見つかった。こちらに背中を向け、何事か呟いているようだった。ただの独り言でないことはすぐに理解した。おそらく、彼女の前世である巫女と会話しているのだと。


 仔細は聞き取れていないが、声の抑揚からして喜ばしいことがあったのだろうと悟る。予定通り七日で修行を終えたようだ。様子を見に行くという義務も一応は果たした。これ以上ここにいる理由もない。足早にその場を離れた。


 深い憎しみや怨嗟を少女に向けるのは筋違いだと、ただの逆恨みであると、理屈では分かっている。しかし、そう簡単に感情が追いつくほど少年は大人ではない。未だ傷は深く、棘が刺さったように何度でも疼き出す。心に空いた大穴は、あの日からずっと埋まらない。





 暗闇の中、ひとつの母子がいた。


 仲睦まじい姿に、疑問を抱く者はない。赤の他人も、知り合いも、等しく「なんと仲のいい母子だ」と微笑みさえした。

 誰もが表面ばかりを見ていた。それが表面であることさえ気付かずに。


 端から見れば互いに笑い合っている、ごく普通の母子。それが突如泡のように消えたと同時に、視界が百八十度回転して。


 そこに現れたのは、母親から一方的に暴力を振るわれている幼い少年の姿。同じ母子であるにも関わらず、二人の間に優しさはなかった。


 少年は抵抗しなかった。幾度殴られても泣きもせず、逃げもせず、正座したままそこにいた。


「やめて」。


 たった三文字の言葉なのに、殴られて血が滲む小さな唇は動くことすらなかった。ただ頑なに唇を結んで、眼を瞑って、俯いて。そうしていればいつかきっと、止めてくれると信じていた。


 そんな少年の純真な心を踏みにじるように、吐き続けられる呪詛の言葉。


『あんたなんて、生まれてこなければ良かったのに! 死んで、死んでよ! 死んで償ってよ! 生きてる意味もないあんたのせいで死んだ、たった一人のあたしの子供を返して!!』


 母親の、怒りに染まった眼から流れ出る涙。それは、殴られている少年に対する感情ではない。

 少年はそれを知っていた。知っていたから、ひたすら耐えた。母親が泣き崩れて、そのまま眠ってしまうまで。


 ――ただ、耐えた。


「……っ!!」


 悪夢にうなされ、飛び起きる人影。荒い呼吸、吹き出す汗。

 前髪を掻き上げ、寝ている仲間に聞こえぬよう小さく溜息を吐く。


 空は、うっすらと白みはじめていた。


「夢、か」


 人影――イチカは呟く。

 それは、おぞましき過去。死ぬまで続くのではないかと思っていた、地獄のような日々。


 二度と思い出したくなかった。この世界に来て、初めて出会った家族のような――否、もう彼にとっては家族も同然の――仲間たちのおかげで、忘れかけていた。それなのに。


「最悪だな、今日は」


 ベッドから抜け出し、側に立てかけておいた剣を取って外へ出る。


 あの夢を見たのは今日が初めてではない。この世界に来たばかりの頃は、ほぼ毎日見ていた。そして、最近また頻度が増えている。

 飛び起きた日は、人気のない屋外でひたすら剣を振るう。夜中だろうと朝方だろうと関係ない。忌まわしい過去ごと、薙ぎ払うように。





 碧が起きたのは、その二時間後だった。

 目をこすりながら確認した隣のベッドはもぬけの殻。慌てて身支度を始めるが、あくびは噛み殺しきれない。まだお呼びがかかっていないので、そこまで寝過ごしたわけではなさそうだ。


 扉を開けると、食欲をそそる香りが漂ってくる。引き寄せられるように歩いていくと、ミシェルが台所で何かを作っているところだった。


「おはようございまーす」


 振り向き、爽やかな笑みを浮かべるミシェル。抜けるような青空色の髪や陽光色の瞳も手伝って大変清々しい印象を受ける。思えばここ数日は「料理男子」然とした彼の姿しか目にしておらず、一国の騎士であることをうっかり忘れてしまいそうになる。


「おはよう。相当疲れていたようだね。今朝食を作っているから、ミイラがいる席について待っていなさい」

「あ、はい。こんな時間まで寝てたなんて久しぶりで、びっくりしちゃいました。そういえばミシェルさんって、料理作れるんですね」

「姫君たちが庶民的な料理を好んでね。無論料理長が作るものも食べるが、我々が作る料理の方がお気に召すらしいんだよ」


 かつてはコネや財力だけで在籍しているいわゆる「お飾り」の貴族が幅を利かせていた王国騎士団だが、最近はオルセトやミシェルのように平民出身の実力者の方が多い。王女たちにとって庶民の食卓は好奇心をくすぐるには十分すぎるくらいだろう。


 王女姉妹の、目を輝かせている様子がありありと浮かぶ。微笑ましさに頬を綻ばせながら、碧は指定されたとおり“ミイラがいる席”に向かおうとして。


「ああ、ちょっと」

「はい?」


 器用にフライパンを動かしながら、ミシェルが碧を呼び止める。夕焼け色の卵黄を囲む卵白、その下に敷かれた脂身の多い豚肉。香草のような渋茶色の葉物が載っているものの、見た目は「ベーコンエッグ」そのもの。朝食の定番はどこの世界も共通らしい。


「テーブルの上に人参を置いてきたんだが、食べないよう言っておいてくれないか?」

「生の、ですか?」

「うん。畑からりたてのね。人参は生のまま丸かじりに限る」


 屈託のない笑顔で言われてしまうと、冗談かそうでないのか分かりかねる。一声かけるくらい構わないが、皮付きの人参を丸かじりするような人間などいるだろうかと考えて――いた。半人間ではあるが、一人だけ心当たりがある。ミシェルに「了解です」と伝え、リビングへ向かう。


 廊下にまで話し声が聞こえる。一人二人ではない、複数の声。これは皆揃っているだろう。寝ぼすけは碧だけのようだ。自然と小走りになる。


「おはよー!」

「おはよう」

「はよー!」

「ウッス」


 ほぼ予想通り、ミイラの卓で朝食を待つ面々。約一名、挨拶が返ってこないのはいつも通りなので気にならなかったが、そもそも姿が見当たらない。一通り見回しているうちに碧の意図を汲んでくれたらしく、ラニアが肩を竦める。


「イチカね、どこか出かけてるみたいよ。あたしも結構早く起きたんだけど、会わなかったわ」


 ラニアが「結構早く起きた」とは珍しい、と碧は内心驚嘆する。途轍もなく朝に弱いというわけではないのだが、どうしても修行二日目早朝の暴走が脳裏を過る。碧に付き合ううちに体質が変わったのかもしれない。


「お前相部屋だろ? 何時頃出てったか知らねーの?」


 カイズがそう訊ねるのはミリタム。知り合って間もないからか、名前で呼び合う様子はまだない。


「申し訳ないけどぐっすりだったからね。貴方たちこそ、隣の部屋なんだから音で気付いたりしなかったの?」

「オレたちもぐっすりだったからな~~」

 

 首を左右に振ってみせるミリタムに、ジラーがのんびりと返す。寝付けないとか早く起きすぎて眠れないとか、そういった不調とは二人は縁がなさそうだな、と失礼ながら思う碧。


 ちょうどそのとき、玄関の方で音がした。

 近づく足音は、迷いなくこちらに向かってくる。間もなく姿を見せたのは、たった今話題に上がっていた人物。


「兄貴、お帰りー」

「お帰りなさい、師匠!」


 イチカは「ああ」とだけ返すと、ジラーの隣の席に腰掛け持っていた剣を卓に立てかけた。ちなみに碧の横も空いていたが、やはり彼の選択肢にはないらしい。


「どこに行ってたの?」


 席に着いたのを見計らい、ミリタムがレクターン王国特産の紅茶をすすりながら訊ねる。


「散歩だ」


それ持って?)


 鎧も身につけず、剣だけ持ち歩いて散歩していたという不自然な言い分に違和感を抱かずにはいられない碧。他方、碧以外は概ね納得しているようだ。平和すぎる日本で暮らしていた碧にとっては軽く文化的衝撃であるが、無頼漢や野生の獣と当たり前のように出くわすこの世界ではそれほど不思議なことではないらしい。


 この話題はこれで終わりかと思われたが――全く違う観点から追及する者が一人。


「早起きな野郎だなァ? 兎族(うぞく)でも散歩に行くのは日が昇ってからだぜ?」


 籠に入れられた生の人参を掴み、豪快に頬張りながら白兎(ハクト)が茶々を入れる。あまりにも自然に手が伸びているために、碧はしばらく唖然としてしまっていたが、やがてようやくミシェルの言づてを思い出し。


「白兎、それミシェルさんのだよ」

「あァ? あー、道理で不味いワケだ」

「すまないね、不味くて」


 その場にいなかったはずの人間の声に、一行は反射的に声の方を向く。朝食の載った脇取盆を手に持ったミシェルが立っていた。何故、いつからと警戒感を露わにする一行に苦笑を返す。


「いやいや、言っておくけどオレは普通に来たよ。話し込んでて気付かなかったんだろう。声かけづらかったし」


 最も居心地悪そうなのは白兎である。ただの陰口のつもりだったのに立派に明るみに出てしまったのだから無理もない。その辺は潔いようで、ばつの悪い顔をしながらも言い訳することもなくミシェルを見上げている。そのミシェルとばっちり目が合ってしまい、兎だが猫の如くびゃっと全身の毛を逆立てる。


「で、不味かったということだけど。具体的に教えてくれるかな?」


 この期に及んで公開処刑とは、なかなか良い趣味をしている。この家の主なだけはある。表情も気も変化させることなく相手ハクトを追い詰める王国副騎士隊長に、残った者たちは揃ってそんな感想を抱く。


 一方、言い訳はしないが同じことを二度繰り返す気にもなれない白兎。数秒渋ったものの、周囲の無言の圧に耐えかね観念したように絞り出す。

 

「立派なのは側だけで身がスッカスカだ。栄養が行き届いてねェから味に深みもねェ。獲れたてッてのはもっと瑞々しいのに何ヶ月も放置したみてェに干からびてる。控えめに言って家畜の餌の方がまだマシ――」


 白兎の頬と皮一枚の近距離を、閃光と見紛うばかりの弾丸が飛んでいく。

 

「あなたねぇ。黙って聞いてれば人様の物を勝手に食べといてその言い草は何? 撃つわよ」

あねさん、警告になってねーから」

「というか、民家で発砲しないでくれ」


 愛用の銃を片手にぶら下げつつ腕を組み、白兎を睨めつけるのはラニア。カイズがつっこんだとおり威嚇になっていないが、つまるところ「喝」の代用だろう。それができればなんでもいいらしいラニアに対し、彼女の見境のなさを初めて目の当たりにしたミシェルは深い深い溜息を吐いている。自宅の壁に弾痕を残された彼の心情を思うとやるせない。


 なお、あまりにも突然だったためか、白兎は逃げ出すことなくその場に突っ立っている。もちろん全くの無影響というわけにはいかず軽い失神状態だったようで、しばらくしてからはっと正気に戻っていた。


「けど君は、穫れたてという点には気付いたわけだ」

「そりゃ、色が良いからな。色だけ見りゃ売り物と遜色ねェ。だからあたいもつい食べちまったンだ」


 なるほどとミシェルは数回頷き、何事か思案に耽っているようだ。

 たかが人参の話題にしてはやたらと神妙な様子に、叱られるのではないかと構えていた一行は拍子抜け半分、訝しみ半分。


「ミシェルさん?」

「ああ、すまない。貴重な意見を聞けたものだから今後に生かしたくてね。いやそれにしても、自分で確かめようと思ってたんだが……その道の専門家はやっぱり違うな」


 なんだか要領を得ない。一人感心しているミシェルに対し、置いてきぼりの一行。

 やがて視線の意味に気付いたのか、「とりあえず朝食にしようか。冷めてしまう」とミシェル。有耶無耶にしたいというよりは、ゆっくり腰を落ち着けて話したいという意思表示に思われた。

 

「実を言うとその人参、レイリーンライセルで試験的に育てたものなんだ」


 食の進み具合を見計らって打ち明けられた真相に、揃って目を丸くする面々。


「知っての通り、この町は明日の食事も支援がなければままならない。我々としてもいつまで援助できるか分からない以上、この町の人々には自力で生き抜く術を身につけてもらいたい。その一つが農作というわけだ」

「芋類は育てないんですか?」


 すかさず疑念を口にするイチカ。飢えを凌ぐ食べ物としては人参よりも芋の方が有名だ。芋が飢饉から人々を救った歴史は数あれど、人参の功績は全くと言っていいほど耳にしない。


「もちろん育てている。まだ収穫の時期ではないんだ。それに、どうせなら特産品を作った方が町も潤うだろう? 彼女が言うように色味は良かったから味もと思ったんだが、結果は聞いての通り、見事に惨敗だ」

 

 両手を広げて肩を竦めてみせる。このところ忙殺されていたのは、畑を見に行っていたことも大きいのだろう。とはいえ、町人たちがもう一度立ち上がれるようにと奔走しても、必ず報われるわけではないのが人の世の常。これからまた試行錯誤を繰り返す、途方もない戦いが始まるのだ。戦いの終着、その目処がある程度立つまではレクターンに帰ることも難しいだろう。


「オイ。畑はどこにあンだ」

「え?」


 決まり悪そうに後頭部を掻き、白兎が無愛想に訊ねる。ミシェルも一行もあまりに意外すぎて、彼女がそれを切り出した意図を図りかねていると、「あ~~~~!!」と苛立ちながらも気恥ずかしげな大声が上がり。


「まかり間違ってあんなクソ不味いモンがあたいらの里に広まったら迷惑だから、ちょっと様子見てやるッて言ってンだよ!」


 一同、呆然。

 白兎はともすれば泣き出しそうな真っ赤な顔で人間たちを睨み付けている。素直に「力になりたい」と言えばここまで温度差は生まれなかったかもしれない。しかし、そんな綺麗な白兎はもはや白兎ではない。無言のうちに認識を共有する一行。


「それは助かる。人参の達士に見てもらえるなら、こんなに心強いことはない」

 

 一行と共に呆けていたはずのミシェルは、極上の殺し文句で白兎の申し出を快諾した。

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