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第二十五話 兎族(3)

「え?!」


 思わぬ光景に、足を止める一同。

 彼は、剣を使わず拳で獣人を殴ったのだ。


 衝撃で宙に浮いた白い身体は、地面に打ち付けられ転げ回って、止まった。

 今まで隠されていた容貌が露わになり、一行は再び驚愕する。


「女、の子……?」


 襟足長めの薄灰色の短髪。頭部から生えた長い二本の耳は兎そのものだが、か細い指に備わる鋭利な爪はまるで肉食動物。傷だらけの足には、靴底が毛皮で覆われた草履のようなものを履いている。


 白い毛皮の簡易な衣装からのぞく四肢や胸元は丸みを帯びていて、(あおい)の称したとおり“女の子”の特徴そのものだ。


 苦痛に歪む両眼の下瞼から頬にかけては、赤い入れ墨のような模様。腫れ上がった頬の状態と口端から滴る一筋の血から、どうやら顔面を殴られたらしい。


「イチカ、気づいてたの?」

「ああ」


 碧が訊ねると、イチカは獣人の少女に歩み寄りながら意外にも素直に返事をした。


(容赦ないなぁ……)


 剣を抜くいとまもなかったのだろう。あのままでは圧倒的に不利だったのだから、彼の咄嗟の判断は適切と言える。それでも、碧の心は晴れやかではない。


 少女と分かっていて、抵抗はなかったのだろうか。顔以外の選択肢もあったのではないか。良く言えば「男女平等」ではあるのかもしれないが。

 そこまで考えて、碧ははたと気付く。


(あれ? もしかしてこの考え方がもう不平等?)


 近頃は「美容男子」も当たり前、そうでなくとも殴られたくないのは性別問わず誰だって同じだろう。今や「嫁入り前の娘に~~」という常套句さえ差別用語となり得るのだ。


(なんか、よく分かんなくなってきた……)


 碧は考えることを放棄した。頭の中が混乱してきたから、というのももちろんあるが――微動だにしなかった少女が身じろぎする気配。刻一刻と変化する状況を前に、今この場で不必要な思考は排除しなければならない。

 

「……ぅ……っ……」


 呻き声を上げながら身を起こす少女の首筋に、イチカは間髪入れず剣の切っ先を押し当てる。


「……」


 無言のまま、炎のように紅い瞳でイチカを睨み上げる少女。屈強な戦士でさえ怯みかねない鋭い目力にも、イチカが動じる様子はない。冷淡な声はそのままに取引を持ちかける。


「ここを通してもらえれば、これ以上手荒な真似はしない」

「……殺せよ。あたいはてめェら人間を、ここから先死んでも通す気はねえ」


 交渉は一瞬で決裂した。客観的に見て不利な状況だというのに、少女は挑戦的とすら思える威圧的な声で吐き捨てる。衰えることを知らない闘気と口の悪さに、イチカ以外の一行は皆驚きを隠せない。


 イチカはやはり眉一つ動かさず、しかし「殺せ」と凄む少女に従って首筋に宛がった剣を振り上げることもない。


 瞬きをした、その一瞬。


「?!」


 少女の姿が消えていた。白い影は刃から逃れたのだ。


 ただでさえ厄介な相手だというのにと、イチカは小さく舌打ちし辺りを見回した。

 少女の威勢のいい声がどこからともなく降ってくる。


「甘ッちょれェなァ人間! 九十年経って平和ボケしたか?!」


 いつの間に崖上に駆け上がったのか、声は木々の合間から聞こえてくる。


「それとも情けッてヤツか? まさかてめェら下等生物にそんなモンをかけられるとはな! ほんの礼だ、あたいの必殺技を見せてやるよ!!」


 獣人は気配を巧みに消しながら移動し、木の葉の擦れる微かな音すら隠している。それがイチカに、僅かな焦りをもたらした。


「受け取りな! 【兎使法(としほう)白ノ発(しろのはつ)】!!」


 迫り来る闘気を辛うじて感じ取ったイチカは、咄嗟に方向転換して身を退く。

 先ほどまで立っていた場所を、白い楕円形の閃光が駆け抜ける。


「……!!」


 皆、言葉を失った。閃光が炸裂した地面は地中深く抉り取られ、周囲の草花は枯れ果て、原型すら留めていない。


 その影響か、すんでのところで命中は免れたものの――膝から下はおよそ軽傷とは言えないほどの火傷を負っているイチカ。

 それでも表情に変化は見えない。剣を構えなおし、まっすぐ前を見据える。


 こんな状況下にあって、決して揺らがない銀色の瞳とその闘気。対照的に、目に見えて重傷の両脚。普通ならば苦痛に蝕まれ、平静を保っていられないだろう。


「イチカ、大丈夫なのかな……?」

「あとで手当は必要よ。でも、大丈夫」


 碧の懸念にラニアは冷静に、しかし小さく微笑んで見せた。均整の取れた笑顔に多少不安が紛れはしたものの、碧はやはり気が気でない。獣人の少女が現れたときも今も、彼は圧されているのだ。


「助けなくていいの?」

「イチカがさっき偉そうに言ってたでしょ? “【滅獣めつじゅう】はいつでも使える状態にしておけ”って。逆に言えばそれ以外のことは望んでないの。今だってそう。『手出しするなオーラ』がビシビシ伝わってくるわ」

「ふ、ふぅん」


 普段から『おれに関わるなオーラ』を浴びている碧からしてみれば区別がつかない。ラニアからすれば全く違うものなのかもしれないし、同種なのかもしれない。


「たぶん、あの子も」

 

 姿の見えない獣人のことを言っているのだろう。ラニアの薄紅色の瞳が少しだけ真剣味を帯びる。


 加勢しようと思えばできる。けれど、イチカも少女も無言の内に「一対一」を望んでいる。カイズやジラーが動かないのもその意志を汲み取ってのことだろう。


 イチカは視線を正面に定めたまま――どこかに潜んでいる獣人の少女に向けて呼びかける。


「来い、獣人」

「へッ、おもしれェ!」


 心から楽しそうな声が辺りに響き渡った。


 姿は見えないが、殺気は感じられる。

 イチカは剣を構えたまま、気配を探り――


「!」


 疾風のように、突然少女が目の前に現れた。

 認識したと同時、その長い爪が頭上に迫っていて。


 身を捩るが僅かに遅い。何本かの頭髪が切り取られて風に舞い、頬に浮かび上がる二本の赤い筋。


 少女は俊敏な動きで攻撃を仕掛け、軽い身のこなしで素早く引き下がる。その姿を視界に収めたときには既に奇襲に成功して後退したあとであり、イチカは攻勢に転じることができない。


(戦いを好む獣人族、か)


 不利な状況下にあっても、イチカは冷静さを失わなかった。

 アスラントに来て初めて読んだ本の一節が脳裏を過る。


 手っ取り早くこの世界を学べると思い手に取ったのが、歴史書だった。ローマ字表記ゆえ文脈の読み取りには多少苦労したが、それさえできれば理解に繋がった。


『――その名の通り、兎の遺伝子を多く受け継いだ種族。聴覚に優れ、脚力、腕力とも人間以上の、大変人類に似た不可思議な生き物である。凶暴かつ残忍で、縄張り意識が強く、恐れを知らない人間が縄張りに踏み込み、殺された例が後を絶たない。――』


 少女は先ほどのような大技は使わず、ジャブのような戦法を繰り返している。そのため致命傷に至るようなものはないが、それはあくまでも「至らない」だけだ。徐々に増えていく生傷が、確実にイチカの体力を削ぎ落としつつあった。


(それなら)


 地を蹴る。退避行動を取る少女の後ろ姿が見えたのだ。


「!」


 気配に気づいたらしい少女は先ほどのこともあってか、勢いよく振り向いた。


 イチカは間髪入れず剣を振り下ろす。少女ではなくその足元の地面を叩きつけ、砂塵を立たせる。

 千載一遇の好機を台無しにするような手口に一瞬目を丸くしたものの、次には嘲笑を浴びせる獣人。


「血迷ったのか?! あたいは全然平気――」

「使え!」


 普段の調子からは想像もつかないほどの力強い声。

 主語がなくても、こちらを向いていなくても、碧は確かに自身に向けられた指示だと悟った。

 即座に両手のひらを空にかざす。


「【滅獣(ギガ・ビースト)】!」

「っな……!」


 碧が言霊を発して間もなく集った光は、無数の銃弾となって確実に獣人の少女へと注がれた。





 轟音を伴った爆発が収まり、砂煙が晴れた頃。全身に擦り傷を負い、うつ伏せに倒れている白い姿がようやく確認された。

 イチカは少女に近づき、抜き身の剣の切っ先を細い首筋に突き付ける。


「二度はない」


 冷たく感情のない声が、少女に対して降伏を求める。

 少女はうつ伏せのまま紅い瞳を限界まで後方に寄せ、憎悪と屈辱を露わにする。


 碧が使用したのは初級の【滅獣】であり殺傷力は高くない。もっとも、「高くない」だけで野生の獣を打ち負かすほどの威力はある。隙を突いて逃げるほどの余力はないのか、少女は程なくして握りこぶしを地に打ち付けた。長い耳が力なく垂れる。


「ちッ……オイ女!」

「え、あたし?!」


 敵意のこもった紅い瞳を向けられ、碧はたじろぐ。


滅獣めつじゅうはお前みてェな、別世界のニオイがする女が使えるような技じゃねェンだ!! なんで使える!?」

「え。なんで、って言われても……」


 そりゃ別世界から来たけど、と呟き、黙り込んでしまう。サトナから教わったからとは言えても、「何故ただの日本人である自分が魔法を使えるのか」の答えにはなっていない。


 少女は牙すら剥き出しにして碧を睨みつけていたが、不意にその目力を弱めたかと思うと気怠そうに身体を仰向けた。明らかな戦意喪失状態にイチカも剣を引いて様子をうかがう。


「いい加減イライラしてンだ、さっさと殺せよ。その代わりあたいの首は高いぜ。あたいの仲間が今度こそ必ず、てめェらを皆殺しにする」

「ちょっと待って、いきなり何の話……」


 とても大の字姿とは思えない空虚で不穏な言葉に、たまらず碧が訊ねようとして。

 少女は突如その紅い瞳を見開いた。瞬間、萎びて地面に伸びていた耳さえ天に向かってピンと立ち。


「あのやろッ……来るなっつッたのに!」

「族長!!」


 苦々しげに唸った直後、その声は響いた。少女はこれ以上ないほど顔を歪め、ありったけの力を振り絞って叫ぶ。


「来るな兎美(ウミ)! 来たら滅獣だって、」

「話せば分かってくれるはずです!!」


 少女の言葉を遮った声の主は、やがてその姿を現した。


 腰までの長い灰色の髪。鎖骨周りの開いた、肩口から先が露出している膝上までの毛皮のワンピース。目の下から頬にかけて引かれた、長さの違う二本の線のような入れ墨。それだけならば人間と大差ない外見だが、頭部から直立した二本の耳が、彼女が少女と同じ兎族であることを示している。


「聞いて、人間の方々! わたし達兎族(うぞく)は、もう誰とも争う気はありません!」

「そんな話信じられるかよ! 大体コイツは――」


 反論しかけたカイズを手で制し、立ち止まった影に向かって訊ねるイチカ。


「本当か」

「人間に嘘をつくほど、わたし達も愚かではありません。怪我のお詫びに、兎族の里へ案内致します」


 紅い瞳に決意を滾らせ、兎美と呼ばれた少女は答えた。

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