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第二十七話 そして、また(2)

 その夜、兎族うぞくの里はいつになく慌ただしかった。

 人間が訪れたことと、族長が魔族討伐に参加することとが重なったためである。

 

 かつては人間による乱獲に苦しみ喘いでいた兎族だが、そのどれもが里の外、縄張りの範囲でのことであった。里への侵入を許したことはただの一度もなく、九十年前を境に縄張りに寄り付こうとする人間すらほとんどいなくなった。白兎ハクトが遭遇したという魔法使いの卵もまた里に現れたわけではなく、実質イチカらが初の『来客』ということになる。

 

「族長の出陣も決まったことだし、今日は豪華な夕食だよ!」


 兎母ウバの一声により、獣人たちは大わらわ。植物の茎で作られた深ざる一杯の野菜を、頭に載せて右往左往する者。竈用にと薪を叩き割る者、くべる者。大人たちが駆けずり回る様を、子どもたちは呆然と目で追っている。

 

 その間に兎母の家で一泊することが決まった一行は、「準備ができるまでゆっくりしてるといい」という兎母の厚意に甘え、待つこと小一時間。


 てんてこ舞いが一段落したらしく、兎族の一人が呼びに来た。“豪華な夕食”に心躍らせていたあおい、ラニア、カイズ、ジラーは「待ってました」と言わんばかりに飛び出していったが――。


「豪華な夕食って……」

「これ……」

「なのか……?」

「兎族の“豪華”の基準が分かんないわ……」


 広場に敷き詰めるように置かれた皿代わりの葉とその上に載せられた料理に、揃って目を丸くする。喜び勇んで駆けつけたはずが、表情も声色も明らかに落胆のそれである。

 

「人間の分際で贅沢言うンじゃねェ! ソレはあたいらの宝であり最高級品なンだぜ!?」


 四人の感想を目敏く聞きつけた白兎は青筋を立てて怒鳴り散らす。


 人間の反応に納得がいかないのか、周囲の獣人たちからも困惑の声が上がる。先刻ほどではないが反発も少なくなく、「この罰当たりどもめ」「嫌なら食べるな」などのヤジも飛んだ。

 さて、兎族をこれほどまでに魅了する“ソレ”の正体。


「人参が、か?」


 それほど大きくはないのに、良く通る低い声質。

 冷ややかでありながら若干の呆れも感じ取れるそれはイチカのもの。

 白兎はわなわなと両手を震わせたかと思うと、瞬時に右腕を振り上げ声の主を指さし罵倒する。


「てめェこのポーカーフェイス! 人参を愚弄する気か?!」


 白兎のこの口調からして、人参は地球の食べ物で言えば『キャビア』や『トリュフ』並の高級食材なのだろう。


 ただ、彼らの場合はなかなかありつけない食べ物というだけに留まらない。人参に対する盲目的な愛情は、もはや崇拝に近い。よもやこの里では人参を食べること自体御法度なのではないかと皆が思うほどに。

 

「ポーカーフェイス……?」

「ってなんだ……?」

「分からねーけど、なんか兄貴に合ってそうな言葉だ……」

「あたいだって知らねェよ! コイツの腹立つ顔見てたら勝手に浮かんだだけだ!」


(何それこわい)

 

 他方、白兎がイチカに付けたあだ名が日本由来のそれではないせいか、ラニアらはおろか白兎本人までもが混乱するという異例の事態。イチカは称されたとおりの“ポーカーフェイス”を貫き、心中を推し量ることは不可能。碧は兎族から向けられる敵意とは別の薄ら寒さを感じ震え上がる。


 両眼をつり上げ牙を剥き出し威嚇する白兎を、手慣れた様子で宥めたのは兎母であった。


「まあまあ族長。あたしら兎族と人間とじゃ、感覚がまるで違うんだよ。兎族にとっては人参は最高級品だけど、人間にとってはただの農作物にすぎないのさ。そうは言っても、ここで出せるのは人参くらい。あなた方人間に、そこらの雑草を食べさせるわけにもいかないだろう?」


 兎母の言うことはもっともだった。魔族到来の折食料を焼き尽くされたというから、雑草ばかりの食卓でないだけマシというもの。むしろそんな貴重な作物を、確執のあった人間相手に振る舞ってもらえるなら感謝しなければならないくらいだろう。未だ不満顔の白兎を除き、一行は満場一致で頷いたのだった。


 なお、その日の晩に得た情報によれば、有事に備えて遠方に避難させておいた食料があるため、そこまで深刻な事態には陥っていないとのことだった。





 兎族の一日は早い。

 日暮れと共に夕餉の準備に取りかかり、床に就き、日の出と共に目覚める。


 彼らと同じく藁の上で眠った一行も、朝日と騒々しさで目を覚ます。就寝が早かったからか、皆眠気はほとんどないようだ。イチカ、カイズ、ジラーは朝稽古に励み、碧とラニアは朝餉までの間、昨日の献立について話し合う。


「昨日の人参、結構美味しかったね」

「ほーんと、意外よね。あ、ねえ白兎、あれって何か隠し味使ってる?」


 ラニアが側を通りかかった白兎に興味本位で訊ねる。

 その言動が後々自らを後悔させることになるとも知らずに。


「知らねェよ。あれは全部兎母が味付けしてンだ」


 相も変わらず不機嫌そうに紅眼を眇め、素っ気なく返して去って行く。


 昨日の今日で人間嫌いが変わるはずもない。一夜明けて、碧もラニアも根に持つことなく割と素直に受け入れることができるようになっていた。


「じゃあ、兎母さんに訊いてみようよ!」

「そうね」


 二人がいるのは兎母宅だが、一行が起床したときには既に家主の姿はなく、帰宅した様子もない。暇を持て余していた彼女らは兎母を捜すことにした。


 途中出会った獣人に訊ねると、「調理小屋にいる」という返事。隠し味が分かるかもしれない絶好の機会だ。自然と二人の瞳が輝きを増す。


「絶対なにか入れてるよねー」

「そうじゃなきゃ、あんなに美味しくならないものね。あ、いたいた」


 兎母はすぐに見つかった。調理小屋と思しき建物の脇、集落の真ん中にある井戸の側で、熱心に何かを洗っている。


 ラニアが率先して声を掛けようとして――その表情が強ばった。不自然な体勢のまま動きを止めている。

 異変に気づいた碧が、ラニアの影から兎母の様子を覗こうとする。


「ラニア? どうかしたの?」

「ダメよアオイ! あれは見ちゃいけない!」

「え、なに?!」


 急ぎ碧の手を取ると、ヒールを履いているとは思えぬ速さでその場から逃げるラニア。碧は訳も分からぬままラニアに引きずられていった。

 

 それから間もなく顔を上げた兎母は小首を傾げる。

 全盛期よりも多少は衰えたものの、聴覚も嗅覚も鋭敏。にもかかわらず周囲には誰の気配もない。

 気を取り直し、またせっせと洗い物を――人の胴体ほどはある巨大な蜥蜴を洗い始めるのだった。


「あたしは、あんなもの食べて喜んでたっていうの……?」


 一方、兎母の家に逆戻りしたラニアは辿り着くや急激に老け込んでいった。美人顔は見る影もないほどやつれ、木椅子に腰掛けた背中は丸められ、影を背負っている。絵に描いたような気落ちように、碧はますます疑念を募らせる。


「ねーラニアってば! 何を見たの?」

「あなたは知らなくて良いのよ……!」


 頑として口を割ろうとしないラニアに碧がやきもきしているところへ、どことなくそわそわしながら歩いてくる白兎。実は彼女、人参料理の美味さの秘密を知りたいと常々思っていたのだ。


 人間は嫌いだが、あの味の良さが分かるという一点においては心を開かないでもない。

 ひねくれ気味な本心を秘めながら、偶然を装いつつ近付いて。


「よォ、隠し味分かっ――」

「いいとこに来たわ!」


 白兎が言い終わらないうちに、年相応の肌艶を瞬時に取り戻したラニアが目にも留まらぬ速さで彼女を担いでどこかへ連れ去ってしまう。

 

 遅れて吹く旋風。

 一人取り残された碧は、何が起こったのか理解する暇もなく、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「なんなンだよッ?!」


 人気の少ない小屋の裏手に回り、白兎を下ろして一息つくラニア。そんな彼女に間髪入れず怒りをぶちまける白兎。『人間の小娘ごときに物のように扱われた』屈辱も少なからず含まれていたのかもしれない。


「あんたたちって、トカゲとか食べるワケ?!」

 

 しかし、凄まじい形相で詰め寄るラニアの前には白兎は子犬同然。天を突かんばかりに垂直に伸びていた耳は情けなく垂れ下がり、身体と共に次第に縮こまっていく威勢。


「な、なにをいきなり」

「答えて! じゃないと、あたしの中のもやもやが取れないのよ!!」


 眉すら下げて落ち着きなく視線を彷徨わせていた白兎は、やがて観念したように族長らしからぬ気弱な声で答えた。


「に、人参の次に好きな食いモンだけど……」


 ラニアはその言葉を最後まで聞いていなかった。つまり、聞き終わる前に失神したのであった。

 何も知らない碧と男性陣は、その日も大蜥蜴の出汁で煮込まれた人参に舌鼓を打っていた。





「ンじゃ、出発するか!!」

「なんでこいつが仕切ってんだよ……」


 カイズがぼやく。

 活力に満ち溢れた掛け声の主は、イチカではなく白兎だ。


 あのあとラニアは自力で失神から立ち直り、何事もなかったかのように白兎を連れて仲間の元へ戻ってきた。

 ただしその間、穏やかでないやり取りもあり。


「トカゲのこと、言ったら撃つわよ」

「ハイ」


 目を覚ました途端、ラニアは突拍子もない行動に出た。

 困惑顔で見下ろしていた白兎に銃口を突き付け、一言そう脅したのだ。


 言動だけならば白兎も反抗する気になったのだろうが、問題はその顔であった。確かに秀麗だった容貌が、人にあるまじき形相に変わり果て、はったりではない殺意が渦巻いている。

 誇り高き兎族の長と言えども逆らえぬ圧力に、あえなく屈服させられてしまったのだった。


「オラオラてめェら、そんなシケたツラで城に乗り込んだら笑いモンにされるぜ! もっと胸張りな、胸!!」

「うっせー! いちいち出しゃばんな!」


 なにも全員が“シケたツラ”をしているわけではないのだが、白兎の感覚では「一人シケていれば全員シケている」ことになる。


 ラニアへの恐怖心を紛らわすためか、それとも心境の変化か。嫌いな人間との旅が始まるというのに、意外にも乗り気である。何かと指図する白兎を煙たがるカイズとは対照的に、どうでもいいのかイチカは素直に従っている。


「何処へ行く気だ?」


 白兎はまっすぐ前を――南東を指さす。


「サモナージ帝国領・ウェーヌ! そこに昨日話してたガキがいるはずだぜ。ガキつッても腕は確かだったからな。ソイツを当たってみるのも悪くねェ」

「ちょっと待ってよ。腕が確かって言ったって、そんな小さな子を連れてくのは……」


 ラニアの懸念に賛同するように、他の者たちも難しい顔をしている。躊躇や疑念のこもった視線を、白兎は一笑に付した。


「だからだよ。五歳そこそこのガキが【滅獣めつじゅう】なんて大層な魔法、普通は使えねェ。さぞや名の通った御家のご子息かと思ったら案の定……ってワケだ」

「え、調べたのか?」


 意外そうに目を丸くするジラーに、白兎はフンと鼻を鳴らし。


「あたいがンな面倒なことするかよ。縄張りに入ってきた人間とっ捕まえて特徴訊いて居場所吐かせただけだ」


 一同、呆れ果てて物も言えない。

 開いた口が塞がらない一行を後目に、白兎は得意気に喋り続ける。


「少なくともそこの異世界女が放ったヤツよりも威力はあった。行ってみる価値はあると思うぜ?」


(なんかモヤる……)

 

 五歳児よりも下に見られてあまり気分の良くない碧だが、つまりはそれほどの実力者と言い換えることもできる。

 

「まあ、このまま魔族の城に向かうよりは良いかもな」

「仲間を集めてからでも、遅くはないわよね」


 懐疑的だったカイズやラニアも認識を改めている。「あたいは仲間じゃねェけどな」という白兎の発言はさておき、サモナージ帝国行きは決定のようだ。

 そういえば、と声を上げたのは碧であった。

 

「サモナージ帝国って?」

「あァ?」


 白兎が称したとおり異世界人の碧にとっては聞き慣れない国名。「ンなことも知らねェのかよ」と怪訝そうな顔をする白兎を押し退けるように、ラニアが説明する。


「簡単に言えば、レクターン王国と対をなす国ってとこかしらね。レクターンは主に剣術を、サモナージは魔法を国の象徴にしてるの」

「国の象徴に? 魔法って、みんなが使えるわけじゃないの?」

「ええ。この世界には幾つか国があるけど、全ての魔法を使うことが許されているのはサモナージ帝国民だけなのよ」

「へぇ~~」


 この世界・アスラントが創られた頃。創世者はいかにすれば世界が平和になるかを考え、必要最低限の力を人類に与えることに決めた。それが魔法である。


 しかし、人類が皆これを持てば争いは免れなくなる。

 そこで、創世者は限られた者にのみ魔法を使わせることにしたのである。そして、その者から魔法を教わって良いのは、その者が住む国『サモナージ帝国』の住民のみと定めた。


 ところが、世界はそう簡単には平和にならなかった。

 魔法を使える国が一つしかないのはおかしいと、他国が幾度となく戦争を仕掛けてきたのだ。

 

 とはいえ魔法を持つ国と持たざるその他。勝敗はすぐについたが、不公平感は拭えず、不満は募るばかり。


 当時のサモナージ帝は頭を痛めた。これまでどおり魔法の独占を続けていれば、いずれ世界から孤立してしまう。


 いっそのこと使用権を放棄するべきか、それとも他の道を模索するべきか――。

 自国の幹部や各国などと話し合いを重ねること十数年。


 サモナージ帝国は一つの大きな決断を下した。

 すなわち、生活の利便性を高める魔法については段階的に使用者の制限を解除することを決定し、軍事目的に利用されかねない魔法はこれまでどおりサモナージ帝国のみ利用可とした。


 それから暫くは何事もなく平和だったが、またもや魔法大国の根幹を揺るがす事態が世界を襲う。

 四百年前の、魔族によるアスラント侵攻である。

 数百、数千の魔族を前に、限られた国の限られた人数では世界中を援護することはできず、多くの犠牲者が出た。


 この出来事を教訓とし、各国に一つ魔法を専門的に扱う組織である『魔法士団』を備えることが取り決められたのだ。


 このように、魔法の使用については歴史上の節目で多少変遷してはいるが、創世者の望んだ『平和な世界』はひとまず四百年保たれている。


「あァ。途中でリヴェルに寄るかもしンねェけど、別にいいよな?」


 ラニアから魔法の歴史を教わり感嘆する碧の前方。思い出したように白兎が付け加えると、ラニアの顔が一瞬にして赤く染まった。

 それを見たカイズが、ここぞとばかりにはやし立てる。


「おっ? (あね)さん本望じゃねえ?」

「な……! 撃つわよ!」


 警告した意味もなく直後に響き渡った銃声に驚き、兎族は皆耳を押さえて逃げ出す。どさくさに紛れて白兎も四足歩行でどこかへ走り去ってしまった。無作為に放たれる銃弾は留まるところを知らず、所持者の気が鎮まるのを待つしかない。


「ラニア駄目ー!! 兎族の人たちに当たっちゃうよー!!」

「返事を聞かずに撃つのもどうかと思うが」


 碧の悲鳴も、イチカのもっともな意見も、銃声に覆い隠され意味を成さなかったが――

 新たに一人を迎えた一行の旅は、ひとまず南東へ。

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