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第三十一話 ほんの少しのすれ違い(1)

 どんな僻地であろうと必ず陸路が通じているこの大陸において、一線を画している場所がある。

 歪な菱形をした大陸の南端から見れば、その場所はちょうど対角線の終点、北端に位置する。

 いつからか出現した兎族うぞくが睨みを利かせていることもあって、永らく無主地であったが、それだけではない。誰が規制したわけでもない、言わば中立地帯にもかかわらず、人々は決して立ち入ろうとしなかった。


 広い草地の真ん中に佇む、縦長の異質な建築物。ひび割れ朽ち果てた外壁に纏わり付く蔦と苔が、その不気味さを一層引き立たせる。

 常夜の如くどこまでも暗い砦は、人々から『魔族の城』と称されている。数ヶ月前に降臨が噂されて以降、城の真上に居座り続ける黒雲が信憑性をより高めている。

 果たしてその噂は真実であり、人ならざる者たちが棲みついているのであるが、その数はおそらく市中の人々の想像よりもずっと少ない。


 そして、人間たちの間で囁かれている『四百年前の復讐』という目的も、間違いではないが全てでもない。


「何を考えている?」


 仲間の問いかけに、ふと彼――ソーディアス・シレインは我に返る。

 

 砦の最上階、四角く切り取られた壁からどこを見るでもなく人間界を見下ろしていた彼は、壁の縁に目をやった。少なくとも四百年前『アスラント支配』を目的に訪れた頃にはあった()()()この城は、大分年季が入っている。軽く手をかけているだけなのに、石材の欠片が砂のように剥がれ落ちていく。


 伝聞なのは、四百年前は参戦していないからだ。

 彼はその頃、人間界に赴くにはあまりに若かった。


(四百年、か)


 特定の年月を遡るたび、付随して蘇る記憶がある。

 否、彼にとっては忘れようにも忘れられない、こびり付いた汚れのように忌々しい過去だ。

 まだ『あれ』は生きていた。人間の女に(うつつ)を抜かされ、同胞に殺された男。


「セイウ・アランツ」


 その名を呟いた瞬間、後方の仲間が僅かに動揺する気配。素知らぬふりをしながら、ソーディアスは感慨にふける。


「奴と、一度手合わせ願いたかったものだ」

「『裏切り者』の肩を持つか? ソーディアス」


 向けられた憎悪の眼差しに、微かな殺気が乗っている。ソーディアスが「是」と返せば、彼の内に巣くう凶悪な魔物が、瞬く間に喉笛を掻き切りに来るだろう。

 もちろん、ソーディアスとしてはただで消滅させられるつもりはないし、何より見当違いも甚だしい。しかし、誤解を招くような発言であったことも否めない。自らの非を認め静かに首を振る。


「そんな気はない。だが、おれの前に『フィーア・フォース』に属していたんだ。けして、小物ではなかっただろう?」

「……」


 ソーディアスの言うことはあながち間違っていない。現にセイウ・アランツという男は魔族切っての優秀な魔剣士だった。かつては前魔王直属の部下として、今黙りこくっているヴァーストも一目置くほどの活躍を見せていた。


「そういえば、今回の標的に面白い人間がいるらしいな。なんでも『奴』の生まれ変わりだとか」


 ソーディアスは窓枠に手をかけ外を見つめたままで、表情を窺い知ることはできない。ただ、「面白い」と言うだけあって声色は普段よりいくらか弾んでいる。そのため、ヴァーストが彼の発言の意図を理解するのにそれほど時間は要さなかった。

 彼は、『セイウ』の面影を持ったあの少年と戦いたがっているのだと。


「……なるほど。ならばヤツはお前に譲る。我らは残り物の片を付けてやろう」

「ありがたい」


 ヴァーストとしてはすでに下見も小手調べも終えており、それほど思い入れはない。類い希な察知能力はあるようだが、剣技を加味しても凡人に毛が生えた程度の域を出ないと評価した。故にソーディアスが満足できるとも思えなかったが、そこは直接相対した後に彼自身が判断することだろう。

 求めていた回答だったようで、振り返ったソーディアスは冷酷な笑みを浮かべていた。そのままヴァーストの横を通り過ぎ、暗闇に溶け込むように姿を消した。


「ちょっとぉ、勝手に決めないでよ」


 どこからともなく不満の声を上げながら現れたのは、淡い紅色のドレスを着た魔族・クラスタシアだ。アタシも戦ってみたかったのに、と年若い少女のように頬を膨らませる様は、とても男とは思えない。


「そう言うな。アイツにとっては願ってもない機会だ。気に入らないなら権利を懸けて決闘でも申し込んできたらどうだ?」

「え~~。それはそれでメンドクサそ~~」


 ふて腐れた表情はげんなりとしたそれへと変わる。一つのものを巡って争いとなることは魔族同士でも珍しくないが、そこまでの熱意は彼にはないようだ。


「さて、そうと決まれば不要な役者は始末せねばならん。誰が行く? おれはもう少し後でいい」

「あーら、アタシだって一番手はイヤよ。男としか戦いたくないわぁ」


 誰が行くかと投げかけながら即行立ち去るヴァースト。

 たおやかに手を振り奥へ引っ込むクラスタシア。

 残されたのは、ただ一匹。


「……へいへい。そいじゃ、行ってきますよ」


 図体の割に立場は最弱。上司に頭が上がらない悲しき大鬼・エグロイが、仕方なさそうに出陣するのだった。





「てめェーーっ!!」


 新たにミリタムを仲間に迎え、数日が経過。七人となった一行の旅は一層賑やかしいものとなった。

 しかし、度を過ぎれば賑やかさは騒音に変わる。

 例によって、許容範囲を超えたイチカの眉間、一層深く刻まれる縦皺。


 声の主は兎族うぞくの若き族長・白兎(ハクト)である。なにやら怒りを抑えきれないようだ。長い耳は空に向かってピンと直立しており、吊り上がった目は言わば新入りのミリタムに向けられている。


「なんで怒るの?」


 心底不思議そうなミリタムの問いは、白兎を更に憤慨させる材料にしかならなかった。


「なんで怒るか、だと?! てめェ今言ったじゃねーか! “人参が大嫌いだ”って!!」

「言ったけど?」


 それが一体何の障りになるのかと言わんばかりのミリタムを前に、白兎の怒りは極限にまで達しようとしていた。首から上はその双眸と大差ないほど真っ赤に染まっている。


 一方、白兎の眼中にないおおよその者は、事の成り行きをただ見守っているだけ。仲間に加わったばかりのミリタムが、兎族の常識など知るはずもない。皆、いちいち説明するのも面倒なのだ。


「あ、あのね白兎。人間の子どもって大体みんな人参キライだから――」

「異世界人は黙ってろ!!」


 唯一(あおい)はなんとか間に入ろうと試みたが、白兎に一蹴されてしまった。それ以降は迫力に気圧され口を挟むことも叶わない。すごすごと引っ込む碧を忌々しげに舌打ちで見送りつつ、白兎は胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いでミリタムに迫る。


「人参はなァ、あたいら兎族の宝なんだよ!! それこそ人参がなきゃ生きていけねェくらい、究極の食いモンなんだぜ!!」

「へえー」


 溢れんばかりの愛情と熱意を込めた説得はしかし、ミリタムには届かなかったらしい。冷めた口調で切り捨てられる。

 またひとつ、白兎の額に青筋が増えた。


「……てめェ、ほんとーに分かったのか?」

「分かったよ。兎族にとっては高級品なんでしょう? だけど僕たち人間にとっては、人参なんてただの農作物。生きていくのがどうの、って問題にするほどの食べ物じゃないんだよ」


 もっともだ、と小さく頷く人間たち。それが白兎の視界にしっかり入っており、とうとう彼女の苛立ちは限界を振り切った。


「……だ」


 その全てが聞こえた者はなく、皆が頭に疑問符を浮かべる。

 白兎は大きく息を吸い込んだかと思うと、そこら中に響き渡るような大声で宣言した。


「ぜ・っ・こ・うだ! なーにが魔族討伐だ!! あたいは抜けるからな!!」

「あ、白兎!」


 そう吐き捨てるやいなや、すぐさま四足歩行で走り出し、目にも留まらぬ速さでどこかへ行ってしまった。立ち上る土煙が、その速度と脚力を物語っている。


「ほっとけよ。あいつもともと人間嫌いなんだし」


 引き留めた声は届いているのか、いないのか。砂埃が舞う方向を心配そうに見つめる碧に、カイズが声を掛ける。後の四人も、さして気にしてはないようだ。


「人参一つでギャーギャー言うヤツがオレらとうまくやれるワケねーし。元々仲間になる予定なかったんじゃねーの」

「救いの巫女はなんて言ってたの?」

「『三人増える』、ってだけだったわね」

「確かにそれだけじゃあ、誰かも分からないね」


 予言らしいと言えばらしいが、もう少し詳しく外見的特徴などを教えてくれても良かったのでは、と考えたのは碧だけではないだろう。

 とはいえ、仮にヤレンが仄めかした『仲間』でなかったとしても気にかけてしまうのが人情というもの。再び白兎が走り去った方向へ視線を向けた碧に、ジラーが声をかける。

 

「まあ、そのうち戻ってくるかもしれないし」

「うん……」


 獣人である白兎は聴覚と視覚に優れている。探そうと思えば見つけるのは容易いだろう。問題は彼女が捜そうと思うかどうかだが。

 後ろ髪引かれる思いの碧をよそに、仲間たちはすでにイチカを筆頭に歩き出している。思うところはあるが、置いて行かれては元も子もない。碧は小走りで追いかけた。





「けけけ。いい具合に仲間割れしたなぁ」


 誰もいなくなったその空間に、耳障りな笑い声と共に突如として現れた赤黒い巨体。魔族、エグロイ・アス。

 諍いの一部始終を陰から眺めていたようだ。鋭く充血した眼差しは、たった今離脱した獣人を追うようにぎょろりと動く。


「手間が省けたってもんよ。さて、どう始末してやろうか」


 鬼は恍惚とした表情で顎をさすってから、大きく飛び上がった。二階建ての家を見下ろすほどの巨躯にもかかわらず、地面には凹み一つ見当たらない。それどころか、いつまで経っても着地の音すらしない。草木に至っては、最初からそこに何もいなかったかのように、そよぎすらしなかった。

 故に、そのときばかりはイチカの探知能力も、白兎の聴力も無意味だったのだ。





「ッたく、アイツら人参の良さを欠片も分かってねェ」


 さて、あれほど盛大に啖呵を切った白兎は全力疾走もそこそこに、見つけた切り株にあぐらを掻いて鎮座していた。何もせずじっとしていることで怒りがぶり返したのか、ぶすっとした表情のまま黙していたのは僅か数秒であった。


「人参は美容と健康にいいんだっての。……美容は、あたいには関係ねェけど」


 一行と別れた場所からここまでは大した距離ではない。彼女の体力ならば休憩などせずとも、もう少し足を伸ばすこともできただろう。「抜ける」と言ったからには里に帰りそうなものだが、まだ少し葛藤があるのかもしれない。百数年生きていても、見た目や精神年齢は碧たちとそう変わらない。空を見上げる横顔はその内面を表すかのように幼かった。


 真紅の瞳が映すのは、つがいの小鳥。仲睦まじく飛び回りさえずり合う姿は、普通の人間が見れば心和む光景でしかなかっただろう。けれど、人間よりも間近に自然界を感じ取っていた彼女は、同じように聞こえても鳴き声一つ一つに意味があることを知っている。故に、小鳥たちが奏でる旋律の変化に気付くのはそう難しいことではなかった。

 ――それは、本能が発する警告。


「オイ、いるんだろ。出て来いよ」


 逃げるように飛び立ってしまったつがいを見送ってから、白兎は目線だけを鋭く流した。

 どこもかしこも背の高い木々が生い茂り、似たような景色が広がっている。方向感覚が狂いそうな林の中、白兎はただ一点だけに視線を注ぎ続ける。何の変哲もない空間であろうと、そこに何かがいることを確信していた。


 時が止まったかのような静寂は突如として破られた。白兎が見据える先、人の身長ほどはある赤黒い巨大な足が宙空から生えたのだ。あれよあれよという間に腰蓑を巻いた下肢が現れ、空間を引き裂くように鋭利な爪を備えた手が伸び、毛むくじゃらで筋肉質な腕が露わになる。大岩のような顔の輪郭、犬歯が発達した口腔、黄濁し血走った目。頭部に二本の角が聳立しょうりつしている様はまさに『鬼』と呼ぶにふさわしい。


「いつから気づいていた?」


 よほど自信があったのか、姿を見せたエグロイは心底意外そうだ。顎を撫でながら不思議そうな視線を送る鬼を、白兎は鼻で笑った。


「人間(くせ)ェんだよ、てめェは。あたいを()るんだったら、口の中よく洗ってから来やがれってンだ」


 いつもの調子でありながら核心に触れるような悪態をつくと、鬼の太い眉が僅かに動いた。


 ここ数十年、関係が断絶していた経緯もあって、普段嗅ぎ慣れない人間の臭いは僅かな残り香であっても鋭敏に感じ取れる。ここが人間の土地である以上、そこかしこに残滓が漂うのは不思議ではないが――纏わり付くように追いかけてくる複数の臭いがあれば、さすがに不審に思う。

 実際のところ、食人種かどうかまで断定できていたわけではなかったが、鎌かけは成功したようだ。白兎はほくそ笑む。


「当たりだな。てめェ人間を喰うんだろ? 下手物趣味だねェ」


下手物趣味呼ばわりされたエグロイはしかし、機嫌を損ねるどころか喉の奥で笑いを堪えるのに必死なようだった。何がそんなにおかしいのかと白兎が訝しんでいると、鋭く充血しきった目が憐れむように向けられて。


「あれの良さが分からないとは実に可哀想な奴だ。人間の絶叫や恐怖ほど美味なものはないぞ? 試しに一人二人喰ってみるといい。世界が変わるだろうよ」


 冗談で言っているのかと思った白兎だったが、こちらを凝視する濁った目は「本気」と書いてありそうなほど真剣だった。状況も状況だというのに脱力感が拭えない。

 

「……そんなモンで世界が変わったと思えたてめェが哀れでならねェよ」

「獣人の小娘にゃ分からんか」

「ああ分からないね。人間なんざ人参の足元にも及ばないぜ」


 それまではどこか掴み所のなかった鬼の眉が跳ね上がった。同時に、体毛に覆われた脚がじり、と一歩前に踏み出される。その瞬間、人間の臭いとは別の、悪寒が走るほどの禍々しい気がエグロイから発せられた。感じたことのない鬼気を前に本能が警鐘を鳴らす。

 これが、魔族。野生の勘の赴くまま白兎は身を低く構え、臨戦態勢を取る。


「兎族か。そういえば喰ったことなかったなあ。どんな味がするか楽しみだ!」


 言葉通り目をかっ開き、口角を上げ犬歯を覗かせる。刹那、その巨体からは想像もつかないほどの速度で突撃してきた。多少動揺した白兎だが、冷静さは健在だ。全神経を大鬼に集中させ、どう迎え撃つかを考えた。

 鋭利な爪が振り下ろされるが、突進のそれよりは速くない。後ろに跳んで躱しつつ距離を取り、重ね合わせた両手に気を溜め、縦に引き伸ばす。


「鬼ごっこにもなりゃしねェな! 【兎使法(としほう)白ノ発(しろのはつ)】!!」


 白く細長い闘気の塊を下手に投げつける。爪の攻撃を避けられたことで再度猛進していたエグロイは、向かってくる白球に思わず足を止めた。何の挙動もなく数秒、呆けたように立ち尽くしていた鬼は、見張っていた眼をやおら細めて不敵に笑う。


「小娘、面白い技を出したなぁ?」

「?!」


 白兎は自身の目を疑った。エグロイが邪悪な笑みを浮かべたまま、己の右腕を差し出したのだ。その真意を探る暇もなく、白兎が放った兎使法は標的に直撃した。


「ぐああああああっ!! あっ゛、ぢいいいい!!」

 

 咆哮のごとき絶叫が響き渡る。兎使法は威力もさることながら、掠っただけでも火傷を負うほどの高熱を発している。それを知らなかったとはいえ馬鹿正直に受けるのだから、この反応は至極当然の結果と言える。

 肉の焼け爛れる臭いが充満し、白兎は思わず鼻を押さえた。先ほどの邪気が入り交じっているのか、鼻を突くような腐敗臭が上乗せされている。


(こんなモン嗅いでたら鼻がやられる)


 今さらどうしようもないが、魔族を焼き殺すのは完全に悪手だった。せめてもう少し距離を置こうと足に力を込めた矢先、白兎の目が驚愕に見開かれた。


「あぢっ、あ……ひっ、ひひひっ……! くくっ、くひひっ、なるほどなぁあ! 熱いし痛ぇ!」

 

 笑っている。未だ業火に炙られながら、エグロイは絶望するどころか狂喜していた。右半身が炎に包まれているというのに、それでも大鬼は狂ったように笑い奇妙に舞った。あまりに動き回るので、風に乗ってやってきた異臭が再び白兎を苦しめる。


「だが……耐えられない程ではない!!」


 断言するや、鬼の姿が揺らいだ。幽鬼のように頼りないが、速度は衰えていない。あっという間に間合いを詰められ、白兎は仰け反るように身を引いた。

 右肩から先はなく、半身は黒く焼け焦げ、溶け落ちた部分からは白い骨が見え隠れする不格好な姿。一度死した者が墓から這い出てきたかのような異様さに面食らうが、ひとまず体勢を立て直す。


「ちッ……!」


 まさか兎使法を真正面から受ける輩がいるなどとは思いも寄らなかった。早くも手が尽きたわけではないが、実質初めて魔族と対峙した彼女としては、兎使法以上の有効な手立てが見つからない。

 一方で、耐性があるとはいえ全く効かないわけでもなさそうなところを見るに、やはり兎使法の活用が打開策と言えそうだ。


(こんなヤツと真っ向勝負なんざごめんだッてンだ!)


 苦手意識が急加速する中、隙を窺う。形勢は変わらないどころか悪化するばかりだった。近接戦に持ち込まれてしまい、後退しようにも隙が見つからない。鬼の右半身はほとんど不随であるにもかかわらず。

 

 左腕と左脚、続けざまに放たれる攻撃。どちらも器用に避けたつもりでいた白兎だったが、熱した鉄板を押し当てられたような痛みが左腕に走る。おそらく掠っただけだろうが、拳圧だけでこの威力ならば直撃を受けるわけにはいかない。


 怪我の具合を見たいところだが、そうさせてくれる相手では勿論ない。愚鈍そうな図体とは裏腹に、エグロイが間髪入れず迫ってくる。片脚だけで移動しているようなものだが、それにしても速い。心の片隅に一瞬浮かびあがった『恐怖』の文字を振り払い、白兎は闘志を滾らせる。


 右に左に俊敏な動きで翻弄し、一気にエグロイの背後に回る。振り返った巨大な顔の側面を右腕で殴り、よろける鬼の同じ面、今度は回し蹴りを見舞う。その頭部を足場に、反動を使って即座に戦線離脱する。


 二匹が対峙する。

 軽い脳震盪から回復したらしいエグロイは口の端を手で拭い、左眼を細めた。


「けけけ、さすが兎族。小娘とはいえ今の攻撃は強力だったぜぇ」


 負傷してはいるものの、他者を貶めるような笑い声にも語り口にも衰弱している様子はない。賞賛は口だけのものだったのだろう。白兎にとっては渾身を込めた一撃でも、鬼にとっては子供の体当たりに過ぎなかったのだ。

 白兎は聞こえないくらい小さく舌打ちした。

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