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第二十四話 兎族(2)

 巫女の森を出てから、およそ十日。


 一行は先日の教訓から、地図ばかりに頼るのではなく他人に道を尋ねる方法も取り入れることにした。

 やはり、地元のことは地元の人間が一番よく知っている。地図では分からない目印なども、詳細な説明のおかげで迷うことがない。


 もちろん、場所が場所だけに反応は芳しくない。往来で道を訊ねては、「あんなところへ何しに行くのか」と青い顔で問い返される。


 最初こそ、ここぞとばかりにカイズとジラーが「魔族を倒しに行く」と鼻息荒く主張していたのだが――。

 

「ま、魔族だって……?」

「そう! 最近空から北の方に向かってくのを見た人がいるんだ。それでなくても魔物も増えてるし、人助けのために」


 赤ら顔をした中年男性が盛大に吹き出す。

 あまりに突然のことで呆然とするジラーたちを後目に、笑いが止まらない男性は呼吸を整えるのも一苦労らしい。ひいひい言いながら手に持っていた酒をぐびりと一口。

 

「おまっ、よちよち歩きのガキならまだしも、そんな歳でまだあんなお伽話信じてんのか?」

「んなっ、お伽話なんかじゃねーし!」

「だってよ、お前が直接見たワケじゃねーんだろ?」

「それはっ……」


 確かに、カイズもジラーも魔王軍と直接相まみえたわけではない。空を渡っていく姿とて、街の青年たちからの伝聞だ。操られていたらしいウイナーの人々に行く手を阻まれた時もあったが、魔族の仕業という確証がない。

 言葉に詰まったカイズだが、はっとした顔で振り返る。魔族と直接戦ったイチカを。

 

「道は分かった。もう行くぞ」

「兄貴?!」


 懇願するような表情からカイズの欲する答えは理解していただろうに、イチカは男性に軽く会釈をしてさっさと行ってしまう。

 

「なんでだよ兄貴!」

「おれが何を言ったところで、ああいう手合いは自分の目で見たものしか信じない」


 正論に返す言葉はなく、項垂れる二人。実際のところ、あの中年男性のような反応が普通なのだ。自分自身か身近に有事が降りかからない限り、非現実的な話として片付けられてしまう。それだけならまだ優しい方で、酷いときは精神異常者扱いされることもある。道を聞いた婦人たちから、心ない視線を浴びることもあった。悪意に晒されることを避けるように、カイズもジラーも次第に口を閉ざすようになった。


 それ以降、目的を聞かれても適当にお茶を濁していたのだが、大半の人々が投げかける二つ目の質問もまた、小さくはあるが悩みの種だ。


 その二つ目の質問というのが――


「あんた巫女さんかい?」

「えーっと……一応、見習いではあるんですけど」

 

 日本においては埋もれてしまう容姿だが、この世界ではそうもいかない。「黒、茶、灰系の髪と瞳=巫女」という方程式が人々の内にできあがっているため、巫女服でないあおいはなおさら注目を浴びやすいのだ。


「へぇ~~……今時の巫女様は鎧着て出歩くんだねぇ」


 恰幅の良い主婦が遠慮のない視線を注ぎ続ける中、碧はひたすら愛想笑い。気が済んだのか、「気をつけるんだよ」と一声かけて主婦は去って行く。緊張から解き放たれて脱力する碧の肩を、ラニアが静かに叩いて労るのだった。


「ほんとにみんな巫女なの? 普通の人はいないの?」

「いないことはないんでしょうけど、少数派であることは確かね。大体はみんな、自分の聖域周辺までしか巡回しないし、サトナみたいな服だし」

「そっかあ」


 こんなことならサトナの巫女服を借りてくるんだった、と後悔する碧。しかし、それはそれで別の問題が生じる。今の碧には【サイ】を作る以外はできることはなく、それ以上を求められればボロが出てしまう。ちぐはぐな格好で見習いであると名乗っておくのが一番の安全策なのだろう。


 そうは思っても、先のことを考えるだけで碧の気は滅入る。


(この心苦しいやりとり、あと何回続くんだろ。やっぱり、無理言ってもうちょっと神術しんじゅつ教えてもらえば良かったなぁ)


 小さな森を抜けてしばらくすると、前方から微かに聞こえる賑やかな音楽。一本道を進んでいくにつれ、その音は大きくなっていく。よくよく聞けば複数人の歌声も混じっていて、一行の疑念はますます深まる。


 木造の小規模な家々が立ち並ぶ手前、左右の立木から伸びた枝を絡めて作られたアーチ状の看板には、『歌って踊る 最北の町アクシン』の文字。なるほどそのキャッチコピー通り、町人は誰しも奏者か歌い手か踊り手。その輪に入っていないのは赤子や幼子ぐらいだ。


 井戸端会議も買い物も、全て歌うように踊るように。さながらミュージカルのような日常生活が営まれている。


「か、変わった町だね」

「そうね……道を訊くにも勇気が要るわね」

「こっちもあのノリでいかなきゃ教えてくれなさそうだもんな」


 一行は目配せののち、「通過に留める」という認識を暗黙の内に共有。なるべく人目につかぬよう、足早に街中を駆け抜ける――が。


「あらあっら・見慣れなーい人たちっ」

「巫女さ・まーも一緒・だわ」


 大仰な身振りと共に噂話ならぬ噂歌を口ずさむ主婦たち。


「旅のっ人たーちー・良いものがあるんだ、買っておくれよ!」

「すいません急いでるんで!」


 バリトンボイスの店主が一回転しながら勧誘するが、一行に立ち止まる気は毛頭ない。ついでに合わせる気もない。


 それほど広い町ではないようで、最北端らしき場所へは数分で辿り着いた。三方に道が延びているが、側に立てられた看板に表記されているのは東西の行き先のみ。


 北に向かう道は木々が生い茂り、胸ほどの高さはあろう草木が覆い隠していて、長い間整備されていないことが分かる。まず間違いなく、ここを直進だろう。


「そーのー先ーへ・本当に向かうーのかー」

 

 踏み出そうとしたところに聞こえてきた歌声。一斉に振り向いた先、正面に突き立てた杖に両手を置きこちらを見据える老婆。


「人間に・容赦せぬ・恐ろしい獣人ー・一体何の因果があってーお前たちは進むー」


 滑舌よくリズミカルでありながら核心を突く一言に、一行は顔を見合わせ。


「詳細は言えないが、この先の魔族の城に用がある。そのためにここを通らなければならない」


 イチカが淡々と返す間に集まってくる若い娘たち。老婆の後方に立ち位置を確保し、高らかに歌い上げる。


「分かっているの・あなたたーちー」

「もし・彼らの逆鱗にー触れた・なら」

「真っ先に被害を受けるのはこの町なのよ?!」


 ステップを踏みながら躍り出てきた娘が、感情的に台詞を放つ。


 問い方はともかく、彼女たちの懸念は頷けるものだ。「最北の町」の名の通り、ここが人間たちの住む北限なのだろう。裏を返せば、人ならざる者たちが手始めに標的にするにはうってつけの場所と言える。


「必ず食い止める。この町に危害は加えさせない」

「たった・五人でー」

「何ができるの~~」

「やめな・さい、お前たーち」


 茶化すように一行の周りを走り回る二人の娘を、老婆がたしなめる。


「何やーら深い・事情ーがある様子ー、どうしても・と言うのならー、止めはせーぬー」

「まあ婆さま!」

「正気ですか?!」


 大げさな仕草で驚きを表現する娘たちに首肯で答えつつ、老婆は神妙な面持ちで歌声を紡ぐ。


「亡き・母の話ではー、際限なく続いていた・人と兎族うぞくとの殺し合いがー、九十年前を境にーぱったりと・途絶えたというー」


 聞き心地のよい低音の絶妙な語り口に、一行は引き込まれる。

 

「まだ幼かった母にーは・どうしてそうなったのかは分からなかったそうだがー、永きにわたり動かないところを見るに・あちらにも・それなりのー事情があるのだろうー」


 緩やかでありながら、情感豊かな手の動きと足運び。町の一角だというのに、劇場で鑑賞しているかのような完成度である。


「九十年・互いに踏み越えていない領域を往くのだー、心して・歩まれよー」


 老婆が、胸に当てていた手をおもむろに差し伸べる。それを見て、魔法が解けたかのように正気を取り戻す一行。早足で分岐に向かい、しかし立ち止まって老婆に会釈することは忘れない。


 草地を踏みならしながら北方へと向かう後ろ姿が見えなくなってから、娘の一人が口を開く。


「婆さま、良かったの?」

「有事の際は儂を恨むが良い」

「そんな……」


 台詞パートなのか、歌ではなく芝居がかった口調と挙動で会話が繰り広げられる。


「だが、おそらく心配ない。あやつらは約束を守るよ」


 演劇の一環か、それとも本心からか。鬱蒼とした獣道を見つめながら、老婆が柔和に微笑んだ。




 

「なんか、やりづらい町だったな」

「みんな何かしら歌ってたしなぁ」


 そう話すカイズとジラーの表情は、内容とは裏腹に晴れやかだ。彼らだけではない。ラニアや碧はもちろん、他の四人に比べれば分かりづらくはあるが――イチカまでもが、憑きものが取れたような顔をしている。アクシンの人々による壮大なミュージカルが、不安や恐れ、戸惑い、不信といった負の感情を浄化したかのように。


 獣道が突如開ける。見晴らしの良い平地に出たのだ。


 むしろ、「良すぎる」というべきか。驚くほど殺風景なのだ。まばらに生えた、くるぶし丈の植物たちが申し訳程度に揺れている。


 右側には、見上げるほど切り立った崖。そのさらに上方、空の青さを遮るように、北東に向かって延々と連なる無数の樹木。正面と左側には、ごく淡い灰色がかった黄褐色の平野が飽くことなく続いている。空との狭間に微かに見える青黒い筋は海だろうか。


「ねぇ、あれ……!」


 ラニアが指さしながら声を上げる。一行の真正面、遙か前方の上空のみ、黒い塊が鎮座している。その足下を頼りなく支えるのは、棒のように細長い塔。


「あれが、魔族の城……」


 誰かが喉を鳴らす。得体の知れない黒雲と、この位置からでも分かるほど経年劣化した古い塔城が、何者も寄せ付けない不気味な雰囲気を漂わせている。


 この一帯が兎族の縄張りであることも忘れそうな緊張感の中、イチカが不意に剣の柄に手をかけた。


「……来る」


 小さく、しかしはっきりとそう告げて、視線を右側に走らせる。


 イチカが全神経を傾けている東側――肉眼では到底確認できない場所に、人影があった。

 それは人に限りなく近い姿形でありながら、人ではあり得ない特徴を有していた。


 頭部から天に向かって伸びる、身長の三分の一ほどの長さはある大きな耳。手足に備わる鋭利な爪。闘気を滾らせる真紅の瞳は木陰でも爛々とし、その鋭さは獲物を捕捉する猛禽類のよう。


 肉食獣のような牙を剥き出して獰猛な笑みを浮かべ、確かに二本足で立っていたそれは四足歩行で目標へと走り出した。


 銀色の、切れ長の瞳は、やがて崖を駆け下りてくるそれを映した。

 悠長に眺めている余裕はない。視野に収めるやすぐに体制を切り替え、大きく左に跳ぶ。


 先ほどまでイチカがいた場所を、白い影が蹴り飛ばした。

 もうもうと砂煙が上がり、視界が阻まれる。


 白煙の向こう、浮かび上がる二つの赤い光。視認した直後、脳内に鳴り響く警鐘。まっすぐに向けられる研ぎ澄まされた殺気。


 突撃を右に回避しながら剣を振り回す。手応えはない。すぐさま体勢を立て直そうとしたイチカだが、死角から飛んできた殺気の固まりへの対応が間に合わない。避けきれず、右腕に鈍痛が走った。


 烏翼使うよくし忍者はおろか、獣配士じゅうはいしヴァーストが従えていた獣たちよりも優れた敏捷性。直撃というよりは掠った程度とはいえ、右腕の痛みは根深く、攻撃力もなかなかのものだ。イチカは内心舌を巻く。


「【滅獣ギガ・ビースト】!」


 碧の詠唱により、光の散弾が降り注ぐ。間一髪の所でそれを免れたらしい白い影は猛攻から一転、平野の奥へ遠ざかっていく。


 イチカは剣を鞘に戻すと、その後を追い走り出した。まさか追いかけるとは思わなかったのだろう、四人は戸惑いを隠せない。


「え、追うの!?」

「ここしか道がないなら、倒しておいた方が後々楽だろう。仲間を連れてこられても面倒だ」

「倒すって言ったってあなた苦戦して、」

「【滅獣】はいつでも使える状態にしておけ」

「……! うん!」


 後方を走るラニアの危惧はスルーし、碧に対して指示を飛ばすイチカ。視線が向けられたのは一瞬だけだったが、頼りにされていることは確か。碧は少しでも役に立てることを、誇らしく思うのだった。


 なお、実質無視されたラニアは「もーー! 知らないわよ?!」とご立腹である。カイズとジラーは、姉貴分が今にも発砲するのではないかと気が気でない。


 後方の状況など気にも留めないイチカは、ほどなくして白い後ろ姿を捉えた。


 最初に姿を見せたときよりもいくらかスピードが落ちている。目測ではあるが確信したイチカは、余力を振り絞って加速し一気に距離を詰める。


「!」


 追いつかれるとは思っていなかったのだろう。振り返った白い影は、すぐそこに人間の姿があることに大層驚いているようだった。その隙を見逃すイチカではない。


 鈍い音が響き渡ったのは、その直後だった。

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