第三十四話 貧巷レイリーンライセル(2)
かくして、レイリーンライセルの真ん中にある民家を張る計画が実行された。決行は深夜、町中が眠りについた頃である。もっとも、この町の住民は空腹で睡眠も満足に取れないのかもしれないが。
『民家』というから精々小規模なものだろう――と高をくくる一行だったが、その目前に立ってそれは大きな間違いだったと気付かされる。周囲をコの字型の塀で囲まれたその外観は、民家と呼ぶよりは豪邸の方が相応しく、敷地面積も家屋の高さも一般的な民家の倍はあった。一行が呆然と見上げる手前には立派な黒塗りの門があり、門と豪邸を結ぶ無駄に長い一本道の両脇には、緑豊かな庭園と意匠が凝らされた噴水。
「こんなバカでかい家建てるくらいなら、その金を町民に回せよ」
カイズの一言に一行全員が頷いた。先頭を歩くミシェルは苦笑いしている。
財政難であるはずの町に不自然なほどの絢爛豪華な邸宅。聞けば納得町長邸だそうで、まだ町が自力で自治できていた頃に建てられたらしい。これでも倹約に励んでいるそうだが、いっそのこと土地を半分手放せばどうかと誰もが思うのは無理からぬことだ。
門の外は、既にレクターン王国の騎士たちが固めていた。豪邸の周りを張るのは、助っ人となったイチカ達である。内部の守りを固くする作戦のようだ。
入り口から向かって左は、碧・ラニア。白兎は怪我人ということで、ミシェルの悪趣味な家にて一人待機することとなった。もちろん、今にも泣き出しそうな顔で見送っていたのは言うまでもない。
向かって右はカイズ・ジラー。そして裏手はイチカ・ミリタムとなった。
ミシェル曰く、「裏手というのは犯人が最も狙いやすい場所だろうな。剣技と魔法、互いに持たない物を補い合える君たちのペアが、最も適していると思う」らしい。
「犯人らしき人を見つけたら、どうすればいいんだろう?」
「とりあえず再起不能にしておけばいいのよ」
「はは……」
碧とラニアは、一方的に物騒な会話をしながら左側へと向かう。民家の外壁は他とは比べものにならないほど白く、触ると跡が付きそうだった。碧は壁に触れないよう注意しながら、塀に沿って歩いた。
「もし犯人がいたら、気づかれないようにこう、こっそりと行って……がしっ! と羽交い締めにするぞっ!」
「ぐ、ぐるじ……!! じっ、ジラー、羽交い締めはいいけどオレにすんなー!!」
こちらは民家の右側。なにやら熱心に作戦会議をしているように見えるが、熱くなったジラーがカイズの首を絞めているらしい。青い顔で必死に抗議するカイズに気づいておらず、ただただ意欲的に犯人の捕獲方法を披露するジラーであった。
「イチカ、なんか機嫌悪いね?」
「どの辺が?」
「……やっぱりなんでもない」
こちらは裏手に回った二人。腫れ物に触るような雰囲気である。表情はいつもと何ら変わりないが、イチカから発せられるオーラが微妙に怒気を含んでいる。よほど気の進まない依頼だったらしい。ミリタムはその辺だよ、と心中で零す。
自らの感情を他人に伝播させる、あるいは他人の感情の影響をもろに受けてしまう人間は少なくない。例によって胃を痛めたらしいミリタムが自らの腹部をさすっている。そんな彼の心情を知ってか知らずか、イチカが不意に問いかけた。
「そんなことより、なにか魔法はないのか」
「え? ああ、あるよ。だけど、こんなことで消費させたくないなあ」
「……それもそうだな」
頷いて、イチカは立ちはだかる塀を見上げる。
ただでさえ高大な豪邸を遙かに凌ぐ高さのこの塀以外、犯人が使いそうなルートはない。門前には、数えるのも躊躇らわれるほどのレクターン王国騎士が控えている。よほどの馬鹿ではない限り、今日という今日に援助金を盗もうなどとは考えないだろう。だが――
(それは、普通の人間の話だ)
ここは、皆が自衛のため武器を手に取れる世界である。それに、屈強な戦士ほどではないにしろ、大半の人々は日常生活の中で足腰が鍛えられている。足かけになりうる傷一つついていない塀であろうと、武器や道具を利用して乗り越えてきてもおかしくはないのだ。
もちろん、人間でない場合はより簡単に侵入できてしまうだろう。
(まさかとは思うが、魔族の可能性もある)
イチカは鞘を握りしめ、再び天を仰いだ。
「あっ、こら貴様!!」
しんと静まり返る夜更け、静寂を破ったのは門の方向から響いた狼狽えるような声だった。一行が様子を窺うと、門と家屋を繋ぐ道の中央付近に騎士たちが群がっている。『犯人』が現れたのだろうか。
「捕まえてみな~~、レクターンのしょぼ騎士さーん!」
「おのれ、言わせておけば!!」
わらわらと集う群衆の上を、飛び跳ねるように奇妙に動く影が一つ。間延びした声からして年若い青年のようだ。一人の王国騎士が挑発に乗り掴みかかるが、青年は流れるようにその手を振り払ったかと思うと、一際跳躍し黒山の外へ脱出した。
「よお、いつまで経っても成長しねえな~~?」
騎士たちが呆気にとられている中、青年はとっておきの煽り文句を置き土産に豪邸へと走り出した。
「なんなんだ、あのガキは!?」
「我々を侮辱しやがって!!」
王国騎士は皆高い自尊心を持っているようだ。我に返った騎士たちが職務も忘れて口々に恨み言を並べ立てる中、ミシェルだけは走り去る後ろ姿を凝視しながら何かを考え込んでいた。
「あ、何か来たよ!?」
「来た?! よおーし、いい的になってもらうわよ~!!」
碧の注意喚起に、喜色満面銃を構えるラニア。ここ最近で最も張り切っているのではないかと思うのは碧の気のせいではない。走ってくる『何か』に照準を合わせ、トリガーを引く。
「どわっ?!」
間の抜けた声は届いたものの、実害はないらしい。なおもこちらに向かって走ってくる速度に衰えはない。
「なかなかやるわね」
「ら、ラニア。王国の人たちもいるから、もう止めた方が」
相手を称賛しつつ再び射撃姿勢に入ったラニアに、碧が控えめに制止する。いくら広大な敷地とはいえ、流れ弾が王国騎士に当たってしまう可能性も否定できない。彼女の腕は確かに良いが、避けられてしまえば同じことだ。
「しょーがないわね~」
碧の危惧を感じ取ったラニアは渋々銃をしまう。王国騎士たる者根性で避けなさいよ、とでも思っているのかもしれない。とんでもない無茶ぶりである。
間もなく男性陣が一斉に集まってきた。ここに彼女の婚約者がいない以上、照れ隠しで発砲することはないはずだ。つまりはそれ以外の理由で相応の事態が起きた、と踏んでのことだろう。
「何があった」
「犯人らしき人に一発撃っただけよ」
イチカの質問につまらなさそうにラニアが答えると、カイズとジラーが露骨に深刻そうな顔をする。
「やべぇ、そいつもう死んでるぜ!! なんてったって姉さんだからな!」
「姉さんの顔見たら、鬼でも逃げていきそうだもんな~」
「あんたたち、あたしをなんだと……?」
「で、奴はどこに?」
程なくして上がった二人分の悲鳴は取るに足りないのだろう、イチカが碧に歩み寄る。心なしか急いたような口調だ。普段は滅多に話しかけることのない碧に訊ねる様子からも見て取れる。碧以外にまともに訊けそうな人間がいない、というのが最大の理由であろうが。
「えーっとね、もう中入っちゃった……かも」
「行くぞ、ミリタム!」
「はいはい」
碧の言葉を聞くやいなや駆け出すイチカとミリタム。何だかんだ言いながら、案外熱心に行動しているようだ。頼まれた以上は責任感を持ちたいのだろう。不真面目とは思っていなかったが、想像よりもずっと生真面目な質らしい。碧は暫くそんなイチカの後ろ姿を見つめていたが。
「あーっ! ラニアダメーっ!! カイズとジラーが死んじゃうよー!!」
黒煙にも似た黒々とした怒りの波動を感じ取って振り返ると、とんでもなく恐ろしい顔で二人の胸ぐらを掴んでいるラニアの姿が視界に入り、慌てて止めに入るのだった。
「あ~ビビった~。あいつらいつの間に銃士なんか雇ったんだぁ?」
暗がりとはいえ、あまりに的確な狙撃だった。一般人だったら急所を撃たれていただろう。殺し屋かもしれないという考えが一瞬過ったが、自分を殺しても何の価値も得もない。彼は一人得心し、次の瞬間にはこれまでの思考を無にした。
町長家族は一時的にこの家を離れているらしく――非難の矢を浴びたくないからであろう――屋内に人の気配は皆無。青年は一息つきながら、何気なく後ろを確認する。
「んっ?」
何か光るものが蠢いていた。段々とこちらに近づいてきている。目を凝らして見ると、それは銀色の髪をした少年の姿だった。
「げ、追っ手か!?」
青年は慌てて奥へと逃げ込む。と同時に、目当てである援助金を探し求めた。散々してやられたからか、知恵を絞って毎回置く場所を変えているようだが、青年の前では無駄な努力である。
常人ならば素通りしてしまいそうな物置の、古びた農具やら得体の知れない人形やらの厳重な防壁を突破し、現れたのは鉄製の扉。何重もの錠前を前にしても青年の表情に絶望のそれは見えず、むしろ余裕の笑みである。数秒と経たないうちに全ての施錠が解かれ、お目見えしたるは待望の金庫。ダイヤルを回し、胸を躍らせながら扉を開け――
「ない?! んなアホなことが、」
「探し物はこれですか?」
突如響いた声と同時、灯る明かり。目と口をかっ開いた珍妙な顔のまま振り返る青年。そこには透けるような水色の髪と月明かり色の瞳を持つレクターン王国騎士――ミシェルがいた。手にはほんの一部であろう、援助金の入った袋が握られている。
「先回りさせていただいた。ここの隠し通路を知ってるのは、オレしかいないのでね」
そこへちょうどイチカたちも辿り着く。一悶着あったラニアらも遅れて到着した。ミシェルの言う『隠し通路』はさておき、青年が使った入り口は人垣で塞がれ逃げ場はない。青年は現状を把握すると、大人しく両手を頭の後ろで組んだ。強行突破する気はないらしい。
「そいつが犯人か?」
「あー、まあ。状況からすればそうなるね」
何故か歯切れ悪く答えるミシェルに、怪訝そうな眼差しを向けるイチカ。突き刺すような視線に苦笑しながら、ミシェルは座り込んでいる青年に問い掛けた。項で束ねられた亜麻色の長髪、菫色の瞳。それらが意味するものは。
「それで、貴方様がこのような愚行を働いたのは如何なる事情があってのことですか?
――サモナージ帝国第四皇子、レミオル・グラス・レイ・サモナージ殿下」
「!?」
唐突に明かされた青年の身分に、一行は言葉を失う。青年も混乱しているようだったが、数秒の後表情を和らげた。
「ああ、思い出した。あんた、オルセト・グランディアと一緒に来てたミシェル・カウドか」
「覚えていただいて光栄です」
「イイって。あんたも分かんない人だな~。オレに敬語とか『殿下』とか付けなくていーんだよっ」
ミシェルが深く会釈する姿も、心底迷惑そうだ。レクターン王国の王女もサモナージ帝国の皇子も、何故こう言葉遣いにうるさいのだろうか。一同共通の疑問である。
「御国の決まりですので」
「あ~~もうかったりーなあ~! 『御国の決まり』なんて破っちまえよー」
「それはそうと。何故一国の皇子ともあろう貴方が、援助金などを盗むんです?」
皇子はぐっと口を噤んだ。
目を泳がせ、頭のてっぺんを掻いて、唸ることしばし。
「暇つぶし」
ミシェルの表情がたちまち怒りに変わり、レミオルは顔を引きつらせる。
「貴方と言う人はーー!!」
「ちょっ待っ、待った! ホント暇だったんだよ近頃は~!」
「だからって、貴方のせいでこの町の住人がどれだけ苦しんだと思っているんですか!?」
「ホンっトゴメン! 謝る! その代わり、盗みはしたけどどれも使ってねえから! だからすぐに返せるっ!!」
その言葉で、ミシェルの気による攻撃はひとまず止んで。
「本当でしょうね」
「ほんとーだっ! 見てろよ~!」
盗んだ側にもかかわらず、彼はどこか自慢げだ。指笛を鳴らすと、どこからともなく白いローブに身を包んだ者たちが姿を現す。
「アレ」
「は」
一人がレミオルの言葉に答え、両手のひらを差し出す。すると、その手の中から溢れ出るように、生成りの袋が次々と地面に落ちる。何度犯行に及んだのか、援助金の噴水は止めどなく吹き出ている。
「皇子、一点だけ伺いたいのですが」
「んだよぉ~~」
「援助金が無くなった翌朝、現場には必ずと言っていいほど数滴の雫が残っていました。これに心当たりは?」
「あー……」
この皇子、嘘がつけないのか「思い当たることがある」と顔に書いてある。
「あるんですね?」
「あーハイあるよ、ありますよ。コレ」
レミオルは諦めたように左手を差し出す。拳を握りしめる動作ののち、水でできたナイフが出現した。非常に頼りない印象を受けるが、岩石や金属をも切り裂くことができるという。複数の錠を容易く攻略していたのはこれのおかげだろう。ちなみに金庫のダイヤルも、指ではなく水で開けていたらしい。
「魔法、ですか?」
「そーそー。ナントカっていう魔法をかけてもらってんの。自分の得意な属性の魔法なら、詠唱しなくてもこの通り発動できるってワケ。オレの場合は水魔法ね」
「無詠唱?! そんなはずは、いやでも彼は皇子だし、ひょっとしたら」
レミオルの死角、小声でぶつぶつと呟いているのはミリタムである。レミオルと面識があるのかどうか定かではないが、物陰に隠れているところからして積極的に会いたい相手ではないようだ。
「つまり、魔法を発動した名残が物的証拠として残ったと」
「そーゆーこと」
「水魔法だけですか? やけにあっさりこの場所を突き止めたようでしたが」
「……探知魔法も使ってマシタ。浮遊魔法もちょっと」
足の踏み場がなくなるほど袋の束が積み重なっている。盗んだ援助金は出尽くしたようだ。じゃっ、と立ち去ろうとするレミオルを呼び止めるようにミシェルが鋭い指摘を飛ばす。面白いほど目を泳がせた後、素直に白状した。
「あ、言っとくけど探知魔法と浮遊魔法は事前に詠唱しといたんだからな! 別にウソはついてねーからなっ!」
「分かりましたよ」
嘘をつくも何も、彼にとってやましいことは口よりも先に顔に出るので、真偽はすぐに分かるのだが、正直すぎる皇子である。笑いを堪えながらミシェルが答えると、それが気に入らなかったのか青年は少女のように頬を膨らませる。
「もー帰っていいよな!? じゃなっ」
逃げるように白衣の集団の元へと駆け寄るレミオル。合流するやいなや、彼らの姿は跡形もなく消えた。
「【瞬間転送】かあ。さっすがサモナージ帝国の魔法士団」
いかに魔法士の名門一族と言えども、全てを網羅しているわけではない。存在は知っていても、なかなかお目にかかれない魔法もある。そういった事情から、先ほどとは打って変わり興奮冷めやらぬ様子のミリタム。
ただ、どのような事も出来てしまうのは良いが、今回のように悪用されるのは魔法を象徴としている国としていかがなものか。ほとんど全員がそんな感想を抱いたりもした。
「ともかくこれで、援助金騒動は終わったな」
「そういうことだ。さて、戻ろうか」
ミシェルと一行は両手からはみ出しそうなほどの袋を抱え、建物の外へと向かった。空はうっすらと白んでいる。町民たちへの説明は、仮眠を取った後昼以降と決め、その場は解散したのだった。




