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第二十三話 兎族(1)

 (あおい)がサトナと連れ立って森の奥へ消えてから、数十分が経過した。


 読書に勤しんでいたイチカがふと顔を上げると、ラニアを先頭にこちらへ歩いてくる三人の姿。(一方的な)特訓は終了したようだ。

 

 ただし、その表情は見事に正反対である。清々しさからか、いつにも増して肌艶が良いラニアに対し、後ろの二人は死線を彷徨っていたかのようなやつれようだ。


 否、実際死戦を彷徨ったのだろう。一分と経たないうちに聞こえてきた銃声と悲鳴で、何が起こったのかは自ずと想像がつくというもの。おそらくラニアは半分殺す気で二人を的にし続けたのだ。今にも泣きそうな顔で物言いたげなカイズやジラーに同情の眼差しを送りつつ、ひっそりとイチカが確信を強めていると。


「みんな! 見て見て!!」


 興奮混じりの元気な声。碧が仲間に向かって、大きく手を振っている。


「見ててねー!!」


 すでに視線を集めているにもかかわらず「見て」の大安売りである。イチカあたりはいい加減「くどい」と感じていることだろう。分かってかそうでないのか、碧はようやく『それ』をし始めた。


 右腕を前方、肩の高さまで持ち上げる。そのまま身体の前で一往復させた直後、ガラスが割れたような音が響き渡り、碧の正面に半透明な壁が出現する。

 それは間違いなく、先ほどサトナが披露した神術(しんじゅつ)(サイ)】だった。


 おおー、とカイズやジラーが感嘆の声を上げるよりも早く、ラニアは碧の元へと駆けだしていた。


「すごいじゃない、アオイ! もう結界張れるの!?」

「うん!」


 はにかみ笑いを浮かべる碧に遅れて、サトナが微笑ましそうに歩み寄ってくる。


「やはり、アオイさんは資質に恵まれていますね。並の巫女ならば半年は費やさなければならない神術を、ほんの数十分で修得されてしまいました」

「ええ?! それって天才ってことじゃないの!」

「でもほら、ヤレン様の生まれ変わりだから」

「そうですね、それは否めませんが」

「何言ってるの! ヤレン様はヤレン様、アオイはアオイよ! 生まれ変わりって言ったって別人なんだから、もっとその才能を誇るべきよ!」


 ラニアが勢いよく肩を揺らして力説するものだから、碧は目を回している。それを少し気の毒に思ったのか、サトナが話題を切り替えた。


「あの、ラニアさん。貴女(あなた)方は、これからどうなさるおつもりですか?」

「え? えーっと、北に魔族の城があるらしいから、そこへ行って……」


 いかなるときも微笑みを絶やさなかったサトナの表情が、俄に引き締まる。


「ということは、兎族(うぞく)の縄張りを通られるのですね?」

「ええ」


 サトナはラニアが頷くのを確認すると、目眩から解放された碧に向き直る。


「アオイさん。兎族のこと、ご存じないですよね」

「いいえ、この間ラニアに聞きました」


 この間――祭りの夜のこと。魔族の城の前に立ちはだかる難関として登場したのが、その種族の名だった。


 兎のごとく長い耳と丸い尻尾を持ちながら、肉食動物並みの牙と爪を備え、素早く凶暴。その上人間嫌いというおまけ付き。縄張りに入った人間は生きて帰れないという、想像するだに恐ろしい生き物。


「そうですか。それなら話は早いですわ。兎族はとても戦闘能力の高い獣人……生半可な力では、到底太刀打ちできません」


 ぴしゃりと言い放つサトナ。どうやらラニアの説明は誇張でもなんでもないらしい。

 不安を募らせる碧に、一筋の光明が差し込む。


「兎族に対抗し得る術がひとつ、あります。お疲れでしたら、無理にとは言いませんが……」

「教えてください!」


 即座にサトナの手を取る碧。あまりの反応の早さに目を丸くしていたサトナも快く承諾。

 そのまま再び森の奥へ消えていこうとする二人を、カイズが引き留める。


「なあ、アオイを護る仲間の一人ってあんたじゃないのか? こんな回りくどいことしなくても、あんたが一緒に来てくれたら心強いし手っ取り早いと思うんだけど」


 いつまでもこの森に留まっているわけにはいかない。それならば、サトナに旅の同行者となってもらえばいい。そうすればいつでも指導を受けられるし、魔族に対抗しうる強力な助っ人となるかもしれない。


 主にカイズの期待に満ちた視線を避けるように、サトナは俯く。


「残念ながら、わたくしではありません。私は、この森から離れることはできません」

「じゃあ、あんた以外の巫女ひとは」

「いません。この森は、私が一人で護っています。代わりと言っては何ですが……こうして微力ながらご支援させていただいているのです」


 僅かに滲む辛苦の表情でそれだけ告げ、一行に向かって深々と頭を下げるサトナ。

 そこまではっきり言い切られてしまっては食い下がることもできない。

 碧と共に森の深奥へと歩き出すサトナの背を、一行はただ黙って見送るしかなかった。





「たぶん、サトナはオレらの仲間になる奴らのことを知ってるよな」

「確かにそんな雰囲気はあったなぁ。ヤレン様の御言葉も聞いてるみたいだし」

「けど、オレらに教えてはくれないのな」

「なんか事情がありそうだよなぁ~~」

「にしても、こんなだだっ広い森を一人で護ってるのか」

「遅いわねぇ、アオイ」


 碧が指南を乞うてから一時間。

 カイズとジラーはサトナの発言について意見を交わし合っており、イチカは再び本の虫。そんな中一人、ラニアは先ほどからずっとそればかり呟いている。【塞】と同じく、手早く修得して帰ってくるものと思っていたようだ。


 暇ならばカイズらの議論に加われば良さそうなものだが、生憎とそんな気分ではないらしい。退屈で仕方ないと言わんばかりに何度目かの溜息を吐き――


 足下がぐらつく感覚。間もなく届く地響き。木々がざわめき、狼狽えるような動物たちの鳴き声が木霊する。


「地震?」

「にしては、短いような」

「どちらかと言えば爆発の衝撃に近いな」

「爆発って、何が?」

「まさか……魔族?! アオイ!!」

 

 最悪の事態が脳裏を過り、いても立ってもいられず走り出したラニアは、しかしすぐに減速、止まった。青ざめていた一瞬前とは打って変わり、唖然とした表情で一点を見つめている。


 ラニアの視線の先には、何故か全身黒々となったサトナと碧の姿。


「あはは……お待たせ~~」


 すすまみれのため分かりづらいが、何やら照れ笑いを浮かべながら手をひらひらさせる碧。襲撃に遭ったにしては危機感がなさすぎる様子から、敵襲というわけではないようだ。技を教わりに行っていたことと何か関係があるのだろうか。


「えっと……()()は……?」

「えへへ、ちょっとやりすぎたみたい」


 今ひとつ要領を得ない。説明を求めてサトナに視線を移すと、黒い顔が待ちかねていたように補足する。


「端的に申し上げれば、気の扱いに課題があるということです。アオイさんは日本あちらで体術を習得されているそうですね。武の気と聖の気、相反する力が作用し合うことで、必要以上の力が引き出されてしまうことがあるのです」


 煤が気管に障ったのか、咳払いを数回。

 

「とはいえ、うまく制御できるようになれば従来のものよりも強力な手段となり得るでしょう。私まで巻き添え食らいましたけど……あれだけできれば、上出来かと」


 炭鉱帰りかと思うほど真っ黒な顔でへらへらしている碧の隣、サトナの真っ黒な本音が垣間見える。表情だけは相変わらず朗らかな彼女に対し、薄ら寒さを感じる一行であった。


 一方、自らが推測したとおり爆発に巻き込まれたかのような二人の様子を見て、イチカは眉間を一層強く寄せる。


「あんた、一体何を教えた? 本当に神術なのか?」


 非難めいた眼でサトナを一瞥する。


 彼自身、神術について詳細に知っているわけではないが、「主に護りに長けた術」であるということは最近読み漁った文献から知識を得ている。


 そして、思い出されるのは白い少女。獣配士じゅうはいしヴァーストが吠えたとおりなら、彼女もまた『神術』の使い手ということになる。再三の危機から護り癒してくれたあの術は、まさしく神術と呼ぶにふさわしい。

 

 だからこそ、イチカにとっては眼前の光景が受け入れがたい。少なくとも、予期せぬ暴発とはいえ術者たちまで危険に晒すような術ではないはずだ。


 イチカの追及を受け、サトナの顔つきは真剣なものとなる。


「実は、神術ではないのです。『対獣人用魔法』です」


 それを聞いた途端、一行を困惑の空気が包み込む。


「【滅獣(ギガ・ビースト)】ね……?」


 確信を持って訊ねるラニアに、頷くことで肯定を示すサトナ。碧は「よく知ってるなぁ」と感心の面持ちでラニアを見つめる。


『滅獣』――物騒な名前ではあるが、元々は畑を荒らす動物を懲らしめるために考案された魔法だと言われている。その歴史は古く、創世時にはすでに存在していたとする書物もある。


 初めは牽制を目的とした小規模な爆発を引き起こす程度で事足りていた。しかし、兎族の出現により元来の滅獣は窮地に立たされることとなる。素早く頑丈、その上人間と同程度の知能を持つ彼らはそれがこけおどしであることを瞬時に見破り、人々を蹂躙し出したのだ。


 兎族の出没とそれによる被害の報を受け、西の魔法大国・サモナージはすぐに強力な滅獣の開発に乗り出した。その甲斐あって、それから僅か十数年後には兎族に対抗できるほどの滅獣が実用化された。


 研究は今日まで進められ、現在では詠唱の長短によって威力の調整が可能となっている。兎族以外の獣の凶暴化や魔物の台頭も見据え、高威力のものでは殺傷も可能となっている。


「【滅獣】は元々、巫女には許可されていない魔法だったそうです。それが数十年前に解禁となり、今こうしてその恩恵に預かることができています。ですがヤレン様は、すでに独自に【滅獣】を修得されていたとか」

「独自に?!」

「一体どうやって」

「さぁ……私もそこまでは聞き及んでいませんが、ヤレン様ほどの方でしたらある意味納得はできますね」


 何やら「ただでは修得できない」空気だ。異世界と言えば魔法がつきものと思われたが、ここに至るまで魔法らしきものを目の当たりにしたのは敵のそれぐらいである。この世界の魔法事情に疎い碧にとって、これほど好奇心をそそられる話題もない。


(訊いてみたい……!)


 食指が動くまま訊ねようとした碧であったが、こちらに向き直ったサトナが深々と頭を下げる姿に気を取られる。


「私からの『試験』は以上です。アオイさん、お疲れ様でした」


 顔を上げたサトナからの言葉をすぐには理解できず、数秒固まる碧。

 

「えぇっ!? これで終わりなんですか?! 他には教えてくれないんですか?!」


 神術と魔法を一つずつ。兎族だけでなく魔族との戦いに赴くというのに、あまりにも心細い餞別だ。不安を露わにする碧を見て、サトナはくすりと微笑む。


「案ずることはありません。先ほどもお伝えしたように、貴女には巫女としての素質が十分にあります。言ってしまえば、神術を失ってしまわれたヤレン様に、私が再び教えているようなものなのですから」

「そうかもしれないけど、」

「それに、まだ「その時」は来ません」

「……え?」


 穏やかながら、どこか意味深な笑み。思わず仲間たちを振り返る碧だが、いくらか声量が抑えられたその発言は、彼らの耳には届いていないようだった。

 なんとなく居心地が悪くなった碧は、小走りに仲間の元へと駆けていく。


「じゃ、じゃあ、魔族を倒したらまた来るね!」


 碧だけに向けられた言葉であることは明白だ。問題は、何故皆に向けてそれを言わなかったか。そして何より、こちらの懸念を見透かされているような感覚。決して心地よいものではない。


(なんだろ……こっちに来てからいつも心読まれてる気がする)


 碧たちの気配が完全に遠のいてから、小さな溜息をひとつ。

 サトナは虚空を見つめながら、誰にともなく愚痴をこぼす。


「これくらいは許していただかないと。嘘をつくなんて悪にも等しい所業ですのに……私は一体いくつ悪行を働けば良いのですか?」

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